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167-2、美しき漆黒を求めて。俺が止められない想いのこと。

 ――――――――…………闇が晴れ、その向こうから荒れ果てたサン・ツイードの景色がぼんやりと立ち現れる。

 今度は幻ではない。

 物も人も思い出も、何もかも破壊され尽くした本物の街が、俺達とヴェルグとを囲って静かに沈んだ面持ちで佇んでいた。


 ヴェルグは辛うじて残った闇の残滓を人魂の如く自分の周りに燃やして、黄金色の瞳を狂暴に輝かせている。

 見た目にはどこも傷は無い。白くきめ細やかな肌には痣どころか汚れ一つなく、身に纏う黒いドレスにも、一片のほつれさえ認められなかった。


 だが、その眼差しはまさしく追い詰められた獣そのもの。

 彼女の消耗は、何よりもその目が露わにしていた。


「…………ツヴェルグァート…………。僕は今日ほど君を厭わしいと思ったことはないよ」


 不気味な薄ら笑いを浮かべるヴェルグの言葉に、俺とフレイアを庇って立っているツーちゃんが冷淡に返した。


「ヴェルグツァート。無駄口を利く余力があるなら、一刻も早く失せろ。…………今のがコウの扉の力の真価だ。私のように力ある魔導師と組めば、これは貴様をも葬る巨槌となる。…………母の下へは、貴様独りで勝手に逝くがいい」

「フ…………変わったね。伝承のといい…………あの水先人の娘と魂獣といい…………君は人との馴合いが過ぎる。一体どこまで溺れるつもりなのか」

「貴様と一緒にするな。…………ヴェルグよ。まだ気付かぬのか? 貴様こそ、今まさに大道を見誤ろうとしている。貴様は馬鹿の群れを喜び勇んで率いる内に、己まで暗愚に堕している。魔道は容易く新たな世界を与えはしない。貴様は人の性急さに毒されているのだ」

「…………ふふ。よく言う…………」


 ヴェルグが黒い人魂をくゆらせ、妖しく辺りへ散らせる。

 ツーちゃんは無言で印を組み、俺とフレイアの足元に魔法陣を輝かせた。

 フレイアは火蛇を魔法陣をなぞって円形に泳がせながら、剣と険しい目とをヴェルグに向け続けていた。


「…………コウ様、お気を付けください」

「ああ」


 言いつつも、最早大規模の魔術はもう展開され得ないことは俺達にも薄々わかっていた。

 ずっと力場を制圧していたヴェルグの眼差しは、未だ鋭く研ぎ澄まされてはいるものの、その威圧感を明らかに減じている。

 それはまるで少女の癇癪のように不安定で、痛ましく刹那的だった。


 ヴェルグは赤黒く褪めた小さな唇を開き、語った。


「…………ツヴェルグァート。なぜ君はいつも人の味方をするんだ? …………あぁ、よく知ってはいるとも。君がこの儚く虚しい世界の繰り返しを、この上もなく美しいと思い込んでいることはね。

 …………ただ、僕にはわからない。どれだけ時間をかけて考えてみても…………何度考えてみても、少しも理解できない。移ろう泡沫は他にいくらでもあるのに、何故その歪な生命にばかりかまける? …………何か崇高な目的があるわけでもあるまいに…………」


 ツーちゃんは琥珀色の瞳を、片割れとは対照的に深く濃く輝かせていた。


「私は同じ賢さよりも、同じ愚かさを好む。それだけよ」


 言い切ると同時にツーちゃんが俺を見やる。ちょっとギクリとしたが、彼女は俺に触れず話を続けた。


「私には貴様こそわからぬ。…………貴様はずっと何にこだわっている? つまらぬ、つまらぬ、つまらぬと延々抜かしながら、いつまでも一人で何を繰り返しておるのだ? 創っては壊し、紡いでは引き裂き、積み上げては沈める。歩いた端から焼き尽くしていくその道程に、貴様は何を見る? …………何が美しいわけでもあるまいに…………」


 ヴェルグの魔力が細かな振動となって空気を震わせ始める。

 怒りでも悲しみでもない感情が、ツーちゃんを通じて俺の胸を掠めた。


 これはヴェルグの魔力の味なのか…………?

 甘酸っぱいような、息苦しい水の味が肺へ滴り落ちていく。

 ヴェルグは冷ややかに、あどけなく微笑んだ。


「…………なぁ、伝承の?」


 ふと俺を見つめた少女の瞳は、不思議なぐらい翳りなく無邪気だった。


「無粋極まるツヴェルグァートにはわからないようだが、君にはわかるはずだ。…………君は一度、世界を捨てた。二度と帰れぬやもしれぬと知りながら、君は振り返ることなく新たな世界へと踏み出した。

 それはなぜだい? …………本当に、ただただ浅はかだった故かな?」


 捨ててなんかない。

 そう言い切れない気持ちを、彼女はすっかり見透かしていた。


「予言してあげよう。君はこれから、何度でも同じことをするだろう。どれだけ大切な宝をその手に携えていようと、どんなに愛しく温かな家を築こうと、君は抗えない」


 魔女の魔力が肺胞の一粒一粒から染み入るように、俺の身体へ侵食していった。


「そう…………誘われたら最後なのさ。正しいも美しいもあるものか。そんな些細な全ては、憧れの前に無に等しい。

 残酷も悲劇も絶望も虚無も混沌も、当然の如く途上で目の当たりにするものだ。それらは、いわば路傍の石。ツヴェルグァートはそのごく一面ばかりを見て真理と崇め奉るけれど…………僕はそんな陳腐な色だけでは満足できない。…………きっと君も僕と同じ魔道を行くだろう。…………例え漆黒の常闇の中でも、君は世界を見るのを止めない」


 火蛇の火の粉と、足元の魔法陣の眩さを一緒に感じている。

 ツーちゃんの無言の訴えと、フレイアの真っ赤に燃える眼差しを浴びながら、俺は魔女の言葉に耳を傾けていた。


 白状すれば、聞かずにいられなかった。

 こんな語りを聞くのは呪いになるとわかっていても、今まで自分の内にだけあった感覚が誰かの口から語られるのは止めようがなかった。

 ヴェルグは俺だけを見て、言い継いだ。


「そう…………僕達もまた「まつろわぬ魔」なんだ。君と君の隣の娘の内に眠るそれは、君のそういう才に勘づいて根を張ったに違いない。…………僕は、気付くのが遅れてしまった。君を単なる力…………「勇者」としか思っていなかったから。…………つくづく惜しいことだ」


 ヴェルグが人魂を一斉に燃え上がらせるのに合わせて、ツーちゃんが魔法陣から黄色い光の壁を高く迸らせる。

 フレイアは火蛇を白熱させ、攻撃的に輝く二重のベールを張った。


 ヴェルグは瞳を蠱惑的に揺らして俺達を見据えた。


「僕を葬ると言ったか。…………まぁ、それもいい。魂の相なぞ、空模様と然程変わりない。

 だが、僕は僕の世界を諦めない。僕は僕の見たいものを見に行く。僕だけの漆黒を…………必ず手に入れる」


 わなわなと激しく震える空気が、肺の中の魔力と共鳴してつんざくような痛みを全身に走らせる。

 胸を掻き毟って蹲る俺を、ヴェルグの黄金色の目がじっと釘付けるように見下ろしていた。


「蒼の主がいくら鎮めたとしても、太母の護手はまだまだ集まってくるよ。君達が彼らの導き手を見つけられない限り、彼らは歪み穴を通していくらでも集まってくる。

 …………サン・ツイードを守る要の結界は、とうとう修復不能となった。少し死に過ぎたね。こうなれば魔導師グレンも、サンラインが誇る精鋭隊も、スレーンの者共も、かろうじてまだ生き残っている魔術師達も、総出でジューダム軍を相手にせねばなるまい。

 黒い魚が浄化されても…………絶望は未だ、僕達の足元をどっぷりと覆っている」


 ヴェルグが一歩歩み出すと、人魂が花火の如く鮮やかに弾け飛んだ。

 流星となって降り注ぐ暗黒の火の粉を、魔法陣の輝きが焼き払う。


 フレイアは柄を握る手を強張らせ、自らの炎で黒炎に対抗した。

 歯を食いしばっているのは俺だけじゃない。彼女もだ。

 残り僅かなはずのヴェルグの魔力は、それでもなお凄まじい灼熱を放っていた。


「…………黒い魚は何度でも蘇る。そこに命ある限り…………祈りある限り、呪いは永久に育まれる。

 …………ツヴェルグァート、全く君の言う通りだね。魔道は容易くない。己一人賭けられずして、何が得られようか。僕こそが僕の鍵でなくて、何だと言うのか。…………僕は世界を…………今こそ、全身全霊で望むべきだったんだ」


 一段と高く、黒く遥かな花火が天へ昇る。

 無音の、漆黒の大輪が花開く。

 ツーちゃんの絶叫が、激痛をも裂いて骨身に響き渡った。




「――――――――止めろ、ヴェルグ!!!!!! その先に世界なぞ無い!!!!!!」




 対するヴェルグの声は、本当は魂を分けた当人同士にしか聞こえないはずのものだったろう。

 それがどうして俺にまで届いたのか。


 ヴェルグの扉は、彼女自身の手でこじ開けられていた。

 手に届く限りの命――――太母の護手、ジューダム兵、サンライン人、スレーン人、魔術師、異邦人――――無差別に道連れにして、彼女は彼女の祈りを再び形にした。

 彼女が幾星霜にも渡って抱き続けてきた…………果てしない孤独と渇望が、新たな黒い魚に産声を上げさせた。


 俺は押し寄せる新たな世界のどす黒い奔流を血反吐まみれで浴びている。新たな大魚の叫びは、俺を粉々に打ち砕くようだ。

 切ない少女の祈りは、清らに禍々しく濡れていた。




 ―――――――――…………母よ…………。




 俺は止め処なく溢れ出てくる漆黒の憧憬に、零れんばかりに目を剥いていた。

 とても魂を背けられる闇では無かった。

 それは眩く…………濃く、重い…………、

 哀しい…………、


 美しい…………、



 滅びの色をしていた。




 ――――――――…………僕は、見てみたい。


 絶対に僕でない何か。

 …………僕は世界に溺れたい。

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