「魔導師エレノアの紀行,サンライン近郊編」
『その国に名は無い。「名」などいう魔術を必要とするような生き物は、あの美しい土地には住んでいない。
この地は気高き女王の治める地である。
旧き竜王の時代より、時に大樹の如く太く、時に雨露の如く細く、連綿と受け継がれてきた竜族の血には、理外の力が秘められている。とりわけ、女王となるものの逆鱗には最も色濃くその血が発露するという。
竜族の他に、その偉大な力を継いだ者について、わずかだがスレーン高地に文献が残っている。長い戦の末、理の果てへ…………魔海へと溶けていった、とある男の最期の書置きだそうだ。
<女王の逆鱗には、世界の全てが描き込まれていた。
言葉無きものの、時の檻を知らぬものの自由が、際限無く広がっていた。
私は目も眩む思いで、彼女の力に飛びついた。
何度でも繰り返す「勇者」の宿命と、途切れること無き「竜」との縁。
終わらぬ戦いに、身も心も疲れ切っていた。
いずれまた「勇者」が現れ、この戦いを継ぐ。
私はもう、眠りたかった。
私の元にはついに、安らぎの灯は訪れなかった。
何もかも忘れ、この因果から解放されたかった。
紅い糸の夢を、微睡のうちだけでも想えたなら、それでもう十分だった…………>
哀しいかな、白き大地に注ぐ澄んだ水も、彼の渇きを癒しはしなかったようだ』
〔「魔導師エレノアの紀行」,サンライン近郊編より〕