114-1、あーちゃんの一歩。俺が虹色のフラッシュバックに襲われること。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
そこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受け、危機感を募らせる。
その後、リーザロットの悲願であり、「勇者」の使命でもある戦の和平を実現するため、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征を行った。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
魔導師・グレンの助けにより、何とか奪還の望みを繋ぐも、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒して、目標達成まであと一歩まで迫ったという時、ヤガミが再び俺達の前に立ちはだかった。
大混戦の中、俺とフレイアは急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと逃れた。
そこで待っていた真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミを連れて、今、俺達は再度サンラインへと降り立ったのだった。
「時に、「勇者」君。茶は好きかね?」
唐突にグレンに尋ねられ、あーちゃんははたと目を瞬かせた。
リーザロットは可愛らしく胸の前で手を合わせ、さらに言い加えた。
「スレーンは今、慌ただしい状態ですから、残念ながら新しいお茶は届いていないのですが…………私のとっておきは、まだまだ沢山あります。ぜひ召し上がってください」
俺はずっこけるような気持ちで、肩を竦めた。
さっきまであんなに深刻だった雰囲気が、急にお茶会ムードだ。
この国の人がとにかく何よりまずお茶をしなければ始まらないと考えているのは知っているけれど、今回もまた例外ではないのか。
リーザロットはウキウキと楽しそうに話した。
「そしたら、そうですね。フレイア達も呼びましょうか。彼女達にも、「勇者」様のお力のことは一度きちんと伝えておくべきですし。それに、あんまり堅苦しくしても肩に余計な力が入ってしまいます。見知った顔のいた方が、少しは「勇者」様も気楽になるのではありませんか?」
そうでもないんだなぁ、これが…………。
そんなこと、言えるはずもなく。
あーちゃんはポカンと口を開けて、また流されるままになっていた。
そんな中グラーゼイが、つかつかとリーザロットの傍へ寄っていって耳打ちした。
「…………憚りながら、お伝えいたしたいことが…………」
よく聞こえないが、まずヤガミのことと見て間違いないだろう。
リーザロットは二言三言、真剣な顔で何か問い返すと、たおやかにグレンを振り返った。
「…………どう思いますか?」
グレンはあーちゃんを見て、言った。
「「勇者」君に聞こうか。…………教えてくれたまえ、「勇者」君。君達が連れてきた例の人物…………ジューダム王の肉体である「ヤガミ」という者は、どういった人間なのかね? 信頼するに足るのか、どうか。意見を伺いたい」
あーちゃんは「え」と間の抜けた声を上げて肩を狭めると、やや慌てた様子で一同を見回し、挙句縋るように俺を仰いだ。
俺が代わりに答えようとしたのを、低い声が抑え込んだ。
「ミナセ殿には聞いておりません。「勇者」殿にお尋ねしております」
無論グラーゼイである。
何だ、こいつ? また俺に喧嘩を売っているのか? 俺が「勇者」じゃなかったことがよっっっぽど嬉しいらしい。
俺はあーちゃんをぐいと自分の側に寄せてオオカミ野郎を睨みつけ、言い返した。
「その「勇者」様が俺を頼っているんです。…………口を挟まないでいただきたい」
最後の一言は、露骨に相手の口調を真似てやる。
オオカミ野郎はピクピクと神経質に片耳と瞼を動かし、また減らず口を叩くべく、ズラリと白い牙の生え揃った獣の口を開きかけた。
だが下らない応酬は、他でもない「勇者」本人によって未然に断たれた。
「あっ…………あの、私…………ヤガミさんは良い人だと、思います」
場の視線が一斉にあーちゃんへ集まる。
あーちゃんはもう一度周りを見渡し、たどたどしく話し継いだ。
「わ、私…………魔法のことは、全然わかりません。この世界の言葉も、私には全く伝わってこないですし…………平和な国から来たから、正直、戦争って言われても、ピンときません。誰が何人亡くなったとか言われても、ちっとも実感が湧かないんです。…………お姫様の気持ちもわかる…………わかってあげたい気持ちは、すごくあるんですけど…………わかったなんて、とても気軽には言っちゃいけない気がして…………。
その…………話がズレてすみません。でも、ヤガミさんは、そんな私と同じ国で育った人なんです。私より頭が良いし、しっかりしているちゃんとした大人だし、大違いかもしれないけど…………」
直接向けられてこそいないものの、あーちゃんの眼差しの微かな圧力を感じる。
悪かったね。兄ちゃん、ちゃんとしてない大人でさ…………。
ケッ、と心の中で呟き、俺は彼女の話の続きを待った。
あーちゃんは言葉を探し探し、辛抱強く言葉を紡いでいった。
「えっと…………だから、思うんです。ヤガミさんも私と同じで、あんな風に余裕に見えても、本当はまだわからないことだらけで、きっと悪いことも良いことも、考えつく以前の問題なんじゃないかって…………。
ヤガミさんは、ジューダムのことも、サンラインのことも、兄から聞いて初めて知ったっていう風に、私の目には見えました。ヤガミさんは、私が誰だか知らなかった時からずっと変わらず親切でしたし…………。きっと、どこでも、誰にでも、親切なんだと思います。
…………ですから、あの…………私は、信じて欲しいなって、思います」
消え入りそうでありながらも、妙に熱っぽい口調で語る彼女に、俺はちょっと意外な思いがした。
いつも強気ではきはき喋る印象だったけれど、俺から離れるとこんな感じなのかな。
そう言えば、家の外でのあーちゃんなんて、俺は全く知らないのだった。
思えば、神社の前の道でヤガミと話した時も俺は同じ思いをした。
皆それぞれ生きていて、めいめい考えている。俺がいなければ、俺がなんとかしなくちゃ…………なんて考えるのは、一人相撲みたいで心底滑稽な話だ。
俺はあーちゃんの肩からさりげなく手を離し、グレンを見た。
グレンは目を細め、あーちゃんを見守っている。リーザロットはまるでお姉さんみたいに、ふんわりとした大人びた笑みを浮かべていた。
ついでにグラーゼイが目に入ったが、こいつは相変わらずの厳めしい忠犬面で、あーちゃんを睨んでいた。(…………真顔なんだろうけどな)
グレンはわずかに顎を引くと、隣のリーザロットに声を掛けた。
「…………では、決まりですかな」
「ええ、そうね。「勇者」様に迷いは無いようです」
リーザロットが応えて頷く。
彼女はすっくと席を立つと、颯爽とスカートの裾を翻して扉へ向かった。
「それでは、ヤガミさんのお茶も合わせて用意して参ります。ちょっと自室にお茶っ葉を取りに行って参りますので、皆さんは先にウィラック先生を迎えに行っていてください」
足取りも軽く、リーザロットがパタンと扉を閉めて出ていく。早い。
だがそれよりも俺は、最後の一文に混ざっていた聞き捨てならない単語に正気と理性を奪われつつあった。
ウィラック…………?
ウィラック…………!
肉体の脳細胞が鮮烈な記憶のフラッシュを放つ。
身体中の血管を駆け巡った虹色の液体の残響が俺のニューロンを連鎖的にスパークさせ、彩り鮮やかに蘇る。
全身にエメラルド色の鱗がびっしりと生えてくる…………!
鏡の中の怪奇トカゲ男が、三日月形にバックリと口を開けて俺へ笑いかけた。
あ、ああ…………
ア…………、
…………ウサギサン…………ウサギサンコワイ…………!!!




