129-4、サンラインの空は荒れ模様。俺が臆病者の夢を見ること。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ……ジューダム王の肉体を連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むため、中立国・スレーンへ同盟を持ちかけに向かうのだった。
どのくらい経っただろう。
フレイアはいつしか泣き止んで、静かに俺の胴に身体を預けていた。
眠ってこそいないけれど、とても疲れて、擦り切れている。
フレイアが覚束ない足取りで立ち上がろうとしたので、俺は彼女を身体で支えつつ尋ねた。
「もう行くのかい?」
フレイアが何も言わずに俺を見下ろす。逆光の中で、瞳の色は完全に埋もれていた。
彼女は少し目を細め、いつもより一層掠れた声で呟いた。
「ヤガミ様と蒼姫様のご様子も気になりますので…………そろそろ失礼いたします」
「大丈夫?」
「はい。ありがとうございます。…………ご迷惑をお掛けしました」
「迷惑なんて。俺の方こそ…………追い詰めてしまって、ごめん。…………自分勝手だったよ」
フレイアは弱々しく首を振り、あまり器用でない笑みを白い顔に浮かべた。
「いいえ。コウ様のせいではありません。私の…………幼稚な八つ当たりでした。…………あまり気にしないでいただけると幸いです」
それはさすがに無理だろうと思いつつも、今は何も言わないでおく。ようやく落ち着いたのを、わざわざ蒸し返すこともない。何か話すにしたって、後にした方がいい。
フレイアはしばらく竜房の柵の前で立ちつくしていたが、やがて柵をくぐって外へ出た。
「それでは、コウ様。おやすみなさい」
最後の言葉のとても優しいのが、なぜかとても胸に刺さった。
フレイアの眼差しがスッと小屋の外へと投げ出されるのを、俺は心細く見守っていた。
何も言えないのがもどかしく、叫ぶことすらできないのがさらに気まずかった。
「おやすみ、フレイア」
フレイアが振り返って手を挙げる。
細い背はやはりどこか覚束ない足取りで、静かに去っていった。
フレイアが小屋から出ていく際に、彼女の足音とは明らかに別な物音がしたけれど、大方隣の房の竜が寝返りをうったか何かだろう。
その晩、俺は不思議なくらいよく眠った。
ワンダみたいに小さく丸まって、フレイアの温もりを思い出しながら微睡んでいたら、するすると滑り台を降りるように、滑らかに眠りの世界へと落ちていった。
途中、誰かが様子を見に来たような気がしたが、夢だったかもしれない。
その人はまるで怖がりの子がよくするみたいに、柵の向こうから目一杯に手を伸ばしてちょんと俺の鼻先を突いて、すぐに手を引っ込めた。
この竜の里で、そんなことをする人間が果たして一人でもいるだろうか?
だから多分、あれはビビりな俺の深層意識が見せた、臆病でガキな俺自身の姿だったに違いない。
次にしっかりと目を覚ました時には、すっかり日が昇っていた。
「よう」
真っ先に迎えにやって来たのは、ヤガミだった。
「おう、おはよ。身体、平気か?」
尋ねる俺に、ヤガミは元気と生意気ががっしり肩を組んだ、健康優良児そのものの笑顔で答えた。
「ああ、心配かけた。もう大丈夫だ」
「そっか、良かった。…………リーザロットは?」
「…………うん、彼女も元気だ。かなり世話になった。今朝は白露の宮で休んでいる」
回答直前のコンマ1秒の間を幼馴染は見逃さない。
いかにも「平常運転です」という面付きだが、俺にはピンときた。
野暮と知りつつ、俺は果敢に突っ込んだ。
それはあるいはサンラインの平和にとって、非常に重要なことだった。
「リーザロットと何かあった?」
「…………何かって、例えば?」
ヤガミの目つきに不良少年の光がキラリと差す。
この程度で引き下がるぐらいなら、元より友達やってない。
俺は躊躇いなく攻め込んだ。
「共力場、編んだな?」
「…………」
ヤガミが腰に手を当て、眉間を険しくして窓の外を見やる。渋面の奥に、塩ひとつまみ分の動揺が見て取れる。
彼は竜房の柵を外して腕を組み、俺に言った。
「それって、一見してわかることなのか?」
「つまり、答えはイエス」
「…………この世界じゃよくあることだろう」
「段階と色合いがあることを、今のお前は知っているはずだ」
「…………」
ヤガミが複雑な表情で、柵を閉めて俺を外へと促す。
彼はいかにもバツが悪そうに、こう漏らした。
「まぁ…………キツネ君に知られたら串刺し待ったなしってところかな?」
「他には?」
「…………別に、何も。そもそも共力場を編んだのだって、あくまで治療の過程の話だし」
コイツ、まだ何か隠しているな?
疑惑の眼差しを華麗にスルーして、ヤガミは爽やかに言った。
「それより、今朝も今朝とて修行だ。何でか知らないが、フレイア師匠が燃えに燃えている。今日こそ鍛え殺されるかもしれない。
お前こそ、何か知らないか?」
俺は
「さぁ」
と短く答え、スパルタに備えて首と翼を柔軟体操がてらにゆっくりと伸ばした。
フレイア、今日も荒れているようで何よりというか、なんというか…………。




