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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第12章】玉座に吠える
297/411

137、待ちに待った帰還。嵐の前の静けさ。俺が思い焦がれていた彼の地にダイブすること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会いを経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。

 その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。

 大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。

 そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ……ジューダム王の肉体を連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むため、中立国・スレーンへ同盟を持ちかけに向かう。

 スレーンの頭領・シスイとの決闘に勝利し、晴れて同盟を結んだ俺達は、いよいよサンラインへと帰国する。

「おかえりなさいませ、蒼姫様! コウ様!」


 館に帰ってきた俺達を待ち構えていたように、クラウスが出迎えた。

 もう日も暮れてだいぶ経つというのに、一体いつから張っていたのだろう。

 彼はフレイアとヤガミにもおざなりな挨拶を済ますと、素早くリーザロットの隣へ並び、歩きながら話を始めた。


「無事にお戻りになられて何よりです、蒼姫様! ご出国はまだ露見していないとはいえ、今は竜の発着が非常に厳しくなっていますからね。竜でお戻りになると一足早くタリスカ様から伺った時には、どうしたものかと焦りましたよ!」


 俺はすっかり失念して喜んでいたのだが、確かに彼の言う通り、着陸には少々手間がかかった。そもそもなぜ陸路でスレーンへ旅立ったかという話である。

 リーザロットは微笑み、尻尾を千切れんばかりに振っている(比喩だが、キツネの顔だとどうしてもそんな幻が見える)若き忠犬に、丁寧に礼を述べた。


「ありがとうございます、クラウス。貴方のおかげで、随分と円滑に物事が運びました。例の哨戒役のご友人の方にも、感謝を伝えておいてください」

「いやぁ、常々恩は売っておくものだなと思いました。あの男、恐ろしく好みにうるさいんですけど、辛抱強く店を探してやった甲斐がありましたよ」

「また女の子のお店ですか?」

「それなら話は早かったんですけど、実はアイツ…………まぁ、このお話は今は止しましょう。

 それより、西方区総領主様にもぜひご挨拶をお願いします。あの方には大変お世話になりました。彼の発着場が使えなくては、竜を匿うこともできませんでしたから」

「そうね…………」

「気まずいようでしたら、私もご一緒いたします」

「…………ありがとう」


 書斎に戻ってくると、普段と変わらぬくるみ割り人形達がごく普段通りに俺達を迎え入れ、粛々とお茶の支度をし始めた。彼らばかりは、散歩から帰った時とまるで同じだな。かえって安心できる。

 館に付いてからずっと辺りを見回していたフレイアが、クラウスに尋ねた。


「あの…………アカネ様は、今はどちらに?」


 そういえば、もう寝てしまったのだろうか。

 クラウスは小さく首を振り、申し訳なさそうに俺を見て答えた。


「実は、もう何日も部屋から出てこられないのです。ひどく塞ぎ込んでいらっしゃって、何もお話してくださらず…………。コウ様のお帰りを待ちわびていた次第です」

「何かあったの? …………っていうか、君か? 君が何かしたのか!?」


 俺の問い詰めに、クラウスは肩を縮めた。


「どうして私が出てくるんです? まだ何もしていません!」

「まだだと!?」

「確かに魅力的なご婦人をすぐにお誘いしないのは大変失礼にあたりますが、私もずっとエズワースに出ていて暇が無かったのです!」

「誘うんじゃない!! じゃあ誰が一緒にいたんだ? どうして誰も…………」


 言いかけて、その先は俺に言えたことじゃないと口を噤んだ。

 誰もも何も、一番気に掛けてやらなくちゃならなかったのは俺じゃないか。

 右も左もわからない異世界にいきなり放りだされて、お前が世界を壊しただの命運を握る「勇者」だのと立て続けに言われて、ろくに話し相手もいない中、引きこもりたくなるのなんて、あまりに当然のことだった。

 ヤガミが俺の肩に手を置き、言った。


「コウ、仕方が無い。誰のせいでもないさ。後で話しに行こう」

「お前も来るのか?」

「お前だけで行っても、またスレーンに出発する前みたいに「何でもない」っつって追い返されるのが目に見えている」

「…………だな」


 思えば、あの時からあーちゃんは落ち込んでいた。あの時、もう少し気を使えていたら良かったのか…………。

 フレイアが心配そうに見守っているので、俺は声を掛けた。


「ごめん、フレイア。君にまで気を使わせちゃって」

「いえ…………。フレイアではあまりお力になれませんので、申し訳無く」

「大丈夫。俺達で何とかするよ」


 とはいえ、どうしたものか。

 「そういえば」と、ヤガミがリーザロットを振り返った。


「タリスカさんはどこへ? 先に行っていると消えたきりですが」

「さぁ。…………クラウスは何か聞いていますか?」

「いえ、いつも通りのご様子でしたので」

「そう」


 リーザロットの態度はすげない。

 スレーンでの黒矢蜂退治が未だに尾を引いていると見える。

 まったく、大人ってのはどうしてこう誰も彼も自分勝手なのか…………。

 リーザロットは黒く艶めく髪を耳に掻き上げ、皆に話した。


「今晩は各々旅の疲れを癒し、明日また今後について話し合いましょう。グレンや、他に協力してくださる方々にはすでに連絡してあります。

 皆、本当にお疲れ様でした。…………本当に、ありがとう」


 リーザロットが恭しく胸に手を当てる。

 これからが本番とはいえ、人心地つけるのは安心だ。


 俺達はお茶を飲みきった後、それぞれ部屋に戻ることになった。

 このことの重大さは余人にはわかるまい。

 そう、ついに…………ついに!

 人間のベッドで眠れるのだ…………!



「そんなに嬉しいか? スレーンにも布団はあっただろ?」


 くるみ割り人形に案内される道すがら、ヤガミが呟く。

 俺は呑気に欠伸なんざしている親友を睨みつけ、即座に怒鳴った。


「お前! 俺がどこで寝ていたのか、もう忘れたのか? …………厩舎だぞ! 干し草の寝心地、隣の竜のいびき、生温くなった水、もわんと漂うフンの匂い…………お前は何にも知らないんだ!」

「結構良いって言ってたじゃねぇか。あと俺、思ったんだが、お前人間に戻る意味あったのかよ? ぶっちゃけ竜のままのが強くなかったか?」

「俺にも人の尊厳ってものがあるんだ! 大体、あんまり長くあのままでいたら名残が残るって、お前は聞いていなかったのか!?」

「別にいいだろう。世界の命運と比べたら、お前のナニがどんなだって。勲章みたいなもんだろうが」

「本気か? 本気で言ってんのか、お前!? じゃあお前が変わってみろよ! お前がサメにでも何にでもなればいい! サメのがどんなのか知らないけどな!」

「わかった、わかった。悪かったよ。

 …………っつぅか、マジで強化術使えなかったのな、お前。未だに信じられないぜ。それで今までどうやって生き残ってこれたんだ?」

「俺が知りたいぐらいさ」

「使わないだけかと思ってた。どうして誰にも教わらなかったんだ?」

「…………付け焼刃は良くないって、誰かが言ってた」


 教えてもらえなかったとは、何だか言いづらい。

 ヤガミは特に気に掛けず、腕を組んで言った。


「まぁ、それも一理あるな。俺もすでに何回死にかけているかわからない」

「…………本当に死ぬなよ、頼むから」


 口にするとかえって怖くなる。コイツならいつか本当に、ふらっと止める間も無く向こう側へ飛んで行きかねない。

 ヤガミは人の気も知らず、生返事で相変わらず呑気に窓の外を眺めていた。


「この窓、確か壁向きだったはずだよな? 一体どこの空が見えているんだろうなあ? もしかしてあっちも異世界か?」


 面白がって笑う笑顔は、屈託無く、無邪気だ。

 俺は溜息を吐き、


「…………とにかく、俺はこのままやるからいいんだ!」


 と、まだ何か言いたげなヤガミを仕草で突っぱね、足を速くした。

 そうして部屋の扉に手を掛けた俺を、ヤガミが引き止めた。


「あ。待て、コウ」

「何だよ?」

「…………そのさ」

「何だ?」

「…………」


 ヤガミは少し言い淀み、それから首を振った。


「いや、やっぱいいや」

「何だよ、らしくねぇな。怒ってないから言えよ」

「怒ってたのか? …………まぁ、本当に大したことじゃないんだ。…………じゃあな」


 ヤガミが背を向けて去っていく。

 妙な感じだ。何だったんだ?

 さては鼻毛でも出ていたか。どうせ寝る前に鏡を見るだろうからと、中途半端に思いやられたか。


 部屋に戻るなり、俺は服をポイポイと脱ぎ捨て、相思相愛の運命の相手とついに再会したかの如くベッドへと身を投げ出した。


 ベッドって間違いなく魔物だ。真っ白いシーツから漂うほのかな石鹸の香りが、心を優しくすみやかに清めていく。深く濃い眠りへと俺を誘う何かが、ここには確かに宿っている。

 急速に眠りに落ちかけたところで、部屋の戸がノックされた。


「…………ヤガミ?」


 全く、引き返してくるぐらいならどうしてさっき言わなかったのか。

 やれやれとパンツのまま戸を開けると、そこにはオオカミ頭の大男が鎧姿で立っていた。


「げっ…………グラーゼイ、さん」


 しまった、うっかり本音がこぼれた。

 いや、だって、何でいるんだよ? 俺に何の用があるんだ。

 グラーゼイは元より険しい眉間をさらにきつく厳めしく寄せ、低く静かな口調で、丁寧に言った。


「お休みのところ失礼致します、ミナセ殿。…………僭越ながら、お頼み申し上げたいことがございまして伺いました」


 頼み事だと?

 コイツが? 俺に?

 警戒しつつ、俺は受け答えを進めた。


「な、何でしょうか?」

「これを」


 ぬっと、オオカミ男が差し出してきた手には、何やらやけに上等そうな木箱が収まっていた。

 シンプルで品のある花の装飾が可愛らしく施されているが、グラーゼイが渡してくるとなると不気味なことこの上ない。

 俺は訝しみながら、そっと箱を受け取った。


「…………これは?」


 グラーゼイは厳かな調子を崩さず答えた。


「勇者殿に渡して頂きたく」

「え…………? 俺に?」

「いいえ。恐れながら貴方はもう「勇者」ではございません。…………アカネ殿に、です」

「…………。何で、ですか?」

「外出の折の埋め合わせにと、お伝えください」

「外出って…………何かあったんですか?」

「対処済みです。気に掛けて頂くことは何一つございません」

「…………。ちなみに、中身は?」

「勇者殿にお尋ねください」


 お前には関係無いと、強い圧力を感じる。

 オオカミ野郎の金色の瞳は固く冷たく、あまりにいつも通り揺るぎない。こんなものに護衛に立たれたんじゃ、あーちゃんも堪ったもんじゃなかったろう。

 俺は不承不承、仔細の一切わからぬ届け物を承諾した。


「わかりました。早速今夜、渡しておきます」

「感謝致します。…………勇者殿にどうぞよろしくお伝えください。失礼致します」


 言うなりグラーゼイは振り返らず、ずかずかと廊下を歩んでいった。


 扉を閉じた俺は渡された箱を左右上下から満遍なく眺め回し、蓋に手を掛けかけて思い留まった。

 ダメだ。

 あーちゃんからの信用をこれ以上損なうわけにはいかない、絶対に。

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