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158-2、月へ昇る一閃。俺が蟻地獄で見つめたこと。

 ――――――――…………ヤガミが周囲に渦巻かせた水流が勢いよく旋回し始める。

 それは火蛇によく似ていて、俺はごく当たり前にその軌跡をなぞって、流れの勢いを増幅させた。


 薄く、細く、伸ばして渦巻く輪を広げる。

 それは俺達を取り囲んでいた幻霊――――その因果の糸を斬り裂き、螺旋状に暴れて周囲に集っていた牙の魚達をも引き裂いた。


 フレイアとローゼスはその血飛沫の中、脇目も振らず紙一重の斬り合いを続けている。

 フレイアの突き出した切っ先がローゼスの鮫の兜を掠め、追って火蛇が目庇の下へ向かって鋭い火矢の如く身を走らせる。


 わずかな体捌きで躱したローゼスは刃に風を纏わせ、即座に剣を翻してフレイアの足元を掬い上げる。

 銀色に輝く剣は、その長く分厚い刀身にまるで似つかわしくない速度で、さらに鋭く素早く切り返された。


 もう一匹の火蛇が危うく凶刃を弾く傍らで、火矢となった火蛇はなおも執拗にローゼスを狙う。兜に踊る炎が明るく冷酷に猛る。


 フレイアは飛び退きざまにローゼスの脇へ向かって剣を伸ばす。

 火蛇に兜を撃たれたローゼスはよろめきながらも、身体を捻って剣を舞わせる。

 大きく横薙ぎに振り抜かれた剣から一拍遅れて、強烈な旋風が巻き起こった。


「!!」


 咄嗟に火蛇達にベールを張らせたフレイアが退がる。

 すかさず力強い踏み込みと共にローゼスがそれを追う。

 火蛇が燃えて唸り、迎え撃つ。

 銀の刃が一段と荒く吠え、フレイアを襲う。


 …………牙の魚がまた集まりつつある。

 俺はヤガミの水流が暴れ回るのに任せ、さらに力場への集中を深めた。


 ヤガミが灰青色の瞳を、残る力を振り絞って輝かせる…………。



 ――――――――…………これがジューダム王の景色だと、ヤガミは言ったか?


 点々と散らばった泥溜まりの向こう側へ、俺はストンと抜け落ちた。

 ヤガミの巡らせた夜霧が現実を薄く儚くぼかす一方で、灰青色の湖…………最早「だった」というべきものだが…………の中は、露骨に血生臭く、くっきりと世界を映し込んでいた。


 王の目から見る力場は、呪術の力場とそっくりだった。

 憎しみやら苦しみやら、悲しみやら憐れみやらがごったに渦巻いて、血みどろに煮え滾って爛れている。

 だが想いの力場そのものと呼ぶには、あまりに全てが目に見え過ぎていた。


 走馬灯のように過ぎていく様々な記憶の上に、現在(いま)がしんしんと降り積もっては、とめどなく果てしなく、また過去へと押し潰されていく。


 止まらない…………止められない。

 俺の扉の力がヴェルグの手で無理矢理に解放された時のような無力感を、俺はヤガミを通してもう一度味わっていた。


 気が狂いそうなぐらい詳らかな心の一つ一つには、どれもちゃんと姿形があった。

 それは俺がジューダム兵のあの白い腕の力場から見通せるようになった、一人一人の魔力の姿に他ならなかった。

 彼らの血肉の温もり、あるいは屍の冷たさが、次々と俺を突き抜けていく。


 言い表しようもなく時が歪んでいた。

 現実の時の流れとは違う、魂それぞれの感じる時間がありのまま渦巻いているのだ。

 発狂しそうな速さと鈍さが、同時に血を流している。天と地ほどもかけ離れた感覚が、同じ時を刻んでいる。


 頭が破裂しそうになるのを、何かが強引に繋ぎ止めていた。


 ぐ、と腹に力を込めて目を凝らす。

 それから耳、肌…………五感を徐々に開いていく。


「――――――――なるほど…………」


 「わかったか」と、ヤガミの声が聞こえてきた。

 王はこの時の入り乱れた渦の中心に、蟻地獄の主の如く繋ぎ止められていた。


 姿形は見えない。

 ただ感覚として、彼の存在が感じ取れる。渦巻く者達の思念が、必ずそこへ流れ込んでいくが故だった。


 強い飢餓感。熱烈な祈り。

 血濡れたヤガミの痛覚が幾千万本の針となって全身を刺す。

 絶え間ない記憶の激流の中、王は悪霊みたいに灰青色の目を見開き続けていた。


 共力場の感覚が強まると、力場がより精細に、生々しく感じられる。

 俺は歯を食いしばって彼と同じく目を見開き、こぼした。


「…………ひっどいな、これは…………」


 ヤガミの意思が、また頭に響いた。


 ――――ハッ…………しかもこれ、常に魂を喰らってないとどんどんヤバくなるんだぜ。…………我慢していると、多分本当に死ぬんだろうな。俺じゃない…………この、大勢の祈り手達がさ…………。


「…………」


 デンザが話していたことがすぐに結びつく。ジューダム兵にとっては、文字通り戦こそが糧なのだと。


 キリキリなんていう表現じゃ断然生温い、激しい餓えに内臓が蝕まれていく。

 …………大丈夫だぞ、タカシ。パニックを起こすなよ、タカシ。

 すぐに終わらせるから…………。

 言い聞かせるが、痛みは一向に治まらない。血のドバドバ抜けていく冷たい感覚が、身体を重く湿らせていく。


 ローゼスとフレイアの剣戟は、吹き荒ぶ火の粉と血風の輪の内で激化の一途を辿っていた。

 だが、力場の外の景色にはあまり集中を向けていられない。水流の鞭がまだ勢いを保っているうちに、この力場の扉を探して牙の魚や幻霊の軍勢を撃退しなくては。


 ヤガミの言葉が次いで響いた。


 ――――今…………ここに縛られる必要は無い。ジューダムの兵士の力場は、全て俺に繋がっている。だから…………どこへでも、どんな感覚へでも辿れる。魂を踏み超えて…………そこへ行き着ける…………。


 ヤガミが咳き込むと、力場が乱れ気管が痛んだ。

 俺は黙って彼に耳を傾けつつ、雪崩れ込んでくる様々な世界をくまなく眺めている。

 こうしていると、ジューダム王の水銀じみた暗い瞳に俺まで塗り潰されていく気がする。アイツがあんな目をしているのは、これを見続けたからか?


 所詮俺は紛れ込んだ他人だから、この蟻地獄に埋もれずに済んでいる。そしてヤガミが…………仲間がいるから、混乱と恐怖の猛毒に侵されずに済んでいる。

 何より、満たされているから…………いつかは満たされると信じられるから、この飢餓に耐えられている。


 でもアイツは…………。



 ――――――――…………黒い魚の悲鳴が轟き渡る。

 巨体に押し潰されていく街では混沌が波打ち、また一つ相殺障壁を打ち砕いた。


 レイピアの剣の輝きが身体のすぐ脇を貫いて、そのイメージが即座に立ち消える。

 紅玉色に燃える瞳が、鮮やかな高揚を与えて過ぎ去る。

 風の唸り。筋肉の軋み。溢れる血、鳴り響く鼓動。

 抑えきれない興奮が狂おしく神経を逆立てる。


 流星の如き銀の太刀筋が、白銀の髪を薄く斬った。

 2匹の細長い獣は織り合いながら踊る。燃える。火柱となる。


 瓦礫が砕けると砂が、風が、火の粉が舞う。

 冷えた夜霧に血が煙る。

 鋭い刺突がまた首筋を掠める。

 銀の牙が、華奢な腹を食い破りに走る…………。



 ――――――――…………冷たい屍の感覚に触れた。


 それはもう意識としてはほとんど残っていない、虚ろな世界の感触であった。

 そこに流れる時はどんよりと淀んでいる。静謐で、微かな解放と安寧を予感していた。


 置き去りにされた肉体の記憶か…………。

 魂はすでに離れている。

 でも、まだ息をしていた名残が伝わってくる…………。


「…………魔人の記憶か」


 俺はふいに悟り、そして同時に、そこにぽっかりと口を開けている扉へ自分を導いていた。


 漆黒に落ちていく混沌。

 深く長い静寂。


 一滴の祈り。


 …………全ては一つの場所へと繋がっていく。



 黒い魚、牙の魚達、聞こえるか?


 ああ、聞こえるだろうとも。

 答えなど聞く必要は無い。

 お前達へと向かう無数のその想いこそが、お前達を吠えさせているのだから…………。


「ヤガミ…………見つけたぞ」


 灰青色が夜霧を冷たく押し広げる。

 俺は淀んだ小さな昏い湖に意識を落とし、扉を開いた。


 自分の声が何だか自分でないような、奇妙な低い響きを帯びていた。




「…………まとめて、還れ」




 ――――――――…………霧が辺り一帯に広がり、牙の魚と幻霊を包み込む。


 魔人の血をたっぷりと飲んだ小さな水溜まりが、一斉に沸き立った。

 そこからたくさんの黒い腕が夏の蔦のように伸びていく。

 腕はあっという間に牙の魚を絡め取ると、長く鋭い棘を生やして幻霊共の糸を断ち切った。


 その間もフレイアとローゼスの死闘は続いている。

 力場の様相がどんなに変わっても、二人の剣の向かう先はぶれない。

 互いに、ただ互いだけへと命を燃やしている。


 二重の火炎がローゼスを囲う。

 ローゼスの風刃は炎を竜巻状に絡め、たちまち空へ煽り散らす。

 銀の牙が真っ直ぐに突かれ、レイピアの切っ先がそれを逸らした。

 ローゼスが半歩速く、追撃に移る。

 銀の牙が今一度、フレイアへ襲い掛かる。風が一角獣の如く、牙の切っ先から伸び上がった。


 フレイアが前へ出る。

 刃が交差する。


 黒い魚が吠える。

 牙の魚が応え鳴く。

 黒い腕はそれよりもさらに高く、強く――――静寂を祈った。


 何かを招くように、腕達が一斉に首を垂れる。

 夜霧が重たく彼らをくるみ、やがて牙の魚達は霧に混じって闇夜へと溶け出した。


 黒い魚が吠える。

 静寂が星の瞬きをわずかにちらつかせる。


 ローゼスの刃が押し通る。

 銀の牙がレイピアの軌道を割り、フレイアの目前へ迫った。

 フレイアの剣がついに翻る。その軌跡の頂点で火蛇達がレイピアに絡みつき、眩しいまでに白熱した。


 ローゼスの刺突をいなした白い剣は、横薙ぎにローゼスの頭を兜ごと刎ねた。


 大鮫を模した兜のシルエットが、月へ放物線を描く。

 欠けた目庇が一瞬、鋭く光った。


 瓦礫まみれの路地に兜が転がって、ローゼスの黒い鎧姿が崩れ落ちる。


 三度、黒い魚が吠えた。

 静寂が遠い鐘を鳴らすみたいに、長く応えた。

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