116-2、異世界バザー巡り。私が欲しいもののこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、ヤガミが再び俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミを連れて、今、俺達は再度サンラインへと降り立ったのだった。
生乾き気分の私は、気晴らしに散歩へ出ることにした。
街へ行きたいなんて無茶はさすがに言わないが、館の庭ぐらいならきっと許してもらえるだろう。
くるみ割り人形を通してそうお願いしたら、返事は早速返ってきた。
例によって、厳めしい白銀のモフモフ頭と共に。
「護衛を務めせていただきます。…………すぐお出かけになられますか?」
グラーゼイさんの銀色の毛並みは、いつ見ても雄々しく気持ちよく立っている。ボフッと掌をいっぱいに広げて頭を撫でたい衝動に駆られないことも無いのだが、ちょっとそんな勇気は出ない。
彼曰く、自分がついているという条件であれば、短時間なら街へも出掛けて構わないとのことだった。
「本当にいいんですか?」
驚いて私が言うと、グラーゼイさんは表情を変えずに頷いた。
「何かとご入用のものもございましょう。お気兼ねなくお申し付けください」
「とは言っても、必要なものは大体もう揃っている気がするんですけど…………」
「それでは、ご覧になってお考えになればよろしいでしょう」
私はいかにも忠臣といった佇まいの大柄の騎士を仰ぎ、気になったことを尋ねた。
「あの…………隊長さん、なんですよね? 私なんかについて、いなくなっちゃっても良いんでしょうか?」
「「勇者」殿の護衛が我々の最優先の任務です。…………隊の仕事は心配に及びません。副隊長のウィラックに任じております」
「えっと…………フレイアさんとか、クラウスさんとかは、いらっしゃらないんですか?」
「あれらは宿舎で草むしりをしております。ご希望でしたら、すぐに交代いたしますが」
「ああ、いえ! そういうわけじゃないんですけど…………」
何となく気まずくて、口ごもる。
別に、グラーゼイさんが嫌だというわけではない。単に聞いてみただけなのだ。
確かにグラーゼイさんは堅苦しくはあるけど、あんまり気にしなければいいだけというか、むしろこの頑固一徹ビジネスライクな態度に少し慣れてきたところでもあるのだ。
どう弁明したものかと悩んでいるうちに、グラーゼイさんがポツリとこぼした。
「…………実は、ミナセ殿のご指名で参りました」
「え? お兄ちゃんが? 何で?」
「元々はクラウスを派遣するつもりだったのですが、断固としてミナセ殿が譲らず、ぜひ私にと」
「どうして?」
「あれは、実力は申し分ない男なのですが…………少々、悪癖がございまして」
「そうなんですか? 気さくで、良い人そうに見えましたけど…………」
「…………。ミナセ殿の意に、今回ばかりは私も添い申し上げたく」
「…………? わかりました」
軽い感じはするけれど、さすがに言い過ぎじゃないかなぁ?
お兄ちゃんもグラーゼイさんも、妙な所で過保護だ。
それにしても、まさか街まで行けるというのは嬉しい誤算だった。
何を買うわけではないにしろ、あの市場を見て回れるというだけでウキウキする。いやそれよりも、ここの人々の謎に重っ苦しい空気から一時でも逃れられるのが嬉しい。
私はグラーゼイさんに、
「支度しますね。少し、待っていてください」
と告げ、手早く念入りに服を選び、簡単に気合を込めてメイクもした。
「お待たせしました!」
と言って部屋の外へ出た時、グラーゼイさんは見事にも、眉の毛(生えてるんだってば。目の上に、ピョコピョコと)1本動かさずにそこに立っていた。
くるみ割り人形と良い勝負だなんて言ったら失礼なのだろうか。でも、もしこの世界にスマホがあったとしても、彼は絶対にいじらずに待っていただろう。
それに意味があるかないかと言われれば、少なくとも浮かれた私を委縮させ、きちんとした大人らしい振る舞いを思い出させるという点では、大いにあった。
「…………それでは、参りましょう。私から離れませぬようお願いいたします」
「は、はい…………」
うぅ…………。
やっぱりクラウスさんの方が良かったかもしれない…………。
何はともあれ、私達は街へと出発した。
ちなみに兄達は、今後の戦のことについて方々へ相談しに行っているらしい。その辺りのことは、グラーゼイさんが道々語ってくれた。
「ジューダムとの全面戦争が間近に迫っております。紅姫様、そしてその依代であり、此度の戦の総指揮を執られておりますヴェルグ様は、サンライン陣営の戦力増強を急速に進めております」
紅姫様というのは、リーザロットさんとは別の、同じくらい偉いお姫様のことだ。(そしてフレイアさんのお姉さんらしい)
ヴェルグの名前にも、聞き覚えがあった。地球で私を襲ってきた厚化粧コスプレ魔女・イリスと、喋る化け猫・リケがその名を口にしていた。兄からも、かつて命を狙われたと聞かされている。
「和平」に最も強く反対し、戦の混乱を心待ちにしている人。
私がこの世界で最も警戒しなければならない相手の一人だ。
「蒼姫様は、ヴェルグ様が本格的な戦争を始められるより前に、自らジューダム王と直接対決なさるおつもりです。短期決戦とし、戦の大規模化を防ぐことが狙いです。今は、そのための協力者を集っております」
明るく夏らしい日差しが、白い石畳の道を照らしている。
道端に咲く青いスミレみたいな花が美しく、横目で眺めながら歩いていく。
と、ふいにすぐ脇の路地からフードを目深に被った子供が大勢飛び出してきて、そのうちの一人が危うく転びかけた。
「あ」
咄嗟に、手が出る。
子供は私に支えられて、何とか持ち直した。
「大丈夫?」
尋ねる私を、子供…………山羊のような目をした、やけに毛深い少年だった…………がキョトンと見上げている。
私は私で彼の一風変わった顔貌に驚きはしたが、それより先に、しまったと口元を覆った。
そうだった。ここでは、私の言葉はリーザロットさんの館の人々以外には通じないのだった。
グラーゼイさんがすぐさま私を子供の一団から遠ざける。
子供達はまだしばらく好奇の目で私を見つめていたが、やがてまた何やら聞き慣れない言葉で騒ぎ立てながら、慌ただしくどこかへ走り去っていった。
「「勇者」殿。あまり不用意に市民と口を利かれませぬように」
グラーゼイさんの注意に、私は肩を縮込めた。
「ご、ごめんなさい。つい」
「必要があれば、必ず私を通してください。あれは「太母の護手」の子供達です。年端も行かぬ者共ゆえ、さしたる問題は無いでしょうが…………貴女の存在を知られてはまずい団体です。以降、あのような出で立ちの者には特にお気を付けください」
「…………はい」
ションボリと肩を落とす私に、彼はそれ以上は言わなかった。
でも、だってと色んな言い訳が喉の奥で渦巻いてはいたが、ここで彼にそれを言ってもどうしようもない。迂闊なことをして困るのは結局、私自身だ。
グラーゼイさんは道の奥の広場へと顔を向け、言った。
「広場で開催されているバザーへ行き、それから館へ戻ります。よろしいですか?」
「はい」
「…………では」
またゆっくりとグラーゼイさんが歩き始める。
私の歩調に合わせていつも以上に悠然と歩く大柄の騎士は、ただいるだけで道行く人々を威圧している。彼といると、自然と道が空く。人でごった返す市場の中でも、それは同じだった。
四方八方から向けられる、無数の視線。何を言っているのかはわからないけれど、ヒソヒソ声もひっきりなしに聞こえてくる。
これだけ目立っていると、かえって防犯にはなるのかも。誰もこの状況で、好んで騒ぎを起こそうとはしないはずだ。
…………けどもね。
私はグラーゼイさんに、勇気を出して耳打ちした。
「あの…………買い物、すごくしづらいです」
「ご辛抱願います」
「これじゃあ、何も手に取れません」
「…………何故でしょうか?」
「みんな見ていますし、お店の人も緊張させちゃいますし、買うしかなくなっちゃうじゃないですか」
「お求めになればよろしいでしょう」
「ダメですよ」
「お支払いに不安がおありですか?」
「違う、違いますよ。全然、そういう問題じゃないです」
オオカミ男は眉間に皺を寄せ、ピンと立った耳を不思議そうにこちらへ傾けている。
本当にわからないのかな?
私は首を傾げ、続けた。
「必要でも欲しくも無いものを買うなんて、悪いです。私が稼いだわけじゃないですし」
「そのようなお気遣いは無用です。今日の費用は「勇者」殿のためにご用意いたしました。貴女をお招きしたのは我々です。当然のことです」
「でも…………勿体無いですよ」
「どういうことでしょうか?」
「そんなお金の使い方はしちゃダメです」
「…………。承知いたしました」
言いつつ、やはり納得のいかない皺が眉間に残っている。
何だろう。私、何かおかしなことを言っているだろうか?
あんまり贅沢はしちゃいけないに決まっているのに。
ともかくも私達はぞろぞろと視線を引き連れ、さらにバザーを見て回った。
広場に所狭しと立ち並ぶ露店が売る品々を見て楽しんでいるうちに、段々と人の目も気にならなくなってくる。
そのうちに綺麗な朱色のショールを見掛けて、私は立ち止まった。
ただの無地の織物なのに、水の流れるような繊細な織り方が心を惹く。まるで誘われるみたいに、気付けば手に取っていた。
冷たくて、サラサラとした手応えがどこかノスタルジックな気分を呼び起こす。ただ一色のはずの朱色が、光に透かされて万華鏡みたいに色彩豊かに広がっていく。
お店のお婆さんが気にしないので(というか、居眠りしていた)、惚れ惚れと眺めていたら、グラーゼイさんが話しかけてきた。
「お気に召しましたか?」
私はハッとして彼を仰いだ。
確かに少し夢中になってはいたけれど、服なら山程ある。今のところ肌寒いと思ったこともないし、リーザロットさんに言えば似たようなものをどっさり貸してくれるのが目に見えている。
私はそっとショールを元の場所へ戻し、首を振った。
「ううん。大丈夫です」
「…………気に入られませんでしたか?」
改めてグラーゼイさんが尋ねてくる。
普段よりも心なしか物柔らかな口調に、面食らって答えそびれた。
こういう風に聞かれると、困る。
諦めたいのに、名残惜しい気持ちがぶり返してくる。
「…………」
もう一度、ショールを見やる。
地球じゃもう二度と出会えるかわからない、音色さえ聞こえてきそうな不思議な揺れ方の朱色。
触れているだけで心が和む、ひんやりとした優しい感触。
爽やかに細やかに織られた糸が綾なす、湖面を覗くような透明感…………。
…………。
「うっ、うわぁぁぁぁぁあぁぁ――――――――――――――――ッッッ!!!」
まとまりかけていた心を大きく引き裂くように、広場から幼い悲鳴が響いた。




