119-4、あの子の瞳に誰もいない。俺が次なる旅の目的地を定めること。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ。なんと、ジューダム王の肉体。
彼らを連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むための準備を進めるのだった。
フレイアが俺と口を利かなくなってから早6日。
俺とリーザロットとヤガミの協力者探しは、この日、一旦の区切りを迎えた。
大きな成果をまとめると、サモワールのオーナーからは魔術師を、霊ノ宮の宮司からは竜と呪術のサポートを、そして西方区領主・コンスタンティンからは資金援助をと、難航しながらも、まずまず結果であった。
総司教の力にも頼れたら心強かったが、元々未来なんてのは虚ろなものだ。何が待っているにせよ、ここは女子高生の気分一つで全てがひっくり返されてしまいかねない、不安定な世界なのだ。
予知なんて所詮、占いみたいなものだ。気にし過ぎちゃいけない。
優しいお爺さんの寿命を縮めずとも、やりようはある。
ちなみに、彼らの他に訪ねた先には、錬金組合長、ヒイロ地区自警団、翠の主とエレノアさんの所があった。
だが残念ながら、この辺りの成果は芳しくなかった。
まず錬金組合だが、ここはテッサロスタで甚大な被害を受けたということで、最早和平などという雰囲気では全くなくなっていた。
組合長を始め、多くの組合員はジューダムとの全面戦争を強く支持しており、今回の件をきっかけにヴェルグの軍に新たに加わった者も大勢いるとのことだった。
何せ、彼らが失ったものは工場や鉱山、製品だけではない。多くの熟練した技師もまた大勢失われたのだ。テッサロスタに大事な家族がいた人も少なくない。怒りが収まらないのも無理はなかった。
奪還作戦の中、俺と顔を合わせたことのある組合員の女の人が大怪我をしながらも生き延びていて、俺にこう言った。
「無理ですよ、「勇者」様。もう理屈じゃないです。やられたらやり返す。…………失われた物はそれでも返ってこない。でも、だからこそ、アイツらからも奪ってやらなくちゃ気が済まない!」
怒りと屈辱でドス黒く染まった彼女の瞳に、俺は訪ねるべきでは無かったと反省した。
元より警戒してヤガミは連れて行かなかったのだが、それでも彼らの憎しみを甘く見ていた。
次に、ヒイロ地区の自警団だ。
ここは協力を頼むというより、謝罪のために訪問した。
ナタリーのことについて直接頭を下げたいと、リーザロットが直々に出向いていったのだった。
ナタリーはタリスカに半ば拉致するような形で連れてこられた上、俺達の力が及ばずに敵国の捕虜にされてしまった。
リーダーであるモロという男性は、慣れない敬語でリーザロットに怒りを伝えた。
「アイツは前団長の形見なんス。赤ん坊の頃から知っているせいで、俺にはいつまでもガキに見えるんスが…………それでも、自警団にとっては貴重な、戦力…………だったッス」
戦力、ともう一度言ってから、何か他の言葉を探すように男性は口ごもったが、結局うまく見つけられずに口を閉じた。
彼は切実な目で、訴えを続けた。
「とにかく、それがこんな形でいなくなられんのは、絶対に納得いかねぇッス! そもそも、教会騎士団の、それも精鋭隊がついていながら、どうしてこんなことになったんスかね?」
元々彼らと騎士団は折り合いが悪い。悪感情はひとしおだ。
モロさんはひとしきり騎士団を罵った後、悔やむようにこぼした。
「大体…………アイツの魂獣が、そんなに凄まじいもんだったなんて、知らなかったッス。…………アイツ自身だって、知りゃしなかったはずッス。
アイツがああなのは…………水先人だなんてのは、アイツのせいじゃねぇです。アイツはただのガキだ。ただのガキなんス。…………それを」
膝の上の拳を固くして、男性は黙り込む。
今もサン・ツイードの各所で暴れている「太母の護手」の残党を連日相手にしている彼らに、俺達に手を貸す暇など一切無い。
ナタリーがいなくなった穴は様々な意味で大きく、むしろ俺達にできることはないのかと考えてしまうぐらいであった。
俺達は帰る時にもう一度深く頭を下げ、彼らの下を去った。
「必ず彼女を取り戻す」という俺の口約束が、どの程度相手の耳に入っていたのかは、わからない。
最後に、翠の主と、その「依代」であるエレノアさんについてだが。
ここに関しては、最もしようもない肩透かしを食らった。
いなかったのだ。
サンライン中の、どこを探しても。
常日頃から連絡が取れなくて有名な2人らしいが(2人が一緒にいるとも限らないし、運良く片方を発見したとしても、互いの行方を知っているとは限らないという)、今回もまた、さっぱり消息不明であった。
リーザロット曰く、
「実のところ、あまり期待はしていませんでした。協力打診のお手紙の返事も、「いたらいます」というだけのものでしたし」
いたらいますって…………。
それもう、何も言っていないに等しいじゃないか。
蒼の主、紅の主がこうして国の一大事に関わっているというのに、翠の主はそれでいいのか? まるで面倒くさがりやの大学生だ。
ありのままを口にすると、リーザロットは特に疑問も無さそうに話した。
「翠姫様は、私達の中で最も長く三寵姫を務められているお方です。エレノア様も歴代きっての大魔導師様であられますし…………中立的な立場を取られているのも、きっと何かお考えがあってのことと思います。…………ところで、ダイガクセイって何でしょうか?」
大学生はオースタンの上級課程の学生だよと、適当に答えておく。
絶対嘘だ。面倒くさいから雲隠れしているだけだと思ったが、今度は声には出さなかった。
言ってもあまりに栓無い。
誰にも負けないぐらい強ければ、確かにこんな時でも好き勝手に振る舞うことは可能だろう。でも、だからって、国家存亡の危機に我関せずってのはどうなんだろう? 力に伴う責任とか、姫としての信義とか、色々あるんじゃないのか? ちょっとさすがにユル過ぎない?
いずれにせよ、そんなわけで彼女達からの協力は、すっぱりと諦めざるを得なかった。
そうして、俺達はサン・ツイードでの一連の訪問を終え、次なる旅の目的地へと目を向けた。
次の旅先。
総司教が少しだけ予知してくれた地へ。
蒼の館で、リーザロットは白くスラリとした指を地図上の一点に置いて言った。
「スレーンへ参りましょう。総司教様の仰った竜の縁に、賭けてみたいと思います」
スレーン。
サンライン北方の高地に位置する、竜と共に生きる一族の独立国家。
独自の魔術体系と信仰を固く守り、絶対中立を宣言している。
サモワールのオーナーや、最高の竜の乗り手であるシスイの出身地。
これまでにも多くのサンラインの派閥が同盟を持ちかけてきたが、彼らは如何なる見返りにも脅しにも屈さず、その全てを撥ねつけてきたという。
飛竜が使えない今、そこへ向かうのにも馬鹿にならない費用と時間が掛かる。
普通に考えて、正気じゃない選択だ。
リーザロットは承知の上で、決断を下した。
「これが最後の機会です。もし成功すれば、交渉は一気に有利になるでしょう。戦の風向きが大きく変わります。
…………逆に、しなければ」
体力と時間を無為に浪費して、ジューダム王に挑むこととなる。
俺達の勝負は、最終段階に入っていた。
否が応でも、決戦の時は近付いている。
テーブルを囲って話を聞いていたフレイアは、虚ろな暗さを湛えた紅玉色の瞳を誰に向けることも無く、地図だけを見つめて、淡々と続く指示に耳を傾けていた。
「遠征には、どなたが向かわれるのでしょうか?」
そんなフレイアから発された問いに、リーザロットはこう応じた。
「今回は私自身が参ります。本来ならば三寵姫が主の御許を離れることは許されませんが、今に限っては、旅立ちこそが己の使命と心得ております。翠姫様も、きっとそのようにお考えになって動いておられるはずです。…………きっと。
それと、コウ君、セイ君。竜との縁が浅からぬお2人にもご同行願います」
「…………お師匠様は?」
リーザロットが一瞬、顔を強張らせる。
彼女はやや低い声で、短く返した。
「知りません。勝手になさるでしょう」
「承知いたしました」と、フレイアが引き下がる。
そういえば、この頃タリスカをぱったり見ていない。
一応生きてはいるらしいが、一体どこで何をしているのか。
それとリーザロットのこの機嫌。彼は一体何をしでかして彼女をここまで怒らせたのだろう。
質問し終えたフレイアは再び慎ましく目を伏せ、くるみ割り人形も形無しの直立不動の姿勢に戻る。
まるでとぐろを巻く蛇のように、隙が無く、冷めきっている。
感情を通わせることなんて、人間には到底出来ないみたいに。




