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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
「勇者」と銀狼の騎士
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172-3、血溜まりに沈む夜。私が悪夢の果てを見ること。

「耳を貸してはいけない、勇者殿…………!」


 威嚇の唸り声が隣から低く響く。

 グラーゼイさんは命を限界まで焦がした瞳をリケへ向けた。


「魔獣めが。勇者殿には指一本、触れさせん」


 リケは結界の外でのんびりと気怠く尾を揺らし、首を傾げた。


「んーな。わざわざ手を出すまでもニャイ。リケが何もしなくても、お前はもうすぐ死ぬ。その傷ならどんなおマヌケさんでも一目瞭然」


 浅く短いグラーゼイさんの呼吸が私の息をも乱れさせる。

 …………リケの言うことは正しい。グラーゼイさんの出血はもう誰が見ても致命的だ。専門的な知識なんかなくたって、私にもはっきりわかる。


 徐々に重たくじっとりと湿っていく夜の空気に、腕の中の子供が岩となって沈んでいくみたいだった。


 ………。

 グレンさんが張ってくれたこの結界は、いつまで持つのだろう?

 怖い。

 心臓がもうずっと暴れ続けている。


 怖い。

 殺されることが?


 …………いや。


 いいや…………。


 グラーゼイさんの鋭く危うい眼差しが、刹那こちらを向いた。


「勇者殿」


 囁き声に、私は黙って耳を澄ませた。


「…………」


 しかし、待っていても続きは話されない。

 グラーゼイさんが何を言いたいのか、私にはわからなかった。


 その間もリケの妖しく不気味に光る瞳が私を射抜いて離さない。


「…………」

「…………」


 沈黙を囲って魔人の炎が揺れている。イリスの矢の雨がひっきりなしに降り注ぐ。

 ウィラック博士の赤いサーチライトが狂騒的に回っている。グレンさんの魔法陣が、水面を叩く波紋みたいに激しく広がっては重なり、次々と消えていった。


 響き渡る悲鳴。竜達の甲高い叫び。暴れ回る死者の軍勢。


 地獄の中心にぽっかり空いたこの静寂は、死の運命を囲う牢獄のよう。

 その時、ふいに真っ赤な糸状のライトがリケの額へ差しかかった。


「!」


 リケが素早く暗がりへ飛び退くと同時に、ライトに照らされた場所が熱線で打ち抜かれる。

 ライトは円形に広がると、そこに白抜きの魔法陣を描いてウィラック博士の姿を立体的に浮かび上がらせた。

 ウィラック博士はくるりとこちらを振り返ると、淡々と尋ねた。


「無事かね、勇者君?」

「博士! グラーゼイさんが…………っ!」


 口をついて出た言葉を改めて噛みしめ、つい泣き出しそうになる。


 ああ…………そうだ。

 私が怖いのは何より、グラーゼイさん(この人)がいなくなってしまうことだ。

 一人ぼっちになってしまう以上に、ただただ傍にいなくなってしまうことが怖い。


 ウィラック博士は無言で真っ赤な目をグラーゼイさんと見交わす。

 グラーゼイさんが何か言いかけたところへ、二つの禍々しい瞳だけを残して闇に溶けたリケが口を挟んだ。


「ようこそウサギさん。…………貴方はそこの壊れかけのワンダよりかは良いオモチャになりそうですね」

「勇者の力を使わせようとはどういう了見かね?」


 間髪入れず聞くウィラック博士の口調は変わらず単調で無機質だった。

 だが、その目は穏やかからはかけ離れている。見る者をそれだけで射殺す魔物の如き、容赦無い光が煌々と満ちていた。


 リケはそんなウィラック博士へ目を移すでもなく、私だけを見据えて話した。


「今、ヴェルグさんは新しい世界を開こうとしています。「勇者」の力、今ならば役に立つ。…………「勇者」の力、世界をもっと面白く変えられる」


 「ニャア」と、高く甘えた鳴き声が差し挟まれる。

 歓喜の声か、呪いの声か。

 リケはゆらりと2つの尾をクロスさせた。


「勇者…………好きな世界を望め。それはヴェルグさんの真っ黒世界と矛盾しない。…………元からそうですからナ。「勇者」は元々、何にもニャイ世界の住人です。オースタンも、サンラインも、本当はちっとも関係無い。永遠に孤独な生き物。…………そこに「何かある」と独り無邪気に仔猫みたいに思い込む力。…………それが「勇者」の力」


 そう、子供みたいに…………と頭の中で声がこだまする。

 私は耐えきれず悲鳴を上げた。


「いや――――止めて!!!!!」


 腕の中の子供を力一杯に締め上げているのに気付いて、でも止められない。

 リケの言葉が――――実際には話してすらいない、頭の中で鳴り響くだけの言葉が――――さらに私を追い詰めた。



「――――――――…………さぁ」


「今しかニャイ」

「時間はニャイ」


「望め」


「好きなだけ」

「できるだけ」


「途方もニャイ」

「とんでもニャイ」

「夢を」


「夢は叶う」

「お前の望みは」

「何でも」

「どんなものでも」


「いつ如何なる時空でも」

「果てしなく」

「縛られることなく」


「望め」

「良い世界を」


「優しい世界を」

「楽しい世界を」

「極彩の世界を」


「あってほしいカタチに」

「まだカタチに」

「なっていないことだって」


「そんな」

「自由な」

「世界を」


「望め」


「助けられる」

「今なら」


「その子供も」

「壊れかけの」

「大きなワンダも――――――――…………」



 何度も何度も悲鳴を上げて、必死に声を打ち消そうとする。

 だけど消えない。

 声はいくらでもいくらでも湧いてくる。


 聞きたくない。

 聞きたくない、聞きたくない。


 私は世界を壊したりなんかしない。

 独りぼっちなんかじゃない。


 嫌だ、止めて、嫌だ。

 死んじゃ嫌だ。


 独りにしないで。

 行かないで。

 独りになりたくない。


 何も欲しくない。

 でも何も失いたくない…………!


 リケの声が延々と降り積もっていく。繰り返し、繰り返し…………誰かが私を呼びかける大きな声も混ざり合って、頭痛が激化する。

 混乱の大渦を煽り立てるみたいに、イリスのけたたましい笑い声が響いた。


「アッハハハハハ――――――――ッ!!!!!」


 イリスは大量の矢を降らせ、グレンさんの魔法陣を悉く叩き割っていた。


「物量作戦良い感じですねー! これならイリスちゃんまだまだイケますよー! 高名な大魔導師の一番弟子も、実戦じゃ所詮こんなもんって感じですかー!? ウフフフフフー! それとも何ですー? イリスちゃんが! 女の子だから♪ 可愛いから☆ ついつい手加減しちゃうって感じですかー!? ねぇねぇそうでしょ!? そうなんでしょ!? オジサマー!?」


 グレンさんは答えない。

 答える余裕が無い。

 彼はヤドヴィガさんをも同時に相手取っていた。


 ヤドヴィガさんの操る死者達は、明らかにグレンさんだけを狙って集まっていた。

 彼ら自体はすぐにグレンさんの魔法陣の光で消し飛ばされる。だが、それによってグレンさんはその場から動けずにいるようだった。


 そこへヤドヴィガさんが風刃を伴って斬りかかり――――死者達をも躊躇わずに巻き添えにした――――グレンさんはイリスの怒涛の矢の嵐を、その都度奪い取っては刃を防ぐ盾とした。


 ありとあらゆる形の、複雑な魔法陣が難解な詠唱を介して操られる。

 ヤドヴィガさんの剣は執拗に、獲物を狙い定めた老練なオオカミのように、グレンさんを追い続ける。

 イリスの叫び声が一層禍々しく鼓膜を痛めつけた。


「っていうかー! 騎士団長さぁーん!!! なぁーんでイリスちゃんの邪魔しやがるんですかーっ!?

 ぶっちゃけー! 貴方がクソ邪魔でー! そのせいでその老いぼれクソジジイ殺り切れていない気がするんですよねー!? イリスちゃんの矢ー、そんなに簡単にコントロール盗られるわけないと思うんですー! 貴方が変に動いてイリスちゃんの力場をザクザクグサグサ乱すから! 隙が出来ちゃうんですよねー、きっとー!

 だーかーらぁー、つべこべ言わずにとっとと一緒に死んでくださいよーぅ! ねぇ早くー! 早く早くぅーっ! 邪魔ーっ!! 邪魔邪魔ー!!!

 っつか、私達って望む所は結局一緒なんじゃありませんかー!? 何で私達にまでそのファンタスティックな裏切り行為隠してたんですー!? 何で最初っから私達に協力しなかったんですー!? あぁあ、意味わかんなーい! あーっ、クソッ!! 何で当たらないのマジクソゲー!! チクショー邪魔!! ジャマジャマジャマー!!!」


 イリスの矢の雨が、今度は集中的にヤドヴィガさんへと射掛けられる。

 機を見逃さずグレンさんは鎖状の魔法陣でヤドヴィガさんの足元を絡め取るも、ヤドヴィガさんは旋回する風刃とそれに合わせて薙いだ刃で、いずれをも打ち破った。


 すかさずグレンさんはヤドヴィガさんを囲って魔法陣を展開し、詠唱を始める。

 ヤドヴィガさんは飛び退いてすぐに魔法陣から抜けたが、直後、魔法陣は輝かしく光を放って静かに周囲を焼き尽くした。


 ヤドヴィガさんはイリスに鋭い眼差しを向け、新たな風刃を呼び起こしつつ言った。


「私達の求むるは母様のみ。母様の胎内は、純然たる無のみによって満たされるべき。…………お前達まつろわぬ魔の萌芽は、我らが手で浄化する」


 放たれた風刃を踊る足取りで躱しつつ、イリスが答えた。


「ハァ? ちょっと意味がわかんねーですー! 何? つまり、気に入らないものを好きな色に染めたいだけー? …………ッハァ! こいつぁ見上げたクソ野郎ですねー! ご主人様も実際そんな感じですけどもー、もっと純粋で純情で、一途で正直で、可愛いもんでしたよー!

 団長さぁん、認めちゃいましょうよー! アナタ、クズですよ! とんでもねーゲスの、独りよがりの殺人鬼ですよー!

 アッハハー! 良い目! ホラホラァ、さっさと認めろってんですー! どいつも! こいつも! どこまで! いっても! 腐れ外道の魔術師ばかりなんだってねー!

 って、おっ! 隙アリ――――――――!!!」


 イリスの矢が、ふいにこちらへ砲弾の如く降り注ぐ。

 瞬間、私達を守ろうとしたグレンさんの詠唱を打ち弾くように、リケの瞳が黄色く輝いた。


「イリスさん、うるさいナ!!!」


 矢がたちまちアイスクリームみたいに溶け、代わりにイリスの身体に無数の穴が開く。

 大量の血飛沫を噴いて悶えるイリスの身体が毒々しい紫色の霧となって失せる。

 リケは忌々しげにその様子を眺め、呟いた。


「「勇者」はリケの獲物。…………今度こそ、絶対に逃がさニャイ」


 呆気に取られたのも束の間、毒霧と散ったはずのイリスがグレンさんの背後に姿を現す。

 彼女の紫色の瞳と唇が、邪悪な笑顔に捻じ曲がった。


「くっ!!」


 グレンさんは振り返って身構えると同時に、大きく目を瞠る。

 イリスの影がスゥと失せる。

 その後ろから、幻霊が迫ってきていた。


「動くな、グレンさん!!!」


 張りのある男性の声が頭上を行き過ぎる。

 一頭の竜から放たれたジコンが美しいカーブを描いて幻霊を見事に斬り裂く。

 シスイさんだ!


 グレンさんが再び魔法陣を張るべく印を組み、その途中で叫んだ。


「いかん――――シスイ君!」


 いつの間に!?

 ジューダムの竜に騎乗したヤドヴィガさんが、シスイさんのすぐ背後へ迫っていた。


「なっ…………!」


 シスイさんが咄嗟に竜の体勢を傾け急旋回に入る。

 それを予期していたかの如く、さらに鋭く内側へ切り込んだヤドヴィガさんの静かな声が風に乗って届いた。


「良い竜乗りだな。…………だが、若い」


 風刃が真っ直ぐにシスイさんを斬り付ける。

 同時に魔人の閃光が、それを押し包むように轟いた。


「キャアア――――――――ッッッ!!!!!」


 凄まじい光に視界が奪われ、辺り一帯がたちまち火の海と化す。

 結界がビリビリと悲惨な音を立ててひび割れる。

 業火の熱が肌と咽喉を焼く。そんな中、目の前に叩き落とされてきた竜と大きな人影に私は枯れたはずの悲鳴をさらに響かせた。


「あ…………アードベグさん!!!」


 全身を黒く焦がした赤鬼が、その騎竜と共に地面をのたうっている。

 と、急に傍らに重さを感じて、肺から息が消え失せた。


「…………え?」


 私を庇っていた身体が、派手な音を立てて崩れ落ちる。

 のしかかってきた全体重に、私は恐怖よりも困惑よりも絶望を強く抱いた。


「グ…………グラーゼイ、さん…………?」


 返事が無い。

 呼吸も無い。

 まだ熱い血と相反してぐったりと温もりの失せた重い腕に、私の意識は深い闇の内に沈められた。


「お前の騎士は死んだ」


 猫又の冷めた声が滴った。


「結界ももう限界ナ。

 …………さぁ、どうする…………?」


 夜風が無慈悲に心を攫っていく。

 私は夢を見ているようだった。


 夢を…………。

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