表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
369/411

165-1、闇の中の翠玉。俺が華麗に進化を遂げること。

 ―――――――――――――……………満天の星空が広がっていた。


 店を出た俺達はさっきまでいた城塞の、最も高い塔の上に立っていた。

 振り返ると、もうそこには暖簾など影も形もない。ただ幻のような花びらが一片、風にさらわれて儚く目の端を通り過ぎていくばかりだった。


 広大な城塞の全景が、遥かな夜空の下、冷たく見渡せる。

 廃墟は深く重たい眠りに就き、生きて輝くのは白く眩い星達ばかりだった。


 歌が聞こえてくる。

 魂の歌声は星の瞬きと相まって、廃墟を抜ける風と厳かに響き合う。


 フレイアはすっかり気力を取り戻して、星々に負けず鮮やかな紅の瞳で空を睨んでいた。

 ツーちゃんの真っ赤なワンピースが燃えるみたいに風に揺れて、パタパタと軽い音を立てている。華奢な少女の白い素足は、石造りの床の上にくっきりと浮かび上がっていた。



 ――――ppp-p-pppn……

 ――――rrr-n-rrr-n……

 ――――tu-tu-tu-n……



 何か大きなものの蠢く気配が、夜と廃墟とを小刻みに震わしている。


 魂の歌が段々と激しく、強い怒りに染まって轟き始める。

 嘆きを孕んだ絶叫が、やがて空を真っ二つに引き裂いて魔海中を打った。




 ――――O-oo-ooOoo-O-ooo-n!!!




 俺は大きく目を瞠る。

 星空を蹴散らし、夜空へ覆い被さるようにして現れたその魂獣は、かつて見たよりもずっとずっと巨大で禍々しく、黒い魚それ自体よりも遥かに濃く黒く、地獄の火炎の如き魔力を全身から濛々と迸らせていた。


 この大きさを、はたして何になぞらえるべきか…………世界中の夜を一つに塗り込めたような途方もない漆黒は、遥かに広がる砂漠の如く見えた。

 胸ひれが、長く裂けた羽に似た歪な形に変わっている。

 二つの円らな瞳は、一目見るだけで胸の潰れそうなまだら模様に血走っていた。


「レヴィ…………なの、か…………?」


 俺が息を飲んだその瞬間、ツーちゃんが俺達を囲って琥珀色の魔法陣を輝かせた。



「――――来るぞ!!!!!」



 刹那、レヴィが巨体を捻って急降下し、周囲に渦巻かせた濁流を俺達へと叩きつける。

 ツーちゃんがごく短く、それこそ針を弾くような小声で何か唱えると、魔法陣が竜巻状に閃光を立ち昇らせて黒い水流を打ち消した。


 光が止むや否や、フレイアが放たれた弾丸の如く飛び出す。

 二匹の火蛇が彼女と彼女の剣に螺旋を描き、火炎を盛らせた。


 紅玉色の瞳が輝きを増すと、刃上の火蛇はさらに白熱し、加速する。

 フレイアはレヴィの脇腹へと、思い切りよく全身で斬り込んだ。



 ――――O-O-ooo-n!!!



 レヴィの苦痛に満ちた悲鳴が鼓膜を震わす。噴き出した血飛沫と潮の鮮烈な赤さに、俺は己の心臓まで裂かれたかと思う。

 レヴィが悶え暴れる。

 ぶん回された彼の尾ひれがフレイアを強く打った。


「――――フレイア!!!」


 フレイアは咄嗟に火蛇を二重のベールにして衝撃を受ける。しかし、城塞の一角へ真っすに叩きつけられる。

 直後、雷光に似た光が辺りを包んだ。


 大魔導師の詠唱は静かに、速やかに力場を伝わった。


「――――聞け、獣。

 ――――我は琥珀。在りし火、その残渣。

 ――――我は一切を漂白する。

 ――――…………白すら果てよ!!!」


 光が無数の矢となって俺達を打ち貫く。痺れ上がった全身がたちまち、砂となって虚空へ散らばっていく。

 途方もない眩さに意識が急激に霞んでいく。

 今わの際じみたレヴィの悲鳴が、砂となった身体の一粒一粒を残らず引き千切った。



 ――――O-o-o-o-o-ooo-n!!!



 最早何色でもない、人の言葉では表し得ない猛烈な光の嵐。

 圧倒的な力に、俺はただレヴィの断末魔を聞いていることしかできなかった。


 これでいいのか、わからない。

 レヴィの声をもっとちゃんと聞くべきなのではないか?


 元はと言えば、俺達が悪かったんだ。他に手段が無かったとはいえ、俺達はジューダム王をおびき出すために、ナタリーとレヴィを騙してひどく傷付けた。

 俺はまだ彼女達に謝ってすらいない。


 こんな暴力的なやり方はいけない。

 このまま力づくで終わらすなんて絶対にいけない。

 裏切りはもう繰り返したくない。


 だけど…………どうしたらいい?



「―――――ッ…………!?」



 急に、がっちりと噛みしめられた歯の感触が戻ってきた。

 ハッとして目を見開くと、俺は自分の身体を取り戻していた。

 足元には琥珀色の魔法陣、周囲には強風が吹き荒れている。

 何が起こったかと考えるより先に、ツーちゃんが嘆息と共に吐き捨てた。


「…………やはりか」


 一面を覆っていた光の奔流が、炙り出されるみたいに黒い炎に蝕まれていく。

 炎はあっという間に空間を喰らい尽くして燃え上がると、低く唸りながら狂暴に踊り上がった。


 漆黒の火炎が凝り固まり、一層巨大な…………爛れたひれをいっそ優雅にたなびかせた、禍々しいクジラの姿となる。

 いつの間にか俺の隣へ戻ってきていたフレイアが、眉間を険しくして呟いた。


「届かなかったか…………」


 ツーちゃんがどこからともなくふわりと俺達の前に降り立ち、言葉を継いだ。


「いいや、フレイア。貴様の刃は、確かにかの獣の肺を貫き心の臓を裂いておった。…………だが、最早あれはそのような表面的な手では止められぬらしい」


 話している間にも、レヴィは新たな濁流を従えてこちらへ猛然と向かってくる。

 ツーちゃんは指先で宙にいくつもシャボン玉を浮かべると、まとめてレヴィへと吹き飛ばした。


 レヴィにぶつかったシャボン玉が次々と弾け、また鋭い閃光を放つ。

 目眩んだ獣が軌道を逸らしたところを、ツーちゃんはすかさず琥珀色の光の銛で追撃した。


 レヴィが続々と投げ放たれる銛をくぐり抜け、ぶつかったシャボン玉の閃光に再度晒され呻く。ツーちゃんはレヴィを睨み据えたまま、容赦無く光の銛を打ち続けた。


 銛に貫かれたレヴィの身体から、赤い血が花と咲き乱れる。

 ツーちゃんは顔色を変えず、淡々と話した。


「あの泡も、この銛も、およそ形ある魔ならば…………例え呪われ竜だろうが、三つ首ワンダだろうが、一撃で屠る代物だ。だが見ての通り、それでも仕留めるには遠く及ばぬ。これはつまり、あれが再生の「核」を宿している証だ。この獣自体が黒い魚の「核」とも言うべき存在ではあるのだが…………さらに中心がある」


 フレイアが剣を構え、火蛇を鮮やかに舞わせる。

 紅い眼差しが見つめる先では、獣が狂乱の果てに自らシャボン玉へと身体をぶつけながら、銛の雨の中を真っ向から突進してきていた。

 ツーちゃんは腕を組み、俺へ語り継いだ。


「幾度となく心の臓を斬り裂かれてなお、これだけの力を維持させる「核」。…………あの獣と深い繋がりを持ち、なおかつ魔海の源泉と高い親和性を持つもの。…………コウ、正体はわかるな?」


 俺は食いしばった歯をさらに軋ませて、頷いた。


「…………ナタリーがいない」


 気配が無い………感じられないのは、彼女の魂がこの地の誰よりも濃く、この魔海の憤怒に染まりきっているからに他ならない。

 彼女へと至る手段は、俺にはもうわかりきっていた。


 そしてそれは、まさに俺の心からの望みでもあった。


「…………行ってくる」


 絞り出した低い声に、フレイアが凄まじい形相を振り向ける。

 俺は彼女に目をやって、それからツーちゃんに頼んだ。


「サポートをよろしく」


 大魔導師は「ふん」と小さく息を吐き、フレイアに命じた。


「フレイア! 私と貴様でこの獣をできる限り鎮める。…………それがコウの命を守る最善の策だ」

「ですが…………!」


 フレイアが声を高くするのを遮って、ツーちゃんがパチリと指を鳴らす。

 針の弾かれるほんの微かな音が重なって、次の瞬きの後にはすでに俺は、小さな小さな幼魚の大群と化していた。


 フレイアが目を丸くして何か叫ぼうとしている。多分「スイミー」とかそんなことじゃないか。

 そんな彼女を横目に、俺…………いや俺達? は突撃してくるレヴィの口の中へ力強く泳ぎ出した。


 ツーちゃんの高らかな詠唱に合わせて、琥珀色の光が火蛇と綾を成し巨大な一つの銛を作り上げる。

 黄金にまで冴えわたる閃光が二蛇をみるみる白熱させる。

 魔導師の声が、頭に響いた。


「――――――――行け、コウ!!!」


 耳の痛む風切り音を立て、金色の捕鯨銛が打ち出される。

 俺は光より速く、大鯨の咽喉へと飛び込んだ。



 ――――――――…………今謝りに行くぜ、ナタリー!!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ