139、残酷な選択と王への挑戦。俺が曇天に見据えるもののこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会いを経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ……ジューダム王の肉体を連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むため、中立国・スレーンへ同盟を持ちかけに向かう。
スレーンの頭領・シスイとの決闘に勝利し、晴れて同盟を結んだ俺達は、いよいよサンラインへと帰国する。
サンラインとジューダムとの決戦は、わずか1週間後に迫っていた。
決戦の地はエズワース。貧しい民や異邦人が多く住む海辺の街である。
無事にスレーンとの同盟を交わし終え、竜とその熟練した乗り手達を味方につけた今、俺達にはようやく希望が見え始めていた。
スレーンから帰還した翌日、蒼の館で開かれた会議で、リーザロットはこう語った。
「残念ながら、和平の夢は潰えてしまいました。ですが、被害を最小限に抑えて勝利することはまだ叶います」
彼女は集まった人々を見回し、言葉を継いだ。
「エズワースには魔力を持たない、か弱き民が大勢います。私は彼らを、何としてでも守りたい」
蒼玉色の瞳は深く清々しく輝き、彼女の危なっかしい一途さをそのまま映し出していた。
「戦が長引けば、被害が広範囲に及ぶことになります。加えて大規模な魔術が行使されれば、エズワースの民のみならず、教会騎士団や自警団の方々にも甚大な被害がもたらされるでしょう。
エズワースには正確な数こそわからないものの、テッサロスタ以上の人口が密集しています。紅の主とヴェルグの共力場から編み出される魔術は非常に強力です。ジューダム王の力場にも十分対抗しうるでしょう。ですが、これらを衝突させることだけは、絶対に避けなければなりません。無力な民の命を守るためには、私達は紅の主達が動くより先に、戦に決着をつける必要があります」
会議には俺とヤガミ、「時空の扉」の魔術師・グレン、教会騎士団「白い雨」精鋭隊のグラーゼイ、クラウス、フレイア、霊ノ宮の宮司・ロドリゴ、そして五大貴族の一人にして西方区総領主・コンスタンティンが参加していた。
蒼の主陣営とも呼ぶべきこの面子には、それぞれ事情がある。
見返りやしがらみ無しに与しているのは大魔導師・琥珀ことツーちゃんの弟子であるグレンと、リーザロット本人に直接に召喚された俺、それと俺の友人でジューダム王の肉体でもあるヤガミぐらいのものだった。
当然のようにずっと行動を共にしているから失念しがちだが、精鋭隊の面々にも一応、立場がある。
彼らはあくまでも教会騎士団「白い雨」の一員であり、厳密に言えば、今までもこれからも、この戦の総指揮官であるヴェルグの配下にある。
しかし、慣例的に精鋭隊は三寵姫付きの護衛という役目も持っており、常に姫の傍らにいて指示を聞くというのもまた妥当な立ち位置なのであった。
実際、要請さえあれば、彼らはヴェルグの下へはもちろん「紅の主」の下にも、「翠の主」の下にも赴きうる。
隊員達はそこで得た経験を裁きの主の名の下に隊長へと報告し、情報を共有して三寵姫それぞれの守護を務める。
これらは恐れ知らずのヤガミがグラーゼイに突っ込んでくれたおかげでわかったことだ。
要するに精鋭隊というのは、サンラインが誇る最強の守り手であると同時に、三寵姫のバランサー的役目も持っていたのだった。
そうなると問題になってくるのは、ここに隊長であるグラーゼイがいることである。
三寵姫間の力関係を調整すべき隊長がここにいるのは、実はとてもマズいことなのではないか?
そう思ったのだが、本人はその点、案外堂々としていた。
「無論、請われればヴェルグ様、紅姫様、翠姫様、どなたの剣にもなりましょう。ただし、それは主の御心に適い、サンラインの民のためとなる限りの話」
あくまで騎士が仕えるは裁きの主、ということらしい。
フレイアに視線を向けたくなったが、かろうじて留まる。
リーザロットの方も、彼らの立場は承知の上で協力を頼んでいた。
「グラーゼイも、フレイアも、クラウスも、心を決めてここにいてくれています。ですから私も三寵姫の一柱として、成すべきと信じることを一心に行うのみです」
霊ノ宮の宮司に関しても、事情は似ていた。
「宮司様も、主に尽くすお気持ちは同じと、無理を押してこちらへいらっしゃってくださいました。気高き志を心より尊敬いたします」
リーザロットが微笑みかけると、宮司は死体じみた土気色の頬をほんの少し、間違い探しみたいにわずかに歪めてそれに応えた。
曰く、
「身に余るお言葉でございます。…………紅姫様の歩まれる道が、主の眼差しに背いているとは申しませぬ。ですが、蒼姫様の行かんとする道にこそ恵みの雨の多くあるよう願いたく。
戦時にはヴェルグ様からの召集がございます故、助力は微々たるものとなりましょうが、我が魂は常に…………永遠に…………深き魔海に寄り添うております」
まぁ色々言ってはいるが、彼を真に動かすものは純粋かつ強烈な「下心」だと、俺はよく知っている。
この男はリーザロットのストーカーなのだ。彼から頼まれた盗撮機材の件を、俺は未だにはぐらかしたままでいる。
だからこそ絶対にリーザロットを裏切らないと断言できる人物ではある一方で、残念なことに、彼があからさまには協力できない立場ということも真実だった。
宮司は筋金入りの変態であると同時に、超一流の呪術師でもある。ジューダムと手を組んでいる危険な宗教団体「太母の護手」が駆使する大規模な呪術に対抗するには、彼の手が必要だとヴェルグが考えるのも無理からぬことなのだった。
で、だ。
残る一人、西の貴族・コンスタンティン。
個人的にはこの人が一番、なぜこの場に同席しているのか謎の人物だった。
テッサロスタへの遠征の折、魔導師のエレノアさんと一緒に竜の工面に手を貸してくれたことは覚えている。
だがそれは実のところ、蒼の主の「依代」となるためのアピールであった。
後にリーザロットから聞いた限りでは、あまり2人の関係はうまくいっていないという話だったが…………。
コンスタンティンはオールバックにバッチリ固めた髪をさりげなく掻き上げ、カラスのように狡猾かつ冷徹な眼差しを俺へ向けた。
露骨に睨まれているわけではないが、敵意に似た圧をひしと感じる。
彼は誰に問われるより先に、自ら言葉を発した。
「蒼姫様との個人的な事情により参加している。気に掛かるのであれば、身分を弁えた上で慎重に言葉を選び、蒼姫様にお尋ねするがいい」
ピクリと、わかりやすく眉を顰めた者は無かった。
いなかったが、その気配は複数の方向から同時に感じ取れた。
キツネ顔の騎士が野性味迸る目を瞬きもさせずギラつかせている傍ら、宮司は相変わらず水死体のよう。俺の隣のヤガミは涼しい面持ちで座を見つめている。
誰も口をきかず、やがてリーザロット本人が窮して話した。
「…………コンスタンティン様のお力添えには、大変深く感謝しております。…………一刻も早く主へのお目通りが叶うよう、私も努めて参ります」
コンスタンティンは視線だけ彼女の方へ向け、冷ややかに言った。
「敬称は不要ですと、何度申し上げたら?
ああ…………謝罪は結構です。それだけハッキリ仰ればそこの民共にもいい加減理解できたでしょうから。
それよりはやく話を戦に戻して頂けませんか? 私達には一刻の猶予もありません。おわかりでしょう」
嫌なヤツー。
何か嫌味の一つでもぶつけてやりたいが、じゃれている場合でないのも確かだ。
リーザロットは苦しそうに「はい」と呟き、話を切り上げた。
「それでは、決戦の計画についてお話しましょう。…………グレン」
目配せを受け取ったグレンが後を預かった。
変わらぬ七三分けのロマンスグレーに、白く爽やかに洗濯された衿付きのシャツ。ヘーゼルの理知的な瞳は落ち着いて、遠い灯台のように静かに輝いている。
まとうローブのちょっとした泥汚れが、彼の多忙をかろうじて匂わせていた。
「諸君、まずはこれを見ていただきたい」
老紳士は颯爽と卓上に立体地図を展開し、語り始めた。
「サン・ツイード南方に広がるこの大きな三角州。ここ一帯を、我々はエズワースと呼んでいる。歪み穴が多く、明確な境界線の存在しない、ある種の無法地帯だ。
テッサロスタが膠着状態に陥って以来、ジューダム軍はここに示す街道に沿って進軍し、東方区領の海岸線にまで至った。
ご覧の勢力図の通り、陸路での前線はさほど進んではいない。だが、問題は海上にある」
言いながらグレンが海を撫でると、洋上に黒い船のようなものがポツポツと姿を現した。
黒船はエズワースに向かってぐんぐん進んでいく。時折、海岸線から白い小舟や竜が飛び出してそれを迎え撃つが、黒船が放つ火矢によってあえなく全て焼き落されてしまった。
黒船達はスルスルと迎撃を潜り抜け、たちまちエズワース沖を囲い込むように並ぶ。
グレンは淡々と続けた。
「海岸沿いの騎士団、及び地元の魔術師達が奮闘してくれたが、やはりこの方面の守りが手薄であったことは否めない。ジューダム軍は「太母の護手」を先駆けに走らせ、魔海の内から次々と魔物を召喚し、戦闘に投入した。護手達にも多くの死者が出たが…………結局、エズワース沖は占領されてしまった。
現在は決戦に向けて睨み合いと、小競り合いの真っ最中だ」
グレンが眉間を険しくし、息を吐く。
彼は港付近の防衛策について専門的な話を一通り済ませた後、話をリーザロットに渡した。
リーザロットは居並ぶ黒船の内の一つを白く細い指で差し、桜色の唇を開いた。
「王に速攻をかけるには、まず居場所を知る必要があります。事前調査では、恐らくはこの船に乗っているのではないかと推測されています。
ですが、同時に私達を欺くための幻影であるという報告も上がっています。正確なことを掴むためには、今少し策を練る必要があるでしょう」
リーザロットの目がヤガミへと向く。
ヤガミはまるで考えが伝わってでもいるかのように、自分から話を始めた。
「そこは俺が協力しましょう。ジューダム王の魔力は、ここにいても強く感じる。その魔力の一部を利用することだって、今の俺には出来ます。
ただ、相手の正確な位置が知りたいとなると、今の状態では不足です。わざわざ向こうから俺に呼びかけでもしない限りは。
そこで…………」
続いた言葉は、とても彼らしく、それだけに安易な採択が躊躇われるものであった。
精鋭隊員達は一様に顔を顰め、グレンと西の貴族も難色を示した。リーザロットは答えかね、唇に指を添えて黙り込んでいる。(ただ一人、宮司だけが平然としていた)
俺は耐えきれず、ヤガミに怒りをぶつけた。
「お前、ナタリーに攻撃を仕掛けるって…………自分が何言っているかわかっているのか!? そもそも、彼女がどこにいるかすらわからないじゃないか!」
ヤガミは俺に目をくれ、あたかもずっと前からの知り合いであるみたいにナタリーについて語った。
「あの子が連れているあの大きな生き物…………白黒の、クジラみたいなヤツ。あれがお前を呼んでいる。だからお前が本気で耳を澄ませば、対話することは可能だろう」
「レヴィが? …………待て。お前、どうしてレヴィのこと知ってるんだ?」
「向こうの俺の魔力に触れる時に、あのクジラの歌が聞こえてくる。人間の声じゃうまく再現できないが…………不思議な歌だ。あのクジラが俺の力場の遠くを漂っているのが、ぼんやりと見える。
恐らく、王はあのクジラの力を利用しようとして、未だ飼い慣らせないでいるのだろう。ナタリー…………さんとの共力場がうまく編めていないんだ。俺は…………向こうの俺は、戸惑っている」
「戸惑っている? 何に? どうして?」
「…………さぁな。とにかく、ナタリーさんを見つけて、彼女とあのクジラの力場に大きな動揺をもたらすことができれば、俺は放っておけないってことさ」
ジューダム王のことを「俺」と呼ぶヤガミは、朔の夜に似た暗い目をしている。
ヤガミは、少なくとも表向きはサラリと、言い淀むことなく続けた。
「ただし、かなり危機的な状況を作る必要がある。でなければ、俺は動けない」
聞いていたクラウスが、口を挟んだ。
「「動けない」? 「動かない」ではなく?」
ヤガミは静かに彼を振り向き、話した。
「そう。より正しい言い方をするなら「動かせない」。
魔術師の方々は百も承知かと思いますが、ジューダム王が有する力場は2種類あります。
まず一つ、ジューダム軍の主力、ジューダム王が国民と作る超巨大な共力場。彼は常時、国民全員と共力場を編んでこの力場を維持し続けています。
それとは別に存在するのが、王個人の力場。…………それ自体が意思を持つ、王の魔力場」
ヤガミがフレイアを見る。
フレイアはチラチラと燃える紅玉色の瞳をパチリと弾かせ、弟子を見返した。
「私がどうかしましたか?」
「向こうの俺の魔力を引き込む中で、気付いたことがあるんです。俺には「動かせない」力場があるってことが。
それは丁度師匠の火蛇のように、自律的に動き、王を守っている。…………「顎門」と呼ばれる存在です」
「あのシロワニか」
俺がテッサロスタで見た巨大なサメについて言うと、ヤガミはこちらを振り返って尋ねた。
「通じるのか? シロワニで?」
「いや、わからん。けど、皆見たことはある。特に俺とフレイアはそれに襲われて、一緒にオースタン…………地球に逃げてきたんだ」
フレイアが、言葉を加えた。
「はい。確かにあれはジューダム王の獣型の魔力でした。私の火蛇とは違い、あちらは恐ろしげな魔獣じみた姿でしたが…………同じと言えば、同じものでしょう」
「二匹の火炎逆巻く白蛇」は恐ろしげな魔獣ではないのだろうか。
ともかく、ヤガミは再びクラウスに話をした。
「どうしてこのような複雑な状況が生じているのかは、俺の与り知る所ではありません。けれど確かなのは、この「顎門」が王の居所を知る唯一の手掛かりになるということです。
王が国民と織りなす公の力場からでは、王の位置はわからない。さらに惑わせるような仕掛けを施している可能性だって十分にある。
だがこの「顎門」。個の力場の方は、そうはいかない。師匠の火蛇と同様に、王自身にも制御しきれない部分があるからです」
「制御できない? 私が未熟と申したいのですか!?」
「違います師匠、その話はまた後で。…………しかし、王の力が及ばないということは、俺の力も及ばないということ。それでもどうにかして「顎門」を動かさねばならない。ならばどうするか?」
ヤガミは一同に視線を巡らせ、提案を繰り返した。
「動かさざるを得ない状況を作る。憐憫か打算か、あるいは別の情かは知らないが、俺はナタリーさんを見殺しに出来ない。彼女の危機となれば、「顎門」を使ってでも阻止しに来るだろう。それを利用して、王をおびき出す」
沈黙が流れる。
理屈は理解しても、受け入れがたいことには変わりない。
しばしの後、グレンが静かに言った。
「…………ヤガミ君。良い策だ」
「グレン様!?」
フレイアとクラウスが身を乗り出し、グレンに訴える。
グレンは落ち着いた調子で、言葉を続けた。
「君でなければ、そのような手は決して思いつかなかっただろう。よくぞ言ってくれた。…………すまない」
ヤガミは濃く霞んだ灰青色の瞳で、冷静に相手を見つめ返している。
その横顔はほとんど彫刻のようで、ひどく冷たく見えた。
グレンはリーザロットへ眼差しを移すと、穏やかに聞いた。
「蒼姫様。…………どう思われますか?」
リーザロットは皆の視線の真ん中で、ポツリとこぼした。
「…………休憩にしましょう。その後で、お答えします」
グレンが畏まって礼をする。
決断はもう成されていることを、誰もが感じていた。
ただ、もうほんの少し時が必要だった。
くるみ割り人形が淹れてくれた茶を飲み干し、窓の外に目をやる。
今朝から立ち込めていた雲が、いつしかどんよりと重く垂れ下がってきていた。
曇り空の下に広がる街は普段通り淡くカラフルで、まだ取り込まれていない洗濯物がのどかに風に吹かれていた。




