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160-4、夢見る少女達の大冒険。俺が紅の泉に流れること。

 ――――――――…………神様が見下ろす景色って、こんな感じなのかな…………。


 紅の主の世界は、どこか地上を俯瞰しているような、不思議な光景に彩られていた。

 別に幽体離脱して見ているわけじゃない。ちゃんとその場に、同じ水平線上に立って彼女自身も生きている。だけど、全ては流れゆく魂の行灯みたいに、ゆっくりと美しく燃えて過ぎていくばかりだった。


 遠いとは感じない。

 むしろ、満ち足りていると感じる。

 世界のどこかから滾々と湧き出てくる黒く透明な泉が彼女を浸し、行灯を緩やかに魔海へと運んでいく…………。


 ただこういう風に演出して見せているだけかもしれなかったけれど、その景色は紅の主…………三寵姫の一柱が見る世界として、実に馴染んでいた。


 紅の主は流れていく燈火の一つを愛おしげに目で追って、語った。


「…………私の妹、フレイアは幼少時より旅に出ていた。タリスカ殿と共に。偉大な魔術師であった私達の祖母上はフレイアが内なる邪悪な魔を制御するだけの力を身に付けるには、それ以外に方法は無いと考えていたのだ」


 そのことは本人の口からも聞いていた。

 タリスカとフレイアの旅はツーちゃんが真の蒼の主…………リーザロットを見つけ出すまで続き、フレイアはサン・ツイードに帰ってきてからは精鋭隊に所属して剣を振るった。

 厳しく孤独な旅路であったと、聞いたのだったか、勝手に俺が思ったのだったか。

 ともかくも、あの子の並外れた剣の腕は、そうして育まれたらしかった。


 だが、その旅は彼女の中の邪の芽をかえって深々と根付かせてしまったようにも俺には思える。

 己だけを頼りに獣のように戦い続ける生き方は、強さと同時に不信もまた強めてしまった。


 紅の主は、燈火が照らし出す紅い瞳の気難しい面持ちの老婆の姿を、指でなぞってそっと闇へと送った。


「さすがによくわかっているな、扉の魔術師殿。…………そうだ。祖母上の見込みは半分当たり、半分外れた。フレイアは確かに強くなった。己の内の魔に飲まれない程に。だがその分、魔も強くなってしまった。世界に牙を立てられる程に」


 また別の、やつれた女性の姿が浮かぶ。

 フレイアと同じ白銀の髪色。面差しは息を飲むぐらい美しいが、それ以上にとても悲しそうな目をした女性だった。


「母上だ。元々祖母上と折り合いが良くなくてね。…………そこへフレイアが生まれたことで、より一層片身が狭くなってしまった。我がツイードの一族は、表向きこそ華々しいが、内実はなかなかに非情で悲惨なのだ。

 フレイアはこの母上に、ついに心を許したことはなかっただろう。母上が私や妹に対し、そうであったのと同様に」


 紅の主の眼差しがふっと翳る。

 病身の哀れな母親は、三寵姫となった娘に恭しく礼をして、そして闇へと吸い込まれていった。

 紅の主の瞳は、次には古い手紙の束を映していた。


「そうは言っても…………だ。繋がりは、ある場所にはある。

 フレイアはよく私に手紙を書いてくれた。旅先で見たあれこれを、つぶさに綴って知らせてくれたものだ」


 フレイアが書く文章を俺は読んだことがないが(思えば俺は彼女の字すら見たことが無い)、それでもどんな思い出が書き連ねられていたかは紅の主の記憶を通して伝わってきた。


 少し恐ろしく、それでも楽しそうな冒険がするすると通り過ぎていく。

 泉と行灯だけの静かな、少し寂しい世界に、それは降り注ぐ花びらのように淡い彩りを添えた。


 出会った人々のこと。魔物達のこと。

 厳しい修行のこと。使えるようになった魔術のこと。

 見つけた宝物のこと。動物のこと。美味しい果物のこと。

 綺麗だった景色のこと。恐ろしかった夜のこと。


 作ってもらったスープのこと。焼いてもらった菓子のこと。摘むのが早過ぎて酸っぱいチュンの実のこと。

 買ってもらったナイフのこと。初めて彫った人形のこと。

 タリスカのこと。タリスカの想い人のこと。

 …………迷い込んだ異世界で出会った、彼女の運命の君のこと。


 紅の主は、手紙の一枚一枚を丁寧に開き、闇に散らした。


「三寵姫はまず都を離れない。旅の空は遥か遠い空だ。いつからか私は、あの子の冒険を何よりの楽しみとするようになっていた。

 市井の家族のように毎日会って話すことなどは叶わないが、あの子の手紙は、あの子が私の傍へ来てはしゃいで話してくれているような、そんな気分にさせてくれた。

 たまに都へ帰ってきた折には、剣の稽古などにも付き合ったものだ。今ではもうとても敵わないが…………幼かったあの子は、いつも夢中で飛び掛かってきてくれた。誰も私にあのような熱い眼差しを向けたりはしない中で、どんなに生きがいとなっていたか。

 会うごとに目覚ましく上達していくのも、己のことのように嬉しかった。…………実際、自分のことだったのかもしれない。私は自らの思い描いた大冒険が、実りとなって返ってくることを味わっていたのに他ならないのだから」


 言葉が途切れる。

 静寂が行灯をゆっくりと闇の彼方に送り、また清らかな静寂を力場にもたらした。


 また温かく燈火が揺らめき、泉に浮かび上がる。

 今度のそれには、黄金色の瞳をした少女が映っていた。


「…………ヴェルグ。私の依代だ」


 俺は紅の主のガーネットの瞳に今一度、深く貫かれる。

 鮮やかに赤く…………暗く、透き通っている。

 紅の主の記憶と言葉は、静寂に負けず澄み渡って響いた。


「ヴェルグはとても古い魔女だ。人でなく、魔物でもなく…………その正体は、太古の女神が燃え尽きる時に残された灰であると聞いている。

 「紅」とは古来より深い縁がある。果たしていつの世から我らが共にあったものか、最早ヴェルグの記憶をさらうより他に知る術は残っていない」


 ヴェルグの、重く湿った魔力が黄金色の眼差しと共に胸を締め付ける。記憶の向こう側から見透かされてでもいるかの如く、生々しい恐怖が咽喉元までせり上がってくる。

 それはたちまち俺の心臓を握り潰したかと思うや、弾き飛ばすようにして俺の意識を解放した。


「え…………今、のは…………?」


 冷や汗を額いっぱいに浮かべた俺へ、紅の主は冷静に言った。


「貴公は私の力場に馴染み過ぎた。故に、貴公までがあれの魔力に脅かされていたのだ」

「え!?」

「安心しなさい。こちらで対処した。…………まったく、貴公は強いのか弱いのかよくわからないな。共力場では一瞬たりとも気を抜いてはいけない。以後はよく気を付けるように。魔術の基本中の基本だ」


 言葉も出ない。

 戦闘中ってわけじゃなかったから、つい油断しきっていた。


 っていうか、本当に、マジで本気で襲われたみたいだったが…………あれが紅の主の記憶だと言うならば、この人はなぜ、あんな経験をしてまであの女を依代としているのだろう? どうしてあんなものとずっと一緒にいるんだ?


 紅の主は、俺の心を読んでか淡々と答えた。


「もう一度言うが、ヴェルグと紅の縁は相当に深い。その所以は時空を遥かに跨いだ遠い魂の繋がりにまで遡る。ちょうど蒼の剣鬼、タリスカ殿と蒼の縁が深いのと同様にな。

 決して一概に割り切れる絆ではないのだ。あれの願い…………否、呪いと、紅の祈りは姉妹のように結びついている」


「そう、姉妹のように」と、紅の主は繰り返した。


「…………フレイアを表の妹とするなら、ヴェルグは裏の妹だ。実際の年齢の差はさておき、あれはいつもどこか子供じみているので、私にはそう思えてならない」


 彼女は遠くぼやけたヴェルグの行灯をぼんやりと見つめつつ、続けた。


「紅の祈りは命のふいごだ。魔海より打ち上がった魂の飛沫を、我が血潮たるサンラインの気脈へと打ち流す。私はそうして再び燃え上がった大地の息吹を、祈りとして主へ捧ぐ。

 ヴェルグは私の力場を、透明な泉のようだと言った。しかしそれはそのまま、私が見る彼女の力場の姿でもあった。私のそれは白く、彼女のそれは黒かった」


 流れていく黄金色の瞳は無邪気だった。

 時折、俺の知らない色で光る。遠い何かを見やるような、懐かしむようにも見える表情。孤独な風にすぐに攫われて失せていく。

 恐らくは誰も知らない一瞬一瞬が、紅の主の記憶の中では確かに明るく灯っていた。


「…………ヴェルグは博識だった」


 大勢の人の魂を宿した行灯が行き交い始める。

 数多の光に、目が眩むようだった。


「私は彼女から多くを教わり、大いに学んだ。幾夜にも渡って議論を交わし…………私の白はいつしか、たくさんの色をその内に含ませるようになった。

 フレイアの手紙が「イザベラ・ツイード」の冒険なら、ヴェルグとの対話は「紅の主」の冒険だった。二つの世界は共にかけがえが無く、等しく…………眩く、輝いていた」


 真紅の瞳が微かに伏せられる。

 行灯はどこか遠くへ散らばって流れ、また静寂が戻ってきた。


「…………やがて、白と黒はありのままに混じり合った。初めから同じものだったと、ようやく私は理解したのだ。それは鏡像として、常に己の内に存在していたのだ。

 ヴェルグは初めから知っていて、私が私の色を知る手ほどきしていたのだ。…………操られていたとみることもできるが…………まぁ、それも一興。そもそも私には、彼女の思惑など、どうでもよいことだった」


 「一応一国の姫なのだから、どうでもいいってことはないだろう」と思いはするが、口にはできない。

 紅の主はそんな俺の考えを、たやすく読み取った。


「どうでもいいのだよ。主の御心の深さを思えば、いずれ些細なことだ。…………というより、私にはあれが時折見せる瞳が、この世界の何よりももっともらしく見えたんだ。…………だから、この魂を燃やす気になったんだ」

「…………もっともらしい、ですか?」


 俺の聞き返しに、紅の主は小さく息を吐いて笑った。


「私には、だ。本心など知らない。…………それと念のために言っておくが、他のものが空々しいと感じているわけではない。ただ…………」


 やや間をおいて、彼女は狭めた眉間を緩めた。


「あれは確かに胸を打つものだった。紛れもなく、そういったものの一つだった」


 遠く流れゆく行灯が一つ、明るくふわりと燃え上がって、また黄金色の瞳の少女の横顔を闇に映し出す。

 空々しく優しい彼女の笑顔の向こうに、俺は紅の主が述べる切なさを垣間見た気がした。


 何もかもを犠牲にして突っ走るヴェルグのやり方は正しくないと、俺は思う。

 だけど、どこへ向かっても走れなかった…………走り出すことさえできなかった昔の俺の魂は、それこそが命なのだと、唯一つの彼女の詩なのだと、血を滴らせている。


「…………だからって、許しちゃいけないものだけど…………」


 俺の呟き――――ほとんど独り言だったのだが――――に、紅の主が返した。


「裁きは主の御業だ。…………貴公は貴公の思うがまま、望む道へと進むがいい。この地ではどこへ向かおうとも、白き眼差しの内だ」


 投げっぱなしのそのやり方は、それこそ「正しい」のだろうか…………?

 こんがらがりかけた所で、紅の主が話を切り上げた。


「さて、話はこの辺で終わりにしようか。これ以上は深入りが過ぎる。扉の魔術師殿…………貴公はいけないな。その目で見られると、なぜか余計なことまで晒してしまうようだ。

 要するに、何が言いたかったかというとだ。

 私は確かに、フレイアを案じていた。…………あの子が紡いでくれた冒険の続きが知りたかったのだと、最早認めねばなるまい。

 だから、私は貴公に賭けた。貴公がヴェルグのもたらす混沌に代わる、もう一つの運命の鍵となりうるかを見定めたかった」


 凛とした表情に、ふと百合のような笑顔が咲いた。


「貴公を信じよう。…………ただし、共力場には常に気を付けること。魂は強いが、儚いものだ。…………故にこそ美しいのだが」


 瑞々しい笑顔に、俺は安堵の息を吐く。

 紅の主がガーネットの瞳を閉じると、行灯の世界が消え、レイピアと彼女と俺だけが残った。

 驚く間もなく、毅然とした声が全身を貫いた。


「それでは、扉の魔術師殿。…………貴公に恵みの雨のあらんことを」


 剣が涼やかに引き抜かれる。

 瞬間、波の音と風の音が強く耳に響き始めた。

 一つの瞬きの後、俺は魔物とヘドロが跋扈する元の戦の空の下に戻されていた――――――――…………。



 フレイアの大火炎が目の前で派手に砕け散る。


 俺は粉々に砕かれた真っ赤な水晶の内から、剣を振り抜いたフレイアの足元へと勢いよく転がった。


「――――コウ様!!!」


 慌てて駆け寄ってきたフレイアに抱き起こされて、俺は紅玉色の瞳をはたと仰いだ。

 潤んだ瞳。上気した赤い頬。愛らしい眉。

 余程必死で頑張ってくれていたのだろう。無防備とも言える彼女の放心の表情に、俺は微笑んで黙って頷いた。


 そうして上半身を起こすと、やや向こうに剣を収めて立つ紅の主が目に入った。

 彼女はフレイアをじっと見つめている。その眼差しには、何か堪えるような寂しい色が濃く滲んでいた。


 紅の主はいつもの堂々たる調子で、俺に言った。


「私はもう行く。「紅の主」の冒険を見届けに向かう。…………扉の魔術師よ、貴公はどこへ?」


 俺はフレイアと一緒に立ち上がり、声を張った。


「ツーちゃん…………「塔」に囚われている魔導師、琥珀の元へ向かいます! ヴェルグを止め、俺の親友を助けられるかもしれないのは、あの人だけですから!」


 紅の主は隣で目を真ん丸にしているフレイアとは対照的に、特に驚くでもなく「そうか」とだけ言って、不敵に微笑んだ。


「なるほど、面白い。…………「黒い魚」の内部は「塔」のそびえる魔海の最奥へと繋がっていると聞く。貴公ならば、それを足掛かりに辿り着くことは可能かもしれん。

 …………良かろう。やってみなさい」


 彼女は颯爽と背を向けると、わずかに振り返って言葉を加えた。


「…………フレイアを頼んだ、義弟殿」


 フレイアが大きく目を瞬かせ、またこちらを仰ぐ。

 俺は去っていく紅の主に内心で頭を下げ、未だ当惑冷めやらぬフレイアへ向き直った。


「…………と、言うわけなんだ。これからツーちゃんを迎えに行く」

「え…………と、申し訳ございません。あの…………あんまり、突然で…………仰っている意味が…………」

「前に、トレンデで喰魂魚に飛び込んだのと一緒だよ。今度は「黒い魚」の中に飛び込む」

「…………そんな」

「途方もなく危険なのは承知の上だ。でも、今度はもう君だけを戦わせたりしない。俺も戦う。だから…………フレイア。どうか一緒に来てほしい」


 フレイアはしばらく俺を見つめ、それから空を仰ぎ、地面へ目を落とした。

 ややしてから顔を上げた彼女は、いつにも増して勇ましく瞳を燃やしていた。


「…………わかりました。このフレイア、持てる限りを尽くしコウ様をお守りいたします!」


 俺は彼女の、まだ剣を握りっぱなしの熱い手を取り、礼を言った。


「ありがとう。…………本当に、ありがとう。フレイア」


 フレイアはリンゴのように赤くなって、こくんと頷いた。

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