【幕間の物語⑤ とある魂獣使いの恋煩い】
ジューダムという国は、常に闇夜に覆われている。
黒い翼の竜達が飛び交う他に、そこで生きる生物は何も無い。
…………太古の昔、いずこから流れてきた人々を除いて。
ジューダムは高く強固な壁に囲われた広大な城塞都市で、人々はこの街の中で一生を過ごす。
城の外、遥かなる闇の奥へと旅立った者は、ついぞ誰も帰らなかった。
ほんのいくつかだけ知られている時空の扉を通い、異世界へ出征する時のみ、彼らは城壁の扉を開く。
その街の中核、王族の住まう城の地下牢に、少女が捕らえられていた。
少女は左腕の色鮮やかな海獣の刺青を見つめながら、粗末な寝台の上に座っていた。
少女 「レヴィ…………。聞こえる? 返事をして」
少女の呼び声が、虚しく牢の石壁に吸い込まれていく。
呟きを耳にした看守の男2人が、意地の悪い笑みを浮かべて彼女に言葉を投げかけた。
太った看守 「何度やっても無駄だぜ。アンタの「無色の魂」とあの魂獣は、ウチの優秀な魔術師共がそれはそれは厳しーく管理しているからな。こと魂獣の扱いに関しちゃ、ジューダムより優れた国は無ぇ。お前みたいな抜け殻に出来ることなんざ、何もねぇよ!」
痩せた看守 「へへへ…………寂しいなら、遊んでやらないこともないが?」
少女が疲労に濁った翠玉色の瞳で看守達を睨み付ける。
制服をだらしなく着崩し、あばらの浮いた白い肌を寒々とさらけ出した看守が、鉄格子の傍へもったいぶった足取りで歩んでいった。
痩せた看守 「そう睨むなよ。…………所詮抜け殻なんだろう? 退屈しのぎに楽しいことしようぜ?」
少女は顔にありありと嫌悪を浮かべ、黙っている。
太った看守が、脂ぎった唇を舐めながら格子に寄りかかった。
太った看守 「へへへ。サンラインの女はよく知っているぜぇ。前王の時には、俺はあっちへ遠征していたからな。…………扱いには覚えがあるぜ」
少女 「…………そんな体型で言われても、ちっとも説得力無い。勘違いじゃないの?」
太った看守が喉の贅肉を震わして何か怒鳴り、大袈裟な動作で激しく格子を殴りつける。
かなりの剣幕であったが、少女は動じない。
一転して、太った看守は大声で笑いだした。
太った看守 「ウッヒャァーッヒャッヒャッヒャッ!!! ヒッ、ウヒヒヒヒヒヒッ!!! いいぜぇ、いいぜぇぇッ、その表情!!! 嫌がる女ってのは、何度ヤっても堪らないからなぁ!!! 堪らねぇなぁ!!!」
痩せた看守が便乗して薄い肩を揺らす。
彼は爪の長く伸びた指を格子の合間にねっとりと絡め、少女に言った。
痩せた看守 「なぁよぅ…………お嬢ちゃん。アンタの「無色の魂」は、今や完全にこっちのものなんだ。何でさっさと破壊しちまわねぇのか、俺にはわかんねぇーんだけど、まぁいずれ時間の問題だろうよ。
…………つまりだなぁ、古の巫女だかなんだか知らないが、もうすぐアンタは感情を綺麗さっぱり失くして、何もかも、ぜぇーんぶ、どうでもよくなっちまうんだ。このキモいおデブがどんなにアレでヤバくたって、すぐに忘れちまうんだ…………。
だからさ、お兄さん達と一緒に楽しもうぜ。ホラ、こっちにおいで…………」
少女 「…………アンタも、死ぬ程キモい」
看守達の爆笑が地下牢中に響き渡る。
襟元を大きくはだけさせた痩せた看守が、スラングを捲し立てて少女の身体つきを揶揄する。
太った看守が重量感のある腹を大いに揺らして笑い、牢の扉を開けた。
太った看守に続いて、痩せた看守も牢の中へ入ってくる。
少女は立ち上がり、身構えた。
少女 「それ以上近寄ったら、後悔させてやる!」
太った看守 「…………おいおい、もしかしてこういう遊びは初めてか?」
痩せた看守 「っかぁぁぁ!! 可愛いなぁー、お嬢ちゃんはぁ。可愛くて…………何にも知らない!!」
痩せた看守が短く詠唱する。
同時に、看守達の影が大きく伸び上がって少女の身体を羽交い締めにした。
少女 「――――ッ!!!」
少女は身をよじって逃れようとするも、急にガクンと脱力し、膝を折った。
少女 「ウソ…………!? 力が入らない…………!?」
太った看守 「看守の特権ってヤツなんだよなぁ。この牢の力場の中じゃ、俺達には逆らえないんだよ!
そんなことにも気付かないで騒いでいたのか? どうやら本当に魔術が苦手のようだなぁ、巫女様ァ?」
少女 「うるさい…………!! 離して!! このデブ!! ガリガリ!!」
痩せた看守 「ふぅ、やれやれ。丸2日飲まず食わずとは到底思えない程の威勢だ。ここへ入れる時にもかなり苦労させられたが…………ま、その礼はこれからたっぷり返してもらうとするか。
…………さて、その元気がいつまで続くかねぇ? ジューダムの夜は長ーいからなぁー…………」
痩せた看守が腰に差していたナイフを抜き、おどけた仕草で少女の首筋に添える。
その目は異様に血走り、邪悪な愉悦に歪んでいる。
少女が果敢に睨み返すと、痩せた看守は大きく舌なめずりして、少女の迫り出した胸へとナイフの切っ先をあてがった。
少女 「…………殺してやる」
痩せた看守 「どうぞ。できるものなら」
太った看守が自分の腰を少女の顔間近に寄せ、鼻息を荒くする。
ベルトの外れる音に、少女が身を固くする。
痩せた看守が少女の服を一直線に、勢いよく切り裂いた。
少女 「いっ、いやぁ…………!!!」
身悶えする少女の肌へ、痩せた看守の手が伸びかかった瞬間。
太った看守の上半身が何か大きな獣に食いちぎられ、高く跳ね飛んだ。
残った胴体から噴水の如く血が噴き出す。
次いで鮮血を浴びて呆然としていた痩せた看守の上半身も、同様に宙を舞った。
傷口はさながら、力任せに破られたボロ布のようであった。
痩せた看守の上半身は充血した目を大きく見開き、パクパクと声も無く口を動かして、やがて鈍く空しい音を立てて牢の冷たい床へ転がった。
血まみれの少女の目の前を、虚ろな目をした大鮫がズイとよぎる。
ずんぐりとした体型に、ザラついた灰色の肌。
大鮫は少女をやり過ごしてゆっくりと身体の向きを変えると、牢の入り口へ、静かに泳いでいった。
大鮫の向かう先には、灰青色の瞳を冷たく研ぎ澄ませたジューダムの若き王の姿があった。
少女 「あ…………」
破れた服を震える手で掻き寄せる少女に、王は自分の羽織っていたコートを無造作に投げつけた。
王 「着ろ」
少女 「…………どう…………して…………?」
王 「何だ?」
少女 「助けて、くれたの…………?」
王は冷ややかに看守達の死体を見下ろし、淡々と答えた。
王 「命に背いた。捕虜への暴行は死に値する」
少女 「…………何で…………ここに?」
王 「…………食事を拒否しているのはなぜだ?」
少女 「…………。あんな臭いドロドロ、食べられるわけないでしょ」
王 「あれはジューダムの日常食だ。虐待ではない。…………立て。移動する」
少女 「…………どこへ?」
王 「宮中だ。看守共は…………いや、誰も信用できない。俺が直接、監視する」
立ち上がろうとしない少女に、王は眉間を険しくした。
王は少女の傍らに寄って、彼女が見かけ以上に憔悴していることを知る。
王は小さく溜息を吐くと、少女に手を差し伸べた。
王 「…………掴まれ」
怪訝そうに王を仰ぐ少女。
王は苛立ちを見せることも無く、素っ気なく言った。
王 「それとも、ここで死体と寝るか? 俺は御免だ」
少女がおずおずと王の手を取る。
王はその手をしっかりと掴むと、少女の肩を抱き、黙って歩き始めた。
王の周りを回っていた大鮫が、ゆるりと物影へ姿を消す。
少女がポツリと呟いた。
少女 「…………レヴィは、どこなの? あの子に会いたい…………」
王 「…………まずは何か食え。後でもう少し口に合いそうなものを持っていかせる。話はそれからだ」
少女 「…………どうせどこへ行ったって暗いんでしょう」
王 「常闇は主の加護だ。永久の安寧。…………いずれ慣れる」
少女は肩からずり落ちそうになったコートをより深く掻き寄せ、俯いた。
王は前を向いている。
少女は聞き取れない程の小声で、誰にもともなく零した。
少女 「…………疲れた…………」
王 「自害は許さない」
王は先と同じように、素っ気なく言った。
少女は王をチラと見て、どこかいじけた調子で返した。
少女 「それはしないよ。…………ミナセさんが、助けに来てくれるから」
王が少女へ目をやる。
王は冷めきった声で、少女に話した。
王 「情勢が許さなければ、アイツは動かない。動けない。…………そういうヤツだ」
少女 「何それ。…………アナタがミナセさんの何を知っているの?」
王 「…………さぁな。…………知りたくもない、今更」
少女が少しだけ目を大きくする。
王は乱暴に前髪を掻き上げると、バツが悪そうに少女から目を逸らした。
少女は王の横顔をしばらく見つめた後、再び呼びかけた。
少女 「…………ねぇ」
少女は無言の王に、問いかけを続けた。
少女 「本当はアナタも、ミナセさんに会いたいんじゃないの?」
王 「…………」
少女 「ミナセさん、絶対に来るよ。私のことが一番好きじゃなくったって…………どんなに他に好きな人がいたって、命懸けで来てくれる。諦めたり、逃げ出したり、しないよ」
王 「…………随分な惚れ込みようだな」
少女 「…………アナタは何を知っているの?」
王 「…………。…………俺は」
少女 「…………キャッ」
階段に差し掛かり、足下を崩した少女を咄嗟に王が支える。
石造りの王宮に淀む空気は、どこまでも重苦しい。
あまり使われていない通路らしく、2人を照らす明かりは古びた燭台に王が灯した、小さな火の玉だけである。
王は歩みを遅め、少女に厳しく命じた。
王 「もう黙れ。…………お前は貴重な戦力だ。弱られては、あの魂獣にも障る」
少女が眉を顰め、唇を噛む。
王の横顔は暗がりに覆われ、少女の翠玉色の瞳は寄せる衰弱の波によって、いよいよ濁っていた。




