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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第12章】玉座に吠える
312/411

143-3、愛しき偶像への恋歌。彼女が眠る路地裏のこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会いを経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。

 その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。

 大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。

 そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ……ジューダム王の肉体を連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むため、中立国・スレーンへ同盟を持ちかけに向かう。

 スレーンの頭領・シスイとの決闘に勝利し、晴れて同盟を結んだ俺達は、いよいよサンラインへと帰国する。

 ―――――――…………コウ兄様。

 そう、コウ兄様ね。

 ご主人様が花姫亭へと導いてくださった…………「お姉様」の、お友達。


 どのようなお姿でしたか…………。

 とても可愛らしい方でしたと、思うのですが。


 …………子グゥブ?


 ふふ。確かに、そんな人懐っこい無邪気な眼差しをしておられましたけど。

 貴方になら、何でも話せてしまいそう。

 …………そう、何だって聞いてもらいたくなってしまう、優しい兄のような。


 コウ兄様。

 こうしてまたお会いできて、嬉しい。

 例え触れられなくとも、お声が聞こえなくとも、貴方がただそこにいらっしゃる。

 それだけで、私は小鳥のように浮かれています。


 どうかリーザロットの傍で、お話を聞いてください。

 今だけでいいの。

 私が…………私の夢が、ここで慎ましく花咲くことをお許しください。




 ――――――――…………私はよく夢を見るの。

 昔から、独り誘われるようにして、いつともどことも知れない時空に迷い込む。


 例えば今夜のような、この世の何もかもが優しく抱かれたような、祝福された夜に。

 またある時は、この世の何もかもが見放されたような、寂しい夜に。

 「ご主人様」は、私と旅人を巡り合わせるのです。


 「ご主人様」は、このサンラインを見守っておられる眼差しです。

 そのお姿は、人には計り知れないと伝えられています。

 ただ傍に在ることをこの胸で感じるだけ、祈ることだけが、私達に許されたことなのだと、教会の方は教えてくださいます。


 それでも、自分なりのお姿をあてがうことを…………時々、私は考えます。


 優しく甘やかな心地になりたくて。

 果てなく孤独になりたくて。

 それに見合う「ご主人様」のお姿を、こっそり夢に思い描くのです。


 罪深いことでしょうか?

 「ご主人様」を自分のお傍まで引きずり降ろして、仮の形を与えて、自在に振る舞わせて…………。

 少なくとも教会の方が聞いたならば、眉を顰められてしまうでしょう。


 私のこの気まぐれな遊びを「ご主人様」がどうお考えなのかはわかりません。

 抱かれた偶像、その一つ一つを眺めるのは、結局は私自身を見つめるのと同じこと。

 リーザロットはリーザロットと戯れているに過ぎない。

 「ご主人様」は気になさってはいないと、私は信じております。


 …………どんな「ご主人様」なのかって?

 そうですね…………。

 コウ兄様にお伝えするのは、特に恥ずかしく思えます。

 貴方の、私にとって最も好ましい部分が、よく重なっているからでしょうね。



 …………コウ兄様。

 私は…………いつも、本当は自分はここにいないのではないかと、感じております。

 そしてそれが正しいとも。


 私は物心ついた頃から、自然と魔術に親しんでおりました。

 印や魔法陣、詠唱、それらはいずれも後からついてきたのです。


 初めに魔術があって、それから言葉や形が連なった。

 ちょうど魔海の景色から世界へと萌え出づるみたいに、幻が次第に私の中で像となって結ばれていきました。


 花姫亭の娘は、皆、少なからずそんな風ですけれどね。

 世界の形を知るより先に、魔海の色を知る。

 そして世界に馴染みながら、段々と海の深さを忘れていくの。


 忘れて…………やがて、溺れる。


 ついさっき、偶像のお話をしました。

 どうしてあんなことをお話ししたくなったかというと、私達にとって、それはとてもとても大切だからなんです。


 唯一、最後まで世界から自由な夢。

 誰に何をいかに奪われようとも、それだけは決して消えない。

 そういう自分のためだけの、とっておきの魔術が、私達の魂と魔海(ふるさと)とこの世界とを辛うじて繋ぎ止めているのです。


 本当はどこにもいない私。

 「ご主人様」の眼差しに見つめられるだけの私。

 そのかけがえのない影こそ、愛しき偶像…………。



 それにしても…………本当にとりとめもないお話ばかり。

 眠らずに耳を傾けてくださるコウ兄様は、やっぱりとても優しい方ね。

 貴方のその長閑で健やかな瞳が、言い表しようもなく好きです。


 優しいコウ兄様。

 よろしければ、もう少しだけ…………。

 もう少しだけ、お話を聞いてください。

 全部、全部、他の誰にも言えないのです。



 実は…………私には、偶像を想うよりももっと、強く想うことがあります。

 語れば「ご主人様」の心がざわめくから…………何より私の心がひどく波立つから、今まで決して言葉にはできませんでした。

 今夜、こうしてコウ兄様と触れ合っていればこそ、初めて向かい合う勇気が湧いたのです。


 偶像の一つ…………なのでしょうか。

 ですがその影の姿は、あまりにも私からかけ離れています。


 狂暴で、残酷で、苛烈で、粗野で…………それなのに、息が止まる程に美しい。

 巨躯の漆黒の騎士。

 彼の蒼白い刃が、私の夜を大きく、鮮やかに斬り裂くことがあるのです。


 彼に裂かれた夢は瞬く間に晴れて、私は風と共にたちまち世界に引き戻される。

 彼が誰なのか、私にはわからない。

 私は願ったことすらないのです。…………あのような、鮮烈な魂のありようは。


 …………怖いはずなの。

 何よりも大切なはずの繋がりがあんなにもあっけなく千切れて、言葉と形の世界に独り取り残される。


 忘れてしまうはずの記憶も、ハッキリと残っていて。

 彼の剣の風を切る音が、いつまでも耳に響いていて。

 心はまるで、嵐の後の空みたいで。


 目覚めると、きまって身体が熱いの。

 なだめようのない昂ぶりが、私の血をぐらぐらと沸かせている。


 夢を失った罪悪感ですぐに祈ります。

 だけど、私は何を祈っているのでしょうか?


 あの影の恐怖を拭ってほしい?

 与えられた導きの役目を果たせなかったことを、謝りたい?


 …………違う。

 私は裁きを待っている。

 抱いた思いが裁かれることを…………。


 漆黒の騎士の夢の後、「ご主人様」はいつにも増して深く沈黙なさいます。

 それが何より恐ろしい。

 だって、あの方だけはご存じのはずなのです。

 …………私が、あの冒涜の騎士に焦がれているということを。



 …………コウ兄様。

 どうか私の懺悔をお聞き届けください。

 「ご主人様」にさえ届けられない私の言葉を、どうか…………。



 私は漆黒の騎士の来訪を待ちわびています。

 彼の夢の後の、孤独で切り離された世界が…………待ち遠しいのです。

 私はあの瞬間に…………確かに「自由」を感じているから。


 途方もない空しさと引き換えでも、私は「ここ」にいると思える。

 揺るぎない眼差しも偶像の鏡も、もう私を繋ぎ止めはしない。

 魔海のさざ波がどんなに遠く微かでも、私は生きていける。

 迸る血が教えてくれる。

 自分の魂の色すらわからなくなったというのに、どうしてあんなにも彼の世界は清々しいのでしょう?


 あの褐色の肌の、溶岩のような灼熱の眼差しの剣士だけが、私をそこへ導いてくれるの。

 彼の二振りの刃が斬り拓く、あの荒涼とした自由が、この胸に焼き付いて離れない。


 「ご主人様」は今も私の告白を聞いておられるはず。

 それでも、これだけ胸の内を開いてもまだ何も仰らない。

 貴方のいない世界をこんなにも強く夢見る私を、なぜ裁いてくださらないのです?


 コウ兄様、コウ兄様。

 貴方だけが、私の寄る辺です。


 あの方の見つめる世界の内に、本当にあの騎士はいるのでしょうか?

 それとも、彼もまた私の拙い偶像なのでしょうか?


 いいえ。そうではないと、私はとっくに知っています。

 コウ兄様が私の影でないように、あの騎士も私でない。


 あの旅人だけが、私の世界に決して馴染まない。

 あの人だけが、どうしても忘れられない。


 誰か私を叱ってください。

 これ以上私があの漆黒の嵐に巻き込まれぬよう。

 引き返せない程に惹かれてしまう前に…………。




 ――――――――…………コウ兄様。

 貴方は、私の世界を開く扉になってくださると言ってくださいました。


 わかっております。

 漆黒の騎士に望むのと同じことを貴方に願うべきでないことは。

 ただ想いを聞いて頂けただけで、どれほど感謝すべきかも。


 でも、やっぱり言葉にするのは、とても危ないのですね。

 こうして語って、かえってどうしたらいいのか、どうしたいのか、わからなくなってしまいました。

 ずっと叫びたくて堪らなかったのに、その先のことなんて考えてもいなかった。


 「ご主人様」はいつも、最後まで黙っていらっしゃる。

 けれどコウ兄様は、耳を傾けてくださって…………。


 …………ねぇ、コウ兄様。

 もう少し…………もう少しだけ、近くへ来てください。

 貴方の眼差しをもっと間近に見たい。


 …………嬉しい。

 そのまま、そう、私に寄り添っていて…………。


 目覚めたらまた、私は貴方を忘れてしまうのでしょう。

 忘れたくありません。

 いっそこの心地良い時間がずっとずっと、世界の終わりまで続けばいいのに。

 「ご主人様」のことも、漆黒の騎士のことも忘れて…………。


 …………それはいけない?

 どうして、コウ兄様?


 蒼の姫の…………務め?


 ああ、コウ兄様。どうかその名は口にしないでください。

 それは絶対に絶対にいけないことです。

 蒼の主は、この世に二人とは存在しません。


 それに、それでなくとも…………私などが「ご主人様」と直接に見えるだなんて、思うだに恐れ多いことです。

 私の罪深いことは、もうよくご存じのはず。

 私にあの方を想う資格なぞ、あるはずもないのです。



 コウ兄様。

 貴方と出会えてよかったと心から思います。

 例え何が変わらなくとも、明日の世界は必ずや違って見えるでしょう。

 貴方の魂がいつも傍にあると、私の魂にはきっと深く刻まれました。


 こうして鏡越しに貴方と額を合わせているだけでも、気持ちが綻んで、甘やかに溶け広がっていると感じます。


 …………たくさん聞いてくれて、どうもありがとう。

 何も責めないでくれて、ありがとう。


 ああ、月が沈んでいきます。

 花の時間はもう、おしまいです。


 さようなら。

 可愛い、茶色い瞳の、優しいお兄様。


 願わくば、また明日――――――――…………。




 ――――――――…………鏡台の傍らの小さな明かりが静かに消される。


 薄れいく意識の中で、俺は何を叫んでいただろう。

 伝えたいことがあまりに多過ぎる。

 俺は俺であることがもどかしくてしょうがなかった。


 「コウ兄様」じゃ、遠過ぎるんだ。

 もっとあの子の近くに行きたい。


 あの子の扉を開くには、どうすればいい――――――――…………?

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