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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【最終章】魔道を行く者
405/411

180-3、星堕ちる夜、希望の明日を求めて。私が見守る夢の水際のこと。(後編)

 ――――――――…………蒼の主の声が聞こえた。

 凛と響いたその呼び声に、レヴィが真っ先に気付いて泳ぎ出す。



 上空では白竜が吸い込まれるように風を渡り、獲物たるジューダムの魔竜をみるみる追い詰めていた。

 巨竜は星降る夜を血みどろで奔走し、憤怒と狂騒の叫びを轟かせる。


 正面にそびえる魔人もまた、巨竜と同じ雄叫びを上げていた。

 漆黒の嵐は、その断末魔さえも無惨に斬り刻んでいく。

 目を凝らせば見える、禍々しい暗色の魔法陣とそれから伸びる何本もの長い鎖が、魔人にの白い…………鮮やかなまでに白い骨を、痛ましく剥き出しているのが見えた。


 入り乱れる残酷な斬撃の響き。噴き上がり迸る血飛沫の降る音。痛み以上に強い共感が全身に芽生えつつあった。

 燃える大地から熱風が立ち上り、大量の血の匂いが濛々と漂ってくる。物言わぬ無数の魂の慟哭に眩暈を覚えた。

 あらゆる者の最期の叫びが、世界中に反響する。


 虹色のクジラに乗って、私達は毒蟲達を蹴散らしながら進んだ。砕けた蟲達の肉片が肌にぶつかって痛いけれど、もうそんなことどうだって構わない。ぶつかられた方だって痛いんだろうし。

 生と死の瀬戸際で、夢と現の水際で、誰もが痛いんだ。


 グレンさんの結界や、デンザさんの戦斧が巻き起こす爆風、ウィラックさんの赤い光線がヤドヴィガさんの風刃と共に飛び交う中を潜り抜け、私達は蒼の主の下へと向かう。


 大量の蟲を喪ったイリスの悲鳴が、衝撃波じみた圧で空を駈け狂っていた。



「ふぇうぃおあうたをvjなwろpgじゃふぉwkgfp@あうぇおjmdsぁふぇああふぁkfまlmふぇおあfじゃ¥wfけあwふぇぁwふぁあvhdsdfghjkl;くぉあqwsでfrgthyじゅきぉp;あqzwxscでfrvgthnyじゅmfはヴぃざdhぎえらjhんvrWkahgwa――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 血の味混じりのザラメが咽喉に大量に押し込まれたような不快さが内臓を襲い、思わずえづいて腹を抑える。

 胸のむかつく感覚に、再びの毒蟲の出現を予感した。


 だが、中空に大量に湧き出た暗紫色の毒霧の内から現れたのは、魔法陣を足場に立つイリス本人だけであった。

 モノクルの奥の瞳がトンボの複眼のように不気味に変化している。

 驚いて動きを止めたレヴィをその目で捉えるや否や、長く低い、唸るような奇声が一気に高くけたたましく尖った。



「キィィェェェエエエエェッェェェェェエエエエエ―――――――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!!!!!!!!!!!!」



 爆発的に散らばった毒霧が夥しい数の毒蜂となり、私達へ襲い掛かってくる。

 ナタリーが急いでレヴィを逃がそうとするも、数が多過ぎる。


 反射的にレヴィが身を捩り、胸鰭と尾鰭で蜂達を叩き潰そうと力を溜める。

 衝撃を予期して歯を食いしばったが、寸前、桜色の風が吹き荒れた。


「リーザロットさん!!!」

「蒼姫様!!!」


 蜂達をたちまち巻いて蹴散らした花吹雪の内から現れた三寵姫は、その深い蒼の瞳を苛烈に瑞々しく輝かせ、イリスを見据えた。

 余裕か、緊張か、もしくは類無い高揚感ゆえか。微笑んでいた。


「アルゼイアのイリス。リケをご存知ではありませんか?」


 背筋が凍るかと思うぐらい淡々と平静な調子に、レヴィまでもが距離を取って力を落ち着かせる。

 リーザロットさんの問いに、イリスはアメジスト色の複眼を無機質に艶めかせ、べったりとした声で答えた。


「アハァ…………ネコちゃんに逃げられちゃったんですかぁー? カッコつけてるわりにダッサいですねー。何ぁんかイキってるみたいですけどぉー、実際相変わらず大したことないんじゃないですかー? 偽物にせよ本物にせよ、ねぇ、お姫様ー? イリスちゃんの相手になろうっていうからには覚悟できちゃってるってことですよねー…………?」


 深い重い波音がゆっくりと急速に辺りに満ち始める。

 イリスの毒霧が、ざわつく羽音を一段と高くした。



「レッッッッッッ…………ツ!!!!!」



 イリスがどこかで見たような異様なポーズで片手を天に突き上げ、ミラーボールの如く両目を複眼にして輝かせる。

 続く彼女の奇声が、毒霧を爆散させた。



「ダァアアァァア―――――――――――――――――ンスゥィィィィィィイイイィィ――――――――――――――――ンッ!!!!!!!!!

 トゥナイッッッッッ!!!!!!!!!」



 死者の呻きと悲鳴が地獄の底から一斉に湧き、強引で奇怪なリズムを掻き鳴らす。

 昔博物館で見た古代の虫みたいなサイズの毒蟲が大量に溢れたかと思うや、ミラーボールの複眼が燦然と紫の光を四方へ解き放った。

 地底から響く重低音のリズムに乗って、蟲達が踊り出す。


 イリスの摩訶不思議な踊りが、さらにそれらの勢いを禍々しく鋭敏に闊達にしていく。

 むせ返るような湿った甘い血の匂いが私達を包んだ。


 目を剥く私とナタリーと、すっかり怯えて竦んでしまったレヴィを守るように、どこからともなく押し寄せた蒼い大波が渦巻く。


「ナタリーさん、アカネちゃん」


 リーザロットさんの呼びかけに、私達は同時に返事した。


「は、はい!」

「歌ってください。彼女、ああ見えて結構手強いんです。…………でも、貴女達が手伝ってくれれば大丈夫」


 レヴィがか細く鳴く。

 ナタリーが彼女の魂獣を労わり撫でる様子を、リーザロットさんは今までとは違って本当に優しげに見守っていた。

 ナタリーが、どこか戸惑いを宿した表情で言った。


「あの…………私…………黒い魚を…………」

「ナタリーさん。謝らなくてはならないのは私の方です。けれど、今はとにかく生き延びなければなりません。全て終わったら、お話しましょう。…………これまでのことを。そして、これからのサンラインのことを」

「…………はい」


 大人びた、少しだけ歪な二人の微かな笑みを、私は黙って見ている。

 レヴィがおもむろに波の内へ滑り出す。

 ナタリーはレヴィを思い切って前へ進め、叫んだ。


「姫様! 主の恵みのあらんことを!」


 リーザロットさんが優雅に長い黒髪をなびかせて合図を返し、蒼い魔法陣を広げる。

 強い波に引きずり込まれるようにして乗りながら、私はリーザロットさんがイリスに話すのを聞いた。


「もう諦めなさい、イリス。癇癪で生まれるものなど何もありませんよ」


 レヴィが広く遥かに歌声を響かせる。穏やかな白い光が虹色に流れ込み、華やいだマーブル模様を織りなす。

 蟲達の羽音が死者の旋律とぶつかり混ざり合い、一層ノイズを激しく、荒々しく乱れさせる。

 押し潰されそうな狂暴なセッションの最中で、リーザロットさんの声はそれでもよく通った。


「わかりませんか? 貴女には何も変えられない。貴女が貴女である限り、白い雨は注がない」


 イリスがロクに息継ぎもせず甲高く喚いている。

 下品な罵倒と浅はかな嫌味が延々連なっていく。


 彼女が何も信じていないということが、その言葉からよく伝わってきた。彼女の内には美しいものも繋がっていくものも、祈りたいものも、何も無いのだ。彼女はあらゆる価値を頑なに、しかもいたずらに否定している。


 堕落と快楽を重ねに重ね、濃縮されたとびきりの毒。

 彼女はただそれによって世界を穢したい。思いつく限り理不尽に。戯れに。刺激的に。

 彼女は…………魔女なのだった。


 知りたくもなかったイリスの邪悪な感情が、歌う傍から次々と雪崩れこんでくる。

 凄まじい邪気に今にも倒れそう。

 ナタリーを見やると、彼女は願うような、噛みしめるような顔をして魂の歌を一心に連ねていた。


 リーザロットさんに視線を送ると、彼女もまた暗く眼差しを伏せていた。睫毛の下の蒼玉色の瞳が真夜中の海と同じ色で揺れている。

 静かに渦を成す海は、細かく強い波を立てた。


 無機質な蟲の羽音が飲み込まれては波に砕ける。

 白く輝く虹光の中で塵にも砂にもなれずに漂う肉片が、死者の旋律を楽譜へ綴るみたいに虚しく流れていた。


 唸る蟲達が濁竜をも喰らい、夜を無惨に食い千切っていく。途切れない無機質な羽音が地獄を変に浮わついて見せる。

 芸術的に絡み合う蒼い波の綾が私達を守り、人を守り、イリスの禍々しい劇場を削り取っていく。

 イリスはケラケラと笑いながら、リーザロットさんへ執拗に蜂や蛾を差し向けていた。


「アハッ…………アハハハハハッ、ハハハッ!!!!! やーるじゃないですかーお姫様ー! イリスちゃん、ちょっと感心しちゃいましたよー! 頑張ったんですねー! 泥臭くて腹黒いその海、まさに「ドブの主」って感じで良いですよー!?

 …………ッハ!! 反吐が出ますけどねー! っつぅーかぁー、アンタ一緒にいたあの太母の護手共、どーしたんですかー? あの健気なバカたれちゃん達ですよー! やっぱ皆殺しですかー!? アハッ、ハハハハハッ!!」


 イリスの言葉に、リーザロットさんは静かに返した。


「ええ、そうです。この世の魂の内では、語りきれませんでした」

「アッハ!!! クッソみてーな言い訳ー!! えっげつねぇですねー!!! でも嫌いじゃないですよーイリスちゃん、そーいうの!!! このこのっ、クソアマめー!!! このビッチ!!! クソビッチ!!! ヒトコロビッチ!!! ビッチビッチビッチビッチビッチ!!!!!」

「…………私は、彼らの祈りがあるべき場へ届くのを信じています。主の恵みは計り知れません。私はただ遍く愛されてあれと願うのみ」

「ッハ!!! ゲロゲロー!!! 自己満ってんですよぉ、そういうのー!!!」


 イリスが吐き捨て、ふいに腕に構えた和弓でリーザロットさんを狙い撃つ。

 リーザロットさんは正面に張った魔法陣で矢で弾き、イリスを見据えた。


「貴女のこともまた祈っています。…………いつか貴女の魂にこびりついたその血が洗い流されるよう」

「うぇっ、煽りですかー!? うぇ――――~~~~っ!?」


 イリスの両目の複眼が凶悪に研ぎ澄まされる。

 再び放たれた矢が空中で3つに分かれ、空を引き裂き飛び掛かっていく。

 リーザロットさんは同様に魔法陣で防ぐも、今度は魔法陣も砕けた。


 蟲達が津波の如くリーザロットさんを飲み込む。

 危うく声を出しかけた所で、そそり立った巨大な蟲柱の内から冷静な声がした。


「…………イリス、貴女は本当に強力な魔術師ですね。一切の迷いの無い、汚濁への渇望、適性。何者にも囚われぬ強靭な魂。類まれな肉体の強度。…………天才的です。あのヴェルグが目をかけたのも、頷けること」


 青筋を立てて奇声を上げるイリスが、さらに分厚く蟲達を結集させる。

 蟲達の羽が激しく擦れ合い、静電気と火花をあちこちで散らした。

 蟲柱はついに魔人程の大きさへと膨れ上がり、死者達の旋律は蟲達から弾け出した稲妻と相まって最高潮に達した。


 だが、リーザロットさんの平静な声は乱れなかった。


「しかし、貴女には決定的に足りないものがあります」


 イリスが奇声を上げて踊り狂い、蟲達を猛らせる。積乱雲の如く膨れ上がった柱は、それ自体が巨大な一つの化物のよう。

 リーザロットさんの言葉は、乾いた憐みを含ませて続いた。


「貴女には愛がありません。何をどれだけ素早く学び、身に着けたとしても、貴女は空虚です。その強さは何も築かないし、守りもしない。…………貴女は永遠に独りの舞台で踊り続けるの」


 イリスの奇声がいよいよ人外のものへとかけ離れていく。

 リーザロットさんの蒼玉色の眼差しが突如脳裏に閃き、私はレヴィの歌声がふわりと翠玉色のレースとなって広がるのを感じた。


 ナタリーが歌っている。私の内側が、自然とそれに和する。

 夜を満たして広がった蒼と翠の広大な海は、外側から大きく蟲柱を包み込んだ。遠く長い潮の音が響き出す。

 それは死者の旋律をも重く孕んで、太く、雄々しく夜を冴え渡った。


 イリスの叫びが最早超音波と化し、さらに蟲の雲を膨らませる。

 巻き込まれ耐えきれず圧死し、千切れ微塵になった蟲や濁竜の破片が凄まじい稲妻を走らせる。

 落雷と重なって、渦巻いていた波が柱の両側から津波となって衝突した。



「キィ―――――――――――――――ェェェエエエッエェッェェェェェエエエエエ――――――――ッッッッッ!!!!!!!!」



 竜の悲鳴か、「王」の悲鳴か、イリスの絶叫か。

 押し寄せ溢れた大波が大量の蟲や濁竜達を押し流し、一瞬にして地上の炎ごと消し去った。


 星が流れる。

 蒸発した煙が濛々と立ち込める。

 波が飛沫みたいに散らばって降り注ぐ。

 レヴィはその中を、ジェットコースターみたいに地上へと滑り降りた。


 目指す先では、リーザロットさんとイリスが向かい合っていた。

 イリスは腹這いになって地面を舐めながらも、かろうじてまだ息を残している。モノクルはひしゃげて砕け、化粧も髪も山姥の如く乱れきっていた。


 イリスは獣のような声を上げて立ち上がると、ズタズタになったスカートの裾を大きくまくり上げて中から何か長い武器を取り出した。

 構えられたそれを目にして、私は息を詰まらせた。


「あ、あれは…………!!」


 ナタリーが顔を顰めている。ナタリーにわかるはずもない。あの武器は…………間違いなく、地球の武器…………散弾銃だった。


「よくも…………よくもイリスちゃんの可愛いムシムシちゃん達を…………!!!!!」


 リーザロットさんは額に垂れた髪を掻き上げ、未だ深くさざめく瞳を相手に向けた。


「貴女がいたずらに繁殖させたあの虚ろな蟲達は、完全なる貴女の複製品。愛など理解しませんよ」

「この…………クソビッチが!!!!! 普通にぶっ殺したる!!!!!」


 イリスが至近距離で散弾銃を放つ。

 短い破裂音と共に、弾がリーザロットさんの身体へ真っ直ぐに叩き込まれる。


 華奢な身体から噴き出した大量の血飛沫に、私とナタリーは悲鳴を上げた。

 倒れ込んだリーザロットさんの真っ白な身体が血の海に沈む。

 ボロボロの身体を引きずるようにして、イリスが嬉々としてそこへ歩み寄ってきた。


「アッハ、ハハッ、アハハッハハハハハハ!!!!! ザマーミロ!!!!! イリスちゃん知ってるんだ!!! サンラインの魔術師は、案外こういうあったりまえの火力に弱いんだって!!! 思った以上のスピードと威力にみぃーんな対処しきれなぁーい!!!

 ファッハァ――――――――!!! んぁ――――良い気味良いザマ良い気持ち!!! どーですかー!? アンタのやたら複雑な魂が初めて経験する死に方はー!? あっ、もう聞こえてない感じですかー!? いっけなーい、イリスちゃんたらおっちょこちょいなんだから! アァハハハッ、ハハハッ、ハハハハハハハハh…………」


 馬鹿笑いが急に止まった。

 イリスが人の形に戻った目を、まさに普通の人間みたいに強張らせる。

 ケバい化粧の上からでもよくわかる蒼褪めた顔色が、みるみるうちにさらに引き攣っていった。


 私とナタリーもまた口をきけずにいた。

 血溜まりの中から、リーザロットさんがゆっくりと起き上がってくる。

 薄いドレスは血まみれに破れて、身体には確かに穴が開いている。…………それが、次第に幻のように元の綺麗な肌に修復されていっていた。


 破けたドレスはそのままに、初雪のように美しい肌が夜に浮かび上がる。

 少し血の気の失せた唇が、妖艶な微笑みの形に変わる。

 彼女の足元の血溜まりから、小さな、たくさんの赤いルビーのような色の蝶が羽ばたいた。


「ヒッ…………ヒィッ…………!!!」


 イリスが後ずさり、もう一度銃声を響かせた。

 今度も弾はリーザロットさんの身体を貫いたが、傷からは真紅の蝶が飛び立つのみで傷痕すら残らなかった。


「ッ!!! …………うあぁぁ…………ああぁぁあっ!!!」


 イリスが服をまさぐり、銃弾を再装填しようと手間取っているところへ続々と蝶が集まっていく。

 混乱し手つきが覚束ない相手に、リーザロットさんは静かに話した。


「悪いけれど、この痛みのことはすでにコウ君から聞いていたの。でも、実際の痛みまでは知りませんでしたから…………良い経験になりました。本当に、オースタンの武器は恐ろしい…………。次はもっと上手に生かせると思いますが」


 大量の蝶がイリスの全身を覆い、彼女の身体のあちこちに止まる。蝶達が揃って口吻を伸ばして魔女の肌を突き破り、悲惨な絶叫が鼓膜を震わした。


「ぃ、嫌、や、止めて…………!!! こんなの、こんなの、こんなの…………イリスちゃんは知らない!!! 止めて…………止めて、止めて、止めて、止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めてぇえぇぇぇええぇぇぇぇえぇえぇぇぇぇ―――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!!! 


 赤々と輝く蝶達がイリスの姿を完全に覆い尽くす。

 リーザロットさんが脱げたドレスの肩紐を優雅に直し、言い置いた。


「魔海は全てを包み込む、大いなる祈りの場。…………行ってらっしゃい、アルゼイアのイリス。…………良き旅とならんことを」


 魂を吸われ行く魔女の断末魔が、夜空をつんざいた。




「クソ…………クソッ!!!!!

 覚えてやがれです――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




 声が流星群へ吸い込まれ急速に失せていく。

 それに従って蝶が一匹、また一匹と飛び去っていく。

 最後の一匹が去った後には、壊れたモノクルの残骸以外、塵一つ残っていなかった。


 唖然としている私とナタリーを振り返り、リーザロットさんはふんわりと笑顔を花咲かせた。


「ご協力、どうもありがとうございました。…………さぁ、皆の下へ行きましょうか」


 私達は揃って静かに頷く。

 蒼く絶対的な海の魔力が、いつからか周りに深々と満ちていたのに、今更気が付いた。



 リーザロットさんを一緒に乗せて、レヴィは夜を翔ける。


 やがてシスイさんがジューダムの巨竜の逆鱗を砕き、一緒になって真っ逆さまに落ちていくのを目にした。

 人の姿に戻り力無く落下するシスイさんを見て慌てたが、私達が向かうより先に見知らぬ竜に乗ったスレーンの兵士が彼を拾って飛び去っていった。


「あれっ、スレーンの兵士さん!? いつからいたんだろう!?」


 私は思わず驚きの声を上げた。

 これだけ戦場を駆け巡っていて、今まで全くそんな兵士の姿を見かけなかったというのは不思議だ。

 スレーンの部隊が持ち場を広げてきたのかな? でも、他に誰かがやって来ている風でもないし…………。

 兵士はシスイさんそっくりの軌道で、何とも滑らかに、そこに空気なんて全くないみたいに、涼しげに山影へ消えていった。


 その様子をしばらく見つめて、リーザロットさんはポツリと言った。


「…………まぁ、お任せしましょうか」

「えっ、追いかけなくていいんですか?」

「ええ」


 澄ました言葉に、とりあえず納得して先を行く。


 魔人はすでに討伐された後だった。

 彼と戦っていたあの漆黒の嵐がどこへ去ったのかはわからない。

 残されているのはただ無惨に斬り刻まれた巨大な黒い肉塊だけ…………。


 あの化け猫、リケの姿もまた見えなかった。

 リーザロットさんは、あの魔獣が本気で逃げに徹すれば、世界の終わりとて捕まえられないと語った。


「ですから、ひとまずは放っておきましょう。…………例え世界の終焉からは逃れられても、あの人の刃からは逃げられません」


 あの人…………それは例の漆黒の嵐、「蒼の剣鬼」のことだろうか。

 このお姫様自体、あんなに恐ろしい強さだったというのに、それがこんなに信頼するなんて一体どんな人なのだろう?

 私から見たグラーゼイさんみたいに、圧倒的な存在だったりするのかな…………?


 改めて思い出すと急に心配になってきて、私は地上を血眼になって探した。

 グレンさんやウィラック博士、デンザさんが今もヤドヴィガさんと戦っているのが見える。でも、肝心の彼の姿は無い。

 あんなに深手を負っていて、そうそう動けるものではないはずなのに。どこに行ったのだろう?


 完全に捨て身となったヤドヴィガさんの死闘は、見下ろしてみていても壮絶だった。

 もう何もかも、本当は悟っているのだろう。自分の戦いはとうに終わっている。悲願は果たし得ず、程無く力尽きると。


 だが、それでもあの人は戦わなくてはならないのだ。

 例え骨が砕けようが、目が潰れようが、髪の毛一本、その影すら残らなくとも、走り、吠え、振り絞り、喰らいつかねばならない。


 あの人の戦いはその魂が完全に朽ちるまで…………希望という希望が、光という光が、意思という意思が、完全に焦げ尽きるまで終わらない。…………終われない。

 それでなければ、願い求める静寂には辿り着けない。

 信じる終焉には値しない…………。


 凄惨な戦いぶりに、涙も汗も消え入る。

 蒼褪めている私に、リーザロットさんが囁いた。


「…………グラーゼイなら、あそこにいますよ」

「っ!?」


 何でわかったの!?

 指で示された場所を追って視線を伸ばすと、向かってくるヤドヴィガさんに正面切って剣を構えているオオカミ男がいた。

 鎧すら身につけない、猛り吠える獣人そのもののその姿に、私は目の前が真っ白になりかけた。


「なっ、何してるの…………!?」


 叫びかけた私の声ごと斬るように、ヤドヴィガさんの剣を紙一重で掻い潜り、グラーゼイさんの刃が一閃、瞬いた。


 …………刹那、グラーゼイさんにも何もかもがわかっているということが魂に叩きつけられた。


 一糸纏わぬ抜き身の声。

 彼は、誰よりもヤドヴィガさんを信じていた。

 誰よりもその命の火を守りたがっていた。

 でも…………だから、誰よりも応えねばならなかった。

 その人の世界の、決して小さくはなかった…………小さくはありたくなかった一片だからこそ、覚悟した。


 全てを懸けた獣の咆哮が、私を通り超えて深く夜へ突き刺さる。


 黄色い獣の瞳が、輝き冴え渡る。


 腹を斬り裂かれた信念の古騎士は、自らの血の中へと前のめりに倒れ込んで、ついに動かなくなった。


「や…………やった…………」


 掠れた声が聞こえたはずはない。

 ないけれど、グラーゼイさんの眼差しがふいにこちらへ向いた。


 こんな時、こんな場所でもなければ、人並外れた獣人の姿に悲鳴を上げていただろう。

 でも、今の私にはそれがこの上なく頼もしく、強く、格好良く…………切ないものに映った。


「グラーゼイさん!!!」


 声を張って呼ぶと、相手が剣を上げて応える。少し笑っていたと思う。同じくらい哀しそうに…………優しく。

 やっとホッとしてから、ナタリーからの視線にハッと振り返った。


「! ち、違うよ! その、ひどい怪我だったし、心配だっただけで…………」

「はいはい」

「本当に違うって!」


 繰り返すも、ニヤニヤするばかりでちっとも取り合ってくれない。

 私達はそのまま、人々が集まっている場所まで降りていった。まだサンラインの魔術師や残った太母の護手、ジューダムの兵士達が入り乱れて戦っているけれど、いずれももう決着がつきつつある。


 辿り着いた私達を、グレンさんが出迎えてくれた。

 グラーゼイさんが私の手を取って降ろしてくれる。

 リーザロットさんは自ら進んで降りるなり、グレンさんへ尋ねた。


「魔導師・グレン」

「何でしょう、蒼姫様」

「世界が終りかけています。どうすれば?」


 グレンさんは乱れた髪と襟をきちんと正し、至極真面目な顔で答えた。


「祈りましょう」

「主に…………ですか?」

「より具体的な相手があるならば、それも良いでしょう」


 星が落ちていく。

 夜は果たして終わるのか。

 朝は何処から現れるのか。

 誰にも…………きっと神様にさえ、わからない。


 各々が色とりどりの視線を注ぐ中で、蒼の主は深く、真摯に頷いた。


「…………わかりました」


 彼女が豊かな胸の上に手を組むのを、私はおのずと真似ていた。導かれるみたいに、心はすんなりと馴染んでいった。


「勇者」の力よりも、この未来を信じると決めた。仰ぐ先にある憧れの人の横顔に、決心を固くする。

 願いを掛けたい誰かの顔は、小憎らしいけれど、すぐに浮かんだ。


「今こそ祈りましょう。全てが愛されてありますように…………」


 きらめく蒼玉色の瞳が、スゥと闇に溶ける。



 ――――――――…………かくして、私達は世界を願った。

 想い描いた。

 一心に。


 …………夜を切裂く、扉のことを。

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