95、テッサロスタよりの使者。俺が「扉の魔導師」に出会うこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。
教会騎士団と共に何とか襲撃者が遣わした呪われ竜を倒した後、俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征隊を結成する。
旅はつつがなく進むかに見えたが、俺達はその途上でジューダムからの刺客と遭遇、ついにはジューダムの王…………俺のかつての親友、ヤガミと対峙する事態にまで陥った。
仲間の必死の交渉の末、かろうじて命は見逃してもらえたものの、ヤガミの騎士と刃を交えたフレイアの傷は深く、俺達は彼女の治療のために近くの村へ逗留せざるを得なくなった。
かくして、俺はフレイアと一緒に部屋を出た。(もちろん、フレイアはちゃんと下着と服を着直していた)
俺が体調について尋ねると、彼女は「平気です」と表情を和らげた。緊張の名残なのか、頬の赤みがまだ引ききっていない。少しホッとした様子なのが、何だか残念でもあった。
廊下にはすでに、どこか居心地悪そうなシスイが待っていた。
「…………行こうか」
殊更に何を言うでもなく、彼が先頭に立って歩き出す。
だが丁度その時、開け放たれていた窓から焦げ茶色の小鳥が一羽、勢いよく中へ飛び込んできた。
「うわっ!」
驚いた俺をからかうように、小鳥がパタパタと忙しなく俺の周りを飛び回る。
目を丸くして見ていたフレイアは、小鳥が自分の頬の傍をよぎった拍子に、急に口元に手を添えて声をあげた。
「あっ、貴方は!」
「どうした?」
シスイの問いに被せて、小鳥がフワッと俺の足下に着地する。
途端に、小鳥は真っ白な煙を一面にぶちまけて姿を消した。
「…………!?」
怯え戸惑う俺の袖をフレイアが握る。「大丈夫」。そんな眼差しが俺を優しく支える。
やがて白煙が風に吹き飛ばされ、その中から、ロマンスグレーの髪をキチッと七三分けにした、ローブ姿の紳士が歩み出てきた。
しっかり整えられた眉と顎髭がダンディな、初老の男であった。
長身の紳士はいかにも賢そうなヘイゼルの瞳でじっと俺を見つめ、「フム」とわかったように一度頷くと、フレイアとシスイに視線を移して言った。
「初めまして、諸君。フレイアは久しぶりか。あまりに遅いので、こちらからお邪魔させてもらった。
さぁ、事は一刻を争う。早速話を始めようじゃないか。シスイ君、部屋に案内してくれたまえ」
「は、はぁ…………。しかし、えらくせっかちだな。何でまた鳥の姿に?」
「便利だからな。さぁ、早く」
シスイが困惑しつつ俺達の部屋の戸を開く。
紳士は客人の慎みなぞどこ吹く風といった足取りでズカズカと部屋の中に入り込むと、片手で広く平らな円を描き、たちまち宙に大きな円盤を作り出した。どうやらテーブルにするつもりらしい。
彼はそれから、指先で軽くつつくようにして円卓の周りにエリンギに似た形の丸椅子を人数分作り上げた。
次いで俺達に着席を促し、颯爽と奥の席に腰を掛け、ようやく自己紹介をした。
「私の名はグレン・ユアン・マクフォード。魔導師だ。我が師、琥珀ことツヴェルグァートから知らせを受け、テッサロスタより君達を迎えに来た。
師の顛末はすでに把握している。君達の置かれている状況も。
心配は要らない。ジューダムの魔力追跡はこの私の手ですぐに払拭できるだろう」
魔導師グレンはフレイアに顔を向けると、少しだけ眉を顰めて続けた。
「君の瘴気患いも、最早問題あるまい。「勇者」君との高密度な共力場編成。ご家族からはいずれ一言二言三言あろうが、君はもう立派な大人だ。自分の判断を尊重したまえ」
フレイアは顔を赤らめ、はにかんだ口調でグレンに言い返した。
「そのつもりです。けれど、どうしてそんなことまでご存知なのですか…………? 一体、グレン様はいつから私達をご覧になっていらっしゃったのです?」
グレンは表情を変えることなく、事もなげに答えた。
「ああ、最初からだ。
…………いいかい、諸君。私達はこれから、至急テッサロスタへと向かう。俄かには信じられぬことだろうが、レヤンソン郷は今朝方ジューダム軍に襲撃され、占領された。派遣団の他の仲間の行方は目下私の弟子が捜索中だが、恐らくはレヤンソン郷では何も掴めまい。
私が思うに、ここは引くよりもあえて進むべきだ。仲間達は各々、レヤンソン郷を飛ばしてテッサロスタを目指しているものと私は見る。となれば、このまま計画を続行するのが最善手だ」
俺は話についていけず、ただあんぐりと口を開けていた。
レヤンソン郷が制圧された?
もし足を伸ばしていたら、どうなっていたことか。無理をしなくて、本当に良かった。
シスイはテーブルに身を乗り出し、グレンに話した。
「レヤンソン郷が? あそこにはかなり大規模な自警団がいたはずだが、それが一晩のうちに皆、やられたというのか?」
グレンは机の上に手を組み、静かに答えた。
「それだけではない。駐在していた「白い雨」の騎士も一人残らずやられた。残った住民は行商人に至るまで、厳しく拘束されている。サン・ツイードにこの報せが届くにはまだ時間がかかるだろう」
「…………なんてことだ」
シスイが額に手を当てて溜息を吐く。
フレイアは眉間を険しくし、グレンに言った。
「グレン様、ご提案はひとまず承りました。
ですが、ここまでジューダムに侵攻されては、やはり元々の計画の実行は困難なのではないでしょうか?
テッサロスタに配備されている兵士の数は恐らく、私達の想定以上です。加えて、ジューダムの「王」自身が出陣してくる可能性もあるとなれば、たとえ派遣団の全員が揃いましても、状況は厳しいかと存じます」
俺はフレイアに同意するつもりでグレンを見やった。
そもそもどうやってテッサロスタに入るのかについては、一度出てきたというぐらいなんだから流石に何か手があるのだろうが、その先の話に関しては全く見当もつかなかった。
グレンは優雅に俺達を眺め渡し、トントンと人差し指でテーブルを叩いた。
「よろしい。では諸君の不安を掃うために、より詳細に計画を語ろうか」
言葉と同時に、テーブルの上に精巧極まりないホログラムじみた街が出現した。前に地図で見た地形と比べるに、多分、テッサロスタだろう。毎度々々、魔術師は便利なプレゼンテーショングッズを揃えている。
グレンは街の最奥に控える大きな建物をパッと明るく光らせ(いちいち演出が現代的…………オースタン的だな)、話を始めた。
「ご覧の通り、テッサロスタだ。そしてここが君達の目指すべき本拠地、東方区総領主・スリング家の館。「太母の護手」とジューダムとの繋がりを暴くために、我々は何としてでもこの家を抑えねばならない」
グレンは話しながら、街の上を撫でるようにして道路上にいくつかの赤い点を点灯させた。赤い点はのろのろとした速度で道を行ったり来たりして、不規則に合流したり離れたりを繰り返している。
グレンはそれらを眺めつつ、鷹揚に語っていった。
「赤く示したのが、テッサロスタ市内の現在の警備配置だ。私は常にこれを把握している。ジューダムの兵営に情報提供者がいるのだ。詳しくは割愛するが、信頼度は保証する。これに従えば、街の中での安全はほぼ確保できる。
次に、この青く示した箇所を見てほしい」
グレンの指先が街の辻の数か所を青く染める。輝かしい蛍光色に少し目がチカチカしたが、彼は相変わらずの調子で話を進めていった。
「ここに街を覆っている対侵入者用複合結界の起点がある。現在判明しているのはこれらだけだが、これを破壊できれば十分に結界を突破できる。…………より具体的な話をすれば、これだけの楔を一度に失った結界は、その最大の特徴である自己修復機能に支障をきたす。その隙を突いて結界に干渉すれば、私達はこの戦の間、痕跡線を取られずに済むという寸法だ」
「以上を踏まえて」と、グレンが街に落としていた目を上げた。
彼はどこか子供っぽい輝きのある迷いのない瞳で、なぜか俺だけをじっと見つめながら話をまとめた。
「計画は館に突入する隊と、追手を攪乱する隊の二手に分かれて行う。
館内部の警備状況については後に説明するが、街の状況と同様に粗方把握はできていると言っておこう。
また、逃走経路に関してもすでに準備がある。テッサロスタ近郊にある私の潜伏地への侵入方法とも関連するが、これには「時空の扉」を使用する。私がこの日のために予め開いておいた扉を抜け、兵の目を眩ますのだ」
俺は半ば気圧されるようにして、呟いた。
「「時空の扉」…………? 異世界を通って逃げるってことですか?」
グレンは臆面もなく頷いた。
「その通りだ。「時空の扉」…………通称、「グレンズ・ドア」。私ほどあの扉の特性を把握している魔導師はいないと自負している。
かつては超一流の魔導師のみが行える秘術であった時空移動を、少々修行を積めば誰にでも扱える技術に整えたのは他ならぬ私だ。その過程で発見した多くの応用法を、今こそ最大限に活用する」
俺は大きく目を瞬かせ、感嘆した。
「つまり、貴方は本物の「扉の魔導師」…………!」
グレンはちょっとばかり眉を顰め、諭すようにこう結んだ。
「魔術は偉大な技だ。単なる個人の芸に帰するべきものではないと、私は考えている。魔術はもっと広く、魂一般に行き渡った確かな知として、あまねく世界に根付くべきものだ。
故にミナセ君。その名は、私の気に入るところではない。「グレンズ・ドア」の技はあくまでも私の仕事の一端に過ぎない。私が目指しているのは、もっと総合的な魔術の体系化…………詰まるところは、存在の枠組みをも超えた文化的達成だ。
私は魔導師・グレン。ただ、そう呼んでもらいたい」
「魔導師・グレン…………」
「そうだ」
俺は黙ってもう一度感嘆した。
何だかよくわからないし、若干自信過剰な雰囲気も感じるが、頼りになりそうな味方がやってきた。
もうダメだと思っていたけれど、これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
フレイアとシスイはミニチュアの街を眺め下ろしつつ、それぞれ何か考えを巡らせているようだった。
二人とも険しい顔をしているが、その顔に絶望の影は見られなかった。フレイアからはむしろ、強い気迫すら感じられる。
グレンはもうひとしきり俺にはわからない専門的な解説を加えると、最後に全員を見回してこう言った。
「この作戦では、仲間同士の呼吸が何より肝心となる。だが、それさえ揃えば一つ一つの行動に困難な事柄は取り立てて見当たらない。
どうだ、挑まない理由が見つかるかね?」
フレイアとシスイが俺を見やる。
俺はグレンと二人の強い眼差しを受け、「俺?」と内心で疑問を抱きつつも、ぐっと腹に力を込めて返事した。
「…………わかりました。…………やりましょう」
午後の日差しが入り組んだテッサロスタを透過して、やけに慎ましく、ほの白く輝いていた。
2018/7/2、登場人物紹介にヤガミとシスイの項を追加しました。イラストもあるので、よろしければご覧ください。




