176-2、呪わしき夜、閃く銀の牙。俺が逆鱗の残光に舞うこと。
「貴様、何をしておる――――――――ッッッ!?!?!?」
砕け散った逆鱗とツーちゃんの金切り声が、力場を激しく震わせる。
だが、いちいちヒステリーに応えている暇なんて無い。
俺は眼前に迫る顎門をしっかりと瞳に捉えつつ、粉々になった女王竜の逆鱗の欠片のその全てへと意識を投じた。
逆鱗の力はすでにほとんど失われている。
けれど、まだ魂を取り込む力は残っていると俺は信じた。
信じる…………いや、違うな。扉の力は逆鱗を絶対にこじ開ける。そう覚悟を決めた。
逆鱗は俺の魂の深い部分を通して、俺を別の時空へと散乱させる。
それなら、今の弱体化した逆鱗による魂の反射は、もっともっと小さな範囲に収まるはずだ。
もう時空を超えることはできない。魂の深い場所へも届かない。
だからこそ、この短い戦いの間を、この狭い空間の内だけを飛び回れる。
行きたい時、行きたい場所へ。
ほんの少しだけ、まさに刹那だけズレた瞬間へ。
粉々になった逆鱗は予想通り、さらに力を弱めた。
俺は破片の一つを限界まで輝かせ、顎門を躱した位置へと移動した。
「――――!?」
散らばった欠片が月明かりを浴びて輝く中、ジューダム王が息を詰まらせる。
顎門が牙を空振りさせ、即座に俺の方へと身体を捻った。虚ろな小さな目が、王の鮮烈な灰青色を映して閃く。
俺はすぐにまた意識を飛ばして――――粉々になった欠片はそこら中に舞っている――――ツーちゃんに呼びかけた。
「さぁ、もう一度来るぞ!! 今だ!!」
「――――ッ、言われずとも!!!」
王と同じく呆気に取られていたツーちゃんが、琥珀色の巨大な銛を放って大鮫の横腹を穿つ。
と同時に俺を囲って、琥珀色の輪が光り輝いた。
輪の正面には照準器に似た十字の目印がついている。覚えている! これは…………。
「ツーちゃん、これ…………!」
「貴様に合わせて拵えた魔弾だ! 使え!」
次いで数珠状に連なった火の玉が輪の内で盛大に燃え上がり、紅の主の声がどこからか響いた。
「弾は私が用意した! サンラインの気脈…………この地の命脈より編まれし、まさに渾身の火焔だ!」
周囲の空気が大きくたわんだかと思うや、ジューダム兵の白い腕が大量に湧きだして襲ってきた。
しかし、それらはたちまちのうちに見惚れるような大火炎の渦に巻き込まれた。
「こちらは私達が対処する! サンラインの熱き息吹、とくと味わわせてくれよう!!!」
続く紅の主の詠唱には、大勢の民の…………サンラインの命の声が混じっていた。
彼女の魔力はそれらを孕んで太陽の如く燦然と輝き、ジューダムの力場をまさに圧壊させ焼き滅ぼした。
ジューダム王は顔色を変えず、王国の力場を重ねて一層深く濃く展開させる。
巨大な騎士の像が白い腕達によって編まれ、その大剣が紅の主の炎を両断した。分かたれた二つの炎渦を巧みに操り、紅の主は騎士の剣に応じる。
フレイアと驚くほど似通った火炎の太刀筋を十分に眺める間も無く、さらに濃くジューダム王の力場が編み上げられる。
そして現れた妖艶な女魔術師は、豊かな長髪を夜空に弾ませ、細く滑らかに伸びた指先を俺へぴたりと向けた。
「!!!」
王国の力場がおぞましく壮絶な執念を打ち広げる。
女の指先に向かって急速にドス黒い思念が集う。
怒り? 悲しみ? そんな単純な言葉では決して言い表せない強烈な念がみるみる絡み、募る。
四方八方から無数のさざめきが響き渡って、俺はその場に釘付けられた。
女魔術師が滴るような笑みを浮かべる。
膨大な思念がまさに俺へと叩きつけられるその寸前、女魔術師の指先がドロリと蝋の如く溶け出した。
ザラザラと砂を擦るような音を立てて女魔術師の髪が流れる。吹き抜けた突風がさらに大いに彼女の髪を乱れさせた。
聞こえていた囁きが霞み薄まり、拡散する。やがて大波となって押し寄せた静寂が、あらゆる雑音を一気に押し潰した。
拘束から解かれた俺は、宮司の隙間風じみた呟きを微かに耳にした。
「…………その貴婦人のお相手はお任せください。麗しき淑女へ、我が祈りを喜んで捧げましょう…………」
宮司の詠唱…………長く古めかしい祝詞が星の瞬きへ重なり響き始める。
紅の主の灼熱がまたカラリと胸の内を熱くする。
続くツーちゃんの琥珀色の魔力を浴びて、力場の圧は凄まじく閃き膨れ上がった。
「コウ!!!」
ツーちゃんの呼びかけに、俺は再び顎門が向かってきていることに気付く。
王が何か叫ぶと、瞬く間に顎門に刺さった銛が灰と散り、傷が癒えた。
「来い、顎門!!!」
敢然と突き進んでくる大鮫に、俺は魔弾の照準を定める。
使い方は身体が覚えている。
忘れるはずもない。
「――――――――行け!!!!!」
高速で打ち出された火球が、中空で散弾となって弾け散る。
顎門は鈍重なシルエットにそぐわぬ機敏さでそれらを掠め、身を翻して迫ってきた。
逆鱗の欠片を使って顎門の後背部に飛び逃げ、再度狙い撃つ。
命中したはず。
なれど顎門の勢いは止まらない。
「くっ!」
飛び移り、飛び移り、俺は火球を放つ。
当たっている。だが、顎門は少しも怯まない。噴き出す血と火炎を引きながら、大鮫は無心に俺へ喰らい付いてきた。
「ツーちゃん!!」
答えの代わりに、顎門を囲って分厚い球状の魔法陣が輝く。
極限まで圧縮された魔力に、心臓がキンと締め付けられる。
全神経が千切れそうな程に痺れ上がり、冷たい一言がポツリと零れ落ちた。
「―――――――――果てろ」
針で刺したかの如く、張り詰めていた魔力が一挙に弾ける。
魔法陣の内で壮絶な光の爆発が起こり、顎門の声ならぬ絶叫が力場中に轟いた。
「まだだ!!!」
ツーちゃんが怒鳴る。
直後、俺は尋常でない寒気に襲われた。
「…………ッ!!!」
咄嗟に振り返った頭上へ、王の影が降りかかる。
仰ぎ見た王の口元は褪めた肌と対照的に鮮やかな血で覆われていた。掠れた吐息に生気は無い。血みどろの黒衣が、風に重たく翻った。
「…………失せろ、扉の魔術師」
銀の短刀が閃き、俺の首筋へ走る。
一瞬移動が遅れていれば、俺は喉を掻き切られていただろう。
俺はすぐに魔弾の照準を王に定め、至近距離で火炎弾を撃ち込んだ。
火炎が王の腹を突き破り、炎があっという間に全身を包み込む。
喉を掻いてもがき苦しむ凄絶な姿に俺は息を飲んだが、やがてその身体は白い腕に覆われ、どこかへ連れ去られていった。
「消えた!?」
魔力を探るも、どこにもいない。
ツーちゃんへと意思を投げかけたその時、ジューダムの力場が大きく下から突き上げられた。
地の底から白い腕が一斉に湧き上がる。
ツーちゃんが即座に矢の雨を降らせて俺の周囲の腕を打ち払ったが、その隙へ暗がりから現れた顎門が内臓を引き回し襲い掛かってきた。
魔弾を構える余裕は無い。
銀の刃がどこかで月明かりを映して閃く。
飛び移る欠片に惑い、反応が遅れた。
「――――コウ!!! ッ!!!」
叫んだ途端にツーちゃんが言葉を途切らせ、上空に派手な魔法陣を輝かせる。
見れば天を覆う巨大な白い腕の大渦が、月さえ割り砕くような轟音を立てて魔法陣と衝突していた。
魔法陣から琥珀色の火花が嵐と降り注ぐ。
顎門の牙が俺へ迫る。
――――間に合うか…………!?
飛びかけた身体と牙が紙一重で重なり合う。
その瞬間――――…………。
鋭く白い光の軌跡が俺を巡り、顎門の牙を受けた。




