107-1、翻せ、反旗。叫べ、奪還宣言。俺が一生に一度の晴れ舞台に立つこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
だがそこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受ける。
辛くも危機を脱した後に、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指し遠征を開始する。
旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
戦いの最中で仲間とはぐれ、満身創痍の俺達の下に現れたのは魔導師・グレン。彼は俺達に救いの手を差し伸べ、再びテッサロスタの奪還へと挑ませた。
そして今、俺は仲間がジューダム軍を引きつけてくれている間に、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者し、勝利したのだった。
東方区領主の館の内部は、魔術が解けてしまえば、実に素っ気ないものだった。
贅の限りを尽くした調度も、色とりどりの宝石も、滅多矢鱈に豪華な額に飾られた人物画も、埃っぽい無人の館の日差しに照らされてみると、悲しいぐらいつまらなく、味気無く感じられた。
領主の家族も信徒のうちにいたのだろうか。いずれにせよ彼らにはもう抗うだけの力は無い。
領主の部屋と思しき一段と豪華な部屋から、だだっ広いバルコニーへ抜け出ると、戦火に燃えるテッサロスタの街が一望できた。
格子状に発達している街のあちこちから、絶え間なく悲鳴や怒号が聞こえてくる。崩れた建物は数多く、通りには家を失った住民や負傷して動けなくなった兵士が所狭しとひしめき合っていた。
俺は街の上空へ目をやり、激しく飛び交う竜達を目の当たりにした。
どこから湧いたのか、何十頭もの濁竜が甲高い声で鳴き騒いでいる。俺達の連れてきた数少ない緋王竜…………セイシュウと、グラーゼイの乗っていた竜、そしてグレンが呼びつけたであろうシスイの老竜が、途切れることなく弧を描きながらその中を泳いでいた。
中でも一際鋭く、最も自由に飛ぶ老竜の乗り手が、チラとこちらへ視線を向けた。
「シスイさん!」
俺が手を振ると、乗り手は微かに口角を上げたか。
彼は横から殴りつけるように襲ってきた濁竜を軽やかに翻って躱し、老竜の身体を宙返りさせた。
次の瞬間には手品のように、老竜の牙が濁竜の首に深々と沈んでいる。
シスイと老竜は獲物の悲鳴をすら置いてけぼりに、またすぐに別の相手へと掛かっていった。
彼の目にはもう、空しか映っていない。
街の特に激しく炎上している地区の上空では、一目で乗り手の正体が知れる派手な戦が繰り広げられていた。
柔らかくハスキィな女性の詠唱が、記憶から鮮やかに蘇る。
宙に扇状に大きく広げられた火焔のレースが、彼女を取り囲む濁竜や建物の屋上に集っている魔術師達の頭上にフワリと振り掛かった。
一転、乗り手が彼女自身にも似た、細く凛々しいレイピアを素早く一薙ぎすると、たちまち濁竜と魔術師達が火炎のひだに抱かれて燃え上がった。
情熱的に踊る炎。
狂ったように喚き墜ちる濁竜。
絶叫し、次々と建物から転がり落ちていく人々。
緋王竜の乗り手は冷徹に次なる戦場へと突き抜けていく。風に翻弄される火の粉が微かに彼女の横顔を赤く照らす。焦がす。紅玉色の瞳に宿る光は、凄絶としか言いようがなかった。
「フレイア…………」
俺は彼女の無事を喜ぶと同時に、若干怖気づいた。
だが、俺だって見方次第では彼女と同じだけ…………いや、それ以上の屍を築き上げてきたばかりだ。
それに、これから始めようとしていることは、もっとたくさんの命を葬ることに他ならない。
俺はタリスカが差し出した(彼のマントの中は四次元ポケットか何かか…………?)グレンの拡声器を受け取り、欄干の前に立った。
拡声器は、複雑な魔法陣がびっしりと刻み込まれた、ヘッドセットみたいな形をしていた。俺がタリスカの指示した通りに魔法陣に触れると、それはパッと全体を黄緑色に光らせ、同じ色の巨大な魔法陣を街全体に張り巡らせた。
「…………話せ」
タリスカが有無を言わせぬ威圧感でもって、俺の逃げ場を失くす。
街中の空気の細かな震えが、直に肌に伝わってきた。熱いような、痛いような、凍えるような、痺れるような…………。街の動揺が砂嵐となって、俺の脳をビリビリと苛む。
俺は頭が真っ白になるのと、目の前が真っ暗になるのとを一時に感じた。
そんな俺の背を、温かな手がそっと支える。
ハッとして隣にいるナタリーを見やると、彼女は翠玉色の瞳を優しく、頼もしく細めて、こくんと小さく頷いた。
「…………ありがとう、ナタリー」
小声で伝えると、「どういたしまして」と唇だけで彼女が返す。
俺は気持ちのリセットのために一度俯いて息を吐き、顔を上げた。
…………よし、やるぞ!
「――――――――聞いてくれ!!!」
思いっきり大声で怒鳴ると、耳がキィンとした。
俺は勢いと痺れが切れないうちに、次いで語った。
「俺は、ミナセ・コウ…………オースタンから来た伝承の「勇者」だ!!」
自分で言っちゃう?
ナタリーの顔が見えるよう。
タリスカは不動の姿勢で辺りを睨み渡している。
俺は冷静になることから全力で逃げつつ、続けた。
「東方区領主の館は、俺と俺の仲間が占拠した!!! 領主はサンラインを裏切り、「太母の護手」と共にジューダムに加担して、この街を支配していた!!!
だけど、束縛の時間はもう終わりだ!!! この街は、自由だ!!! 自由のために、戦う時が来た!!!」
人々のざわめきがザワザワと肌を這う。
戸惑い、驚き、…………歓喜。
俺は手応えを噛みしめ、一気に言いきった。
「これからテッサロスタを奪還する!!! ジューダムの兵士は、直ちに撤退しろ!!! お前達が頼りにしている「太母」の呪術師共は、もう俺達が全滅させた!!!
「勇者」・俺、「白い雨」の精鋭、スレーンの騎竜の達人、大魔導師・グレン、それに…………お前達が踏みにじってきたこの街の住人全員が、お前達の相手だ!!!
サンラインのみんな、今こそ力を尽くしてくでッ!!!」
…………。
噛んだー…………。
振り向くまでもなく、ナタリーの必死で笑いを堪える表情が見える。俺は照れるフレイアみたいに真っ赤な顔をしていた。
うう…………一生に一度の舞台で、何もあんな最後の最後で…………!!!
だが、俺の人生最大級の赤っ恥は、たちまち住人達の大歓声に掻き消された。
街のあちこちから、色とりどりの魔術の光が眩く放たれる。
一斉に解き放たれたテッサロスタの魔術師達が、ついにジューダム兵へ戦いを仕掛け始めたのだ。
自由への咆哮が、大波となってジューダムの力場を襲う。
「「勇者」に続けぇ――――――――!!!」
野太い男性の声が、拡声器の魔法陣中に轟き渡った。
俺は鼓膜を激しく震わせたその声の主に、目を見張った。
「グラーゼイ…………!」
彼は緋王竜に跨り、正面から飛び掛かってくる濁竜へ勇猛に打ち掛かっていった。
力強く唸る風を纏ったグラーゼイの銀の刃が、紙一重で濁竜を真一文字にぶった斬る。
血飛沫をもろに浴びた彼は獣そのものの吠え声を上げ、さらにサンラインの軍勢を昂らせた。
「すご…………」
ナタリーが目を丸くして呟く。
そこへ、一頭の竜が舞い込むように俺達の元へ飛来してきた。
仰ぐと、ナタリーとタリスカが乗っていた藍佳竜の背にグレンが乗っている。グレンはこんな時でもキッチリとロマンスグレーの髪を七三分けにし、ローブと襟を正していた。ヘイゼルの瞳は極めて冷静ながらも、強い覚悟を灯している。
グレンは竜をその場で羽ばたかせ、話した。
「ご苦労、諸君。おかげで奪還作戦はいよいよ大詰めだ。
タリスカ氏、ナタリー君。乗り手を交代しよう。この竜は大き過ぎて、少々私の手に余る。君達は上空から市街の援護に回ってくれたまえ。戦況は実に良い。このまま一気にケリをつけよう。
そして、私とミナセ君はここで共力場を編成し…………」
言いかけたグレンが何か短く詠唱し、急遽竜から飛び降りた。藍佳竜が翼を広げて上昇する姿勢を見せる。
いつ抜刀したのかもわからない、タリスカの刃が空を斬る。
ナタリーは翠玉色を俄かに動揺させ、俺を地面に押し倒した。
「――――――――ッ!?」
次の瞬間、バルコニーは大量のマグネシウムを一遍に焚いたかのような強烈な閃光に包まれた。
激しい光の爆発が視界を完全に奪う。
知らない魔力が怒涛の如く俺の舌を、咽喉を、臓腑を、隅々まで焼き焦がしていく。強いアルコール特有の熱さと痛み、そして爛れるような心地の舌触りが、俺を駆け巡った。
微かに漂ってくるのは、硝煙に似た匂い。
土の香。
草いきれと共にまざまざと蘇る、冷たい真冬の鉄の感触…………。
(…………っ、これ、は…………)
ナタリーがきつく俺を抱き締めていた。彼女の恐怖が、小刻みな震えと乱れた心臓の鼓動となって伝わってくる。
俺は彼女の肩をしっかりと抱き寄せ、即座に場に意識を走らせた。
(…………ああ、クソ)
俺は瞬く間に敷かれた広大な魔力場の源を突き留め、唇を噛んだ。
マグネシウム光が次第に収まっていく。
いつの間にか、俺とナタリーの前にはグレンとタリスカが立っていた。2人とも、一分の隙も無い構えである。グレンの襟と髪は無惨に乱れ、タリスカの2刀は凍てつかんばかりに青白く輝いていた。
彼らの険しい視線の先には、騎士を連れた一人の男が緋王竜程の大きさの竜に乗って飛んでいた。
黒曜石を彷彿とさせる、見る者の畏敬を否が応でも集める美麗な竜の背に立ったその男は、髪と同じ栗色の睫毛の下の灰青色の瞳を伏し目がちにして呟いた。
「…………「扉の魔術師」。警告したはずだ。…………二度と、俺の前に姿を現すな、と」
風に流れる長い前髪も、彼の感情を覆いはしない。
怒りを分厚く纏った複雑極まりない感傷が、俺へ真っ直ぐ向けられていた。
俺もまた何一つ繕えずに彼を見返していた。
こうして出会ってしまった以上、もう別の道は見つけられない。
自分達の不器用さは、互いに身に染みて知っている。
俺は再び相まみえた幼馴染に、こう答えた。
「…………「ジューダムの王」。お前との約束は、守れない」




