125-2、赤き鬼との激闘。俺がヤガミと共に旋風を巻き起こすこと。(前編)
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ……ジューダム王の肉体を連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むため、中立国・スレーンへ同盟を持ちかけに向かうのだった。
「我こそはスレーンの守護鬼、防人・アードベグ!!
勇者、魔王、何人たりともこの刃、くぐらせはせぬ!!
いざ、尋常に…………勝負ッッッ!!」
――――――――…………敵うはずもない。
だが、やらねばならない――――――――!
肉体は所詮魂の抜け殻に過ぎないと、そんなことをタカシに言ったらきっと光よりも速く飛び出してきて俺に鉄拳を食らわせるだろう。
それでも、肉体には微量の魔力が宿っている。
それは俺達もまた世界の気脈の一端であるからだと、誰から聞いたんだったか…………それともどこかで痛い目を見て思い知ったんだかわからないが、いずれにせよ今の俺達にも戦う手段はあるってことだ。
――――しかしだなぁ…………。
顔を出しかけた弱気を、刃のぶつかり合う冷たい音が弾き飛ばした。
「コウ!」
ヤガミに容赦無く怒鳴りつけられて、俺は今、この瞬間に気を集中する。
いかん。このままじゃマジでヤガミが死ぬ。
相手は鬼だ。人間じゃ長くは持ちこたえられない。
――――――――…………。
じんわりと、水がしみるようにヤガミの魔力が俺へ溶け込んでくる。
ジューダム王のアイツの魔力もこうなのだろうか。
それは本当に水のようで、気付けば自分自身の魔力を味わっているだけになる。
ジューダムの力場はこんな風に出来上がっているのかもしれない。あのたくさんの腕が織り成す、うねり蠢く巨大な渦の力場は、きっと一つの同じものに浸された無数の力場の集合体なのだ。
今、恐らくは本来の透明さだけを残したヤガミの魔力は、至極掴みどころのないものだった。
追いかけても追いかけても、気付けば自分自身を手探っている。
扉を探そうにも、感じるのは俺の扉ばかり。
だが、タリスカの修行で共に戦っているうちに、俺には何となくわかるようになってきていた。
アイツは俺とは違う。
当たり前のことだが、それが肝心だった。
――――――――…………。
もっと深く、息を吐いて集中する。
どこからか水の走る音が聞こえてくる。
ほんのせせらぎ程度の勢いだったそれは、次第に樹々のざわめきと渓谷を抜ける強い風のうなりを纏って、激しい気脈の水流へと変わっていった。
凍てつくように冷たい。
スレーンの山脈を駆ける激流は俺をどこまでも深くへと引き摺り込んでいく。
水路が、大地をみるみる削っていく。
山肌の崩れる轟音が頭蓋に響き渡り、押し潰されるような痛みが全身の骨を打った。
「――――――――ッ…………!!!」
大渦をなして濁流が迫りくる。
土砂まみれの水が逆巻き、大飛沫を上げる。
粉砕された礫石が皮膚を乱れ打ち、破く。
氾濫した気脈は一匹の大蛇となり、たちまち俺を丸呑みにした。
…………未知の獣の咆哮が、鼓膜を、血管を、神経の全てを引き千切る。
喉から血がどっと溢れる。
熱い。
冷たい。
滲んでいく。
恐怖と一瞬の安寧の誘惑を振り払って、俺は叫んだ。
「――――…………セイ!」
水面にけぶる霧のような灰青色の瞳が、ふいに晴れる。
刹那、振り被った彼の刃に岩石を孕んだ濁流が渦巻き、今一度鬼の大薙刀と衝突した。
巨大な薙刀の刃がこぼれ、弾け飛ぶ。
「…………ホゥッ!?」
アードベグがあからさまな喜色を浮かべる。
ヤガミは刃を滑らせて薙刀をいなし、赤鬼の顎を斬った。
ほんの、薄皮一枚。
アードベグは身体を逸らして躱したついでに、薙刀の切っ先をヤガミの額へと突き出した。ヤガミが咄嗟に横へと身体を捩じる。こめかみを覆っていた栗色の髪がパッと夜空に舞い、鮮やかな血飛沫が上がった。
「ヤガミ、血が!」
「構うか! 油断すんじゃねぇ! もっと力を寄越せ!!」
次いでアードベグがぐんと大きく薙刀を振り回したのを、ヤガミは身を転がして避けた。起き上がりに即座に剣を構え直す。
岩石渦巻く濁流は刃の上で不安定に揺れながら、彼の血と泥にまみれた頬へ濁った飛沫を飛ばしている。
間髪入れずアードベグが突撃してくる。
俺は再び目を瞑り、地面に掌を強く押し付けた。
細かな砂利が掌にぶちぶち食い込む。
氾濫する気脈の大河の轟音が聞こえてくる――――――――…………。
…………水。
…………血。
…………泥。
獣の咆哮が気脈全体を絶えず震わしている。
耳を覆っても無駄だ。
この声はきっと、竜の声だから。
この地に息づく竜達の魂の叫び。
命の燃え盛る音。
血脈が大地を割り、力強く根付く音。
…………すっかり冷たく凍えた身体は、痛みを感じなかった。
ひたすらに頭に反響するのは、濁流の唸り。そして竜の咆哮。
何を掴めばいい?
扉はまだ見つかるか?
もっともっともっと透明に、空っぽにならなくては――――――――…………!
――――――――…………。
…………鳴かない竜が、いた。
他の竜達の叫びに耳を澄ませ、じっとしている。
まるで静かな泉のほとりで羽を休ませるかのように、穏やかに奔流に身を浸している。
孤独で気高い眼差し。
俺を見ている。
四角い逆鱗の白いきらめきが、脳裏にチラついた。
命の喧騒が臨界点を超え、鼓膜の破けるような静寂が訪れる。
永遠を思わせる長く短い沈黙が流れ、声が滴り落ちた。
――――…………行け、竜の縁者よ。
荘厳な白竜の飛び立つ姿が蜃気楼となって眼前に浮かび上がる。
幻は瞬く間に月の眩い光の中へと溶けていった。
――――――――…………風の囁きを感じて、俺は我に返った。
今だ。
来る。
今しかない!
「――――――――セイ!!!」
俺の呼び声に重なって、ヤガミの声が響いた。
「ああ!!!」
直後、アードベグの攻撃を受けたヤガミを囲って大きな竜巻が巻き起こった。
彼の刃を覆っていた濁流が湧き起こる端からぐんぐんと吸い上げられ、さらには辺りの岩をも巻き込んで、凄まじい規模となる。
ヤガミが剣を振り被ると、誘われて竜巻が踊った。
「行け――――――――ッッッ!!!!!」
気付けば夢中で俺達は叫んでいた。
アードベグの銀の瞳が今までにない鋭い輝きを放つ。竜のそれにも劣らぬ力強い雄叫びと共に、彼は真っ向から薙刀を振り下ろした。
衝突。
壮絶な地響きがスレーンの里に轟く。
竜巻がバックリと垂直に割れ、激しい風が荒野を吹き抜けた。
後編は明日投稿予定です。




