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156-2、戦場を駆ける白い雨。俺と彼女が再び宿敵に見えること。

 ――――――――…………ジューダム王の気配を追って、俺達はサン・ツイードの路地を渡っていった。

 街の至る所に設置された魔法陣が道となり、探索を大いに捗らせてくれる。


 王の魔力は、今や常にはっきりと感じられた。さすがにヴェルグとの戦闘ともなれば、いつも通り余裕ぶってはいられないらしい。

 王の力が放たれる度、全身に深く亀裂が入るような痛みが走った。


 ヤガミの魔力もまた同時に伝わってきていた。

 こちらはごく微かな気配…………だが、一応まだ生きてはいるようだ。

 ほのかに漂う血の匂いが激しく不安を掻き立てる。あれだけの大怪我で、果たしてこの荒れた力場に耐えきれるだろうか?


 先陣を切るフレイアが、すれ違うジューダム兵や護手を無慈悲に斬り捨てていく。

 彼女の討ち漏らし(というより、効率を考えてわざと流しているだけのようだ)を、時折クラウスが始末しつつ、進む。


 幸いまだ牙の魚は追いついてこないが、どんな微かな気配でも逃さないよう、俺は集中を続けていた。

 さっきリーザロットが襲われた時だって、想定外の方向からいきなり現れたのだ。


 黒い魚の吠え声が、断続的に空と大地を脅かしている。

 その度に、嘆きと怨嗟をこんもりと宿した道端のヘドロが産まれたての赤子のように触手を伸ばして鳴くのが恐ろしかった。


 俺がヴェルグに操られて呼んでしまったものとは違う魔獣も大勢蠢いていた。

 ハーピーに似た姿の醜悪な使い魔、ドウズルが群れを成して上空を飛び去っていく。

 彼女らは俺達には目もくれず、専らジューダム軍の放った濁竜と血生臭い戦を繰り広げていた。


「イリスが使役しているのでしょう」


 不快そうにフレイアが仰ぎ睨み、また前へと視線を戻す。


 幻霊も街や空のそこかしこをうろついていた。

 こちらは敵味方の見境は無い。彼らは明確な殺意を持った時にのみ、その姿を映す。

 あの火の帯を引く船が連れてきたのだろうが、厄介にも程があった。


 俺は襲われないよう、ようく目を凝らして、彼らとこの世を結ぶ因果のか細い糸を見つけ出す。

 それをフレイア達に伝え、先に縁を断ち切ってしまうことで、何とかしのぐ。


 他の魔獣達に見覚えは無かったが、いずれもおぞましい方法で作られたと想像に難くない見た目をしていた。

 どうせドウズルやジューダムの魔人と同じように、人間が材料なのだろう。

 いくら戦うためだからって、どいつもこいつも人間のことを何だと思っているんだ。


 密かに憤る傍らで、クラウスが話をした。


「実際、太母の護手にはもっと警戒しておくべきでした。あれだけの魔術師を味方に引き入れ、挙句にジューダムとも手を組んで、こんな混沌を招き寄せた。

 すでにこちらの相殺障壁の多くが歪み穴を通った彼らの手によって破壊されています。…………蒼姫様は、どうしてあのような者達に…………」


 言葉が途切れ、彼は振り切るように話題を変えた。


「今、グレン様とウィラックさんが大急ぎで障壁を再構築しています。スレーンの飛竜が警護していますが、状況は厳しい。…………隊長がどうにか向かえればいいのですが」


 隊長…………グラーゼイ…………そう聞いて、俺はハッとなった。


「そうだ…………! あーちゃんは無事か!? グラーゼイと一緒にいるんだよな!?」


 発言と被って、通りの民家の屋根から突如、黒い鎧をまとったジューダムの騎士が飛び降りてくる。

 クラウスは降りてきたジューダムの騎士を咄嗟に剣で貫くや、次いで物陰から飛び掛かってきた白い腕達を地上から一斉に生やした氷柱で射貫いた。


 白い腕の群れが儚く散る…………。

 だがクラウスは黄色い瞳を鋭く上空へ吊り上げると、手早く印を組み、冷たく強い風を巻き起こした。


「隠れても無駄だ!!」


 毅然と言い放たれた声に、風は細く研ぎ澄まされ幾重もの刃へと変わる。

 風が民家を穿つと、姿こそ見えないが、確実に一人のものでない血飛沫が窓から噴き出した。


 血滴が力無く壁を伝うのを横目に見つつ、クラウスは俺とフレイアとを振り返った。


「数が多くなってきましたね。…………近いってことでしょう」


 クラウスは逆立った赤褐色の毛をわずかに静め、続けた。


「アカネ様はご無事です。お怪我もありません。…………ただ、隊長は」

「グラーゼイがどうかしたのか?」

「先程からずっと念話に反応がありません。最低限、指示だけは仰げるぐらいの力場を保ってはいるのですが…………」


 そうしているうちに、フレイアは生き残りの太母の護手が何やら工作中であったのを目敏く見つけ、驚くべき静けさの内に葬っていた。

 彼女はクラウスを振り返り、淡々と告げた。


「私からも呼びかけておりますが、反応がありません。…………副団長のウィラック様に呼びかけるべきでしょうか?」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ! だとしたら、グラーゼイと一緒にいるあーちゃんはどうなっているんだ!?」


 俺が騒ぐのを、クラウスがなだめた。


「落ち着いてください、コウ様。先に申し上げた通り、アカネ様はご無事です。彼女の魔力はかなり独特です。読み間違えようはありません」

「けど、じゃあ、どうして…………!?」

「落ち着いてください。…………隊長は何らかの理由で、自ら気配を消されている可能性が高いと俺は思います。あの方は気配を隠すのが巧い。何より、変事であれば必ず俺達へ連絡が来るはず。

 信じて、俺達は自分の仕事をしましょう」

「フレイアも同意いたします」


 二人に見つめられて、俺は言葉が継げなくなる。


「け、けどさ…………万が一…………」


 それでもこぼれる駄々に、クラウスは爽やかに応じた。


「大丈夫ですよ。グラーゼイ隊長はとんでもなくしつこい…………もとい、しぶといお方ですから。そう簡単にやられはませんし、一度自分に託された任務を放棄するなど、例え世界が終わったってしやしません」

「…………」


 俯いていると、クラウスはまた声調子を明るくした。


「コウ様、一旦深呼吸しましょう。…………ほら。ゆっくり、大きく、息を吸って」

「…………」


 キツネが鎧を着て深呼吸している不思議な光景に、改めて異世界を感じる。

 合わせて俺は渋々、従った。


「…………」

「…………吐いて」


 ちょっと遅れて、フレイアが一緒にやっている。

 そうしてもう一度繰り返したところで、クラウスは俺に尋ねた。


「どうです?」


 正直な話、未だに不安は強い。

 こんなことをしている場合ではないという焦りはまだまだ残っているし、何なら余計に膨れているとも言えた。

 が、俺はごくりと言葉を飲み込んだ。飲み込めた。


「うん…………、ありがとう」

「いいえ。…………実際、半分は自分のためです。こう見えて俺も結構、浮ついてますので」


 クラウスが妙な形に口の端を歪め、肩をすくめる。

 フレイアが何となく遠慮がちに俺の肩に触れた。


「…………コウ様」

「ん? 何?」

「申し訳ございませんでした。コウ様のご不安に気付かず、お力にもなれず…………」

「え?」


 やけに神妙な顔つきに、かえって戸惑ってしまう。

 どうしよう…………。そもそもこの手のことについて、フレイアが何か考えているとすら思いもよらなかった。


 とはいえ、そうハッキリ伝えるのもさすがに躊躇われる。

 じっと向けられ続ける神妙な眼差しに応えあぐねていたら、クラウスが間に入ってくれた。


「フレイア。誰も君に期待してないよ。気にするな」

「えっ、どなたも…………!? そ、それは心外です」

「人には人の役割がある。…………君は白い雨の精鋭。サンライン最高の剣。…………行こう、王の元へ」


 そう言って魔法陣を発動させにかかったクラウスの表情が、サッと曇る。

 黄色い瞳は、路地の奥をきつく睨み据えていた。


 一瞬、視線の先を人影が掠めただろうか。


 俺も力場に集中する。

 何か奇妙な緊張が張り詰めているが、正体が辿れない。気味が悪いのは、辺りから魔獣の鳴き声や足音が忽然と消えてしまっていることだった。

 だが、咽喉に触れるこの狂暴な魔力は…………。


「…………クラウス様」

「ああ」


 クラウスが輝き始めた魔法陣の内で剣を構える。彼の周囲を、白く冷たい結晶が巻き始めた。

 フレイアの火蛇が鮮やかに火の粉を舞わせる。


 俺は路地の奥に泰然と姿を現した大柄な騎士を、息を飲んで見つめた。

 黒地に黄金の装飾が施された、壮麗な鎧。牙の長い、鮫に似た生き物…………今なら、牙の魚だとわかる…………を象った、目庇の鋭い異様な兜。

 気怠く構えられた彼の重厚なロングソードの刃からは、眩むような銀色が今、一段と厳かに放たれていた。


 どこからともなく、ジューダムの王の声が響く。

 水銀の毒が、声音から力場に染み渡った。


 ――――――――ローゼス、その女騎士は俺の顎門と互角に打ち合った。…………遊ぶなよ。…………必ず、討ち取れ。


 兜の下の「生き物」が、笑った。

 そう感じた。


 残酷な舌なめずりと共に、ローゼスが地を蹴る。

 次の瞬間、フレイアの白熱する刃が火花を爆ぜて彼の剣とぶつかり合った。

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