37-1、サンライン・ブレックファーストと厄介なお約束。俺が街へと繰り出すこと。★
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。
目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
しかしその晩、俺は自分の肉体(名をタカシという)と遭遇し気絶。タカシは以前、館で消息を絶った薬屋を勝手に救出に行き、行方不明となってしまう。
俺は護衛の骸の騎士・タリスカと共に、何とかタカシを発見。ついでに盗みを働いた薬屋の件も解決し終え、なんとか眠りに就いたのだった。
翌朝、朝食に呼ばれて俺は食堂へとやって来た。
サンラインの朝は少し涼しく、爽やかで清々しかった。行ったことないけれど、夏の北海道の朝ってきっとこんな感じだろう。体調もすこぶる良く、気分はこの上なく晴れやかだった。
さぁ! 今日も一日頑張ろう!
「おはよう!」
俺が言うより先に、リーザロットが元気良く挨拶してくれた。彼女は窓際のテーブルについて、いつも通り上品に寛いでいた。もちろん、ばっちり身だしなみを整え終えていて、俺は寝癖だらけの自分の頭に少し恥ずかしさを覚えた。
「おはよう、ございます」
俺は後半部分を先細らせつつ返事した。今は給仕の人形がいる以外には二人きりだったし、敬語じゃなくても良かったかも。
リーザロットはそよ風のような笑顔で、そんな俺のためらいを吹き払った。
「朝ぐらい、くだけて話しましょう。私も今朝はのんびりしたいわ」
俺は彼女に微笑み返し、
「うん」
と、子犬のように頷いて(我ながらキモイ例えだなぁ)、給仕の人形が勧める席に着いた。
リーザロットの、姿勢の良い姿が正面に見える。彼女は薄手の空色のドレスに、白いレース編みのボレロを羽織っていた。俺は雰囲気につられて何となく、居住いを正した。
とは言え、腹ペコも腹ペコだったので、俺の視線はすぐにテーブルの上の食べ物へと向かった。
昨晩のステーキといい、食事というのはどこの世界でもそうは変わらないものらしい。ざっと見た限りでは、元いた世界のホテル風の朝食で、焼き立てのパンの香りが、それはもう香ばしくて素晴らしくて、目の前がクラクラとなった。カリッと焼かれたベーコン(風の塩漬けの肉の燻製)のとろけるような脂の匂いが、ハーモニーとなってそこへ重なってくる…………。
「では、いただきましょうか」
リーザロットが言うなり、俺はいつもの癖で「いただきます」と勢いよく両手を合わせて、憚ることなく目の前のスクランブルエッグ(風の以下略)とベーコンにがっついた。温かなパンは少し固かったけれど、それでも芳醇な麦の香りがして、とても美味しかった。多分、生地に使われているバターがそもそも美味いのだ。ベーコンは、ちょっと癖のある臭みがあったけれど、それがかえって味わい深く、絶妙な燻しぶりには舌を巻かされた。
リーザロットはしばらくの間、しげしげと俺を見守っていたが、やがて心底嬉しそうに目を細めて言った。
「良かった、気に入ってもらえたようで」
俺は口一杯にほおばったものを飲み下してから、答えた。
「すごく美味しいよ。昨日の夕飯もだけど、用意してくれた君と君の人形達に、ぜひお礼が言いたいよ」
リーザロットは微かに肩を震わせると、穏やかに話した。
「実はね、料理だけは、私の魔法ではなくて、専門の料理人が作ってくれているのよ。…………とは言っても、実際に動くのが人形達なのは、変わらないのだけれど」
「どういうこと?」
尋ねる俺にリーザロットは、人形を傍に呼び付けながら答えた。彼女は人形の手を優しく取ると、その手を自分の左胸に置いて語った。
「この子達の中には、魔力の供給源となる「核」があるんです。ちょうど心臓が血液を身体中に巡らせるように、核は魔力を人形の内に行き渡らせるの」
「ああ。それってもしかして、昨晩の薬屋が盗んだっていう?」
「そう」
リーザロットは優雅に人形の手を握り締めると、サラダを口に運ぶ俺の目をじっと見つめた。俺は蕪とリンゴの中間のような味がする野菜をコリコリと噛み砕き、また飲み込んでから口を開いた。
「やっぱり、希少な物なの?」
リーザロットはこくりと頷いた。
「人形の核となり得る大きさの貴石は、サンラインではとても手に入り難いものです。特に、最大の産地であるテッサロスタがジューダムの占領下にある現在では、まず市場に流通してはいないでしょう」
「なるほど。それで、あの人はあんなに必死になって集めたがっていたわけなんだ」
「そうでしょうね。観賞用としても、価値が高いものですから」
俺は最後の一切れとなったカリカリベーコンを名残惜しみつつ噛み締めて、一思いに飲み込んだ。リーザロットは相変わらずじっと俺を見つめながら(いつ見ても、ひんやりと海のように澄んだ眼差しだ)、言葉を継いだ。
「貴石は術者の魔力に感応し、その魂を万華鏡のように展開します。シグナル…………というのは、術者の貴石への働きかけのことですが、これを工夫することで、こうした自動式のからくりが作れるの。
そういうわけで、館の多くの人形は私を反映しているのだけれど、厨房の人形達だけは、料理が得意な方に、その役を頼んでいるのよ」
「そうだったんだ」
俺はターコイズ色の果物の入ったヨーグルトをおそるおそる手元に寄せて、神妙な顔で頷いた。つまりは、彼女は料理はあんまりということなのか。
リーザロットは人形の手をそっと解放すると、小首を傾げて俺に尋ねた。
「それはそれとして、食後の飲み物は何がいいかしら? ちなみに私、料理はあんまりなのだけど、紅茶を淹れるのは大の得意なの」
自由になった人形が茶を注ぐパントマイムをして見せる。俺は見透かされたような発言にギョッとさせられつつも、口当たり滑らかな、濃厚なヨーグルトに舌鼓を打ち、笑顔を作った。
「じゃあ、紅茶をいただこうかな」
微笑むリーザロットはキラキラとした朝の日差しに照らされて、本当に天使か女神のようだった。胸のふんわりとした膨らみが、特に目に優しい。
朝食の後、俺はツーちゃんのおつかいを済ませるために、街の市場へ出掛けることになった。俺はまたツーちゃん本人か、昨日みたいにタリスカが一緒に来てくれるものと思っていたのだが、今日は二人とも別件で不在だそうだった。
「例えいたとしても、あなたの警護のことを考えると、あの二人では目立ち過ぎるわね。二人とも、何も隠そうとしないから…………」
居室で、リーザロットは肩をすくめた。
「じゃあ、君が一緒に?」
彼女の向かいに座った俺は、そこはかとない期待を胸に、それとなくリーザロットに尋ねてみた。しかしリーザロットは彼女一流の、優しい、だがあっさりとした口ぶりで否定した。
「残念だけど、私は一緒には行けないわ。慰霊祭に出席しなければならなくて」
「慰霊祭かぁ。そう言えば、フレイア達もそんなことを言っていたような」
「慰霊祭は年に一度、魔海に還った魂のことを想う祭りなの。裁きの主の御心に添い、三寵姫が海へ祈りを捧げることで鎮魂を促すんです。フレイア達「白い雨」、教会騎士団は、その警護を担当しているのよ」
「へぇ。…………灯籠流し、みたいな雰囲気なのかな」
「トウロウナガシ?」
「いや、何でもない。オースタンの、日本の行事。気にしないで」
「ニホン…………。コウ君のいた地方よね」
リーザロットはしばらく蒼い瞳を好奇心に揺らしていたが、やがて何度か瞬きをして、話に戻って来た。
「とても興味深いけれど、あまり時間も無いから、また今度にするわね。いつかまた、お話を聞かせてもらっても良い?」
「ああ、もちろん。何でも聞いてよ」
俺は反射的に安請け合いをした後、ふと初めに紹介された部屋のことを思い出して不安になった。あの部屋の内装からして、どうやらリーザロットは日本について独自の見解を持っているようだったけれども、彼女の好奇心を本格的に満たしてやるのは並大抵のことではなさそうだった。
リーザロットは俺の内心のたじろぎを察してか、こう念を押してきた。
「大丈夫。コウ君が話し疲れないように、色んな回復魔法とか、霊薬とか、ちゃんと用意しておきますから!」
俺は逃げられない約束したことを悟り、引き攣った笑みを漏らした。やれやれ。嬉しいような、困ったような。できればせめて、紅茶にしておいてほしい。
ともあれ俺は、今日の話題に移った。
「そうすると、もしかして俺は一人で行かなくちゃならないってこと? さすがに、それはちょっと心配なんだけど…………」
弱って頭を掻く俺に、リーザロットは明るい声で言った。
「いいえ。いくら何でもそんなことはいたしません。今日は、「白い雨」の内から一人、腕の立つ方に、特別に来てもらうことになっています」
「そうなんだ」
俺は一拍置いてから、おずおずと尋ねた。
「でも…………それって、もしかしてフレイアじゃないよね? 彼女は、まだ旅の怪我が治りきっていないだろうから…………」
「ええ、ええ。わかっています。コウ君ならきっと、そう言うと思っていました」
リーザロットは俺の言葉を遮って笑うと、柔らかく話を紡いでいった。
「フレイアは、グラーゼイが止めました。昨日は気丈に振る舞っていましたが、やはり任務に耐えられる体力ではないとのことで、今日は宿舎で休んでいるそうです」
「そっか、良かった」
俺は胸を撫で下ろした後に、ふと気がかりになって呟いた。
「…………グラーゼイ、でもないよね?」
リーザロットは「残念ながら」と言って肩をすくめると、からかい混じりの調子で続けた。
「彼は精鋭部隊の隊長ですので、今日は式典につきっきりです。折角の機会なのですけれどね」
俺は「全くだ」と相槌を打ちつつ、安堵して話を進めた。
「それじゃ、また初対面の人と一緒ってことか。ちょっと緊張しちゃうな」
頬杖をつく俺に、姿勢の良いリーザロットが言い添えた。
「ごめんなさいね。でも、きっとすぐに打ち解けられると思うわ。とても気さくな人なの。齢も、コウ君と同じぐらいなんじゃないかしら」
「ふぅん」
俺が想像もつかないでいると、噂をすればとばかりに、小気味よく部屋の戸を叩く音が響いた。リーザロットは俺と顔を見合せると、
「来たみたい」
と言って、早速人形をドアの方へやった。
開いたドアから、「失礼します」という控えめな声と共に人が入ってくる。現れた男の姿を見て、俺は意表を突かれた。
彼は、獣人でも骸骨でもなく、等身大の人間であった。
白地に金刺繍が入った直剣を腰に下げた、その細身の男は、恭しく頭を下げると、美しいブロンドの髪を軽やかに揺らして顔を上げた。
リーザロットの瞳とはまるで違う、鮮やかなスカイブルーの目が俺を見つめている。甘いマスクに、ごく自然な感じの良い笑みが湛えられていた。まるで映画で見たエルフみたいだったけれど、耳は尖っていない。
男はよく通るテノールボイスで、挨拶をした。
「おはようございます、蒼姫様、勇者様。今朝はクソ面倒極まりない式典から救ってくださり、心より感謝申し上げます!
麗しい蒼姫様とご一緒できないのは心苦しい限りですが、逢瀬にふさわしい機会もいずれ訪れましょう。その時まで、嗚呼、しばしの別れ!
――――さぁ、勇者様! さっさと街へ繰り出して、やることやって、共に美酒の神泉へと参りましょう! 美しい女神たちのいる園を、私はたくさん知っています!」
俺はどう受け取っていいか咄嗟に分からず、かろうじて
「ああ」
と呻き声を漏らした。また何か、凄まじいのが来た…………。
リーザロットは立ち上がって俺の傍によると、こっそりと俺に耳打ちをした。
「入用の物は、鞄の中に入れておきました。今日はお祭りですから、たくさん遊んで、英気を養ってきてくださいね」
俺には彼女が何か勘違いをしているのか、それともイカれているのか、本当に判断が付かなかった。




