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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
母の良き息子
214/411

106-2、永い夢の果て。朱い水晶の森で、俺が聞き届けた願いのこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 だがそこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受ける。

 辛くも危機を脱した後に、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指し遠征を開始する。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 戦いの最中で仲間とはぐれ、満身創痍の俺達の下に現れたのは魔導師・グレン。彼は俺達に救いの手を差し伸べ、再びテッサロスタの奪還へと挑ませた。

 そして今、俺は仲間がジューダム軍を引きつけてくれている間に、ジューダムの支援を行う「太母の護手」の指導者と対決していた。

 燃えるエルフの宮殿の幻想が晴れた後に残ったのは、ジューダムの力場を埋めているあの白い腕達だった。


 翠玉色の潮流は、海底に蠢く白い腕の指先を撫で、優しく一つ一つ剥がしていく。

 浮き上がった腕はやがて霧となって霞み、たちまち跡形も無く海に溶けていった。

 攫われなかった僅かな腕が、まだ微かに揺れている。だけどそれもそのうち翠色に透けて、全く見えなくなった。


 レヴィは歌っている。

 彼は少しだけくすんだ虹色を帯びて、やんわりと輝いていた。攻撃的な色の爆発はすっかり影を潜めて、何だか普通のクジラを眺めているみたいだった。自然体なのに、不思議と目が離せない。身体がまたちょっと大きくなっていた。


 ナタリーは水面からたっぷりと降り注ぐ白い日差しに、小麦色の肌と豊かな髪とを黙って晒していた。

 翠玉色の瞳がレヴィの鈍い虹色を映している。

 およそ「無色」とは程遠い、こんがらがった色の錯綜だったけれど、偽りの無い彼女が確かにそこに湛えられていた。


「ナタリー、平気かい?」


 俺が尋ねると、彼女は少しだけ大人っぽく微笑んだ。

 レヴィが呼応して、柔らかく、物悲しい歌を響かせる。

 俺は2人の鮮やかな調和を見守りつつ、満ちた海が引いていくのを黙って待った。



 ――――――――…………。


 程無くして、俺達は再び館のホールへと戻った。

 そこではすでに、死神が「太母の護手」指導者の男…………不遇なジューダムの魔術師、ネイ・スーの首に刃を添えていた。

 彼らの周囲には魔物…………としか思えない何かの肉の細切れが、堆く積まれていた。中には人の亡骸らしきものも少なからず混ざっている。

 ナタリーは目にした途端に眉を顰め、顔を背けた。


「タリスカ…………これは…………?」


 俺が尋ねると、彼はいつもと寸分変わらぬ冷たい声で答えた。


「この男が召喚した魔だ。霊体を失くした信徒共を礎に、ジューダムの術を駆使して造られしもの。…………手を触れるな。まだ息がある。それは不死だ。この男の源であったエルフによって呪われている」


 俺とナタリーがおずおず距離を取る。不死と呼ばれた魔物の肉片は、目を凝らせば微かにまだ蠢いていた。

 タリスカは男を真っ直ぐに見下ろしながら、言葉を継いだ。


「勇者よ、お前がこの男の痕跡線を取れ。…………そのために生かしてある」

「え…………? で、でも、俺、どうすれば?」

「これを使え。…………水先人の娘、指南せよ」


 言ってタリスカが放り投げた何かを、ナタリーが片手でキャッチする。

 見てみると、それは筒状の小さな朱色の水晶であった。


「万華響…………。こんな大きいの、初めて見たよ」

「マンゲキョウ?」


 問い返す俺に、ナタリーが説いた。


「万華響は、魔術の痕跡を記録する石なの。私達みたいに魔術が苦手な人は、痕跡の特徴をきちんと覚えておけないから、こういう魔具を代わりに使うんス」


 ナタリーが首を捻り、水晶を物珍しげに眺め回す。彼女はそのまま不思議そうに続けた。


「普通はもっと単純な術にしか使えないはずなんだけど…………こんなに大きくて綺麗な石だったら、多分、今回のことも記録できると思う…………」

「どうやるの?」


 俺へ答えるより先に、ナタリーはタリスカを振り返った。


「…………ミナセさんがやらなくても、私がやれば良くないッスか?」


 タリスカは太い釘で深々と打ち抜くように、男をずっと睨み続けている。憎悪こそ感じられないものの、こちらまで焦がすような強い怒りが眼窩の奥に畝っていた。

 彼は微かたりにも声音を変えず、言葉を発した。


「勇者にやらせよ。それはグレンの特製だ。勇者の力でも容易く目的は達せよう」

「でも、ミナセさんをその人の力場に触れさせるのは怖いッス。私もその人達とはそれなりに戦ってきたし、できると思う」

「ならぬ。水先人の娘よ、己が身を案ぜよ。…………この者らはお前を欲している。勇者は無能ではない。…………石を預けよ」


 ナタリーが不満そうに黙り込む。俺はもう一度、協力を申し出た。


「俺、やるよ。方法を教えてくれないか?」


 ナタリーは長く溜息を吐くと、しぶしぶ俺に水晶を手渡した。


「…………竈と一緒ッス。まず水晶と共力場を編んで、それを通して調べたい魔力場に触れるの。そこで「これだ!」っていう痕跡を探したら、それを水晶の中に閉じ込めて、終わり。本当は痕跡の集め方や閉じ込め方にも色々コツがあるんだけど…………これだけ大きな石だったら、あんまり気にせず好きに詰め込んで構わないよ。…………そうでしょ、タリスカさん?」

「然り」


 タリスカが短く答える。

 俺は水晶を握り締め、彼の隣に立った。正面には虚ろな顔をしたネイが墓石のように静かに跪いている。ブツブツと唱えている言葉はジューダムの言葉であった。彼の気力はもう尽きかけている。弱々しい調子は、それをハッキリと俺に伝えてきた。


 俺は以前、東方区領主を処刑した時のことを思い出し、一瞬だけ身を強張らせた。

 この人達の夢は今、潰えるのだと…………改めて感じた。


「…………戦だ。剣を取った者は、いずれ死すのみ」


 タリスカは揺るがない。

 俺は大きく息を吸い込み、水晶をネイの額に翳した。


 …………行くんだ。永い夢の果てへ。



 ――――――――…………。


「これだ!」という痕跡を「集める」。

 そして水晶に「閉じ込める」。

 魔力場の中に飛び込んで、俺はようやくその行為を理解した。


 今、俺の周りにあるのは果てしなく広がる朱い水晶の森と、重く立ち込める灰色の空。そして、この戦いの名残だった。

 戦いの欠片は綿雪であったり、氾濫した川が押し流した家の破片であったり、砕けた牙であったりした。誰かの腕から剥がれ落ちた指や皮膚、爪なんかも、数え切れないほど散らばっていた。


 それらは最早、何の力も宿していなかった。どれもじっと地面に横たわり、時々風に煽られて、空しく宙を舞うばかりである。

 これ程に些末なもの達だと、あるいはあの書庫の王の複眼にすら留められずに、時に流されていってしまうかもしれない…………。


(…………えっと)


 俺は気を取り直し、とりあえずは目についたものを片っ端から集めていった。

 欠片は触れるとすぐに、朱色の水晶に包まれていく。ガラス細工みたいな樹々がそれと引き換えに、サラサラと葉を落として次々と枯れていった。どうやら、樹々の命を使って痕跡を閉じ込めているらしい。


(この樹を枯らし切らなければいい、って感じなのかな)


 俺は辺りを見渡して十分な余裕を確認し、再び作業に取り組んだ。


 この痕跡達を繋ぎ合わせれば、サンラインの魔術師ならきっと戦いの足跡を辿ってくれるだろう。元々の目的であった東方区領主一族と「太母の護手」、そしてジューダムとの繋がりも、それで明らかにできるはずだ。

 ただ、肝心の稲妻の紋章だけがどこにも見当たらないので、閉口した。


(どこで見つかるか…………)


 あの稲妻より強力な彼の身分証明は無い。それに、最終的に彼に止めを刺したのは、何よりあの紋章の痛みだった。彼の始まりであり、終わりでもある証。あの紋章を抑えておくのは、一連の繋がりを証明するためにはすごく重要なはずだ。


 考えつつ、俺は荒涼とした魔力場の中をさまよった。

 さすがにもうどこを探しても、集めていない種類の欠片は見当たらなかった。というか、これ以上の収集行為は俺の方がもちそうになかった。まだまだ水晶の樹は残っているとはいえ、何か拾う度に、本当に色んなことが頭をよぎる。何をどう思い出しても、胃や胸がキリキリとした。


 そうして、もうそろそろ潮時かと足を止めかけた時だった。

 ふと樹々の合間で、何かがチラついた。注意して目を向けると、そこでは人魂に似た灰青色の炎が、心許なげに尾を引いて揺らいでいた。


(…………? あんなものは今まで見なかったけど)


 おそるおそる近寄っていくと、人魂は風に溶けてあっけなく形を崩し、瞬く間に砂塵と化してしまった。

 吹き抜けるそよ風が、「彼」の囁き声を届けた。




「――――…………母様…………」




 それが誰へ向けた言葉だったのかは、本人にしかわからないことだろう。

 あの傲慢なエルフにも、書庫の王にも、もちろん俺にも、知る由が無い。

 願わくば、望んだ場所へと導かれてほしいが…………それは一体、どんな物語なのだろう。


 足下へ視線を下ろすと、雷に打たれて朽ち果てた大樹が横たわっていた。

 黒焦げになった幹や枝には、青い炎がまだポツポツと灯っている。それらもまたすぐに風に運ばれていったが、無惨な樹は死体のように重々しく、いつまでもそこに残されていた。


 俺はしゃがんで樹の枝を手折り、それを水晶に閉じ込めた。

 ハラハラと朱い葉が舞い落ちて、また一つ樹が枯れる。


(…………十分だな)


 俺は集めた水晶全てを両掌で包み、自分の肉体へと思いを馳せた。



 ――――――――…………。


 瞼を持ち上げると、自分と同じ目をしたネイが眼前にいた。

 俺は痕跡がもたらす色彩を大量に孕んできらめく水晶を彼から遠ざけ、タリスカに告げた。


「…………終わったよ」


 タリスカは微かに下顎骨を引き、抑揚無く応じた。


「よかろう。…………」


 そして彼は、躊躇い無く添えた刃を滑らせた。

 鮮やかな血飛沫が溢れ、ネイの身体がまるで玩具みたいに音を立てて床に崩れ落ちる。血の雨を浴びた不死の魔物は奇怪な動きでのたうち回り、そのうちに激しい痙攣を起こして静かになった。


 肉塊から噴き出す血の川が、床に不可思議な模様を描いていく。完全に偶然の産物で、何の魔法陣でもないはずなのに、俺にはそれがただの汚れだとは到底思えなかった。ナタリーも表情を固くして、血生臭い有様を見つめている。

 タリスカは刃を納め、俺達に語った。


「祈りは、不滅。例え魂が跡形も無く滅びようとも、その呪いは必ずや混沌より蘇る。この男の死など、無数の種の一つの消失に過ぎぬ。都には、太母を騙るものとして蒼姫の呪殺を狙う一派がまだ残っている。ゆめ気を抜くな。

 …………なれど、勇者、水先人の娘。よくぞ大魔を倒した。最早館に用は無い。…………外へ出る。奪還を宣言するぞ」


 颯爽とマントを翻して歩き出すタリスカの後を、俺とナタリーが急ぎ追う。

 そうだった。この後は、館の上階のバルコニーへ出て、グレン特製の拡声器(的な魔術装置)を使って、市内の魔術師を蜂起させる手筈であった。

 変な話だが、まさか本当に生き延びられるとは思っていなくて、今になってようやく実感が湧いてきた。


「あ、あの…………その宣言って、誰がやるんですか?」


 尋ねる俺に、タリスカは平然と答えた。


「お前だ」


 俺は頬を引き攣らせ、辛うじて笑った。

 ですよね、と自然に思える自分が、誇らしいような、ちょっと切ないような。

 ナタリーは「頑張って」と、無邪気に笑っている。


 …………だけど、あと少しだ。

 あと少しで、俺の宣言で、旅が終わる。

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