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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
影の、その奥へ……
30/411

16-2、魂の帰る場所。俺が雪に交じって風となること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳、ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 だが魔法に不慣れなフレイアは時空の移動に失敗してしまい、俺たちは誤って別の国へ飛んでしまう。

 そうして辿り着いたのは、影の国。

 俺は仲間の魔導師、ツーちゃんの魔術によって竜に姿を変え、フレイアとともに敵の使い魔・銀騎士に挑んだものの、不意を突かれて水底に沈められてしまい…………。

 ――――…………あやとりの紐が擦れ合う音よりも、もっと柔らかく。

 真夏のそよ風が芝生を揺らすよりも、遥かに慎ましく。

 柔らかで豊かな毛布の上に針がひとつ、落ちる。

 俺はそこから百万光年先の暗い銀河の端にいる。誰に知られることもなく滑っていく流れ星を眺めながら、針の跳ねる音に耳を澄ませている。


 さらに集中していくと、女性の呟く声が聞こえてきた。

 少し懐かしい感じの、低い声だった。まるで歌うみたいに語尾が縷々と伸びていく、俺の知らない言葉。

 辺りを取り巻いていた深い銀河はいつしか、眩いオレンジや白の小さな明かりたちによって、すっかり温かく彩られていた。


 気付けば俺は、暖炉のある古い家の中に立ち尽くしていた。部屋の奥には粗末な台所があって、その手前には木のテーブルが置かれていた。食卓には銀色の食器が4組、用意されている。

 誰かの祈る声がひっそりと響いている。先の女の人の声だ。

 幼い子供たちの声がそれに続く。


 俺はちっぽけな具の浮いたスープを見つめ、それから女性と子供たちの顔を眺めた。大人しい、ごく真面目そうな家族だった。

 二人の子供のうち、男の子の方は退屈そうに足をぶらぶらとさせていたが、女の子の方は母親の真似をして、行儀良く手を胸の前に組んでいた。


 テーブルの真ん中に灯された蝋燭の明かりが隙間風に煽られて、一際鮮やかに、赤く美しく揺らぐ。

 窓の外は一面、深い夜の闇に覆われていた。近所に家らしきものは見当たらず、刺々とした冷たい森ばかりが辺りを包んでいた。


 俺はぼんやりと森を見ながら、つい今しがた自分が浸っていた遠い銀河を思い起こしていた。あの途方も無い暗闇は、実はこの森と同じなんじゃないかって、しみじみと感じた。

 あの家族は誰だろう。

 ここはどこだろう。

 俺は――――…………。


「コウ、その騎士をテーブルへ連れて来い。もう夕時だ。帰してやろう」


 ふいに聞き知った幼い声を耳にして、俺はハッと目を瞬かせた。


「え? あれ?」


 俺は慌てて自らの身体を眺め回した。

 赤らんだ白い肌の、毛深く逞しい男性の腕が見える。俺のヒョロ腕とは明らかに迫力が違っていた。

 俺は不思議な勘で、自分がさっきまで戦っていた銀騎士の身体の内にいるということを悟った。俺は(というより、騎士は)は、中世農民風の粗末な服装を纏い、分厚い動物の皮でできたブーツを履いていた。


「戸惑うことはない。術は成功だ。貴様の霊体を媒介に、騎士の魂と彼の家族の魂とをここに一時的に降ろしている。子供たちの魂がお前を父親と勘違いしていたから、案外すんなりハマったぞ」


 俺は脳裏に響くツーちゃんの声に、困惑した。


「…………どういうこと? あの、俺はどこで、どうなっているの? ていうか、ツーちゃんは今、どこから話し掛けてきているわけ? そもそも、俺はここでこんな風に話していても大丈夫なの?」


 ツーちゃんは盛大な溜息を吐くと、顔が透けて見えてくるかのような、わかりやすい呆れ声で応じた。


「私は今、貯水池のほとりにおる。相手に対抗できるだけの魔法陣がようやく完成したので、こうして貴様とも交信が可能となった。まぁ、いつまでもこの気脈を支配できるわけではないがな。

 貴様の霊体は現在、騎士らの魂がたゆたう魔力の「場」としての役割を担っておる。「場」であるからして、貴様自身の姿は彼らからは見えぬし、声も聞こえぬ。例えるなら、彼らは引き合う磁石。お前は磁石の引き合う力だ。もっと正確に言うならば…………」

「待って、さっぱりわからない」

「フン、だろうな」


 ツーちゃんは使い終わったちり紙を丸めるみたいな、素っ気ない調子で続けた。


「まったく。貴様がしょうもない危機に陥っておるから、急ぎ駆けつけてやったというのに。この私に礼の一つもないとは、本当に貴様には恐れ入る。

 それはともかくとして、コウ。どうして貴様は最初から助けを求めなかった? 「上」でフレイアが色を失っておるぞ。まさか自分ひとりで何とかできるとでも思ったのか? このように独断で行動するぐらいなら、なまじ意思疎通など出来ぬ方がマシというものだぞ」

「うぅ…………スミマセン」


 俺は返す言葉もなく項垂れた。

 別に思い上がっていたつもりはなかったけれど、もっと早くに助けを頼むべきだったのは確かだった。


 ちなみに項垂れたとは言っても、実際に騎士の身体が項垂れたというわけではない。騎士の身体はあくまでも騎士のもので、俺は幽霊のように彼の中から彼を見ているに過ぎなかった。

 最初に身体を見回した時のように、ほんの少しなら俺の意思でも動かせるみたいだが、それはどちらかと言えば、騎士の注意を何となくどこかへ向かわせられるといった程度のことらしい。


「フン、うつけめが。先が思いやられるわ」


 ツーちゃんはさっくり吐き捨てると、次いで言った。


「とにかく、はやくその騎士を家族の元へやれ。こちらもあまり時間がないのだ」

「あぁ、うん。わかったよ」


 俺は急かされつつ、再度視線をテーブルの方へ向けた。すると騎士の意識が同じ方へ向かう。

 騎士の身体がゆっくりとそちらへ動きだすと、俺の意識は背後霊よろしく彼の大きな背中を見つめるかたちとなった。


 それから騎士は…………父親は、自ずから俺らと家族との間にある透明なカーテンをくぐって、家へと帰っていった。

 子供たちと母親の表情がたちまち変わる。驚きと喜びの入り混じったその笑顔は、何にも例えようが無いほどに眩しかった。

 俺の知らない言葉で叫ばれる、子ども達の歓声。母親の泣き声。俺の胸はジンと熱くなって痛いぐらいだった。


「パパ!」


 娘が活き活きとした顔で、騎士の首筋に抱きついた。息子の方はまだ若干照れているのか、騎士の足元に掴まって、もじもじと俯いていた。騎士の武骨な大きな手が、そんな彼の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。


「コウ、もう行くぞ」


 ツーちゃんに呼ばれた時、俺は家の外に立っていた。

 粉雪の舞う夜空には月も星も無い。ただただ際限の無い森の暗闇だけが、茫漠と俺たちの周りに広がっていた。

 ツーちゃんはいつもの赤いワンピースに、上等だが重たそうなダッフルコートを羽織ったのみの寒々しい姿で立っていた。


 俺はツーちゃんに連れられ、森の中へ歩き出した。今やすっかり身体は俺自身のものに戻っていた。だんだんと遠ざかっていく背後の家の窓からは、一家団欒の明かりが儚く漏れ出ていた。


 途中でふと足元を見下ろしてみたら、身体が徐々に金色の粉となって散っていくのが目に入った。


「うわっ!! こ、これ、どういう状況!?」


 動転して俺が尋ねると、ツーちゃんは前を向いたまま感慨深げに答えた。


「術のフィナーレだ。何度経験しても寂しいものだ」

「えーと、そうじゃなくてさ…………っ」

「わかっておる。…………実のところ、これは一種の応急処置だ。彼らは穢された身であり、容易には救われぬ。それこそ囚われでない私の真の力をもってしても、一朝一夕に成し得るものではない。

 ゆえに、私はお前とトレンデの魔力を利用して、闇の中に彼らの一時的な避難所を作ったわけだ。彼らはあの家の中で、遠い過去に浸り、終らない安らかな夜を過ごし続けることで魂を鎮める。そしてしばらくは、大人しくしていることだろう」

「しばらく? あれでハッピーエンドじゃないの? っていうか、俺の身体が…………」

「ハッピーエンド。…………貴様は本当にそう思うのか?」


 俺が答えあぐねて黙っていると、ツーちゃんは「フン」と小さく鼻息を吐いた後、独り言のように言葉を継ぎ足した。こちらを振り向くことはなかった。


「あれでは、いつまで経っても真の浄化には繋がらぬ。先にも話したが、人の業は途方もなく深い。誰でも、いつかは明日を見たがるものだ。楽しい昨日を捨て、永久の安寧を、幻と勝手に断じて」

「…………」


 俺が言うべき言葉を探しているうちに、身体は吹き抜けた強風に晒されて一層パラパラと勢いよく、胸に迫るぐらいまで崩れてしまった。俺はギョッとしたが、ツーちゃんは首だけ振り返ってそんな俺を見やり、口の端を曲げて言った。


「貴様と騎士の親和性が高いから、できた術だぞ」

「へ? 似てなかっただろう、ちっとも」


 ツーちゃんは俺を相手にしてないのか、凍えた手を擦り合わせつつ続けた。


「本当に貴様は妙な奴だよ。バカみたいに能天気なのに、どうしてこんなにこの術と上手く組み合うのか。貴様の共力場への順応性も、並では無かった」


 最早首だけになった俺は、あわあわと必死に口を動かした。だが努力虚しく、身体は加速度的に粉に変わっていく。俺は文字通り縋る術も無く、目一杯に首を伸ばしてツーちゃんに助けを求めた。


「ちょっ、もうちょっと! 待ってほしいんだけど! 説明!!」

「精神の可塑性の問題か? 児童並みなのかもしれぬ」


 ツーちゃんの何か失礼な呟きが響く中、俺は限界まで首を伸ばし、もがいた。


「ツーちゃん、これ…………!」

「「上」で会おう、コウ」


 ツーちゃんはひらりとコートを翻すと、俺を残してひとり森の奥へと歩き去って行った。

 それから俺は瞬く間に金色の風となった。

 細かな雪と一緒に、俺の意識は暗い夜空へと舞い上がり、散り散りに吹き飛ばされていった。

 いつになく自由な心の広がりが、夜の闇さえもスルスルと覆っていく。とても気持ち良く、そして途轍もなく心許ない経験だった。

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