21-3、裏庭の攻防とその決着。俺が取り戻したもの。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳、ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
だが魔法に不慣れなフレイアは時空の移動に失敗してしまい、俺たちは誤って別の国へ飛んでしまう。
そうして辿り着いたのは影の国・トレンデ。俺達はそこで突然の敵襲を受ける。
フレイアは襲い来る敵を渾身の力で退けたものの、代償として重篤なダメージを負ってしまう。
俺は仲間の魔術師・ツーちゃんの協力を得てフレイアの救出へ向かったが、そこにはすでに敵の魔術師・ヴェルグが待ち受けていた。
最後の砂が落ちる。
無情な静寂がすぐそこにいる。
祈りさえ消えかけた、その時、俄かに地面から眩い光が溢れ出した。
「!!!」
場にいた全員が怯んだ。
俺たちはいつの間にか、巨大な魔法陣の中に取り込まれていた。
突如として現れた六芒星の陣の内には、複雑な文様が、これでもかとばかりにぎっしりと、綿密に施されていた。
「これは――――…………!!!」
イリスが矢をおろし、苦悶の表情を覆った。ヴェルグは魔法陣から湧き起こる強烈な風の中で、神経質に頬を強張らせていた。
ヴェルグの黒いドレスの裾やフリルが煽られて、せわしく、大袈裟にばたつく音が耳を打つ。
俺は驚愕のあまり身動きできずにいたが、フレイアはよろめきながらも立ち上がって、剣を頭上へ高々とかざした。
「火蛇、ここへ!!!」
蛇らはたちまち空を滑り、彼女の剣へと走った。ヴェルグはそれを見て少し眉を顰めたが、彼女は魔法陣への警戒を優先させた。
ヴェルグが一言、強く叫ぶ。だが魔法陣の輝きはそれで弱まるどころか、一層激しく、鮮明になった。
「ヴェルグ様、琥珀です! これ、あの人の逆流呪文です!」
イリスの甲高い声がそう告げた。
魔法陣は建物の間を縫うようにして編まれていた。六芒星は、よく見れば微妙に色合いの異なった二つの三角形を重ねて描かれていた。一つの三角形は白く、もう一つは青い。三角形はそれぞれゆっくりとした、だが着実な速度で、色合いを強めていっていた。
魔法陣の閃光は時空移動を行う際のそれとよく似ていた。つとフレイアに目配せしてみると、彼女は俺に近くに来るよう手招きした。
俺はもつれる足でフレイアの傍へ駆け寄りながら、イリスとヴェルグが苦しげに喘ぐ様子を横目に見やった。
(――――コウ! フレイア!)
俺はフレイアと合流しつつ、唐突に脳に響いてきたツーちゃんの声に反応した。
「ツーちゃん!? これは何!? どういうこと!?」
ツーちゃんは俺の問いに素早く答えた。
(これより「裏還り」を行う! 貴様らをトレンデに戻すのだ! フレイア、いけるか!?)
俺が今一度フレイアに目をやると、彼女はこくりと小さな頭を頷かせた。
「平気です! しかし、イリスたちは?」
ツーちゃんは低く、力のこもった口調で続けた。
(ああ…………あれらには、生贄となってもらう。裏から表へは逆行となる故、等価以上の力が必要となるのだ。あれと力を交えるなど、実に忌々しいことだが…………この際、好き嫌いは言っておれぬ!)
俺には彼女たちの会話がさっぱりだったが、それでも話は大体飲み込めた。
要は、ヴェルグ達の魔力だか生命力だかを使って、俺たちが元の世界へ帰るということだろう。この期に及んでそれを躊躇うほど、俺はお人好しではない。
ツーちゃんは次いで、俺に向かって言った。
(コウ! ここから先は、お前が重要だ!)
「へっ!?」
(貴様、魔弾は何発残っている!?)
「魔弾!? そんなの、もうないよ! 消えちゃったって!」
(たわけが! そんなわけはない。集中して、目を凝らせ!)
俺は困惑しながらも、自分の周りを一度見渡してみて叫んだ。
「やっぱり、ない!」
「コウ様、落ち着いてください」
ジャージの裾を引くフレイアの声に、俺は一旦は気を静めた。
「フレイア。だけど」
「もう一度気を楽にして、ご覧になってください。時間はあります」
俺は彼女の言う通りに、まずはきちんと呼吸を整えてから、目を凝らした。
すると、ぼんやりと、次第にはっきりと、自分の周りに魔弾の輪が見え始めた。俺はおずおずと数珠の玉の部分に手を振れ、きちんと元通りに輪が実在していることを確かめた。
一度すっかり見えるようになってしまうと、今まで存在に気付かなかった自分が、本当に阿呆みたいに思われた。
(…………見えたか?)
苛立ち混じりのツーちゃんの問いに、俺は急いで返事した。
「あっ、ああ!! もう大丈夫。3発、残っている」
(よし。ではそれを使って、魔法陣の周囲にある建物をすべて破壊しろ)
「壊す!?」
(ああ、陣の回転に空間が要る)
「回るの!?」
(…………早くせよ!!!)
俺は頭の中で撃ち方をシミュレートしつつ、近くの納屋へ照準を向けかけて、止めた。いつヴェルグが邪魔してこないとも限らない。むしろ、妨害は当然想定すべきだ。
俺は照準器と魔弾を、静かにヴェルグへ構えた。
ヴェルグは息を乱しながらも、激しい敵意のこもった視線を俺に向けていた。彼女は何か印を組もうとしていたが、身体が重いのか、その動作には今までのようなキレは無かった。
全身に緊張が走る。
フレイアの眼差しと切っ先は、ヴェルグへ一直線に向けられていた。俺は集中のため一拍、耐えた。
ヴェルグがいざ詠唱に移る瞬間、俺は魔弾を放った。
ドウズルの時に使った印は要らなかった。意識の矢は完全にヴェルグへ刺さっている。
同時に、フレイアが鋭く剣を後方へ翻すのが目の端に映った。俺は火蛇の気配が高速で離れていく感覚と共に、イリスの叫声を聞いた。
「この……………チビ娘!!! 覚えてやがれです――――っっっ!!!」
俺は硝煙が晴れるのを待たず、角度をずらして近くの納屋を撃った。
黒い泡が俺達を囲って無数に発生したが、俺は構わずに、最後の一発を街の教会めがけてぶっ放した。
瓦礫が豪快に降る。
(――――行くぞ!!!)
ツーちゃんの声に応じて、地面が大きくぐらついた。魔法陣を成す三角二つが、それぞれ反対方向に回転し始める。回転はすぐに勢いづいて、高速で巨大な光の円を描き出した。黒い泡が散り散りに吹き飛ばされていく。
青と白の二色の円が重なり、閃光の眩しさが極まる。
俺はフレイアがバランスを崩して倒れかけたのを見、反射的に彼女の腕を支えた。
顔を上げたフレイアの目と俺の目がかち合う。
「掴まっていて」
俺は傷だらけのフレイアにそう声を掛け、彼女を抱えて屈みこんだ。消しきれなかった黒い泡沫がすぐ近くにまで迫って来ていた。
「――――…………ツヴェルグァート!!! お前は、なぜ…………!!!」
今までになく感情的な、悔しげなヴェルグの声を後に残して、俺たちは裏庭から飛んだ。




