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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
夕暮れと影たちの棲み処
18/411

10-2、不思議な美女・リーザロットと孤独な三角形。俺が理性と野性の間で抗い抜いたこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳、ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 だが魔法に不慣れなフレイアは時空の移動に失敗してしまい、俺たちは誤って竜の国へ飛んでしまう。

 何とか竜の国から脱出したは良いが、次に辿り着いたのは「影人」の国・トレンデ。またもや術に失敗したフレイアはすっかり気落ちし、魔力回復のために散歩に出て行った。

 残された俺は魔導師ツーちゃんの頼みを聞き、彼女の探し物である「正四面体」を探しに出掛け、街外れの廃屋で無事目的物を見つけたのだが…………。

 俺はゆっくりと不規則に震える光を眺めて、じっと答えを待った。

 目の前の正四面体の中は、乳白色に霞んでよく見えなかったものの、しばらく見ているうちに、光の震えが中にいる何者かの呼吸と同期しているようだとわかってきた。


 多分、この中の誰かが先の声の主なのだろうが、有害か無害かについては依然不明であった。


 やがて正四面体は、心持ち落ち着いた調子でこう呟いた。


「あなた、オースタンの人?」


 俺は


「ああ、そうだよ」


 とこわごわ答え、それから相手に尋ね返した。


「君は誰?」


 正四面体はちょっとの間黙っていたが、ややしてから、ぽつりとこぼした。


「私は、リーザロット」

「リーザロット。どうして、ここにいるの?」


 俺の呼びかけに、相手は蚊の鳴くような声で答えた。


「わからない。気が付いたらここにいたの。私は、その気になれば、どこにでも行けるから…………。でももう、どこにも行きたくない。どこにもいたくないの」

「何か嫌なことでもあったの?」


 俺は子供じみた相手の調子に合わせて語りかけていた。相手は男の子とも、女の子ともつかない、高い柔らかな声音で言葉を紡いだ。


「嫌なこと…………全部、嫌だけど…………何もかも、壊しちゃいたいぐらい…………だけど、それも嫌なの。もう嫌。戦いたくない。…………痛い、苦しい」

「うん…………可哀想に」


 俺は相槌を打ち、重ねて聞いた。


「君は今、どこから話しているの?」

「…………。…………ここ?」


 疑問形で応じられても困るのだが、俺は怯まずにさらに言葉をかけた。


「それなら、良かったら出てきて俺と一緒に話をしてみないか? 俺、何もできないけれど、その分、何もしないしさ。

 何であれ、一人で苦しむのは良くないよ。せめて顔を見せて欲しい」


 俺はどんな化け物が出てこようとも平静を保つよう、自分に言い聞かせていた。


 ――――強くなれ。

 ――――気持ち悪い。

 ――――甘えるな。

 ――――…………自業自得。


 昔、この子と同じようなことを言っていた友人に掛けられた言葉や眼差しを思い出して、俺は同じのことをしないよう、固く固く固く己を戒めた。

 気を付けないと、こういう心の翳りは簡単に相手に伝わってしまう。例え自分にはそのつもりがなかったとしても。


 ――――人は理不尽だ。卑怯で、弱い。


 友人の言葉が風のように思考の中を吹き抜けていった。涙交じりの、悔しまぎれの捨て台詞は、今も俺の脳裏に深く突き刺さっている。


 と、そんなことを考えているうちに、正四面体の頂点が花咲く蕾のように綻んだ。


 俺は音もなく、正四面体が平らに開いて行く様に目を見張った。

 

 中から現れたのは、膝を抱えた真っ白な人影だった。

 人影は身体を起こすと、俺の目の前にゆっくりと降り立った。


 俺は自分より頭一つ低い背丈の、丸みを帯びた身体つきをはたと見つめた。揺れる長い髪から、爽やかな花の蜜の香りが漂ってきた。


 次第に相手を包んでいた白光が収まっていくにつれ、俺は眼前の人が、飾り気のない、しかし高貴そうなドレスを纏った、紛れもない美女であると気付いた。


「…………ッ!!!」


 俺は先の覚悟も空しく、驚いて一歩飛び退いた。女性はそんな俺を一瞥し、長い睫毛を悲しそうに伏せて俯いた。


「ああっ、ええっと」


 俺は狼狽し、また一歩戻って彼女の目を見た。蒼玉(サファイア)に似たその青い瞳は愁いを帯びて、吸い込まれそうな程に深く沈んでいた。


 それから俺は、つい彼女のドレスの胸元に目を落としてしまっていた。大胆に開いた襟から見える、白いふっくらとした隆起は美しく清らかで、視線を惹きつけて止まなかった。

 女性は黒く艶やかな髪を何気なく耳に掻き上げると、ちょっとだけ首を傾げた。


「はじめまして、オースタンの人」


 俺はあどけない彼女の声に、もつれそうになる舌でどうにか返事した。


「えと、はじめまして。リーザロット?」


 答える代わりに、リーザロットはしおらしく礼をした。ちらりと見えた、雪みたいに白いうなじが目に眩かった。

 俺はともすると胸元に移りがちな意識を全力で制御して、相手に話し掛けた。


「えっと、俺で良ければ、何でも聞くから…………」

「必要無いわ」

「へっ?」


 俺が問い返したその瞬間にはもう、彼女は身体ごと俺にしなだれかかっていた。


「えっ? …………へっ?」


 俺は彼女の体温――――今にも溶けてしまいそうな、ほのかな温かさ――――を胸に感じながら、両手を彼女の背中の後ろでみっともなく浮かせていた。


 いつの間にか、くるくると光りながら回る小さな三角形の印が、俺たちの足下を取り囲んでいた。時空の扉を開く前と似た雰囲気がする。だが足下の三角形が放つ光は本当に弱々しく、吹けば消えてしまうかと思えた。


 何が始まる?

 俺はじわじわと不安を募らせつつ、それでも限界に達して、口にせざるを得なかった。


「…………あの」


 リーザロットが声に反応し、上目づかいに俺を見た。柔らかそうなピンク色の唇が、溜息交じりに少し開く。

 俺はしどろもどろになって、続く言葉を探した。


「その、そのあの、ああ、だから、その」


 俺は彼女の顔を、あくまで真摯に見つめて言い切った。


「胸が、当たってるんだ…………」


 彼女はそれを聞いて、ふと自分の胸元に目を落とし、また俺を見つめて瞬きをした。

 俺が何も言わずにこくりと頷くと、俺の身体に当たって潰れていた彼女の胸がそっと離れて美しい半球状にたわんだ。


 しかし、俺が残念に思ったのも(間違えた、ホッとしたのも)束の間で、リーザロットは次の瞬間、さらに密着して俺に抱きついて来た。


「…………ッ!!!」


 俺はもう言葉が無かった。

 リーザロットはそんな俺の耳元で、小さく囁いた。


「いけないこと?」


 俺は水揚げされた金魚のように、ただパクパクと口を動かしていた。

 いけないよ! と叫びたい気持ちと、いくぜ! と行動したがる己の身体が、完全に乖離していて、不調和で、爆発してバラバラになりそうだった。


 リーザロットは俺を捕まえたまま、ぐらりとベッドの方に倒れ込んだ。

 俺は抗おうとしたが、どうにもできず(きっと魔法の力だ! 本当だ!)彼女を押し倒すような形でベッドに伏せった。


 俺は鼻先10センチの距離で彼女に覆い被さっていた。埃っぽいベッドの上で仰向けになった彼女の呼吸が、肌を伝って漏らさず感じ取れた。少し乱れた息遣いに合わせて、豊かな胸が上下している。

 彼女のスラリとした脚の形が、ジャージ越しに生々しく思い描かれると、俺の肌は一気に粟立った。


「…………寂しい」


 ふと、リーザロットが呟いた。

 俺は潤んだ彼女の瞳の蒼を見つめて、返答を躊躇った。


「何してもいい。壊して。私を」

「私を…………何?」


 俺が問い返すと、リーザロットは俺を抱く手を少し緩めてこう言った。


「お願い…………もう」


 俺は彼女を抱えようとして、結局はそんなことは出来るはずもなく、跳ね起きてベッドの端に腰を下ろした。リーザロットは引き留めなかった。

 彼女は仰向けになったまま、細い腕を顔に投げ出して目元を覆っていた。


「…………ごめん、俺にはできないよ」


 俺はリーザロットの方を眺めやって謝った。答えは返ってこなかったが、代わりに彼女はぽつりぽつりと、とりとめもなく語り出した。



「…………あなた、魔術師じゃないのね」


 リーザロットは続けて、信じられない、と呟いた。

 俺は彼女の方へ向き直り、自分が人に連れられてオースタンからやって来たばかりだと伝えた。


「俺は、ただの人間だよ。最初に言った通り、本当に何もできないんだ」


 俺の声に、リーザロットはすすり泣くような、途切れがちな調子で返した。


「わかる。今なら、あなたから…………別の魔力が感じられるもの」


 彼女は淡々と続けた。


「ああ、もう。私、何てことをしちゃったのかしら。恥ずかしいわ。あなたが魔術師でなくて、本当に良かった。あと少しで、あなたまで溶かしてしまうところだった」


 俺は聞き捨てならない最後の言葉に眉を寄せつつ、続く話に黙って耳を傾けた。

 彼女は同じトーンで、言葉を継いだ。


「私ね…………実は、お化けなの」

「お化け?」


 俺の問い返しに、リーザロットは力無く笑った。


「お化けって、確かに、何だろうね? よくわからない。…………でもね、私は本当にお化けなの。いるけれど、どこにもいないっていう、妙な存在なの」


 やおら彼女が寝返りを打ち、こちらに蒼玉の目を向けた。俺は真っ直ぐなその眼差しについ竦んでしまい、サッと目を逸らした。


「…………見てくれないの?」

「あっ、ごめん。でもその」

「ああ、胸が嫌?」

「いやっ、嫌なわけはないけども、ちょっと」

「ふふ」


 リーザロットはそこで初めて、愉快そうに笑い声を立てた。俺はからかわれていると知って顔が火照ったが、ともあれ相手が少し元気を取り戻したとわかって、安堵した。

 リーザロットは続けて、穏やかに言った。


「あなたみたいな人って初めてよ。何だろう。お化けだから、はっきりとはわからないけれど、陽炎みたいに魂が揺らいでいるわ」

「陽炎? まぁ、頼りないだろうからなあ。俺は」

「ううん、違うの」


 リーザロットは遠くに思いを馳せるような、何か見えないものを慈しむかのような表情を俺に向けた。

 俺はいつしか彼女の綺麗な頬に垂れかかる、わずかに波打った黒髪にすっかり見惚れていた。気を付けていないとうっかり、気が触れてしまいそうだ。


「そうではなくて…………陽炎というのは、後ろに確かな何かがあってこそ、映えるものなのよ。蜃気楼よりもずっとささやかな、小さな揺らめき。だから手を伸ばしたくなる。そして途方もなく、悲しくなるの」

「悲しく、なるの?」

「…………その顔が、答え」


 リーザロットが向けた、あどけない笑顔を受けつつ、俺は素直に答えた。


「俺、自分がどんな顔をしているかわからないよ」

「そうね。誰も自分のことはわからない」


 リーザロットは寂しげに呟くと、それきり黙りこみ、部屋は元通りシンと静まり返った。

 俺は少し冷ややかな、どことなく心地良いその静寂を壊さぬよう、彼女に言葉をかけた。


「ねぇ、リーザロット」

「なぁに?」

「俺…………自分でも男らしくないなとは思っているんだけど。その…………時には、自分の弱さっていうか、自分のそのまんまを、外に晒してみても良いと思うんだよね。それが他人に拒絶されることは、まぁ、あるだろうけれど…………。

 というか、単純に、素直な自分の姿っていうのを、自分自身が受け入れられるようになるのが、大事かなって思うんだ」


 俺は浮かない顔のリーザロットを見つめて、ぽつぽつと話していった。


「そりゃあ、皆いつかは一人立ちしなくちゃならないけど、その過程まで一人ぼっちである必要は無いと思うんだ。色んな人に助けられながら、少しずつ、自分で歩けるようになればいいんじゃないかな。

 矛盾してるけど、本当に強くなりたかったら、思い切って弱い自分をさらけ出すしかないんだと、思う。

 自分を信じて、他人を信じて、たまに大失敗したりして、色んなことを覚えていくのかな、って。

 ……………もちろん、その結果、自分が望む程に強くなれるとは限らない。けれど、そんな風に自分を支えられたら、自分を殺したいほど憎んだりは、しなくて済むようにはなるんじゃないかな」


 俺はそこで言葉を切って、次に言うべきことを見失ってしまった。じゃあ俺は、と自問して、ぷつりと回転が止まってしまったのだった。


 お前はいつまで経っても強くならないじゃないかと、誰かが耳元で意地悪く囁きかけていた。お前は人に頼るばかりで、弱い自分に慣れきってしまっているという自らの内なる声に苛まれ、俺は話す傍から自分の心を偽りたくなった。


 だが暗い声はリーザロットの声によって、どうにか打ち消された。


「ありがとう。あなたって…………優しいのね」


 リーザロットは身体を起こすと、俺の背に寄りかかって言った。

 俺は心臓が高鳴るのを感じながら、表面は自然な風を装って彼女の言葉を聞いた。


「…………甘い言葉。そんなことは許されない、許さないって、あなたの残酷な部分が槍を掲げているのがわかるわ。…………いいえ、槍だけじゃない。私の知らない武器もある。オースタンの武器かしら? 容赦が無くて…………怖いね。

 けれど…………あなたはやっぱり強い人だと、私は思うわ。あなたには、あなた自身さえも知らない冷徹な覚悟があるみたい。あなたに出会ったのがお化けじゃなかったら、もっと良かったのに。…………本物の手であなたに触れられたなら、その時はまた…………」


 彼女が離れていく気配を察し、俺は慌てて振り返った。

 だが時すでに遅く、そこにはもう白い花びらのようなものが、チラチラと舞っているのみだった。


「リーザロット」


 俺は花びらに手を伸ばして呼びかけてみたが、声は空しく虚空に吸い込まれていった。


 俺は彼女の名残が消え失せた後、人気のなくなった部屋の中で独り、肩を落とした。

 風邪をひいた時みたいに、頭がぼんやりと雲っていた。

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