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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
異邦人の挽歌
206/411

103-5、追憶と復活。俺がもう一人の「親友」と再会すること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けた俺は、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、サンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 だがそこで俺達は五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムから襲撃を受ける。

 辛くも危機を脱した後に、俺達は少数精鋭で、都市・テッサロスタの奪還を目指し遠征を開始する。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、その途上で俺達はまたもやジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。

 戦いの最中で仲間とはぐれ、満身創痍の俺達の下に現れたのは魔導師・グレン。彼は俺達に救いの手を差し伸べ、再びテッサロスタの奪還へと挑ませた。

 そして今、俺達はジューダムの支援を行う「太母の護手」と相対し、死闘を繰り広げていた。

 ふいに小さな魚が俺の周りを巡って、闇の帳を螺旋状に裂いた。

 途端に目の前に広がった景色は、俺の走馬燈にしてはあまりに異質な光景だった。


 景色…………というか、記憶?

 いずれにせよ、切り開かれた地平は直ちに俺を飲み込み、世界を遥か彼方まで押し広げた。



 ――――――――…………俺は、仄暗い寝室に立っていた。


 そのだだっ広い寝室の中で、人々は皆、深い眠りに就いていた。遺体安置室にも似ているし、永遠の安らぎを約束する秘密の楽園のようでもある。ポツポツと壁際の燭台に灯された明かりはどれも優しく穏やかな色で、危うげなくゆったりと揺れていた。


 寝台にはそれぞれ異なった紋章が刻まれていた。多分、家紋か何かなのだろう。部屋の奥へ行けば行くほど、高貴な印象の洗練された紋に変わっていく。一番の奥の一段高くなった場所には、とりわけ豪奢な寝台が据えられていた。


 眠っている誰もがヤガミと同じ、栗色の髪をしていた。目を瞑っているから瞳の色こそ知れないものの、何となく顔立ちにも似通ったものがある。繊細で神経質そうな線の細さが、今となってはいかにも魔術師らしい。


 俺は部屋を見回し、何気なく、一つ向こうにある寝台の紋章に目を留めた。


「…………あれは」


 円の中に、鋭い稲妻が一条。

 寝台の上の人物の顔を覗き込もうと歩みかけたその時、錠の開く音がして、開かれた大扉から細く眩ゆい光が中に差し込んできた。


 入ってきた女性(逆光で顔はわからないが、赤ん坊を抱いていた)はすぐに注意深く扉を閉めると、足早に俺の脇を通り過ぎて部屋の最奥の寝台へと向かって行った。


 彼女の視線と仕草が、俺の姿が見えていないことを物語っている。

 ベルベット生地の深紅のドレスに身を包んだ女性は、銀細工の美しい短剣を腰に携えていた。ヤガミが身に着けていたものと同じだ。奥の寝台に刻まれているのと同じ紋章が、その柄に彫り込まれていた。


「王子。…………セイ王子。…………起きてください」


 寝台の上の少年が女性に揺り起こされる。

 俺は聞き覚えのあるその声に、息を飲んだ。覚えているよりもかなり若々しいけれど、あの優しい響きを聞き間違いはしない。

 起き上がった少年は、ゆっくりと目を瞬かせて女性を見返した。


「…………ユイ王妃様? どうして…………? 母様は…………?」


 灰青色の瞳でひたと相手を見つめる少年は、ヤガミだった。

 好奇心と同じだけの素直さがキラリと光る幼馴染の懐かしい眼差しは、俺を少なからず動揺させた。


 これは一体、誰の夢だ?

 俺はどこへ潜ってしまった?


 ユイ王妃と呼ばれた女性の横顔が灯に照らされ、俺は彼女が「ヤガミのお母さん」だと改めて知った。

 複雑な家庭事情があるという話は聞いていたけれど、まさか、こんな…………。


 ヤガミは眠たそうに目を擦り、答えを待って首を傾げた。

 ユイ王妃…………ヤガミのおばさんは軽く唇を噛み、彼と同じ目線に屈んで押し殺した声で話した。


「サホ王妃は最早正気ではありません。貴方のお兄様を玉座に据えるべく、見境の無い暗殺を行っております。第二王妃の私や私の子、このソラだけに飽き足らず、貴方を…………実の息子である貴方をも手に掛けるのは、時間の問題です。

 …………セイ王子。どうか、私達と共にいらしてください。このままでは確実に、貴方の命はありません」


 ヤガミが眉をそっと顰め、戸惑いと悲しみの滲んだ言葉をポツリと零した。


「父様は…………? 「王」は、何をしていらっしゃるのですか?」


 おばさんは左右に首を振り、少年の寝台よりもさらに一段奥にある寝台を見つめ、静かに返した。


「「王」は…………魔海深くにて微睡んでいらっしゃいます。サンラインとの戦が激化している今、宮廷にお戻りになることはできないでしょう」

「…………どこへ逃げるのですか?」

「オースタンへ」


 さらに眉間の皺を深くするヤガミに、おばさんは言葉を継いだ。


「ジューダムの魔力場が及ばず、支配的な魔術師もいない遠国です。ジューダムから直接に開通している時空の扉は存在しませんが…………いくつかの国を経ていけば、必ず辿り着けます。

 血の呪いと裁きの主の因果を断ち切り、新たな運命を紡ぐには最適の土地です」


 おばさんの話は、ヤガミにどう聞こえたのだろう。

 まだ何も知らない幼子の真っ直ぐな眼差しが、顛末を知っている俺を苛む。


 夕陽と血が溶けた蝋になって俺の魂を包み固めていく。

 あの日、ヤガミを刺した感触がまざまざと蘇ってくる。

 俺は頭の中に吹き荒れる記憶、言葉、感情を全く整理できないまま、ヤガミがおばさんに手を引かれて扉の方へと去っていくのを見送っていた。


 扉が閉まると、部屋には再び、とっぷりとした静寂が立ち込めた。

 俺は世界が止まりかけの独楽のようにぐわんぐわんと回っているのに堪え、稲妻の紋章がある寝台にどうにか辿り着いて手をついた。


 そこに横たわっていたのは、およそ何の変哲も無い…………まるで俺みたいに平凡な、取り柄のない顔立ちをした青年だった。あまりジューダム人らしくはない、暗いチョコレート色の髪と日を浴びた肌が親近感を湧かせる。


 この人はいつから眠っているのだろうか。髭の生えていないのがかえって、彼が何十年、いや、何百年も眠ったままであったことの証であるように思えた。この部屋を包む眠りは、明らかに普通の眠りではない。


 ゆくりなく、独楽がコトリと地に滑る。

 と同時に俺はなす術も無く気を失い、冷たい床に崩れ落ちた。



 ――――――――…………のどかな日差しが神社の境内いっぱいに広がっていた。

 秋口のほのかに冷たい風が頬に当たって、俺は我に返った。


 目の前の草っ原に放り投げられた2つのランドセルのくすんだ色が懐かしかった。

 さして使い込んでいたわけでもないのに、どうしてあんな風にボロくなっていたかと言えば、こんな風に、いつでもどこでも乱暴に転がしていたからだった。


 俺は大きな桜の木の根元にぽつねんと立っている、幼い少年と見つめ合っていた。

 ツーちゃんと同い年か、少し上ぐらいか。栗色よりもぐっと薄い水彩のような色の髪が、透明感のある肌によく馴染んでいた。

 一見すると少女かとすら思える程のきめ細やかな顔立ちは、それでも確かな意志を奥に秘めている。

 瞳の色は、灰色がかった深い青だった。目元の細め方がヤガミに瓜二つで、薄桃色の頬と唇は、おばさんによく似ていた。


 彼は何を言うでもなく、ただ俺を見つめていた。

 つぶさに観察しているようでもあり、温かく見守るようでもあり、どこか甘えるようでもあるのに、決して警戒が解けない。


 この感じには確かな覚えがあった。生まれつき少し不器用な子供の、ありのままの距離感。彼が赤ん坊の頃から、ちっとも変わらないらしい。

 少年は何か呟きかけ、それから何も言わずに目線を逸らした。


 彼の視線の先を追ってみると、はたして「俺」とヤガミがいた。

 当時流行っていたゲームのキャラクターに扮して、夢中になって遊んでいる。日が暮れるのにも構わず、本気で木剣を振り回している。


 声がやけに生き生きと聞こえてくるのは、俺の記憶のせいなのか。それとも、この夢のせいなのか。どちらにしても、あの頃俺達はああして屈託も無く笑い合っていたんだ。


 どこで間違ったのか、どうして間違えたのか、十年考えたけどわからなかった。答えを出そうともがくこと自体が、俺にとってはもう十分な答えですらあった。


 だが…………今、俺はどうしたらいいのだろう。

 本当にもう、どうにもできないのか?

 戦うことも許されないのか…………?


 少年のひたむきな眼差しが痛かった。

 俺は彼を見返せずに、遠い己の背中に縋っていた。そこにはもう何も無いと知りながらも、眺めずにいられなかった。

 懐かしむ時間が、一瞬でも無力さを忘れさせてくれる。

 できることなら、永遠に思い出の中に浸っていたいとさえ思った。全部忘れて休めば、あの安寧な暗い帳の内で、この楽しかった日々をいつまでも繰り返していられる。



(…………)



 深く惑わしい紅玉色のか細い糸が、俺の小指を掠めた。


 …………ああ、ダメだ。

 …………あの子だけは、忘れられない。


 …………あの子に触れたい。

 …………あの子の一番近くへ行きたい。


 俺は、



(…………運命に抗う、業火だ)



 魂の奥底で、「俺」が叫んだ。


 そうだ。

 リーザロットも、ナタリーも、俺を待ってくれているんだよ。

 皆、何のために戦っている?

 死ぬためなんかじゃない。

 収まりの良い物語の終焉(フィナーレ)のためなんかじゃない。

 いつだって、新たな物語を始めるために、足掻いているんだ。


 少年が小さな半透明の魚の姿となって、俺の周りを巡り始めた。

 俺は彼を仰ぎ、ギュッと拳を固くして言った。


「ああ。ヤガミだって、まだ生きている。やっと会えたんだ。ここで終わってたまるか」


 魚は答えない。

 俺は無理矢理頬を引き攣らせ、頼もしい笑顔を作った。


「ソラ君。君の力を貸してほしい。君の兄さんと、仲直りしてくる」


 ソラ君、幼くして病気で亡くなった、ヤガミの弟。


 俺が彼の魂に巡り合えたのは、きっと偶然じゃない。

 彼はずっと俺の傍にいて、合図を送ってくれていた。

 思えば、俺は今までに何度も彼に助けられてきた。


 ソラ君が鋭く尾ひれを振って方向を変える。

 彼は俺をここへ連れてきた時と同じように、世界に眩い螺旋状の亀裂を入れた。

 無邪気な少年達の時が止まる。


 俺は翳した手で、大きく亀裂をなぞった。


「…………ありがとな、俺達の親友」


 意識が光となって、亀裂の向こうへと高速で飛んでいく。



(――――――――魂獣の王を、見つけて…………)

(――――――――牙の獣を従えるのは、彼だけ…………)



 輝きの中で、幼い声が俺に囁いた。

 そして俺の耳はその時すでに、レヴィの怒りと嘆きに満ちた叫びを聞き取っていた。




 ――――――――Wo-Oo-Ooo-o-nn…………




 半透明の美しい魚が光と闇のあわいへと溶けていく。

 俺は心の中で「またな」と短く呟き、再び戦場へと返り咲いた。


 滲む暗闇と揺動する虹色が揉み合いへし合う、呪術と魔術がなりふり構わず渦巻く、混沌の戦場へと。

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