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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
「勇者」と銀狼の騎士
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169-2、竜に乗って、世界を見つめて。私が夜に飲み込まれていくこと。

 

 ――――――――幻霊がこんなに近くに…………。

 あぁ、もうダメ…………。



 命の終わりを悟りかけた刹那、私の頭上を一陣の風が素早く横切った。

 何か薄い刃のようなものが背後の幻霊を一文字に搔き裂いて、闇夜へ大きく弧を描いて戻っていく。

 直後、大きな影が降りかかったかと思うや、日に焼けた逞しい腕が私を宙高く連れ去った。



「キャァァア――――――――――――ッ!!!!!!」



 突然のことに全脳細胞が一斉に恐慌状態に陥る。

 ぐんぐんと離れていく地上の景色に、驚きよりも恐怖よりも先に凄まじい混乱が押し寄せてきた。


 高い…………!

 速い…………!

 っていうか、これは何!?


 …………竜!?

 私、竜に乗っているの!?


 私のすぐ目の前で、規則正しく並んだ緋色の美しい鱗が月光に照らされて、宝石のように艶めかしく輝いていた。

 と、ふいにその竜が身を翻し、私は真っ逆さまに宙に吊り下げられた。


 落ちる…………っ!?



「助けて、グラーゼイさん――――――――!!!!!」



 身を切る強風の中、泣き叫ぶ私に声がかかった。


「落ち着いてくれ、お嬢さん! 俺は君のお兄さん…………コウさんの友達だ! 君を助けに来たんだ!」


 兄の名前が聞こえて、暴れていた心臓が一瞬、ヒュッと縮こまる。

 おずおず腕の主へ目を向けると、そこには私や兄とそっくりな…………よく見慣れた、日本人じみた顔立ちの若い男性が、竜の手綱を握って立っていた。


 男性の耳から下がるオパールのイヤリングが月明かりを浴びて軽やかに揺れる。

 思わず見惚れた拍子に、また竜がひらりと翻って私は頭をぶん回された。


「ッギャ――――――――ッ!!!」


 兄の友人を名乗る青年は、がっちりと私を掴んで離さない。立ったまま、それも片手で、何と器用に乗りこなすんだろう。まるでサーカスだ。そして私は空中ブランコ状態だ。


 言葉もなく空中から見下ろす街の景色は、やっぱり地獄だった。

 あちこちから火の手が上がって、大勢の悲鳴やら怒号やらが絶え間なく沸き立っている。「黒い魚」は猛烈な勢いで膨れ上がり、こちらへ迫ってきていた。


 それに…………あの人型の、大きなシルエット。

 あれは…………!


「きっ、巨人が…………っ!!!」


 引き攣った声がさらに裏返る。

 もう何が何だかわからない。

 兄の友人が操る竜は次々と襲い来るジューダムの竜達…………黒く大きい無機質な翼を広げた翼竜だ…………の襲撃を風に舞う木の葉みたいに捉えどころなく躱しつつ、衝突するかと思うような急角度で地上へと滑り降りた。


「勇者殿!!!」


 駆けつけてきたグラーゼイさんがすぐに私の手を取ってくれる。

 間近に支えられてどぎまぎしたが、彼は私を下ろすなり険しい声で兄の友人に怒鳴った。


「シスイ殿!!! 頭をお下げください!!!」


 グラーゼイさんの振るった大剣が、竜上の兄の友人の頭を紙一重で掠める。

 刃に渦巻いた風が飛び散って、物陰から群れを成して飛び掛かってきた半人半獣の魔獣をまとめて薙ぎ払った。


「か…………かたじけない、隊長さん」

「こちらこそ、助力に深謝いたします。…………勇者殿、お怪我はございませんか?」


 浴びた緑色の血液を拭って首を振る私に、グラーゼイさんは深く息を吐く。

 とても悔しそうな表情が垣間見えたが、またすぐにいつもの厳めしい無表情が張り付いた。ただ、剣の柄を握る手には前よりも少し力がこもっている。


 私はそんな彼の隣で、改めてシスイと呼ばれた竜の乗り手を見つめた。

 こうして見ると似てはいるものの、やはり何となく私達とは違った印象を受けた。スッキリとした顔立ちだけど、どこか思わしげな深い黒い目がかえって見る者を惹きつける。


 竜は、兄とフレイアさんが連れてきたセイシュウと同じ種類の竜みたいだった。とても美しく、美人という言葉以上の言葉がどうにか見つからないか、つい考えてしまう。

 竜の黄色い目は私をじっと眺めていて、それからスイと優雅に逸らされた。


 シスイさんは汗ばんだ額を着物風の服の袖で抑え、短く息を吐いて言った。


「アカネさんだな? 改めてよろしく。俺はスレーンの頭領のシスイだ」

「あ…………水無瀬朱音です。さっきはどうもありがとうございました」


 シスイさんがふっと笑みをこぼす。

 その感じがちょっと兄と似ていて、何となく心が緩んだ。


「コウさんそっくりだから、すぐに君とわかった。…………空では乱暴にして済まなかった。酔わなかったか?」

「いえ、酔うっていうか…………」


 それどころの話ではなかったわけで。

 そう伝えると、シスイさんは「やっぱり兄弟だ」と笑って、グラーゼイさんを振り返った。

 一転して真剣な表情に、わずかに和らいだ心も再び強張った。


「隊長さん。わかっていると思うが、魔人がこちらへ向かってきている。アードベグが抑えてはいるが、恐らくあの2匹目の「黒い魚」より先にここへ着くだろう。…………狙いはアカネさんだ」

「えっ」


 音を立てて血の気が引いていく。

 何で私が…………?


 シスイさんは微かに頬を引き攣らせ、言い継いだ。


「やつらは気付いたんだ。戦況を変えるには、伝承の「勇者」こそが最適な手札だと。…………どういう筋からアカネさんの所在や力のことが伝わったのかはわからない。…………ジューダム王とヤガミ君、二人の繋がりに関係があるのかもしれないが…………」

「ヤガミ殿が裏切ったと?」

「そんな!!」


 グラーゼイさんの一言に、私は反発を抑えられなかった。

 ヤガミさんが裏切るって?

 ヤガミさんがお兄ちゃんを陥れるなんて…………殺そうとするなんて、信じられないよ。


 その時、不思議な痛みが胸に走って私は口を噤んだ。

 遠く耳鳴りが響いて、やがて引いていく。


 …………何だろう?

 何か、覚えている…………ような…………?


「…………勇者殿?」


 呼ばれて、ハッと我に返る。

 黄色く真っ直ぐな獣の瞳を見上げた時には、何を考えかけていたかもうすっかり忘れてしまっていた。

 グラーゼイさんは気難しい顔で私に頭を下げた。


「申し訳ございません。不用意な発言をいたしました。…………何も確証はございません。また、ヤガミ殿と共におられるミナセ殿やフレイアからも何も連絡は来ておりません。…………大変失礼いたしました」


 また、腫物に触れるような扱いだ。

 心臓の内側を虫が這うみたいな不快な心地がしたが、私は内心で大きく首を振って気持ちを追い払った。


 …………いけない。

 何を気に障ることがあるというの?

 グラーゼイさんは、この人の立場として当然のことをしているまで。

 …………そう。私は事実、核爆弾なのだ。この人達が私を死ぬ気で守るのは、だからこそ。

 それを何を今更…………。


 シスイさんを見やると、彼もまた難しい顔でこちらを見ていた。


「実際、俺も彼が裏切ったとは思っていない。少なくとも、俺の知っているヤガミ君はコウさんをとても深く信頼していた。だが、図らずも何か厄介事に巻き込まれてしまっているという可能性は大いにある。…………いずれにせよ、今は考えても無駄だ」


 シスイさんは大地を震わせる魔人の足音に、さらに顔を顰めた。


「あの魔人は元々かなり強力な個体だったが、他の魔人を2体も喰ってさらに力をつけている。結界が破れ「白い雨」の共力場も不安定な今、アカネさんを守りながらあれを相手取るのは、いくら精鋭隊員といえども至難の業だろう。

 …………隊長さん。よければ俺がこの子を竜に乗せて避難させようと思うが、どうだ?」


 私はグラーゼイさんの横顔を固唾を飲んで見守った。

 オオカミ頭の表情はいつもなかなかに読み取りづらいのだが、その眼差しはとりわけ険しく尖っているかに見えた。


 私としては、正直言ってあまり離れたくない。

 どんな理由であれ彼はずっと私を守ってくれていたし、何よりとても強い。隠れるのも戦うのも上手で、戦場で出会った味方の騎士達だって誰もが私と同じ、縋る目を向けていた。


 …………ううん。本当に大事なのはそこじゃないのは、自分でもわかっている。

 けれど、これ以上はもう本当にただの我儘だ。

 今はそんなことを気に掛ける余裕は誰にも無い。

 兄とだって、最悪その覚悟で別れてきた。


 シスイさんの竜は魔人や「黒い魚」の間近に迫る気配を感じ取ってか、落ち着かない様子で耳や目を忙しなく動かしていた。

 シスイさんはそんな竜を気に掛けつつ、言葉を重ねた。


「避難先はアオイのいる指揮所だ。サン・ツイードの相殺障壁は破れたが、里の結界組はまだ多く残っている。彼女らの編む結界は術式こそ古風なものの、丈夫さではサンラインの最新式にも引けは取らない。…………長らく裂け目の魔物相手に防衛線を張っていた手練れ達だ。信用してくれていい」


 考え込む様子のグラーゼイさんに、さらに言葉は降り続いた。


「里の竜も、今のところ想定以上に残っている。このままであれば、万一こちらの結界が破られた場合にも、彼女をサンラインの外へ逃がすことだけはできるだろう。

 …………隊長さん、時間が無い。決断してほしい」

「…………」


 グラーゼイさんが微かに頭を傾けかけた時、すぐ近くの通りから甲高い獣の叫び声が聞こえた。


「何だ!?」


 シスイさんが訝しむのと同時に、グラーゼイさんが剣を構えて私の前に立つ。

 次いで彼は怒鳴りつけるような険しい声で私を突き飛ばした。


「勇者殿、直ちにお逃げください!!!!!」


 間髪入れず、シスイさんの腕が私を掴んで竜を飛び上がらせる。

 助走短く、羽ばたき一つ二つでうんと高く引き上げられた先から眺め下ろした景色に、私は息をするのも忘れた。


「――――――――ッ!!!」


 なぜ今まで誰も気が付かなかったのだろう。

 あんなに大勢の人間が…………「太母の護手」が集まっていたことに。


 …………いや違う、それだけじゃない。「白い雨」の騎士も、ジューダムの兵士も、魔獣さえも、関係無く集まっている。

 ただ…………誰も生きていない。


 ここへ来る途中、確かに倒したはずの魔獣がボロボロに千切れた身体を引きずりながらまだ歩いていた。

 斬られたはずのジューダムの兵士や魔術師が当然のように動いている。

 目の前で亡くなったはずのサンラインの騎士達が剣を振りかざしている。同じ白い鎧の騎士へ向かって…………。


 あれだけ大勢が集って動いているのに、少しも何も聞こえなかった。

 どんな微かな気配だって嗅ぎ漏らさなかったグラーゼイさんが、どうして…………?


 全身の毛を高く逆立てた白銀の獣の騎士は、幾重にも取り巻く屍の軍勢に向かって、猛然と剣を振るった。

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