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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【最終章】魔道を行く者
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174-4、決意の夕暮れ、さらば愛しき紅玉色。俺が永遠の誓いを立てること。

 俺は足元の古びた逆鱗を拾い上げ、そのぼんやりとした輝きに見入った。


 フレイアはまだこちらに気が付かない。

 小さく華奢な背中は、樹々の間を夢中で歩き回っている。

 俺は逆鱗を握り、フレイアに聞こえぬよう、そっと深く息を吐いた。


 …………見つけてしまった。

 これをあの子に渡したら、俺はもう行かなくてはならない。

 彼女のいない時空へ。

 いや…………彼女の「いる」、新しい時空へと旅立つのだ。


 幼いフレイアは真剣な表情で逆鱗を探し続けていた。

 大人になってもずっと変わらない、その真っ直ぐで純粋な横顔が何を考えているのかは、俺にはよくわかる。

 あの子は本気で、俺の探し物をも見つけようとしてくれているのだ。


 フレイアはどこか楽しそうだった。

 リアルなことを言えば、例え戦闘力において明らかに劣った相手とはいえ、得体の知れないオッサンにこんな風に懐くのはちっとも好ましくない。(家庭の事情…………それも大貴族の娘であるとか、三寵姫の妹だとか、滅多に口にすべきことでないことまで話している)


 だが、それでもどうにも窘めきれないのは、彼女の根深い孤独を身に染みて知っているからだった。


 邪の芽と固く絡み合う「不信」の心。

 それは彼女がこの修行の旅へと送り出されたまさに原因であり、後々も長く彼女を苛むことになる。


 皮肉なことに、あの子が修行の日々に精を出せば出すだけ二つは複雑にもつれ、互いを糧に成長していく。


 フレイアはきっと初めてあんな話を…………「寂しい」だなんていう気持ちを、誰かに伝えたのだろう。

 ずっと胸の内にだけ秘めてきた本音。今、この短い間だけ、俺を通すことでかろうじて許された。

 俺が離れたら、彼女はまたいつもの孤独に包まれる…………。



 ――――…………それでも、フレイアはいずれその蔦を自ら振り解く。



 ふと頭に声が響く。

 …………他でもない俺自身から湧いた声だと、すぐにわかった。


 俺を逆鱗の力へ誘った声よりも遥かに頼りなく、たどたどしく、だが熱のこもった、若い声だった。



 ――――あの子は強くなる。

 ――――お前が思うよりも…………誰が思っていたよりも、遥かに。

 ――――あの子は負けない。

 ――――魂に絡みつく全てにも、それを引きずって歩き続ける宿命にも。



 紅く夕陽が差している。

 見れば、街の上の空が真っ赤に燃えていた。

 深く惑わしい真紅が、記憶の中に一雫、滴った。



 ――――あの子、幸せそうだっただろう?

 ――――今よりもっと。今よりずっと確かに。

 ――――あの子の道の先にあるのは、絶望なんかじゃない。


 ――――そりゃあ、苦しそうでもあっただろう。

 ――――戦っているんだから当然だ。

 ――――皆、戦い続けるんだ。


 ――――でも、苦しくったって、血みどろだって、いつだって…………あの瞳はあんなにも鮮やかだった!



 風が一陣、強く吹く。

 落ち葉を一面さらって舞い上がらせ、フレイアが伸びやかに驚きの声を上げた。


 微かに浮かんだあどけない笑顔がゆっくりとこちらを向く。

 俺の声は縋りつくように、先細って聞こえた。



 ――――頼むよ…………。

 ――――しっかりしてくれよ。

 ――――お前だけは知っているはずだろう?



 ――――「あったかもしれない」未来なんて無いんだ…………!



 ――――積み上げて、潰されて、食いしばって、弱くて、へこたれて、それでも歩いてきた。

 ――――他の道なんてねぇよ!


 ――――…………知っているだろう? 

 ――――背負ったもの、こびりついたもの、それをこそぎ落としたら自分が削れるんだ!

 ――――その先にあるのは解放じゃない。

 ――――同じ…………終わることのない痛みだ。



 ――――忘れたのか。

 ――――…………あの子の瞳を燃やしたのは誰だ?

 ――――彼女が信じたのは誰だ?

 ――――彼女が「愛している」って伝えてくれたのは、誰なんだ!?




 ――――…………抗えよ。

 ――――お前の灯は、お前の傍らにある…………。




「…………コウ様」



 呼ばれた気がして、ハッとなる。

 実際にはそんなことはない。

 幼いフレイアはただ、円らな紅玉色の瞳をぱちくりと瞬かせて俺を仰いでいた。


「ウンメイ様? どうかされたのですか? お返事がなくて心配です。疲れてしまわれたのでしょうか?」


 空気が冷えてきたからか、フレイアの頬には子供らしい赤みが差していた。

 首を傾げる彼女に、俺は握り締めていた拳を開いて拾った逆鱗を見せた。


「あっ…………!」


 予想通り、目を丸くしたフレイアの顔色がたちまち曇っていく。

 すぐに笑顔を作ってこちらを見上げたが、その瞳には未だ拭いきれない戸惑いと寂しさが霞んでいた。


「…………見つけてくださったんですね。ありがとうございます。これで…………お師匠様の元へ帰れます」


 俯いた顔はまた警戒に似た張り詰めた表情に塗られていく。

 大人びた色に沈んだ紅玉色が、わずかに夕陽を映し込んでいた。

 フレイアは俺が逆鱗を渡そうとしないのを不思議がって、そのことを眼差しに込めた。


「ウンメイ様…………?」


 俺は屈んでフレイアと目線を合わせ、話した。


「…………あのね、フレイア」

「? …………はい」


 困惑の形に眉が寄せられる。

 真っ直ぐに俺を映す瞳の、チラチラと揺れる真紅が胸に浸みた。


「俺は、多分もう一度君に会うと思う」

「!」


 フレイアの目に明るい光が灯る。

 微笑ましさと危なっかしさとを一緒に受け取りつつ、俺は言葉を続けた。


「だから、いつかその日が来るまで、どうか負けないで。…………例え何を信じられなくても…………君は独りじゃない。俺がいる」


 フレイアの手を握り、逆鱗を手渡す。

 小さな手と比べると、くすんだ虹色の正方形はとても大きく見えた。


「俺の言っていること、きっと今はまだよくわからないと思う。…………それでいい。でも、どうか」


 …………どうか。

 聞き届けてほしい。

 「裁きの主」。


 彼女に恵みの雨のあらんことを。

 彼女自身は今はまだ信じることはできない。

 だけど、この子はこの先の日に必ず貴方を見つける。


 「俺」は、彼女が辿り着くのを見たんだ。


「どうか信じていて。俺が、世界のどこかにいるって覚えていて」


 …………真っ赤な日差しに染まる世界。

 俺は逆鱗を握り締めるフレイアに、片手を差し出してと頼んだ。


「何をなさるのです?」

「うん、ちょっとした魔法をね」

「魔術、ですか…………?」


 不安げな少女のか細い小指に自分の小指を絡める。

 怯えと期待の入り混じった赤い顔の強張りに、俺は可笑しくなった。


「なぜ笑っていらっしゃるのです? その…………フレイアは、ちょっと恐いです。どのような魔術なのでしょう?」

「あぁ、ごめん。実は、魔術って程のものじゃないんだ。何て言うのかな…………少しだけ、勇気が出るおまじない」

「オマジナイ…………勇気…………? センイハツヨウの術ですか?」

「…………難しい言葉を知っているんだなぁ」


 タリスカの偏った教育が垣間見える。

 俺は小さく落とした肩を直して、改めてフレイアを見た。


「君のためにだけじゃないんだ。…………俺のために、協力してほしい」

「ウンメイ様のため? ウンメイ様も戦われるのですか?」

「うん」


 君を守るために。

 俺と一緒に戦った君を、忘れないために。


 戦おう。

 これからもずっと。

 君がいて、俺がいたんだから。


 …………俺は少しだけ強く指を握り絡め、誓いを口にした。


「指切りげーんまん、噓吐いたら、針千本飲ーます」


 そうして、絡めていた指を優しく離す。

 白くか細いフレイアの小指は、心細そうに宙に残されたままでいた。


「ユービキリゲーンマン…………ウーソツーイタラー…………ハリセンボン…………ノーマス?」

「意味は、そのうちね」


 次に会った時には、ちゃんと解説したっけか? っていうか、よく覚えているものだなぁ。…………まぁ、いっか。


 俺はポケットの中の方の逆鱗がいよいよ熱く燃えるのを感じて、立ち上がった。

 もう時間だ。


 俺は名残惜しく紅玉色を見つめ、尋ねた。


「ところで…………ちゃんと帰れるかい? 時空移動術、ちゃんと独りでできる?」

「あっ、はい! お師匠様がいらっしゃるところまでなら、何度も練習しましたので!」

「そっか。なら、大丈夫…………なのかな?」


 大丈夫…………なんだよな?

 俺は内心で自分に頷いて言い聞かせ、彼女に言った。


「それじゃあ、またね」

「はい。ウンメイ様も、お気を付けて行ってらっしゃませ」

「君も、元気でね」

「お約束、フレイアはきっと守ります。ご安心ください」

「うん、君ならできる」

「…………さようなら、ウンメイ様。いつかまたお会いできる日をとても楽しみにしています!」

「…………。…………俺も」


 俺は急激に目頭が熱くなるのを感じて、慌てて笑顔のフレイアから離れた。


 虹色に輝き迸る逆鱗は、紅に染まる故郷をたちまちのうちに薄れさせ、「俺」をあっという間に在るべき時空へと連れ去った。


 俺は刹那、涙に滲む視界の中で、遠退く自分の幼い記憶を見た。




 …………





 ……………………






 ――――――――…………スイミングスクールに行かなくちゃ!

 はやくしないと、バスが出てしまう。

 …………はずだったんだけど。


 何で俺はこんな森の中で時間を潰してしまったのだろう?

 誰かに出会った…………?

 …………うん。会ったはずだ、絶対に。


 愛らしい笑顔の印象が、まだ強烈に胸に残っている。

 まだ何だか、ドキドキしているみたい。


 だ…………が。


「いけない!! 妄想なんかしている場合じゃないぞ!! 走れ!!」


 俺は猛烈な足音と共に近付いてくる神主の気配と、迫る夜の気配に急き立てられ、全速力で駆け出した。


 逃げろ、逃げろ、水無瀬孝!


 捕まったら神主に怒られ、スイミングスクールに遅刻し、母さんに張っ倒され、学校でしこたま叱られる! 父さんにまで連絡が行くかもしれない!

 つまり、この世の終わりだ!!!


 さぁ、走れ、走れ、走れ!!


 水無瀬少年の明日はどっちだ…………――――――――――――!?

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