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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
「勇者」と銀狼の騎士
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172-1、一なる混沌、始まりの無。私が太母の騎士と出会うこと。

 死者達の波を割って現れた白い鎧の騎士。

 刀の如く研ぎ澄まされたその青い眼差しは、冷たく真っ直ぐに私達へ突き付けられていた。


「ヤドヴィガ団長…………!」


 グラーゼイさんが低く唸る。

 苦悩と困惑、そして強い怒りの入り混じったオオカミの横顔は、燃え盛る炎に照らされて奇妙に歪んでいる。


 団長…………騎士団の団長さん?

 確か、行方不明の第一隊の隊長さんだったはず。

 生きていたの?


 でも…………何だか様子がおかしい。

 団長さんの目は、仲間どころか、同じ人を見ている目とすら思えなかった。


「なぜです!? 一体なぜこのようなことを!?」


 グラーゼイさんの声は掠れていた。黄色い瞳が炎の揺らぎを映してか、チラチラと危うく火花を散らしている。

 そうこうするうちに、またイリスの矢が上空で炸裂した。

 団長さんは即座に剣を抜き打つと、目にも止まらぬ剣捌きと風刃で私達の周りの矢を悉く跳ね除けた。


 そうして静かに剣を下ろす所作は、まさに居合の達人のよう。

 張り詰めた空気が、集まる死者達をも押し留めていた。


「…………私は「母の良き息子」にして「太母」…………「赦しの主」の信徒。一なる闇、尊き始まりの無を迎えんがため、世界を浄める」


 聞こえた言葉に、思わず耳を疑った。

 目の前の人はサンラインの、それも教会騎士団の団長ではなかったのか?


 考えると同時に、グレンさんとウィラックさんの会話が頭の中で蘇った。

 彼ら二人の「知り合い」…………サンライン側の誰かが、死者の軍勢を操って私達を殺そうとしている。あの魔導師達が認めるぐらい強い人が…………。

 あの団長さんが裏切り者…………!?


「なぜです、なぜかような邪教に!? 何か理由がおありなのですか!?」


 問うグラーゼイさんの声と眼差しは猛り荒れている。

 対して団長さん…………ヤドヴィガさんの態度は、どこまでも穏やかに凪いでいた。


「理由だと? ふっ…………そんな惑いはとうに母様へ捧げた。…………今、我が魂に在るは無への渇望のみ」


 乾ききった笑みが炎に煽られ、柔らかく闇に失せる。

 ヤドヴィガさんの枯れた声は、淡々と響いた。


「腕を上げたな、グラーゼイ。大いなる無の前のかそけき事象なれど、元精鋭隊長としてお前を後継に選んだ私の目に狂いは無かったと言えよう。我が虚無の軍勢を相手に、非戦闘員を護りながら…………見事だ」

「お答えください、ヤドヴィガ様! なぜこのような所業を!? 裏切りなど…………本当に、貴方の魂が為したことだと仰るのですか!? 騎士団の誰よりも高潔であった貴方が…………この混沌が…………本当に貴方の望みなのですか!?」

「…………相変わらず人心の機微には疎いようだがな。…………ああ。「誓って」本心だ。我が身も魂も、母様の永遠と共にある」


 さらりと吐かれた返答に、グラーゼイさんは言葉を失う。瞳の動揺はさらに激しく、今にもグラスの淵から零れ落ちそうだった。

 吹雪に霞んだヤドヴィガさんの青い瞳は、なお清廉としている。

 流れ出る言葉さえ、同じだけ清いものであるかの如く。


「奉告祭の折、紡ノ宮で呪われ竜を召喚したのも私だ。…………思わぬ客人のせいで首尾良くは運ばなかったが、結果、こうしてより混沌は増大し、魂の浄化の機が多くの市民に訪れた。…………全ては母様の深き御心であったのであろう。…………こうしてお前と対峙することもまた、導きの内」

「…………正気なのですか? 主への誓いは…………偽りであったと!?」

「いいや」


 ヤドヴィガさんの剣がゆっくりと――――動いていると俄かには気付けぬ自然さで――――グラーゼイさんへと向けられる。

 鋭い眼差しには、少しの殺気もこもっていない。

 ただ冷たいばかり。ひたすらに深い虚ろのみを映している。


 老オオカミの声は、月明かりみたいに優しかった。


「グラーゼイ。お前は「不信」を解していないのだな。それでは、あのツイード家の娘のこともさぞや扱いかねていたことであろう。

 …………信じぬことは、信ずるのと同等に自覚し難い。魂の様相は複雑なのだ。ありとあらゆる矛盾した真実がその内に渦巻き、沈殿している。…………わかるか? 人は己のことすら十分に語り得ぬのだ。それをあえて物語ることは、最早魔道よ。たゆたう魂を恣意的に汲み取り、歪に編み変える業…………。

 己を正しく悟れる者ばかりがこの世にあるならば、「裁きの主」はこの世には在り得なかったであろう。誰も己の在るべき形を定められなかった。故に、絶対の裁きを欲したのだ。…………私はそれを否定しない。…………私は()の主を、今も見据えている。…………とうに光の失われたこの目に、未だ白は眩い。…………残酷な程に」


 急に強い寒気がして、私は辺りを振り返った。

 見れば、私達を取り囲んでいた死者の軍勢がいつの間にかじりじりと距離を詰めてきている。

 激しい恐怖が咽喉までせり上がってきたが、深く大きく息をしてどうにか耐えた。


 今騒げば、あっという間に混沌に飲み込まれてしまう。

 グラーゼイさんはまだ動いていない。グレンさんやウィラック博士だって、きっと近くにいるはずだ。

 だから、ダメ。まだ信じていよう。


 魔人の大きな足音が地面を震わす。

 どこかでまた緑色の閃光が弾ける。

 遠い悲鳴が空々しく闇夜に高く低くこだました。


「お前の傍にいる娘…………真の「勇者」か。…………お前を深く信頼しているようだ。盲目的なまでに一途なその瞳…………私にも覚えがある。多くの民が…………このサンラインの、美しく健気で無力な民達が、理想に燃える純粋な兵達が、よくそうした眼差しを私へ向けていた。…………グラーゼイ、かつてのお前も」


 グラーゼイさんはたじろぐことなく、剣先をしっかりとヤドヴィガさんに向けている。

 獣の緊張は私を囲って余すところなく行き渡り、もう眼差しに揺らぎは一片も見られない。

 だからこそ、突き刺さるような寂しさと悲しさが余計に身に染みた。


 ヤドヴィガさんの言葉はそんな眼差しに応じるかの如く、重く夜に沈んでいく。


「グラーゼイ。喪うことが恐ろしかろう? お前を見つめるその光が、絶望の色に朽ちる刹那はいつまでもいつまでもお前を苛む悪夢となろう。そしてその愛を喪う痛みは、その身の傷よりも遥かに深く魂に刻まれる。

 …………だが、もう心配は要らぬ。その苦痛も悲哀も、母様は皆、溶かしてくださる。我々は魔海のさらに奥底…………真実なる一つの闇の内で安らげるのだ」


 グラーゼイさんのすげない答えが、短く耳に響いた。


「ヤドヴィガ・サラ・マシュウ。異教崇拝及び反逆罪の(かど)にて、この場にて処刑する」


 ヤドヴィガさんは剣に風を纏わせ、頷いた。


「…………よかろう、愛弟子よ。ならば共に一なる無へ参ろうぞ」


 ヤドヴィガさんが剣を軽やかに一振りすると、辺り一帯に大風が吹き荒れた。

 どこかで甲高い女の悲鳴が上がる。イリスか。降り注ぐより前に遥か上空まで散らばった彼女の矢は、たちまち星の彼方へ消えた。

 と、次の瞬間にはヤドヴィガさんはすでにグラーゼイさんに剣をぶつけていた。


「くっ!!」


 グラーゼイさんは食いしばった歯を剝き出して剣を受けている。

 あれだけ距離があったのに、一瞬で詰めてきたのか。

 大柄なグラーゼイさんの身体を、老オオカミの騎士は確かに抑えて離さない。がっちりと組まれた互いの柄が、剣どころか全身を自由にさせない。


 刃を覆う風の密度は、ヤドヴィガさんのそれの方が明らかに高度だった。吸い込まれるような滑らかな風の流れに、つい心さえ奪われそうになる。

 グラーゼイさんが刃にまとわす風は、みるみるうちにその流麗な風に削り取られていった。


「――――勇者殿! お下がりください!!」


 怒鳴られて、私はすぐさま後ろへ飛び下がる。

 すぐ目の前に迫った死者の群れに竦んで足がもつれたが、その時にはヤドヴィガさんの剣を弾いたグラーゼイさんの刃が、死者達を薙ぎ払っていた。


「――――ッ!!!」


 弾け飛んだ大量の血飛沫と肉片を真っ向から浴びて、私は息を詰まらせる。

 子供のものと思しき小さな両手が宙を舞って、水っぽく軽い音を立てて地面を跳ねる。直後に私は何者かに足首を強く掴まれ、軍勢の中に引き摺り込まれそうになった。


「イヤァッ!!!!!」


 グラーゼイさんが振り返るのを、すかさずヤドヴィガさんが追撃する。

 かろうじて受けたかに見えたが、刃は即座に擦り除けられグラーゼイさんは袈裟斬りに肩を裂かれた。


「ぐぁ…………っ!!」


 漏れた悲鳴を食いしばり、グラーゼイさんが飛びのきざまに大きく剣を振るってそのまま私を掴んでいた死者の腕を切り落とす。

 刹那私を見やった黄色い眼差しに余裕は全く無い。血走った鮮烈な輝きが、矢のように過ぎ去る。

 間髪入れず、グラーゼイさんは飛んできたヤドヴィガさんの風刃を受け捌いた。


 私が身を屈める間に、足元に紫色の魔法陣が明るく展開される。咽喉をべったりと覆う水あめじみた血の味。イリスの不快な高笑いが、脳内で銅鑼を打ったみたいに反響した。


「ッ、グラーゼイさん!!!」

「ぐぅっ!!!」


 グラーゼイさんは短く何か叫び、魔法陣の上にさらに白い魔法陣を重ねる。しかし、打ち消すにはもう遅い。

 そこへ集中的に降り注いだ矢の雨を、傘状に開いた魔法陣が寸前で防いだ。


「かたじけない、グレン殿!!」


 風刃が吹き荒び、傘の魔法陣が割れ砕ける。

 本物のオオカミの如く闇から現れた老オオカミの剣が、再びグラーゼイさんを追い込んだ。

 決して手数は多くない。しかし、一撃一撃が確実に動きを封じている。ヤドヴィガさんはグラーゼイさんを決して自由にしなかった。

 暴れる仔を諫める母獣のように。


 私は暴走しかけの自分の心臓の鼓動を聞きながら、死者達の血溜まりに浸かっていた。

 見上げる夜空には、いつの間にあんなに集まったのか…………たくさんジューダムの竜がひしめていた。

 魔人の足音と咆哮が世界を痺れさす。放たれた緑色の閃光を危うく躱して、竜上のシスイさんが矢を放った。


 真っ赤なサーチライトが私の周りを忙しなく照らしている。ウロウロと虚ろな足取りで徘徊する死者達が、光をどうにかくぐってこちらへ近付こうとしている。

 グラーゼイさんは私から少し離れて、風と刃の激しいせめぎ合いを続けていた。


 両手の無い小さな子供が、サーチライトの下からよろめきつつ歩いてくる。

 目深にフードを被っているが、その下に灯っている目は虚ろではなかった。

 人間の子供ではないことに、私はようやく気付く。トカゲのような顔をした、とても心細そうな子だった。


「タ、タス…………ケ…………」

「…………え?」


 聞こえた言葉に、私は思わず答えようとする。

 バランスを崩して倒れかけた子供を支えようとしたその時、背後から風刃が飛んできた。


「危ない!!!」


 咄嗟に子供を抱えて伏せるも、風刃は私の背中を掠めた。


「あぁっ!!!」


 衝撃で私は子供ごと吹き飛ばされる。

 一瞬遅れて、背中に鋭い痛みを感じた。


「うっ…………!」

「勇者殿!!!」

「…………救われるのだ」


 グラーゼイさんの叫ぶ声を抑え込み、ヤドヴィガさんの声と剣を振る音が重なった。

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