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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第12章】玉座に吠える
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147-1、戦の空はどこまでも。俺がグゥブにも劣る民草とは一味違うこと。

 ――――…………光が薄いベールとなって揺らぎ、静謐が満ちる。


 廃墟の都には花が降っていた。

 白い花びらは雪のように、羽のように、荒廃した世界に積もる。


 俺は子グゥブの姿で、ヤガミとクラウスの間に立ち尽くしていた。


 二人とも満身創痍で、ぼうっと景色を見つめている。

 ヤガミは折れた剣を力無く垂らし、顔に滴る血を拭うのも忘れている。クラウスに至っては、もう完全に人の姿に戻ってしまっていた。

 もう彼らに戦う力が少しも残っていないことは、共力場を編んでいなくとも瞭然だった。


 もちろん、俺とて例外ではない。

 もうクッタクタだ。

 干乾びたという表現すら生温い。クタクタでもしおしおでもなく、パサパサからさらに水分を飛ばして、サラサラの粉にしてカラカラに天日干しにした後、一週間風に吹き晒され続けたみたいな気分だ。


 リーザロットが、そんな俺達の前に立っていた。


「――――――――…………我が王、「裁きの主」」


 白く細い彼女の手が、胸の前で美しく組まれる。

 すっかりボロボロになったドレスが、白くぼんやりとした光景の中、夜空の残響のように蒼くはためいていた。


「この契り、私はこれより固く守ると誓います。…………「蒼の主」の名を継ぐ者として」


 ああ、ついに謁見は成されたのだと、改めて俺は感慨に耽った。

 リーザロットは今日、自らの力で「裁きの主」…………この世界の王の、姫の座を勝ち取ったのだ。


 彼女は初めて、自ら「蒼」の運命を掴み取った。

 壮大な「蒼」の魂と比べれば、砂粒程もないちっぽけなリーザロットの魂は、持てる限りの愛を灰になるまで出し尽くして、ようやく「蒼」の運命を真っ向から見つめることができたのだ。


 弱くて…………見ようによってはひどく愚かで、とてもとても我儘な自分の魂を、正面から受け入れることができたからこそ、玉座の主は彼女に応えたのだ。


 「蒼の主」は、リーザロットだから。

 他でもない彼女自身が、リーザロットという「蒼」の一枝をきちんと認めない限り、「蒼の主」は王の選んだ真の「蒼」とは成り得なかった。


 小さな子グゥブの上に、ヤガミの声がポツリと落ちた。


「…………これで一件落着、か」


 薄くて、ほとんど白色と見分けのつかない灰青色が、調子を優しく色付かせる。

 彼の心象風景の冬景色のように、ほんのりと物悲しく、言葉は続いた。


「タリスカさんは…………リズのことを、本気で信じていたんだな。命を賭してまで…………敵わないな」


 クラウスが、ギリギリ聞こえるか聞こえない程度の微かな溜息を吐いて、言った。


「蒼姫様は彼の運命そのもの。…………悔いはないだろう。…………少なくとも俺が同じ立場だったなら、きっとそう思う」


 俺は密かに首を傾げる。

 「たかがこんなこと」で、タリスカに悔いは一片も無いと言えるのだろうか?


 蒼の姫に忠誠を誓い、この世の何よりも…………それこそこの世のどんな神様よりも大切に思ってきた姫のために生きて…………戦って…………本当に彼は満たされたのだろうか。


 俺が感じた彼の魂は…………あの狂おしい熱と嵐は、もっと狂暴で一途な目的を持っていたように思う。

 それはもうどうしようもない、彼の魂の根源的な姿で、俺も、リーザロットも、歴代のたくさんの「蒼」達も、果てには「裁きの主」すらもそれに魅せられていただけに、腑に落ちなかった。

 何より…………。


「…………永遠なる魔海で、安らかに。…………願わくば、白き雨の祝福と深く蒼い慈愛の内に」


 クラウスが粛然と祈りを捧げる。

 ヤガミは静かに目をつむり、それに倣った。


 俺はもう一度、今度は実際に首を傾げた。

 …………こいつら、何をやっているんだ?

 いつまで続ける気なんだ、こんな茶番を?


 リーザロットが組んだ手を解く。

 彼女は近くにそびえ立つ、今にも崩れそうな骸骨みたいな教会の鐘楼をおもむろに仰ぐと、いつも通りの声調子で、彼を呼ばわった。


「――――タリスカ! いい加減降りてきてください! 一体いつの間に…………というか、なぜ、そんな所に登ったのです? いくら巧妙に気配を隠したって、姿が丸見えですよ! まさか、からかっているつもりだったのではありませんよね!?」


 クラウスとヤガミが、ハッと弾かれたように鐘楼を仰ぐ。


 そこでは何のことも無い様子の漆黒の死神が、鐘楼のてっぺんに腰掛けて、虚ろな眼窩をこちらへ向けていた。

 よくよーく目を凝らせば、元からあった額の傷跡の横に、新たな傷が窺える。カルシウムを取ってしばらく寝ていれば、その内埋まりそうなひび割れではあるが。


 俺は「フン!」と大きく息を吐き、胸を逸らした。


「俺はずっと気付いてたぞ! 最初っから見えていたからな! …………っつぅか、お前ら、タリスカが死んだなんてどうして思い込めたんだ? とんでもない大昔から生き抜いてきたんだぞ? あの程度で死ぬわけがないだろ!?」


 呆然とする二人に、タリスカは心なしか上機嫌な響きを低い声に湛えて話した。


「いかにも、勇者は正しい。…………姫の騎士ならば、いつ何時も油断は許されぬ。生きゆく限り、鍛錬の刻は続く。それを魂に刻め。深く…………狂気をも貫いて。

 …………なれど、今日の日のお前達は実に見事であった。…………これより後も存分に励が良い」


 それから彼は俺を見て、もし見間違いでなければ、肩を竦めた。


「よく見ているものだ。…………もし勇者が私に視線を向けねば、姫も今しばらくは気付かなかったであろうに」

「あの…………だから、何でそんなことを?」

「フ」


 笑った?

 ねぇ今、笑った?

 彼はそれ以上の説明はせず、リーザロットへと顔を向けた。


「姫」


 一言、それだけ。

 リーザロットはひらりと飛び降りてきた骸の騎士に、短く、


「…………行きますよ」


 とだけ伝えた。


 見つめ合う間に何が交わされていたのか、もう知りたいと思えるだけの体力も気力も俺達には残っていない。

 ただ、蒼玉色の瞳はいつにも増して濃く豊かで、魔海の波音は長く優しく穏やかだった。


 蒼の館の表の領域へと戻る時に(リーザロットが魔術でまとめて連れ帰ってくれることになった)、俺は廃墟の街に独り佇む老人を見た。

 多分、こちらは気付いたのは本当に俺だけだったろう。


 彼はたくさんの虫人間達に囲われながら、じっとこちらを見ていた。

 相変わらず浮浪者じみたみすぼらしい姿で、汚れた髭に覆われて、表情も眼差しも全く窺えなかった。


 思うに、彼は「裁きの主」である自身にすら見捨てられてしまった自分を、それでも見つけてほしくて、ここにいたのだろう。

 そして、それは叶ったように、俺には見えた。

 リーザロットがどうしても受け入れられなかった一枝を自分の運命と受け入れた時、彼もまた、存在が許されるようになったんじゃないかな。


 喪われた都。

 希望も絶望もない、虚無の世界。

 不信に殺された「主」の残骸。

 そんな「主」と世界をも真っ向から見つめる力を、今のリーザロットは持っている。

 彼女は正しいこともいけないことも、きっともう恐れない。

 全てのあり得ないを超えて、運命を抱いていくだろう。


 俺はリーザロットの腕の中から、瞬きもしないで老人を見返している。

 なぁ、俺はいつまで子グゥブなんだ?

 そもそも、どうして俺をグゥブになんてしやがった?


 オイ、何とか言えよ。ジイさん。

 これだけ骨を折ったんだから、それぐらい教えてくれてもいいだろうが?


 蒼白い光が溢れ、徐々に遠退いていく世界の向こうから、微かに声が届いた。



 ――――――――…………特に、理由は、無い…………。



 …………はいはい、わかってたよ。

 世界なんて、神様なんて、大体そんなもんだってさ…………。




 そして俺達は、紛れもない差し迫った現実へと舞い戻った。

 もうすっかり夜が更けていて、誰もが腹ペコだということに、やっと気が付いた。


 戦はすぐ目の前までやって来ている。だが、腹が減っては戦は出来ぬ。

 お腹が空くのは至極不便なことだが、同時に無上の喜びでもある。

 だって、まだ生きているってことの何よりの証明なのだから。


 俺達は食堂に集まり、とにかく飯を食った。

 皆、ガツガツ食べた。

 クッタクタの天日干しをピッチピチの鮮魚に戻すが如く、猛烈に栄養を補給した。


「クラウス。お前、精鋭隊の部屋で食べるんじゃねぇのか? 何、しれっと混じっているんだ?」


 ヤガミの問いに、クラウスは食べながら答えた。


「姫様が良いと仰っしゃったんだから、それ以上遠慮することもないだろう。…………お前こそ、先に傷の治療をしに行った方が良かったんじゃないのか? 食べた分だけ頭から出てるぞ、もったいない」

「お前に言われたくないな。鼻血の跡ぐらいちゃんと拭け。…………コウとお前とだけ残したら、俺の分がなくなっちまうだろうが」

「違いない。…………あと鼻血の跡なら、お前も付いてる」

「何だと!」


 ヤガミが顔を擦る間に、クラウスが大皿に手を伸ばす。

 ヤガミは拭きかけで、声を上げた。


「オイ、3切れずつだろ!」

「常に鍛錬の時なんだよ。いつ何時も油断するなって、ご教授受けたばかりなのに、もう失念したのか?」

「本当に貴族か、お前?」

「そっちこそ、仮にも一国の王の片割れなら肉ぐらい気前良く渡して頂きたい」

「誰がやるか、泥棒ギツネめ!」


 うん、うん。コイツら本当に仲良くなったな。

 …………一応、姫の御前だって忘れてないか?


 まぁそれはともかく、俺は食いながらも未だに「主」のことに思いを馳せていた。

 この戦の結末は無数にあると彼は言っていたが…………俺達はそのどれに辿り着くのだろう。

 どんな未来が待ち受けているのか、俺には全く想像がつかない。


 ふと、向かいで食べているリーザロットに目をやると、にっこりと親しげな微笑みが返ってきた。

 可愛いなぁ。こんな子にあれだけ情熱的に思いを伝えさせておいて、またさっさとどこかに消えるタリスカは本当にクソ野郎だなぁ…………。

 俺は照れつつ食事を上品に口に運び(醜い野郎どもとは品格が違うのだ)、意味も無く何度か頷いた。


 …………実際、「主」の気持ちも全くわからないことはない。

 一瞬先の未来を伝えてどうなるという話なのだ。

 例えばスーパーパワーで俺達の都合の良いように全部何とかしてもらったとしても、その先にも未来は延々と続いていく。

 起こしてもらうべき奇跡にはキリがない。

 そもそも彼の力は裁きの力だ。誰もが彼を信じているなら、彼にすべきことは何も無い。例え世界が混沌に染まっても…………。


 もう一度、リーザロットを見つめる。

 今度は目が合わない。

 我らが尊い姫君は、醜い下々に自らの食事を分け与えていた。まったく、これだから下品な民草は。どんなに空腹でも、節度は弁えて頂きたいものだ。


 …………「主」はこの優しい、一人の女の子をちゃんと守ってくれるだろうか?

 それも、俺には計り知れない。

 彼女が「主」にとって大切なのは間違いないが、その御心は文字通り時空を超えている。「主」の加護があるとはいえ、彼女の未来もまた不確定だ。


 わからないと言えば…………。


 俺は食べ終わった食器を上品に片し、リーザロットに尋ねた。


「ちょっとタリスカと話したい。どこにいるか、わかる?」


 リーザロットは小さく首を振り、軽い溜息と共に答えた。


「さぁ。…………その辺に隠れていませんか? カーテンの裏とか、戸棚の隙間とか、天井の隅とか」

「そんな、虫じゃないんだから」

「そしたら、そうね…………」


 特に冗談を言ったわけでもないといった面持ちで、リーザロットが思案する。

 彼女はぱちりと大きな目を瞬かせ、また話した。


「こちらから呼びつけた方が早いでしょう。どこか好きな所で待っていてください。行くように伝えておきますから」

「そんなことできるの? でもまぁ、助かるよ。ありがとう」


 早速立ち上がると、ヤガミ達から声がかかった。


「コウ、何を話すんだ?」

「まさか、まだ修行がし足りないとか仰っしゃるんですか?」


 俺は大きく片手を振り、返した。


「いや、大したことじゃない。…………本当に」


 まだ納得がいかない様子の彼らを置いて、俺はそそくさと中庭へと赴いた。

 部屋に帰ってもいいのだが、少し本物の外の空気が吸いたかった。



 …………尋ねたいのは、他でもない。

 フレイアのことだ。


 フレイアの、昔の話。

 今に至るまで続く、彼女の「不信」の話。


 ある意味では三寵姫と同じぐらい色濃く「主」と共に生きてきながら、同時に邪の芽の宿主となる程の「不信」を抱くフレイアを育て上げたタリスカならば、あるいはその原因に見当がつくのではないか。


 儚い望みなのはわかっている。

 でも、だからこそ手を尽くそう。

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