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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第10章】枝分かれする我がカントリー・ロード
221/411

110、深夜の退屈トーク履歴。私がフレイアさんに翻弄されること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 だがそこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受ける。

 辛くも危機を脱した後に、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指し遠征を開始する。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 戦いの最中で仲間とはぐれ、満身創痍の俺達の下に現れたのは魔導師・グレン。彼は俺達に救いの手を差し伸べ、再びテッサロスタの奪還へと挑ませる。

 そして無事、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者を倒し、奪還まであと一歩という所まで迫った俺達。

 しかしジューダムの王はそんな俺達を見逃さず、俺はフレイアと共に急遽時空の扉を潜り抜け、オースタン…………俺の故郷、地球へと舞い戻ることとなった。

 そこで待っていたのは、真の「勇者」こと俺の妹・水無瀬朱音と、もう一人のヤガミであった。

 熱いシャワーがたっぷりと降り注ぐ。

 私は広い湯船の中で思いきり足を延ばして、その贅沢な雨音を聞いていた。


 フレイアさんは不思議そうにシャンプーのボトルを見つめたきり(何の為に使うのか説明したのに、納得がいっていないらしい)、黙って白い雨に打たれ続けている。

 彼女の均整の取れた身体の美しさは、私が今まで見た女性の中でも断トツで抜きんでていた。


 艶やかな肌には多くの傷跡がある。古いものから、新しいものまで、数え切れないほどだ。彼女が伊達や酔狂で騎士の格好なんてしていないのだということは、何よりもその傷が物語っている。


 だが、鍛えられた四肢はまさに「カモシカのよう」と例えられるそれだった。腰や胸や背中のラインは、同性の私でさえ惚れ惚れとするような完璧な曲線を滑らかに描いている。

 濡れた銀の髪から滴る水滴が、バラ色の頬を伝って流れる。

 彼女はようやく決心がついたようで、紅玉色の瞳をキッと勇ましく光らせ、ポンプを強く一押しした。


 私が先に実践してみせたのを真似て頭を洗うフレイアさんは、それでもやはりたどたどしく、泡が目に泡が入らないよう苦心していた。公園で一瞬だけ閃かせたあの鮮やかな剣捌きが、まるで嘘のような不器用さだ。

 私は無言で出しっぱなしのシャワーを止めてあげ、急にお湯が止んで戸惑う彼女に、「すぐにまた出せますよ」と言い添えた。


 それにしても、兄もフレイアさんも、一体どこのアマゾンかサバンナを旅してきたんだと尋ねたい。いや、異世界(サンライン)から来たということはさっき聞いたが、そのサンラインがどんな場所なのかは、いまいちピンとこない。


 魔術?

 伝承?

 三寵姫?


 そもそも、兄はどうしてそんなよく知らない世界を命懸けで救おうとしているんだろう?


 こっそりと溜息を吐くと、水面にツツと控えめな波紋が広がった。

 フレイアさんは若干まだ泡の流しきれていない頭で、次はコンディショナーのポンプを強く押していた。(恐らく、シャンプー以上に意図を理解していない)

 フレイアさんはわしゃわしゃと頭を掻き乱し、次いで何度か追加でコンディショナーのポンプを押して同じことを繰り返した後、いかにも困り果てたといった表情でこちらを振り返った。


「アカネ様! こちらのお薬はちっとも泡が立ちません! なぜでしょう? フレイアの魔力が干渉してしまっているのでしょうか? ちゃんと清めになっているか、心配です」


 私は大丈夫だと頷き、よく流すよう伝えてからシャワーを開けた。

 基本、何を説明しても説明不足…………。

 気持ちの良いお風呂だったはずなのに、得も言われぬ疲れの残ったことは否めなかった。



 風呂から上がると、兄とヤガミさんが何か深刻な様子で話し合っていた。

 彼らはどうやら私達に話をきかせたくはなかったらしく(ヤガミさんの優しく品の良い態度が、かえってそれを強調していた)私達を残して、さっさと寝室へと移動してしまった。


 そんなわけで、私とフレイアさんは洗面所に戻って、風の精(シルフ)と戯れていた。


「大丈夫です、アカネ様! このような術に頼らずとも、髪はいずれ乾きます!」

「ダメです! 風邪ひいちゃいますよ!」

「風邪などもう十年近くも引いておりません! どうかもうご勘弁ください! このようなことは身に余ります!」

「ダメです! ホラ、髪も梳きましょう! 折角綺麗な髪なのに、グシャグシャじゃないですか!」

「わぁっ、自分で出来ます! 自分で出来ますから! …………それより、どうかこのシルフを先にお鎮めください! シルフは気まぐれです! いつ制御を失って貴女に危険を及ぼすか、不安でなりません!」

「だから、シルフは関係無いですってば!」


 フレイアさんは、会った時の印象からすれば他愛もないぐらいに子供っぽい一面を持っていた。こうして身繕いしていると、本当に無力な女の子になってしまうようだ。


「…………。ふんわりとして、良い香りがします。ですが、くすぐったいのです…………」


 ようやくおとなしくなったフレイアさんが、頬を染めてポツリと呟く。一応、ちょっとは喜んではいるみたいだ。


 何もしなくてもアイドル級の美人だが、これで髪型や服装を本気で整えたら、どんなお姫様に生まれ変わるのだろう。

 嫉妬はちょっぴりある。だけどそれよりも、私はもう単純に、魔法の世界の造形に感心していた。


 フレイアさんは目をソワソワとさせながら、居心地悪そうにドライヤーを浴びている。

 しなやかに揺れる銀の髪が明るい照明を浴びて、キラキラと真珠みたいに輝いていた。


 私はすっかり柔らかくなった彼女の髪を丁寧に梳かしながら、どんな顔をしていたかな。



 ところで、ヤガミさんの元カノの影は洗面台の充実した化粧品以外にも、あちこちに見え隠れしていた。

 部屋のいたる所に配置された観葉植物も、ソファに置かれていたキャラクター柄のクッションも、そこはかとなくヤガミさん以外の人間の趣味を漂わせていたが、今、私とフレイアさんが身を包んでいる部屋着は、まさに彼女の遺物であった。


「…………不思議な素材です。サンラインにいらしたばかりの時、コウ様がお召しになっていたお洋服とよく似ていますね。非常に軽くて動きやすく、丈夫で、しかも大変速く乾くので、蒼姫様が大層驚かれていたのを覚えております」


 兄がジャージで異世界へ旅立ったと聞き、私は軽くめまいがした。

 アイツ、まさかあのクソダサ白ライン黒ジャージで「勇者」を名乗っていたとは。

 いかに相手が異世界人とはいえ、あんな服じゃ威厳が出るわけあるまいに。


 フレイアさんはまじまじと自分の服(兄の愛用品とは違い、こちらはまっとうなブランド品だ)を見つめ、これまでで一番の笑顔で言った。


「服を着替えるのは不安でしたが、これは素晴らしいものです! これに相応の術式を施せば、一流の仕立屋も目を剥くに違いありません!」

「そ…………そう」


 私は自分では絶対に買わないような、ピンクのモコモコのワンピースの中で肩を縮込めた。

 何と言うか、ここまで晴れやかにジャージを喜ばれると、どういう顔をしていいかわからない。自分の着ている服が、むしろなんだかひどく場違いなものに思えてきさえした。このフワフワとろ~りな布地の寝間着では、夢の中以外どこを旅することもできない。

 私は気分を切り替えるべく、話題を変えた。


「その…………フレイアさんは、どうして騎士になろうと思ったんですか?」


 満足気に手足を曲げ伸ばししていたフレイアさんが振り返り、紅玉色の瞳を瞬かせる。

 彼女は畳の上で行儀良く姿勢を正すと、少しハスキィな声で、はきはきと語った。


「はい。幼少の頃から剣術の修行をしておりましたので、主のためにその技を尽くすべく、教会騎士団への入隊を決意いたしました。光栄なことに、精鋭隊員として認めて頂き、以降はこうして日々勉強させて頂いております」


 私は面接の如き気合に少々面食らいつつ、苦笑した。


「も、もっと軽くでいいですよ。…………剣術の修行は、ご自分で始めようと思ったんですか? それとも、ご両親に勧められてとか?」

「後者です。お師匠様についたのは本当に幼い頃でしたから、あまり自分から剣を欲するという感じではありませんでした。

 お母様はその時にはすでに亡くなっておられたので、お父様と、当時お世話をしてくださっていたおばあ様のご意向であったように思われます」


 お母様…………?

 動じてはいけない。流す。

 私は心を強く持って、会話を継いだ。


「その…………サンラインでは、そうやって女の人が戦うのは、普通のことなんですか?」


 フレイアさんは少し考える風に目を上へ向け、また私を見て答えた。


「それは…………どこまでを「戦う」と見做すかによります。騎士団には多くの女性が在籍し、皆、高度な剣術と魔術を身に着けております。ですが、彼女達に限らず、サンラインでは魔術はとても基本的で重要なものですから、誰もがある程度の技術は持っております。これらは無論攻撃にも使えますので、そう言った点では、女性が「戦う」のはごく一般的なことではあるでしょう」

「はぁ…………」


 誰もが生活のために銃火器の扱いを覚えている、そんな土地を想像すればいいのだろうか。何という殺伐とした世界。


 フレイアさんは、失礼でない程度にじっと私を見つめていた。華やかなシャンプーの香りを纏い、頬を桃色に染めた彼女は、言い過ぎではなく天使か花か見分けがつかない。

 彼女が何を探ろうとしているのかはわからない。ただもし私が彼女だったなら、探し求めている真の「勇者」がいかなる存在か、何としてでも見定めようとするだろう。


 自分にも兄が持っていたような特別な力があるというのか。

 そもそも、本当に私が「勇者」なのか。

 今は何もかもわからない。わからないのに、決断を迫られている気配をひしひしと感じる。


 フレイアさんは円らな目をほんの少し細め、しみじみこぼした。


「…………アカネ様は、コウ様に似てらっしゃいますね」


 私は意表を突かれ、「えっ」と声を上げた。

 フレイアさんは微笑み、さらに付け加えた。


「特に瞳の色がそっくりです。大樹の幹のような、深くて大らかな茶色。何気なく視線をどこかへ送られる時の仕草も、本当に、全く同じです」


 その声音には、女子なら誰にでもハッキリとわかる甘やかな響きが宿っていた。

 ああ、この人は恋しているんだと、こちらにまで幸福感が滲んでくる。

 彼女を見守る兄の横顔が、ふと脳裏によぎる。

 私はささくれ立つ胸を無視し、笑い返した。


「…………よく見ているんですね、兄のこと」


 紅玉色の瞳がハッと大きくなり、みるみるうちに頬が赤く、リンゴみたいに染まっていく。俯くと睫毛の長さが目立って、ぐっと女の子らしくなる。

 フレイアさんはやや慌てた声で、すぐに言った。


「い、いえっ、その…………コウ様をお守りするのが任務でしたから…………あの…………」


 何を動揺する必要があるのだろう。兄は独身だし、知る限りじゃ彼女がいたことない。お似合いというにはあまりに顔面偏差値がかけ離れているけれど、お互いに好意を抱いているなら、そんなの何の関係も無いじゃない。


(…………そう。何の関係も無い)


 自分の胸にも、よくよく言い聞かせる。

 妹の私には、どうだっていいことだ。


「…………」


 黙っている私を、フレイアさんが不安な面持ちで見ている。

 何か言わなきゃいけないけれど、彼女の顔を見ていたら、何だか急に気分じゃなくなってきた。


 …………知らないよ、もう。

 そうだ。私には何の関係も無いんだ。

 「勇者」なんて知らない。

 異世界なんて見たくない。


 お兄ちゃんは私のことなんか忘れていた。私達家族のいる世界よりも、サンラインとかいう殺伐ファンタジーワールドの方が大切だった。

 フレイアさんがいるから! こんなに可愛い女の子に一途に想われて、私のことなんか、ちっとも見えなくなっている。


 お兄ちゃんは変わってしまった。

 今までに無かった力を手に入れて、大勢の人に頼りにされて、調子に乗っている。

 何であんな風に堂々と振る舞えるの? 

 もっと戸惑ったり、落ち込んだりしているものじゃないの?

 どうして私ばっかり、こんな惨めな気分にならなきゃいけないの!?


 助けにきてくれた時は、嬉しかった。すごく、すごくすごくすごく。

 大好きな背中がやっと戻ってきてくれて、本当はすぐにだって駆け寄りたかった。

 でも…………できなかった。


 フレイアさんやセイシュウが傍にいたから?

 …………違う。

 お兄ちゃんは、私が思っていたよりもずっと、ずっとずっとずっと遠くにいた。


「…………アカネ様? どうかされましたか? お加減が悪いのですか?」


 俯いて膝を抱きすくめている私に、フレイアさんが優しく話しかけてくる。

 心の底から心配しているって、一目でわかる表情。この人はきっと、お兄ちゃんにも同じ顔を向けて支えてきたに違いない。


 何にもできない、ただの子供の私とは全然違う。戦えるし、何もしてなくったって可愛いし、これからだって、お兄ちゃんに誰よりも必要とされるんだ。


「あの、お水でもいただいてきましょうか?」


 フレイアさんが寄り添って私を覗き込む。

 視界の端では、私のスマホが激しい点滅と振動を繰り返していた。

 怒涛の勢いで送られてくるメッセージ。お母さんは私を心配してくれているだけだって、お兄ちゃんのことがあったから一層不安なだけなんだって、わかっているのに、それでも苛々する。

 私は背中に手を添えようとしたフレイアさんを避け、スマホを手に取った。


 しょんぼりと肩を落としているフレイアさんに気付かないふりをして、私はスマホのメッセージをスクロールする。

 意外にもお母さんからのは一通だけで(「お母さんはもう寝ますね。お友達とたくさん楽しんできてね」)、残りは高校の友達からだった。アニメのキャラとクラスメートの男子が似ているとかいう、すごく他愛も無いことで盛り上がっている。


「…………お急ぎの要件でしょうか? 何かフレイアにお力になれることはありますか?」


 スマホが何かなんてわからないくせに、何でそんなことばかり察せるんだろう。

 どうしてこの人はこんなに、こんな態度の私にまで健気でいるのだろう。

 仕事だから?

 それとも、お兄ちゃんに好かれたいから?


 私は手早く返信を済ませ、自慢の器用さで笑顔を取り繕った。

 正直な距離を伝える、笑顔。


「…………大丈夫です。気遣いありがとうございます。ちょっと考え事をしていただけです。

 私達も、もうそろそろお休みしましょうか」


 フレイアさんの寂しげな笑顔が、チクリと胸に刺さる。



 それから、電気を消して布団に潜り込んだ後も、私のスマホは忙しなく震え続けていた。

 私は適宜返信しながら、ぼんやりと眠れない夜を過ごした。

 フレイアさんは画面の明かりに気付いていたはずだが、一切こちらを振り向かず、また、何も言いもしなかった。

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