表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【最終章】魔道を行く者
408/411

181-3、魔道を行く者。俺が旅の果てを眼差すこと。

 

 ――――――――…………ここからだ、俺の仕事は…………。



 顎門が霞と溶け、王が血の海へと倒れ込むのを見ながら、俺は息を吐くよりも早く、魔海の水面を突き破って気脈の内へと飛び込んで行った。


 深く、深く、脇目も振らず…………。

 残った息を全て吐き出し、全速力で潜っていく。


 …………躊躇うな。

 …………気を抜くな。

 迷わず、落ちろ。


 すぐ目の前を、俺よりもずっと速く王の魂が沈んでいった。

 斬り裂かれた腹の傷から、静かに長く赤い糸が伸びていく。

 漆黒の水底が彼を優しく呼んでいた。


 魂の歌が俺達を震わせている。

 複雑で荘厳な、時空を超えて重なるコーラス。魔海は大きく深く潮を渦巻かせながら、遠大な旋律を奏でていた。



 ――――ppp-p-pppn……

  ――――p-p-p-……-n-……p-……



 ――――rrr-n-rrr-n……

  ――――r-……r-n……r-……n……



 ――――tu-tu-tu-n……

  ――――tu-……t-u-……t-n……



 絶え間ない律動が、下降流をさらに深く沈めていく。

 青灰色のたくさんの灯が、沈みゆく者を温かく迎え入れるみたいに淡く明るく、踊りながら燃えていた。


 安らいだ暖かな流れと、澄んだ冷たい流れが交互に混ざりながら身体を撫でていく。

 深く、暗く、水面から離れていくにつれて、暖流と寒流の境目は完全に溶け合っていった。

 やがて心地良い空虚な温もりが俺達を包み込んで、遠い水面の輪郭を水彩めかしてぼかしていく。



 …………懐かしい声がする。

 …………懐かしい味がする。

 …………懐かしい景色が広がる。


 誰だったか…………。

 何だったか…………。

 どこであったか…………。


 たちまち深く重たい微睡みが絡みついてくる。

 考えれば考えるだけ、たくさんの誰かの腕が身体を水底へ引きずり込んで行くかのようだ。


 王の身体を、無数のジューダムの民の魂が掴んでいる。

 縋るようでも、労わるようでもある。


 俺を誘うのは誰なのか?

 女王竜の逆鱗が放つのと同じ虹色が、彼方の水面からいくつも差し込んでくる。

 俺はひたすら潜っていく…………。



 …………さらに、さらに、果てしなく。

 狂おしい火照りを胸に宿しながら…………。

 滲んで揺れる水面を見送る…………。



 世界は遠く…………。

 遥か、深く…………。



 やがて広大な暗闇が、大きな腕をめいっぱいに開いて俺達を出迎えた。

 白く小さな泡達がささやかにきらめきながら、次々とそこへ飛び込んで行く。


 計り知れない、途方もない闇の入り口だ。

 自分が一度ならずあの内へ潜っただなんて、とても信じられない。

 あそこは運命の根幹、終点…………どちらなのだろう?

 今も答えは出ていない…………。


 見渡す限りの深淵に、恐怖よりも先に畏怖が芽生えた。

 本能が魂を竦ませる。

 …………大勢の声が「行くな! 行くな!」と、高く遠吠えているのが全身に伝わってきた。



 ――――「怯むな」。

 己にどれだけ言い聞かせても、魂は聞き知った世界の名残を探して、歌に思いを寄せていく。


 浮上を囁きかける歌声がすごく愛おしい。

 子守歌めいたその穏やかさに、思わず涙が込み上げてきた。


 …………本当に行けるのか…………?

 この先は紛れもなく死者の領域だ。

 俺一人で、本当にできるのか…………?



 …………ふいに漂い来る、スズランの花の香りにハッとする。

 ほの甘いクリームの心地。

 俺の内側でふわりと花咲いた魔力に、俺は一層強く胸を締め付けられた。


 これは…………フレイアの魔力。

 忘れるわけがない。

 俺が最も縋りたいもの。

 忘れたくないもの。

「俺」を繋ぎ止める、最後の紅い糸…………。


 …………懐かしいこと、愛おしいこと。

 嬉しかったこと、切なかったこと。

 …………寂しいこと。

 指切りした小指に絡んだ紅玉色の記憶が、激しく俺の魂を疼かせる。


 …………フレイア。

 君は、そこにいるのか?

 まだ俺の名前を呼んでくれているのか?

 君に…………俺は…………。

 君は俺に、何を願う?



 …………ただ魂の歌だけが響いていた。

 重なり連なり紡がれる、命、記憶、夢…………。

 澱となって降り積もっては、また流れていく。

 繰り返し、繰り返し…………。


 揺れる水面から降る光が、火の粉みたいに軽やかに舞っていた。



 あの子の瞳は、今もどこかで燃えているのか。

 深く惑わしい、俺を狂わせ駆り立てるあの紅玉色。

 二匹の蛇が、「行け」と瞬いた?



 …………返ってくるのは、そうであって欲しいと願う俺の声のこだまだけ。



 だけどそれは、何にも増して彼女の望みらしく俺に刺さった。



 俺は一度目を瞑り、それから再び漆黒の水底へ遥かに沈んでいく幼馴染へと意識を落とした。



 …………行こう。

 俺は俺の旅路へ。

 まだ見ぬ場所へ。


 …………俺は信じる――――――――…………。




 ――――――――…………鮮やかな紅玉色の小指の糸に、俺はカッターの刃を添えた。


 鋭い痛みの予感に心が激しくざわめく。

 だが、透き通った肉体(タカシ)の声が奮い立たせてくれた。



 ――――コウ、忘れるな。

 ――――何もかも、俺達の見つめる先にある。

 ――――俺がついてる!

 ――――…………どこへだって付いていくぜ! どんな姿でもな!



 俺は力強く、黒銀の刃を一直線に滑らせた。




 ――――――――…………解けた「俺」が落ちていく。


 大いなる腕が無防備な魂を深々と抱き込む。

 同じく闇の底へ消えゆくヤガミの血の跡が、掠れて途切れた。


 もう戻れない。


 さぁ…………目を凝らせ。

 魂を極限まで澄ませろ。

 必ず「アイツ」を見つけ出せ――――――――…………!!!





 ――――――――…………やっと感じ取れたそいつは、恐ろしく熱く鮮やかな、惚れ惚れするような一筋の炎だった。


 どこまでも純粋で、透明な灼熱。

 探し求めた存在…………「陽炎(かげろう)」は、魂にだけ映り込んでくる素晴らしい彩りを俺の内で閃かせていた。


 無垢な妖精のように揺れる炎に、俺はしばし見惚れた。

 これが…………「陽炎」。

 俺の命を映す鏡にして、邪の芽の眷属…………。


 あまりの妖美さに恍惚となりながらも――――相手もまた、まじまじとこちらに見入っていたが――――俺は微笑んで挨拶をした。



「初めまして。…………と、言うべきなのかはわからないけれど」



 俺は思い切りよく、言葉を続けた。



「俺はミナセ・コウ。君の新しい主で、影だ。…………どうか君の力を貸して欲しい」



 今にも吹き散らされかねない、まさに幻の俺の魂は星みたいに冴え冴えと燃えていた。

 陽炎は刹那だけ踊り揺らいで、闇に姿をくらました。


 マズったか? と慌てたのも束の間、急に凄まじい熱が俺の身体を駆け巡って、全身をバラバラにせんばかりの大渦を描いて暴れ出した。



「――――――――ッ!!!」



 一瞬でも気を許せば、簡単に粉々になってしまうだろう。

 かと言って、ただ耐えていても程無く灰と尽きてしまう。

 何て苛烈な…………これは…………好奇心?


 扉の気配が、腹へ鋭く沈み込んでくる。腸がズタズタに千切られるようだ。

 どうやら陽炎は俺を試しているつもりらしい。


 声にならない、言葉よりも遥かに直接的な意思が頭に叩きつけられた。



『――――お前は命を懸けるか?』



 敵意ではない。ただ、純粋な興味。みるみる過熱していく。

 俺が何を頼むつもりなのかは、もうすっかり伝わっているようだった。



「ハハ…………話が早いな」



 苦笑しつつ、俺は妙に高揚していた。

 ヒリヒリするけど、胸が高鳴る。

 まつろわぬ情熱が俺を勇敢に、この上なく無謀にした。



「俺の命と引き換えってか? それが、その程度が君の力の限界なのか?」



 俺は急激に倍加した痛みに耐えつつ、続けた。



「…………ッ!!

 …………提案が、ある…………。俺を切り捨てるより…………きっと、もっと面白くなる…………!」



 俺は踊り狂う痛みの荒波を噛みしめ、話した。



「俺は…………天国も、地獄も、自分の目も、全部信じてる…………。これがどういうことか、わかるかい…………?

 どこへだって行けるってことさ…………!!

 俺の開く扉は、どこへだって通じていく…………! 立って、歩き続ける限り…………世界は無限なんだ…………!

 つまり…………魔道だ!! 俺の行く道は…………!!

 …………君も見たくはないか? あの邪の芽でさえ辿り着けなかった、自由の果て…………!!」



 炎の息吹は吹き止まない。むしろ苛烈に俺を煽り立てている。

 胸の鼓動は派手に暴れていた。



「ッ…………! 君が映し出した、幻の俺…………その幻の内に…………アイツの魂も映してくれよ…………! 片方が消えたら、まとめて消える…………それぐらい、どうってことない…………!

 …………アイツも、退屈なんかとは無縁なヤツだ…………! アイツは…………ぶっ飛んだ過去を抜きにしたって、只者じゃない…………! ちょっと傲慢で…………横暴だけど…………すごく、眩しいよ…………!」



 ずっと嫉妬していた。

 憧れていた。

 …………それにも増して、楽しかった。


 だから…………もう一度。



 俺は陽炎に声を張った。



「頼む、陽炎!!! 俺とセイを信じてくれ!!! 旅の果てへ…………俺達と行こう!!!」



 炎が一気に盛りを増し、全身が炙られる。

 俺は業火の中で歯を食いしばり、陽炎に応えて扉渦巻く腹の傷へカッターの切っ先を当てた。


 …………扉を開くやり方は、本当にこれしかないのか?


 疑問を陽炎の熱が即座に焼き焦がす。

 声より言葉より意思より速い、何と純然たる答え。

 俺は大いに笑った。



「この、悪趣味め…………!!! こんなことが楽しいなら、せいぜい心行くまで味わいやがれ!!!!!」



 刃を突き立てるのに一瞬先駆けて、陽炎は業火を華々しく噴き上がらせた。

 魂を疾駆する強烈な熱波が、爆発寸前まで漲る。

 何百億倍にも引き延ばされた苦痛の刹那を、俺はしみじみ噛みしめた。


 そうして喜び勇み腹を斬り破る。


 暴れ出た灼熱の大渦が、魔海の水底へ向かって豪快に迸った――――――――…………。






 ――――――――――――…………。









 ――――――――――――…………。












 ――――――――…………死の淵から戻ってくるのは、あっという間だった。

 いや、未だ境界線の上ではある。

 だが、この肉体の壮絶な痛みは間違いなくまだ生きている証拠だった。


 俺は血まみれの自分の腹を押さえつつ、同じく血まみれで呆然としているヤガミ・セイの姿を認めた。

 灰青色の瞳がすりガラスみたいに静かに朝焼けを映している。


 俺はカッターの刃をきちんと納めてポケットにしまい、笑った。


「よう…………生き返った気分だろう?」


 ヤガミの後ろでは、いかにもぼんやりと心許なげに顎門が泳いでいた。

 何とも不思議そうに、明るんでいく空と海との間をどっちつかずにウロウロしている。

 セイは塞がった自らの傷を撫で、それから逆に死にかけている俺へ目を瞠った。


「お前…………どうして…………? 俺は…………」


 セイだけでなく、ツーちゃんや紅の主もまた同じ表情で俺を見ていた。

 琥珀色の瞳がうんと冴え渡り、甲高い怒鳴り声の気配が空気を急激に圧し始める。

 俺は大魔導師が大騒ぎする寸前で、先に言った。


「どうしたもこうしたもねぇよ! 俺を映している「陽炎」に、お前の命も一緒に映し出してもらったんだ。俺達は今、幻を共有してる。つまり………とにかく、生きてるんだ! お前は!」

「共、有…………?」


 眉を顰めるセイに、俺は繰り返した。


「そうだ! まぁ…………あんまり居心地の良い状態じゃないだろうが、細かいことは気にするな! ジューダム王は倒した! ヤガミ・セイは助かった! 以上だ!」


 思考が追い付かないでいるらしきセイに、さらに言葉を掛けようとする。何か喋ってないと、こっちが倒れてしまいそうなのだ。

 だが、そこでついに小さな大魔導師の怒りが爆発した。




「何が「以上」だ!!!!!

 この大馬鹿ポンコツ能無し阿呆たれボケナス変態ドベカス洟垂れワンダめが――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!!!!!!!!!!!」




 鼓膜にも傷にも致命的に響き渡る声に、俺は眩暈を覚えた。

 ふらつく俺を一切気に掛けず、大魔導師は次いで怒鳴り散らした。


「通ると思うておるのか!? 本気でか!? 貴様の頭の中が木の洞より案山子よりエルフの骨より空っぽなのは知っておったが、まさかここまでとは思わなんだ!!! あぁあ!!! 信じられぬ!! 本当に本当にこれは悪夢ではないのか!? 現実か!? マジなのか!?

「王」を生かした挙句、「陽炎」の幻を共有するなど!!! 貴様、自分が何をしでかしたのかわかっておるのか!? えぇ!? 死ぬのか!? 一緒に!? ジューダム王とそんなに心中したいのか、この変態めが!!!」

「死なないよ…………。何で変態になるんだ?」

「うるさい!!!!!!

 そもそも!!! な・ぜ・に!!! この私を呼ばずに勝手な行動を取ったのだ!? この私の呼びかけを悉く無視するなど!!! いつそれ程まで偉くなった貴様は!? えぇ!? このヒヨッコの!! 小便垂れの!! ノータリンのポコチンのおマヌケワンダめが!!! 私がおれば「陽炎」の力を強制的に増幅させ、貴様の命など使わずして従わせることなど…………」

「無理だったよ。絶対喧嘩になった」

「黙れ!!!!!! いちいち口答えをするな!!!!!!

 というか…………貴様、魔弾はどうした!?! この私特製の貴様専用の宝具は!? なぜ捨てた!? この歴史的恒久的天才的大大大魔導師であるこの私が、この手で! 自ら! 丹精込めて作り上げた世紀の大大大傑作を、よくもよくよくもよくも…………!!!!!」

「役に立ったってば」

「当たり前だ!!!!!!!!! このッ……………」


 息継ぎの無い罵倒を、スルリと間に入ってきた宮司が静かに遮った。


「琥珀様、その辺りでご容赦を。…………ミナセ様が死にます」


 俺は今にもぶっ倒れそうになりながら、辛うじて片手を上げて感謝を宮司に伝える。

 宮司は若干…………本当に若干、気のせいを微かに超える範囲で顔色を良くし(やっぱり陽当たりのせいかもしれない…………)微笑んだ。


「誠にお疲れ様でございました、ミナセ様。…………陽炎はまつろわぬ魔の内でも、ひどい気まぐれで知られるじゃじゃ馬でございます。ようなされました」


 どうなのだろうなと、後悔という程ではないが反省が今更渦巻き始めている。

 いや、迷いは無かった。ただまぁ、予想外に痛い。このまま本当に死んだらどうしよう。いくら何でも、元も子もないにも程がある。


 蒼褪めて苦笑する俺の肩を、紅の主が支えた。

 顔を上げると、フレイアとそっくりの鮮やかな真紅の瞳がきらめいていた。


「…………よくやった。伝承の夜は過ぎ去った。

 街からの連絡では、もう大半のジューダム兵は戦闘を停止し、太母の護手の反乱も収束しているという。魔獣や幻霊による被害の報告も止んでいる。

 …………戦は終わった。…………貴公が、終わらせたのだ」


 朝陽を照り返すさざ波の光が、彼女のいつになく穏やかな表情を物寂しく陰影づけている。

 俺が返すより先に、紅の主は瞳を伏せた。


「皆まで言うな。フレイアのことはわかっている。…………これでも三寵姫なのだ。…………あの子は白き眼差しと共にある。ならば良い。…………あの子の生まれを思えば、最も良いと言っても過言ではなかろう。

 …………貴公には礼を言おう。あの子と共にいてくれて、ありがとう。フレイアに無上なる祝福を、ありがとう。君達に恵みのあるよう、私は永遠に祈ろう」

「でも、俺…………」

「魔道を行くのだろう? 小さなことにいつまでもこだわるな。…………戦は終わったが、貴公の旅はここより続く。まずは一歩。確かに進みなさい」


 紅の主が海からの風を浴びて颯爽と離れる。

 交代にツーちゃんが、俺を見上げて言った。


「コウ。…………傷は後でちゃんと見てやるから、ひとまず堪えて話を聞け。

 先程言ったことは大真面目だ。これでジューダム王を殺したと、本気で言うつもりか? 確かに「王」を中心とするジューダムの巨大共力場は崩れ去ったが、それは変革が起きたという意味に過ぎん。こやつを生かして置く限り、いずれまた共力場は編成される。…………この新世界で、より強力になってな。

 …………この戦でどれだけのサンラインの命が魔海へ散ったと思う? どれだけの資産が失われた? 協力したスレーンのことも考えろ。両国の国民感情は断じて穏やかではない。その上、復興事業はこの気脈の大変動への調査と並行して行われねばならぬ故、通常よりも遥かに長く困難となろう。これはつまり、壮絶な不満を内部に抱えたまま、弱体化した国を莫大な労力と財を掛けて維持せねばならぬという意味だ。…………一方では、敵国が再び強化されるのを見守りながら、だ。

 貴様の良心一つ守るためだけに、これは到底納得できるものではない」


 俺は、こちらの目を抉り抜くような琥珀色の眼差しを浴びながら、息を整えて言った。


「…………わかっている」

「わかっておらぬ!!! だからこそ、貴様は自らの命と結びつけるなどという愚かなことを…………」

「うん。だから、俺ごとやれって言っているんだ…………できるものなら」


 小さな額に険しい山脈が幾重にも走る。

 引き攣った目元と口元に、怒り以上の困惑がありありと滲んでいる。

 俺は畳みかけた。


「俺を生かすべき理由…………まさに自分で言っているじゃないか?

 このめっちゃくちゃになった気脈の調査と国の復興を成すには、俺の扉の力が絶対に必要だ。亡くなった人達には申し訳無いばかりだけれど…………壊れた建物やら何やらに関しては、長い目で見ればそれ以上の発展でもって報いることができるはず。

 俺の力の有用性に関しては、これまでに共力場を編んだたくさんの人達が証言してくれるだろう。リーザロットも、グレンさんも、精鋭隊も、ナタリーも、シスイさんも、紅姫様も、宮司さんも…………」


 近くの二人と目を合わせ――――紅の主が肩を竦めて微笑み、宮司がウィンクした――――俺はまた琥珀色の眼差しへと視線を戻した。


「大魔導師・琥珀ことツヴェルグァートハー…………何たら様も。

 計画や見積もり、それから金策を立てられそうな人脈にも心当たりがある。それぞれに交渉を持ち掛けるやり方は、テッサロスタへの遠征のために竜を手配したのと同じ手法である程度いけるだろう。…………俺とセイはオースタンの人間でもある。

 …………この戦はさ、ただ繋がりを断ち切るだけの戦ではなかったと思う。新たに紡がれた縁もある…………スレーンの里との交流とかさ。そういうものが、きっとこの難しい扉を開く鍵になると思うんだ」

「鍵…………」


 ツーちゃんが呟き、寄せた眉間の皺を複雑な形にする。

 彼女は小さく首を振ってキャラメル色の髪を乱し、言った。

 あまり猛々しい調子では無かった。


「甘い…………そう簡単に事が進むものか! 例え私達数名の賢者の口添えがあっても…………沸き上がる反対の声を抑えるのは容易ではない。反対する賢者もいるだろう。…………貴様のことなど、国民の大半は知らんのだ。身分にあかせた強引な手を使えば、それこそ逆効果にもなる。…………戦で悪くなった関係もあるということも忘れるな! エズワースの異邦人達、ひいては太母の信徒達は未だに…………」

「うん。でも、方法が無いってわけじゃない。…………俺は死なないよ、ツーちゃん。生き抜いてみせる」

「…………っ、この頑固者が…………」


 華奢な子供の手が、癇癪を起した子供の如く乱暴に自分の頭を搔き乱す。

 ツーちゃんは改めてキッとこちらを睨むと、結局何も言えずに、また頭をクシャクシャにした。


「…………悔しい!!!! ワンダの口先に丸め込まれるなど…………!!!!」

「それも死にかけのな。…………っていうか、ツーちゃんだって本当は殺したいわけじゃないだろう? 俺も、セイも」

「感情の問題ではないのだ!!! 政治というのは、魔術とは別の話で…………」

「それでも、どちらにしても一番肝心なのは一刻も早い復興。それには俺が要る。…………違う?」


 ツーちゃんが大きく目を剥き、息を引き止める。

 彼女はそのままわなわなと震えながら、頭からゆっくりと手を離した。


「…………っ…………っっっ!」


 琥珀色の瞳が花火みたいに燃え輝き、細い腕がわずかに浮き上がる。

 俺は強烈なビンタを覚悟して身を強張らせたが、それはやって来なかった。

 一転して力無く肩を落とした少女は、およそらしからぬ労わりと慈しみの眼差しを向けていた。


「…………本当に、世話の焼けるワンダだ」


 俺は息を吐いて、同じ柔らかさで彼女を見つめ返した。


「いつもありがとね」

「フン」


 高圧的な目つきと横顔が戻ってくる。

 俺はそれを見守り、再びセイの方を向いた。


 彼は変わらず放心した面持ちで、俺達と、遥かに広がる清々しい朝に圧倒されていた。

 顎門が緩やかに彼に寄り添っている。

 俺はセイの間近に近付き、声をかけた。


「俺の勝ちだ」


 灰青色の、今は少しずつ澄んできた湖面のような瞳が俺を映す。

 セイは掠れた声で零した。


「…………生きていいのか、俺は…………?」

「…………生きるんだよ」


 選ぶんだ、と追って続ける。

 俺は降り注ぐ日差しに目を細める相手へ、服の裾で血を拭ってから手を差し出した。


 血溜まりの中に沈んだ蒼白い手はじっとしている。

 セイは声を震わせた。


「…………何でこんなことをした? 俺は、お前を…………」

「わかんねぇか?」


 ズキズキなんて生易しい言葉では済まない激痛に、俺は図らずも感謝した。

 喋りのぎこちなさも、溢れる鼻水も、滲む涙も、全部この痛みのせいにできるからだった。


「…………仲直りしようぜ」


 きっと向こうも、汚れきった面と眩い日差しに助けられていただろう。

 血を滴らせて、蒼白い手が俺の方へ伸びた。


 触れたその手は冷たく、それでも大きくしっかりとしていた。


「…………コウ」

「何だ?」

「…………疲れたな」

「うん…………そうだな」

「腹が減った」

「何だよ、急に。こっちはそれどころじゃねぇよ」

「ハハ…………。…………本当に空腹なんだ…………。もうずっと、ずっとずっとひどく餓えていたはずなのに、すごく久しぶりに、感じる」

「…………駅前に美味い博多ラーメン屋ができたって話、もうしたっけ?」

「どうだったかな。…………豚骨ラーメンが食べたいって話は、身体が覚えている」

「今度行こうぜ」


 横から、ツーちゃんが「らーめん」とは何だ?」と聞いてくるが、いよいよ俺の意識の限界も近い。


 レヴィの歌声が、一層高らかに雄々しく近付いてくるのが聞こえた。

 街の方を仰ぐと、どうやら団体さんがこちらへ向かってきているようだ。


 ナタリーが、あーちゃん、リーザロット、仏頂面のグラーゼイやマッドドクターウィラック(!)、デンザさん、俺と同じくらい顔色の悪いグレンさんやらをどっさりレヴィに乗せて戻ってくる。

 別の方面からやって来る緋王竜の一団はアードベグさんが引き連れているのか。…………って、おお! アオイちゃんが竜に乗せてもらっているじゃないか! 頑張ってくれるなぁ。


 段々と薄れいく、急速に微睡んでいく意識の中へ、セイの声が掛かった。


「コウ」

「…………ん?」

「…………ありがとう」


 笑って、力強く親指を上げて返す。


 白い日差しが、豊かにたゆたう海へ燦々と降り注いでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ