119-2、あの子の瞳に今日も俺がいない。俺が何でかまた置いてけぼりをくらうこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、再びヤガミが俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミ。なんと、ジューダム王の肉体。
彼らを連れてサンラインへと戻ってきた俺は、最終決戦に挑むための準備を進めるのだった。
紡ノ宮での呪われ竜暴走事件では、2人の精鋭隊員、そして北方区領主、南方区領主の2人の貴族が犠牲となった。
東方区領主は事件を起こした張本人であり、事件直後にタリスカと宮司の手によって処分された。
そして5大貴族は、フレイアのお父さんである中央区領主と、西方区領主だけが残ったのだった。
中央区領主は、ヴェルグが「依代」を務めている紅の主の(そしてフレイアの)お父さんでもある。そのため、彼への協力の打診は始めから考慮に入れられていなかった。
もう一方の西方区領主はといえば、以前にもテッサロスタ遠征の竜の工面で世話になった人物で、商会連合に多くの土地を貸しており、竜の手配に融通がきく上、魔術に関しても造詣が深い、期待値の高い人物であった。
だが、それと同時に、彼は今回最大の難所とも言えた。
というのも、彼はリーザロットの、蒼の主の「依代」になろうとしていたからだった。
その件をぼかしつつ協力を乞うのは至難の業だ。
案の定、西方区領主・コンスタンティンは訪ねてきたリーザロットの顔を見るなり、慇懃無礼に言い放った。
「ご機嫌麗しゅうございます、蒼姫様。わざわざお越しくださり大変恐縮です。…………お呼びくだされば、いつでも館へと馳せ参じましょうものを」
狡猾さをとっぷりと湛えた瞳の色は、濡羽色とでも言うべきか。光を含むと、黒の内の紫紺色が油膜のように危うげに揺れる。
同色の髪はどうやってセットしたんだか知らないが、オールバックでキマっていた。一部の隙も無いまとまりが、彼の眼差しを一層涼しく際立たせている。
刃の切っ先にも似たその視線は、挨拶の後、即座に俺とヤガミへと飛んだ。
「…………彼らはなぜここへ?」
組んだ手を膝の上へ乗せ、片眉を微かに釣り上げる。
横柄ともとれる彼の口調に、リーザロットは嫌な顔をせずに答えた。
「書状でもお知らせいたしました通り、作戦の遂行の鍵はこのお二人です。直接に詳しいお話を聞かれたいかと思って、一緒に来ていただきました」
「お気遣い痛み入ります。…………無用のご配慮でしたことを告げるのは、忍びないですね」
コンスタンティンの言葉に、リーザロットは痛ましく睫毛を伏せる。
彼はそんな彼女をさらに冷ややかに見下ろし、再びヤガミへと視線を戻した。
「…………確かにジューダム王の肉体であるようだ。それだけの話とはいえ、まぁ素材にはなるか」
素材?
何の、と俺が聞き返す間もなく、ヤガミ自身が喋り始めた。
「どうぞ。煮るなり焼くなり、如何様にも使って頂いて構いませんよ。蒼姫様のご同意さえあるのでしたら、僕には何の異存もありません」
コンスタンティンのみならず、リーザロットまでが驚きで目を大きくする。
俺は半ば呆れた心地で場を見守っていた。
思うに、ヤガミはわざと相手の感情を揺らして、この世界の価値観や人間関係を探っている。個人的にはあまり良いやり方とは思えないのだが、かえって話が早い側面は確かにある。
コンスタンティンは一瞬の苛立ちを素早く瞳の奥へ潜め、ヤガミに尋ねた。
「謙虚な物言いだな。…………オースタンで暮らしていたそうだが、君、魔術の心得はあるのか?」
「おや、あるとお思いですか?」
「…………確認だ。そこの「勇者」様と同程度か、それ以下か?」
「そこまで限定できていらっしゃるのなら、必要な問いとは思えませんね。…………いずれにせよ、余計な知識など無ければ無い程、ジューダム王の器になるには、都合が良いでしょう?」
どういうこと? と小声でリーザロットに聞いてみると、彼女は困った顔を、さらにしょんぼりと曇らせて答えた。
「セイ君とジューダム王の魔力の色合いには、生育環境を反映した微妙な違いがあるんです。ですから、馴染みやすいように少々工夫をしなければというお話なんですけれど…………」
リーザロットの言い淀んだ続きを、コンスタンティンが耳ざとく引き取った。
「ジューダム王の魔力場を調整することは不可能だ。となれば、手段は一つしかない」
「僕を向こうに合わせる。…………どういう意味なのか、あんまり知らない方がいいんだろうなってことぐらいは、僕にもわかる」
リーザロットは発言したヤガミを見つめ、切実な口調で言った。
「私は…………貴方を犠牲にするようなことはしません。真の融合は、自ずから生じるべきものです。貴方は貴方として、ジューダム王と共に在れるよう努めます」
ヤガミが無言でリーザロットに微笑みを返す。
俺はようやく皆が言っている意味がわかったので、口を挟んだ。
「あっ、もしかして、ヤガミとアイツが融合したら、ヤガミの人格が消滅しちゃうかもっていう話?」
全員の視線が俺に集まる。
俺はタカシと一緒に一同を見渡し、訴えた。
「それなら心配要らないよ。ヤガミとアイツじゃ複雑な事情があるから、タカシと俺のようにはいかないんだろうけど…………何とかなるよ。俺の見る限り、お前らには大して差は無い。…………っていうか、何とかする。俺が」
俺はヤガミの方を見て、大真面目な顔で言った。
「そもそもアイツ…………ジューダム王の方は、何がどうあれ、絶対にお前のことは受け入れないだろうから、俺が手伝うって話になったんじゃないのか? 俺のこと、そんなに信じられないか?」
ヤガミがぱちくりと目を瞬かせる。
彼はそれからしばらく宙へ視線をやって何か考えている風であったが、やがてふっと笑って答えた。
「いや…………お前のことを疑っていたわけじゃないんだが。まぁ…………ありがとな」
「何だよ、歯切れが悪いな」
俺が食ってかかるのに、ヤガミは肩を竦めた。
「コウ。万が一の話だよ。例えば俺とお前がジューダム王にやられて共倒れになった場合、俺の方は、どうにかすれば…………せめて「素材」として役割が果たせる」
「? わからん。どういうことだ? お前が完全に空っぽになって、霊体のアイツの器として振る舞ったところで、向こうは単にパワーアップするだけだ。肉体と霊体はセットの方が強いんだぞ」
「それだよ。皆がそう考えている。そこに、罠を仕掛けるんだ」
俺が眉を寄せるのを、ヤガミはどこか面白そうに眺めている。癪に障る。
彼はコンスタンティンの方へ顔を向け、続けた。
「コンスタンティンさんは、俺にどこまで自分を捧げられるかって聞いていたんだ。で、俺の方は言ったままだ。蒼姫様に従うと。…………勝手に決めたら、またスパイ扱いされかねないからな」
そしてついでに、コンスタンティンとリーザロットの力関係も試してみたと。
最後は目つきから勝手に俺が判断しただけだが、多分合っているだろう。でなければ、あんな言い方しなくていい。
俺はうんざりして、椅子の背もたれに寄りかかった。
「…………悪かったな。空気読めてなかったよ。また、俺だけな」
「そう言いたいわけじゃない。…………お前は、本当に心強い」
「うるせぇ! 大体、何でお前が俺に解説してるんだ? 俺のがサンラインは先輩なんだぞ! いじけるぞ!?」
「子供か。お前のことは信じてる。まぁでも、お前に魔法が使えるなんて未だに信じられないけどな」
「うるせぇ! 後でとくと思い知らせてやる!」
言い合う俺達を、コンスタンティンの冷たい声が制した。
「もういいか?」
俺達は両手を挙げてもう十分だと知らせる。リーザロットがちょっとだけ笑っているのを、持ち上げたティーカップでごまかしている。
コンスタンティンは街の愚民を見下ろすカラスの目で、俺達に冷然と語った。
「話をまとめさせていただく。…………蒼姫様の「依代」候補として、極力助力はしよう。金銭的な補助、魔具の斡旋などは任せてくれて構わない。どこへでも、どれだけでも手配しよう。私は商会連合には顔が利く。竜に関しても、それなりに当てがある。
だが、王との交渉の件に関しては、私の意見を通してもらおう。ヤガミ氏の身体に、魔術的な制限をかけなさい。無論、気取られては元も子もない故、細心の注意は払うべきだが、その程度の警戒は常識的に考えて当然だと判断する。ご理解いただけるか?」
コンスタンティンが高圧的にリーザロットを見る。
ギラギラと黒光りするその濡羽色には、宮司のそれとは毛色の違う執着が滾っていた。決して愛ゆえのものではないと、一瞥しただけで悟れる。
この人は、権力が欲しいのだ。「蒼の主」に付随する、人間社会に対する力が。
リーザロットはその目を真摯に見つめ返し、丁寧に頭を下げた。
「…………ありがとうございます。コンスタンティン様」
「敬称は不要です。…………いつまでもそうして距離を取られては、実務に差し支えます」
「ごめんなさい」
「それはどういう意味の謝罪ですか? 「蒼の主」としての自覚をお持ちなら、明確に意図を表明していただきたい」
「…………領主様を呼び捨てにするのには、慣れないのです」
「そのようなことですから、いつまでも「エズワースの娘」という蔑称が無くならないのです。私としても迷惑です。以降、気を付けてください」
「…………はい」
嫌な感じの応酬はそこで終わり、コンスタンティンは新たなお茶をコップの縁までなみなみと給仕の娘に注がせた。
サンライン上流貴族流「とっとと帰れ」の合図。前にクラウスから聞いて知っている。マジでやるヤツは滅多にいないって言っていたけれど。
そして俺達は早々に、次の目的地・教会総司教の下へと向かった。
コンスタンティンとの話の間中、扉の外で待機していたフレイアは、そしてまた馬車の中で、延々と流れていく窓の外の景色へと深紅の眼差しを注ぐのだった。




