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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第12章】玉座に吠える
302/411

140-2、悪霊と滅びの庭。俺が久しぶりの霜焼けを味わうこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会いを経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。

 その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。

 大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。

 そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ……ジューダム王の肉体を連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むため、中立国・スレーンへ同盟を持ちかけに向かう。

 スレーンの頭領・シスイとの決闘に勝利し、晴れて同盟を結んだ俺達は、いよいよサンラインへと帰国する。

 タリスカに連れてこられたのは、例によって蒼の館の裏庭領域であるようだった。

 ただ、いつもとは景色が大きく異なっている。漂う気配こそよく知った重苦しく不気味なものだが、そこは明らかに館の外であった。


 がらんどうの大広間の正面に、朽ちかけた巨大な白竜の…………ひどく焼けて、ほとんど真っ黒に煤けていたが…………巨像が飾られており、辺りには打ち壊された祭壇の木片が散らばっている。

 どこかによく似ているが、どこであったか。


 暗い。そして寒い。

 外は確かに昼間であったはずなのに、巨像の背後の透かし窓から覗く空は、どう見ても夜空であった。

 星は見えない。闇に浮かぶのはただ一つ、異様にくっきりとした、血の色じみた紅い三日月だけだった。


「ここは…………?」


 呟きに、竜像の前で佇んでいたクラウスが振り返って答えた。


「紡ノ宮、だと思います。恐らく古い時代のものでしょう。…………こんな所にまで領域が広がっていたとは…………蒼の館は本当に底が知れません。どうやって戻ればいいものか…………」


 クラウスの表情は険しい。

 いつも明るく気さくな彼だからこそ、余計に心配になる。

 彼はこのサンラインでも有数の実力を持つ魔術師だ(あんまりそう見えないけど)。それがこうも途方に暮れているとなると、事態の深刻さは聞かずとも知れてくる。


 俺は吹き曝しになった辺りを見回し、尋ねた。


「ヤガミは?」


 クラウスはいかにも不快そうに腕を組み、瓦礫に足を乗せて答えた。


「先に目覚めてどこか行きましたよ。一応止めはしましたが、結局ご本人の勝手ですからね。…………あの男はいつもああなのですか?」

「まぁね。…………タリスカは?」

「彼を見つけることがまず「修行」という所じゃないでしょうか。

 俺達もそろそろ参りましょう。さっさと(おもて)に戻らないと、蒼姫様に叱られてしまいます」

「ああ、わかった」


 クラウスと共に、瓦礫の山を踏み越えて聖堂の外へと出ていく。 

 なぜこれほどと思う程に徹底的に破壊しつくされ、焼き払われた建物の向こうには、同じくひどく傷ついた街が広がっていた。

 寒々しい草原を風が撫でていく。


「あれは…………サン・ツイード?」


 目を凝らす俺の隣で、クラウスは重々しく言った。


「実際の紡ノ宮との距離からすると近過ぎますが、きっとそうでしょう。…………とりあえず、あの街を目指しましょう」

「うん」


 道中、クラウスの言葉は少なかった。いつもなら聞いてもいないことまでベラベラと喋る彼が、こいつはどうも本格的に不穏だ。

 俺は張り詰めたキツネの横顔を黙って見守りつつ、彼について歩いた。


 相変わらず、月は滴るように赤い。



 ――――――――…………いつもながら、この空間を歩いていると不思議な気分になってくる。


 大勢の人間がぞろぞろと後ろからついてくるような、薄気味悪い気配に振り向くと、当たり前のように誰もいない。

 遥か彼方に、魚眼レンズの奥みたいに小さく歪んだ廃墟の紡ノ宮がそびえているだけである。


 いつの間にかだいぶ前を行っていたクラウスが立ち止まってこちらを見ている。何だか妙な目つきをしている。鉱物のような、無機質で固い眼差し。すぐにまた前を向いて歩き出していくが、ふ、と横を向くと、彼は俺の隣を歩いていた。


 クラウスが不思議そうにこちらを見返す。パッチリと見開かれた黄色い獣の目。暗いからか、瞳孔が黒々と開いて大きくなっている。

 前を見ると誰もいない。

 もう一度隣を見るが、そこにもいない。

 逆隣に気配がした。


「…………クラウス?」


 答えが聞こえたか、どうか。

 彼は何てことなかったかのように、歩いている。


 草原が風に揺られて、クスクスと笑い声を立てていた。

 よく見ると草の陰に何かいる。とてもとても小さな生き物で、最初はバッタかコオロギかと思った。

 だが、違った。

 それは四つん這いになった裸の人間だった。


 虫人間は、瞬きの次には消えている。

 すすり泣きとも忍び笑いともつかない声が辺りから一斉に湧いて、急にぶつ切られた。


 静寂。


 湿った冷たい風がそろりと俺を撫でる。風から伸びた透明な腕が俺の服の裾をさすり、咄嗟に何か盗まれたと確信して慌てたが、そもそも俺は何も持っていない。

 だが何だろう、この喪失感は?

 気持ちが悪い。

 何を落としたのか、俺には永遠にわからないままなのだろうか。


 蒼白い手が草の合間から手招きをしている。

 じっとりと胸に霜が降りていく。

 怖い。

 だが、街はもうすぐそこだ。辿り着いてどうなるかはわからないが、今は一刻も早くこの道から抜け出したい。


 いつしかまた前に出ていたクラウスが、こちらを振り向いた。


「どうした? クラウ…………」


 言い掛けて、俺は口を噤んだ。

 赤褐色の毛に覆われた彼の顔が、血にまみれていた。


「え…………?」


 低く爛れた声が、生臭い匂いと共に獣の口から漏れ出た。


「…………ここは、神域」


 彼は取り憑かれたように、抑揚の全く無い奇怪な言葉を続けた。


「主の庭。人集う庭。虫巣食う庭。祈りの庭。呪いの庭。潰えし庭。…………お前も、喰われるか?」


 獣が歯茎を見せ、牙を剥く。

 牙の隙間にはたくさんの肉片や髪の毛がみっちりと詰まっていた。噛み残されたものがボトボトと落ち、白い鎧を無惨に汚す。小さな虫人間の手足がまだ動いていた。

 血糊をべっとりと引き、彼は口を頬まで裂いて笑った。


「「竜」…………」


 逃げようとしたその時にはすでに、相手は飛び掛かってきていた。

 空の上で三日月が泣いていた。

 掴みかかられた俺は地面に組伏せられ、首に迫る牙を寸でで躱した。


「くっ…………! この…………っ!」


 泥まみれになって揉み合いながら、俺は噛まれるのを避けている。

 獣の吐息は凄まじい悪臭を放っていた。冗談ではなく、鼻がもげる。

 獣の目は完全に、炭のような黒に染まっていた。


「畜生っ…………離れろ!!! 口臭野郎!!!」


 腕が空いた隙に、力一杯吻部を殴りつける。

 弱々しい鳴き声を上げて、キツネが首を捩じった。

 だが獣は骨の砕ける生々しい音を響かせながら、そのまま一回転して、またこちらを向いた。


「ヒッ!!!」


 思わずのけぞった俺の頬に、化物の笑顔からこぼれた肉片が弾き飛ばされる。

 化物は黒々と穿たれた目を俺の間近に寄せ、長く深く息を吐いた。


「お前…………、扉の…………魔…………師…………?」


 途端に化物の毛並みが逆立ち、触手のように伸びる。

 毛の一本一本が蛸の足のように変化し、俺へと纏わりついてきた。

 全身から滲む強い匂いに、鼻だけでなく、目まで痛む。

 粘膜が焼け付くのを感じた。


 マズい。

 扉の気配を探ろうにも、もう魔物が近過ぎる。

 化物の口がバックリと真横に割れ、中から現れた大量の舌が…………赤く血濡れた無数の人の手が、俺の顔に触れた。


 目の前が真っ赤に染まっていく――――…………。



「――――――――灯れ、星の子よ!!!」



 若々しい詠唱が、意識を割った。


 宙にチカチカと青白い明かりがきらめく。

 冷たい風が渦を巻き、俺と化物とを囲い込んで湧き上がった。

 風は明かりを巻き込み、瞬く間に白い吹雪となる。


 詠唱がさらに続く。

 凛とした響きが、心臓を高鳴らせる。

 澄んだ風が鼻腔を爽やかに吹き抜けていった。


「――――我は、遥か光の果ての縁者!

 ――――白き六花よ…………我が精霊よ!

 ――――雪ぎたまえ!

 ――――其は、暴食の血族!」


 星の明かりが一段と強く瞬く。

 細かな雪片はみるみる連なり、針のような氷柱を形成した。

 声が、風を震わした。


「――――我は望む!

 ――――導きの鋲、水の針!

 ――――刺し…………貫け!!!」


 氷柱が一斉に、化物へ向かって落ちる。

 針の雨に射抜かれた化物は、全身から血を噴き出した。

 血飛沫をモロに浴びた俺は、呆然と蹲っている。氷柱の冷気が冷え冷えと伝わってきて、触れてもいないのに霜焼けができそうだった。


 やがて化物の身体が白く凍てつき、粉々に砕け散る。

 俺はヒリついてきた頬の痛みをひしと感じながら、白く深い息を吐いた。

 風がゆっくりと生温さを取り戻していく。

 街から人影が二つ、地べたに座り込んだたままの俺のもとへと近づいてきた。


「ご無事ですか、コウ様!?」


 俺は人の好さそうな赤褐色のモフモフ頭を見上げ、胸を撫でおろした。

 良かった。今度は、大丈夫そうだ。


「…………クラウス。ありがとう」


 クラウスは目を細め、溜息交じりに微笑んだ。


「ああ、良かった…………。いつの間にかお姿が見えなくなったと思ったら、まさかこんなことになっているだなんて。間に合って本当に良かった。貴方に万が一のことがあれば、最早叱られるなどというお話ではすみませんから」


 手を差し伸べてくれる彼の歯は白く清潔だった。嫌な臭いもしない。眼差しも、獣なりに野性的ではあるが、健全な光に満ちていた。

 立ち上がって汚れを掃う俺に、もう一人が声を掛けてきた。


「しっかりしろよ。ボーっと歩いてんじゃねぇぞ」


 俺は彼の変わらぬ姿を見て、もう一つ安堵した。


「ヤガミ。良かった。まだ生きていたか」


 親友は「ケッ」とばかりにそっぽを向くと、クラウスに向かって言った。


「お前さ、護衛が仕事なら、もう少し真剣にやれよ。そんなんで本当に姫様が守れるのか?」


 うわ、また始まったよ。

 クラウスはヤガミを睨み返すと、氷のように冷ややかに応じた。


「逃げ隠れするだけが能のヤツに言われたくはないな。今だって、俺の魔術が無ければコウ様を助けられなかった」

「そもそもお前が目を離さなければって話だろうが」

「二人共、落ち着いて」


 とは、言えない。何よりまず、俺がぼんやりしていたからというのが一番の理由なわけで。

 ともあれ、俺達は顔を合わせて改めて事態を確かめ合った。


「…………魔物が強い」


 クラウスは腰に手を当て、話し継いだ。


「数も多く、力場は相当に入り組んでいます。気脈を調べようと思いましたが、これでは移動するだけで一苦労です。何かしら当たりを付けてから調べなくてはならないでしょう」


 ヤガミが頷き、言葉を続けた。


「俺も同感だ。ある意味では修行にはうってつけなのかもしれないが、タリスカさんの狙いはそれではない気がする。

 あの人は「裁きの主」に会いに行くと言っていた。あれがマジなら…………どうせマジでしかないんだろうが…………俺達もそれを念頭において動いた方がいいんじゃないか? ここよりもっと深い領域に潜らなくては」


 俺は肩を落とし、二人を見やった。


「けど、その深い領域っていうのには、どうやって行ったらいいんだ? 結局、街を探し回る他ないんじゃないのか?」

「それなのですが…………」


 クラウスがふと言い止め、目を見張る。

 彼が見つめる街の方を追って視線を向けると、驚くべきことに、街が忽然と姿を消していた。

 何も無い。瓦礫すらも無い。ただ草原だけが広がっている。


 街があった場所には、代わりに人が一人、ポツンと立ち尽くしていた。

 破れと綻びだらけのひどくみすぼらしい格好をしている。伸び放題の髪と髭には泥やら砂やら木の葉やらがたくさん絡まり、いっそ鳥か虫の巣だと言われた方が遥かに納得できそうだった。

 痩せこけた手足にへばりつく皮膚は垢にまみれて黒く、乾いている。


 浮浪者じみたその男がほんの少しだけ面を上げると、やつれた姿におよそ似つかわしくない、異様な輝きを放つ瞳が鋭く光った。


 白い水晶のきらめきが、俺の記憶に眩く蘇る――――――――…………。

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