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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
時を駆けるセンチメンタル・ジャーニー
245/411

118-3、紅玉の砕ける音。俺が夜雨に濡れそぼること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。

 その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、ヤガミが再び俺達の前に立ちはだかった。

 大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。

 そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミを連れて、今、俺達は再度サンラインへと降り立ったのだった。

 リーザロットの言った通り、フレイアは中庭にいた。

 前に邪の芽のことを話した、あの小さな池のある庭だ。

 庭へと降りる石造りの階段の一番下で、フレイアは傘もささずに突っ立っていた。


「フレイア! 何やってるんだ!?」


 追いかけて肩を叩こうとしたところで、彼女が振り向いた。


「…………コウ様。なぜ追いかけてきたのです?」


 冷たい声。

 まるで戦闘に臨む時のような、妙な迫力と冷静さがあった。


 紅玉色の瞳が雨の中、切れかけの街灯みたいに物寂しく燃えている。

 俺は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに尋ね返した。


「馬鹿言うなよ! 当たり前だろう。そっちこそ、何で逃げるんだ?」


 もう一度肩へ触れようとしたのを、彼女は半歩下がって避けた。

 乱れた灰銀色の髪へ、雨がひたすらに降り注ぐ。滴る水滴が彼女の額や頬を伝って次々と地面へ落ちていく。

 フレイアは強張った顔を俺から背け、低い声で言った。


「…………コウ様は蒼姫様の「依代」になられるのでしょう。…………私などにお構いになってはなりません」

「はぁ? 何を言って…………」

「コウ様はわかっていらっしゃらない! 「依代」になるとは、その魂を主になげうつということ! 主と蒼姫様の共にあられる限り、貴方もまた共にあられる…………。澄んだ力場のためには、不純物は混じってはならないのです!」

「…………何、勝手に盛り上がってんだよ? その話は断った! 俺は」

「コウ様はお優しいから!」


 フレイアが急に声を張って遮る。

 再び向けられた眼差しの鮮血じみた紅さに、俺は怯んだ。

 降りしきる雨が彼女の炎を激しく煙らせる。


 どうしてそんな目を俺に向けるんだ?

 戸惑う俺に、フレイアは矢継ぎ早に言葉を射かけた。


「コウ様のお優しさはフレイアが最もわかっております! 貴方が蒼姫様にご同情なさらないはずがありません! 蒼姫様は、お美しくて、コウ様と同じくらい心のお優しい方です! 優し過ぎて、いつもいつもいつも胸を痛めていらっしゃる!

 蒼姫様には、貴方が…………コウ様が、絶対に必要なのです! 私の如き一介の兵士が、コウ様と蒼姫様の枷になるなど断じて許されません!

 …………貴方の運命は私じゃない! 蒼姫様です!」


 フレイアは泣いているのか?

 雨がひどくて、わからない。


 ふいにフレイアの瞳が暗く、熾火のように萎れる。彼女は俯いて唇を噛んだきり、口を利かなくなった。

 真っ赤に染まった頬が、白い肌に痛ましく冴えている。力無く垂れた髪の一筋が、彼女の首筋にべったりと絡まっていた。

 俺が近付くと、フレイアはまた一歩下がって避けた。


「…………フレイア」

「…………」


 フレイアは答えようとしない。

 俺は諦め、その場で話した。


「…………俺は、「依代」にはならないよ。リズの謁見に関しては、別の方法を考える。同情だけで「依代」になったりはしない。なっちゃいけない」


 俯くフレイアに、俺は続けた。


「俺は君が大切だ。君を傷つけたくない。この国のことも、ジューダムのことも、どうにか平和にしたいって思っているけど、だからって君を蔑ろにはしたくない。そんなやり方で上手くいくわけない。リズだって、君の幸せを心から願っている。だから…………」

「…………だからこそ、貴方を、私だけのものにはできません」


 被せてフレイアが言う。

 彼女は掠れた声で、すすり泣くように言い継いだ。


「コウ様はご自分をご存知ありません。貴方も、蒼姫様も、いつだってご自分ではない誰かのために…………輝かしい、眩しい夢のために戦っていらっしゃいます。…………私は、自分のための戦いしかできないのに…………」


 フレイアが拳を握る手を固くする。

 俺はすかさず言い返した。


「そんなことない。君は俺のためにいつも」

「違います!」


 フレイアが叫ぶ。

 悲鳴じみた痛切な響きは、たちまち雨に紛れて掻き消えた。

 フレイアは深紅の視線をただただ地面へのみ注ぎ、繰り返した。


「違うのです。…………私は…………獣でしかない」

「…………獣?」

「…………戦う。ただ、それだけ」


 フレイアは押し黙り、さらに目を伏せた。そぼ濡れた胸が、彼女の呼吸に合わせて微かに上下している。

 彼女はか細い声で、話し続けた。


「ですから…………わかるのです。私と貴方は違いますから…………コウ様はきっと「依代」になられます。貴方は蒼姫様の夢の一番近くにいらっしゃる。貴方は戦うとご決断されました。そして貴方は必ず…………これまで私に、ずっとそうしてきてくださったように…………約束を守られます」


 フレイアの声は雨音に打ち据えられ、ひどく聞き取りにくい。

 俺は彼女に手を伸ばしたくて仕方無かったが、それは言葉よりも何よりも、目に見えない火蛇達によって妨げられていた。


 見えないが、確かに火の粉を感じる。

 何者も彼女に触れさせまいと、静かに彼女を囲って守っている。

 俺は何も出来ずに、彼女の言葉を聞いている他なかった。


「コウ様と蒼姫様は…………サンラインとジューダムの長い戦に終止符を打たれるべきお方です。貴方は別の方法をと仰いますが、最良の選択なのは自明です。

 …………芯からお優しいお二人であればこそ、私は己の存在に耐えられません。私の幸福はサンラインの幸福でありたいと、騎士として願っております。…………本来の分を弁えなくてはなりません。

 …………私は、もう、貴方とは…………」


 フレイアが顔を上げる。

 暗く揺れる紅玉色は雨雫に濡れて、重く、じっとりと俺へ圧し掛かる。

 赤みの消えた白い頬が、まるで幽霊みたいにぼうっと闇夜に浮いていた。


 言われた言葉が遅れて胸にめり込んでくる。

 ごちゃごちゃと渦巻き始める頭の中から、俺は辛うじて言葉を拾い上げた。


「…………まだ、手はある。もっと相応しい人が、いるはずだ」

「いいえ。蒼姫様の想いは…………想いは、朝露の如く簡単には晴れません」

「…………そんなこと、言ったって」

「…………蒼姫様は身も心もお美しい方です。すぐにコウ様もお惹かれになるでしょう。今だって、お二人は深く信頼し合っていらっしゃるように見受けられます。…………それに、蒼姫様とでしたら…………」


 フレイアの言葉はそこで途切れ、後には雨音だけが残った。

 俺は深く俯く彼女の方へゆっくりと歩み寄り、もう一度呼びかけた。


「…………フレイア」

「…………」


 どこかで見た、哀れで孤独な少女の瞳が上目遣いに俺を仰ぐ。

 ほんの些細な祈りの文句さえ忘れてしまったような、暗く冷えきった紅玉色。

 たゆたわない。

 きらめかない。


 この子に笑っていてほしかったのに。


 どうしてこうなった?


 俺は雨でずぶ濡れになった目に、訴えた。


「それでも…………俺は君を愛している」


 フレイアは震えかけた指先をもう片方の手で押さえると、小さくかぶりを振った。


「邪の芽のことをお忘れですか? …………元より私は、貴方に関わってはなりませんでした。ましてや、それを運命などと…………」

「好きだよ、フレイア」

「もうお止しになってください! 私は…………、っ!」


 フレイアを抱き締めると、火蛇の炎で身体が焼けた。怒りと悲しみのない交ぜになった乱暴な熱が、俺の腕と背中を焦がす。

 呻きを強引に飲み込み、より強く華奢な身体を抱き締める。

 しとどに雨を浴びた彼女の体温が、俺と重なる。

 火蛇が雨でわずかに勢いを弱めた。


 フレイアが俺の胸に顔を埋め、何か呟く。

 聞こうと腕を緩めたのと同時に、彼女は両手で強く俺を突き飛ばした。


「…………フレイア!」


 よろめく俺に、彼女は震えた声で言った。

 髪も目元も濡れて乱れて、顔色は最早、青ざめていた。


「もうお帰りください! …………どうか、どうかもう…………フレイアを弱くしないでください!」


 振り返りもせず、一気に階段を数段飛ばしで駆けあがっていく彼女の背を、俺は呆然と眺めていた。


 降りしきる雨がひたすらに樹々と俺を打つ。流れる小川の水面が荒々しく波立って、ザァザァと不穏な音を立てていた。


 俺は濡れ雑巾となった身体をやっとの思いで引き摺って、時々滑り落ちそうになりながらも、どうにか石階段を上りきった。


 雨は明け方までにはすっかり上がって、翌朝は昨晩が嘘のような晴天に覆われていた。

 本当に嘘だったらどれだけ良かったのにと、俺はオースタンにまでだって届きそうな長い溜息を吐いた。

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