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156-1、集いしは求める者達。俺がリーザロットの覚悟を知ること。

 リーザロットが飲み込まれる――――…………。


 その寸前、牙の魚の顔が突如として白く凍てついた。


 牙から喉にかけて張り付いた白霜は一瞬にして鋭い氷柱となり、魚の咽喉から尾にかけてを貫き通す。

 氷柱は高く快い音を立てたかと思うや、あっという間に魚ごと砕け散った。


 きらめく氷晶が散りゆく。

 その中から、白い鎧をまとった一人の獣人騎士がふっと現れ出てきた。


「ご無事ですか、姫様!?」


 赤褐色の毛を逆立てた騎士は、黄色い瞳を野性的に輝かせる。

 彼はリーザロットの前に立つなり、抜刀しざまに次々と襲いくる牙の魚達を斬り裂き、再び作り出した氷柱でまとめて串刺しにした。


「クラウス! でかした!」


 すかさず飛び出したデンザが、まだ息のある氷漬けの魚の群れを爆砕する。仲間の肉片と血の匂いにひかれて群がって来た他の群れを、フレイアの火蛇達が大きく円を描いて囲った。


「――――焼け」


 短い合図に応え、火蛇が激しく炎を盛らせる。

 牙の魚達は灰すら残すことなく、業火の内に消え去った。

 海から、そして上空からも新たに群がってきていた魚達は、混乱して遠巻きに渦を巻いた。


 その隙にリーザロットが魔法陣を足元に広げ、冷たい風で結界を作る。陣の中心へ集まるよう蒼い眼差しが伝えてくる。

 意を決した牙の魚達がまた襲ってくるという時、彼女の詠唱が魔法陣を著しく輝かせた。


 …………そうして気付くと全員、街中にそびえる高い建物の屋上に立っていた。

 足元にはリーザロットが描いたのと同じ魔法陣が血で…………掠れた、鮮やかな赤色の血で描かれていた。着物風のローブをまとった魔術師達の遺体が、うつ伏せになって円の外に倒れている。


 まだ修復途中のサモワールの屋上だと、少し遅れてわかる。

 周囲の状況はさっきまでいたエズワースよりかは若干マシだったが、それでも多くの亡骸と瓦礫、そして混沌のヘドロにまみれて地獄じみていた。


 未だあちこちでサンライン、ジューダム両国の魔術師、騎士達が戦っている。

 黒いフードを目深に被った太母の護手の姿が、物陰から物陰へと音もなく渡って行くのがちらりと見えた。


「…………サン・ツイードに帰って来たのか」


 俺の呟きに、リーザロットが額の汗を拭って頷いた。


「サモワールの魔術師が…………助けてくださいました。でも、彼らも誰かにやられて…………もう、皆…………」

「姫様、どうか気をお静めになってください」


 よろけるリーザロットを支え、クラウスが心配そうに蒼褪めたその顔を覗き込む。

 フレイアが、周囲に火蛇のベールを広げつつ彼へ話した。


「クラウス様、咄嗟のご助力に感謝いたします。…………ですが、貴方がこちらへばかり気を向けられては精鋭隊の共力場に不要な偏りが生じてしまいます。あとはデンザ様と私に任せて、配置にお戻りください」

「…………どうやらそうも言ってらんねぇようだぞ」


 デンザがハルバードを構え、建物の下を睨む。

 目をやると、そこにはいつの間に集結したものか。黒集りの太母の護手達が手に手に武器を携えて建物を包囲していた。


「なっ…………どこから湧いて出てきたんだ!?」


 しかも、よく見れば集まっているのは護手達だけではない。彼らに腕を縛られた街の人が、怯え縋る目で俺達を見上げていた。

 必死で救いを求める声には、「勇者」の名も入っている。

 「蒼姫様!」と大きく叫んだ老人が、護手の一人に強く打たれて瓦礫の山に崩れた。


 集団の中から、しゃがれて尖った声がリーザロットを呼ばわった。


「「蒼の主」…………この騙りの魔女め!!! 今宵こそはその邪悪の回帰…………嘘と偽りの輪廻を断ち切らん!! 偉大なる母様の名誉を、我らの手で取り戻す!!」


 声は次々と、四方から続いた。


「「蒼の主」は世の真実を覆い隠し、善良なる無知の者を邪悪なる道へと導く!! その罪は何よりも重い!! 果てなき無の底より他に、貴様の還る場は無い!!」

「貴様は魔物だ!! この世に顕現したる、諸悪の根源なり!!」

「「魔海」なる穢れた思想を民に広め、「裁き」の魔の名の下に魂を深き堕落へと誘う邪鬼よ!!」

「偉大なる「母」を騙る者め!!」

「呪われし魂は、聖戦をもって始まりの無へと導かん!!」

「我ら母の良き息子に祝福を!!」

「かの穢れし悪魔に永劫の無を!!」

「蒼の魔女に浄めの炎を!!」


 訴えがおよそ意味を成さぬ怒号へと変わるのに、そう時間はかからなかった。

 嫌な匂いと湿り気が辺りに立ち込め、あらゆる場所で詠唱と魔法陣の展開が始まる。魔力を持たないと思しき者達は、我先にと建物の壁をよじ登り始めた。

 人間でない彼らの動きは、あたかもイナゴの大群のようだった。


 捕らえられた人々の悲鳴が耳をつんざく。

 力場に満ちる気配が、うんと濃くなった。


「蒼姫様!! お助けを――――!!」


 叫ぶ親子を庇って、さっき蹴飛ばされた老人が魔法陣の内へと連行される。

 鉈やら斧やらを手にした護手が、一斉に腕を振り上げた。


「――――やめて!!!」


 リーザロットが風を巻かせて飛び出そうとするも、間に合わない。


「蒼姫様、サンラインをどうか…………!!! …………主よ、我らが海に白き恵みを!!!」


 血飛沫と絶叫が噴き上がり、街に蔓延るヘドロがどっと沸き躍った。

 ざわざわと異国の言葉が反響し、悲鳴や苦悶の呻きと混じり合って悪臭をさらに醸し出していく。

 次々と切り刻まれる人々の恐怖の眼差しと懇願が、場を完全に支配していた。


「姫様!!!」


 フレイアとクラウスが登ってきた護手の尖兵を即座に斬り捨てる。

 デンザが強烈な爆風と共に、ハルバードの刃を集っている護手達へと打ち下ろした。


 叫びを上げて、護手達が千切れ飛ぶ。

 だが彼らは一向におじけづくことなく、さらに密集して詠唱の調子を強めた。

 建物へ登ってくる連中は後を絶たない。

 本当に、こんなにたくさん一体どこからやってくるのだろう…………?


「キリがねぇ! 一掃しようにも、これじゃどうしても巻き添えが出ちまう!」

「生贄兼人質か。卑怯な真似を…………」

「増援は!?」

「時間がかかり過ぎます」


 デンザとクラウスが獣の顔を歪ませる。

 その後ろでは、すっかり血の気を失ったリーザロットが大きく危なっかしく蒼玉色の瞳を揺らがせていた。


 これまで、彼女はかなり大規模な魔術を駆使し続けてきた。謁見を済ませ、裁きの主の加護がついているとはいえ、相当に厳しい戦いであったには違いない。

 その上ここへきて、かつて彼女の故郷を崩壊させたまさにその因縁の相手が、今また彼女の民を虐殺している。

 到底、心は穏やかでないだろう。


 フレイアを見やると、冴え冴えとした冷徹さでもってリーザロットを見つめていた。

 彼女の考えはよくわかる。国と姫を守る騎士であれば、それは当然求めるべき判断だろう。俺はフレイアを残酷とは思わない。


 緊張は短い間にも刻々と強まっていった。


 俺に何かできるか?

 見る限りでは、太母の護手達の力場はジューダムのものと混ざり合って完全に混沌と化している。しかも魔術だけの力場ではない。何らかの根深い呪術が惨劇の根底に植え付けられている。


 ここに立っているだけで咽喉がヒリつく。鼻を麻痺させる悪臭と、肌に浸みこむ湿気が重苦しく集中を拒んで、扉を開くきっかけが掴めない。


 …………悩んでいる時間が惜しい。

 とにかくひとまず俺に任せてくれと提言しかけたのを、リーザロットの言葉が遮った。


「手を分けましょう。ジューダム王を追う者と、ここで太母の護手の相手をする者に」


 リーザロットの蒼玉色の瞳が、皆へと注がれた。


「フレイアとコウ君、クラウスは王の元へ。デンザは私と、ここに」


 クラウスが即座に声を上げた。


「蒼姫様! 俺が残ります! 俺とデンザさんで、ここを…………」

「いいえ」


 リーザロットは隈の深い目を伏せ、小さく首を振った。


「これは私の仕事です。太母の護手達とは、私自らの手で決着をつけるべきでしょう。この争いの中で犠牲となってしまわれる市民の方々にも…………せめて直接、声を届けなければ」

「けれど…………わざわざ姫様自身が矢面に立たれるなど! 貴女は何も悪くない! 貴女だけが民に憎まれなければならない理屈なんて、どこにも…………!」

「理屈ではないの」


 リーザロットが建物の下へと目を向ける。渦巻く怒りや嘆きは一層激しく、混然となって蠢いていた。

 彼女は凛然とした口調で、言葉を続けた。


「今、最も対話を求めているのは誰でしょうか? 言葉のみにては表せない、魂の語らいの場に最後まで立つ者。それこそが真の魔術師でしょう。…………私は三寵姫の一柱、「蒼の主」。魔海の深奥に抱かれし魔術師の一人として、ここに残ります」


 クラウスが顔を顰め、悲しそうに喉の奥で声をくぐもらせる。

 リーザロットが優しく、彼の首筋を撫でた。


「…………ありがとう、クラウス。貴方の気持ちだけで、私は救われるわ。…………さぁ、行って。コウ君達を必ず、王の元へ送り届けてくださいね」

「蒼姫様! ヤツらが来る! お下がりください!」


 デンザが叫ぶ。

 クラウスは牙の揃った口を固く引き結ぶと、畏まって礼をした。


「畏まりました。貴女に…………全ての善き魂に恵みのあらんことを」


 リーザロットが桜の花のように微笑み、デンザの後ろへと控える。

 蒼玉色の眼差しはもう、己が運命を真っ直ぐに見据えていた。


 振り返ったクラウスが、俺とフレイアの前に立った。


「…………参りましょう。すぐにまた牙の魚が追いかけてきます。…………俺が道を開きます。フレイアは、コウ様の護衛を」

「了解です」


 クラウスが詠唱を始めると、俺達を囲って白く細かな吹雪が吹き出した。

 フレイアが火蛇を剣に滑らせ、瞳に炎を灯す。

 俺は大きく深呼吸して、力場に魂を沈めた――――――――…………。

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