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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
再会 分かたれた世界の狭間にて
178/411

91、烈風と火焔の剣戟。俺が「水無瀬孝」として問うこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。

 教会騎士団と共に何とか襲撃者が遣わした呪われ竜を倒した後、俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征隊を結成する。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、俺達はその途上でジューダムからの刺客と遭遇した。

 そして襲い来る追手を退けた俺の前に最後に立ちはだかったのは、ジューダムの王。

 …………それは俺のかつての親友、ヤガミであった。

 強い風圧を伴った一撃がフレイアへ袈裟斬りに降りかかる。

 フレイアは果敢に身を前へ捌き、レイピアの刃に片手を添えてそれを受けた。

 彼女は剣を滑らせ、相手の首へ思いきり良く切っ先を伸ばす。

 鎧の男は巨体をさらに前へ押し出し、フレイアの剣を根元から抑えた。


 ――――ギィン!


 冷たく尖った音を立て、互いの刃が激しくぶつかり合う。

 二人の間を火蛇の火の粉が狂騒的に舞っていた。

 相手の剣は竜巻を纏い、彼女の剣を圧している。火蛇は鬱陶しげに風に身を悶えさせながら、じりじりと両者の刃を炙っていた。


 と、フレイアは自ら身を引き、同時に相手の顔面を鋭く狙った。

 雷の如く、兜の隙間を狙って火蛇が走る。

 相手は即座に分厚い刀身でそれを受け、うんと身を乗り出して攻勢へ移った。

 強い風を帯びた刃の連撃が、退がったフレイアを無数の砲弾の如く襲う。

 目にも留まらぬ剣捌きで男はフレイアを押していく。


 受けて目まぐるしく翻るフレイアの刃は、少し急ぎ気味に相手の脇や喉、股座を攻めていった。

 精確だが、彼女らしい苛烈さはない。

 浅い攻撃が細々続く。


 相手は揺るがず、泰然と巨体を推し進めて彼女の攻撃を見切っていた。堂々とした打ち込みが、フレイアの剣を叩き折らんばかりに幾度も打ち下ろされる。

 数合の切り結びの後、フレイアは一転してがむしゃらな勢いで相手へ斬りかかった。


「やああっ!!!」


 打突、受け、流し、刺突、巻上げ、払い、打ち落とし、

 打合い、打合い、打合い。


 一連の流れの中、ふとフレイアが大きく踏み込んで深い刺突を放った。

 機を重ね、相手が半身を開いて片手で突きを放つ。

 紙一重で、フレイアの刃は相手の目庇の端を掠り、空を突いた。


 相手の剣が彼女の左肩を斬り裂き、夥しい量の血飛沫を噴き上がらせる。

 フレイアの悲鳴が夜をつんざいた。


「フレイア!!!」


 飛び出そうとする俺を、振り返ったフレイアが深紅の瞳できつく睨みつけた。

 鎧の男は容赦無くよろめく彼女に打ち掛かる。フレイアは辛うじて両手で刃を受け、苦悶に顔を歪めた。滝となって流れ落ちる鮮血に、俺の方が蒼褪める。


「…………く…………ぅッ!」


 濃い野性味を帯びた紅玉色が、なおも灼熱に燃え盛っている。

 相手に1ミリでも深く食入らんと力むその顔は、俺が今まで見たどんな彼女とも似ていない。怒りも、悔しさも、痛みも、高揚も、全部一緒くたに沸騰させて蒸留したような汗が、小さな彼女の額からポタリと垂れ落ちる。

 彼女は鋭い声で火蛇の名を叫んだ。


「――――ジーク!! シグルズ!!」


 火蛇達は刃からぐんと滑り出し、せり合う二人を囲って球状のベールを張った。


「!」


 鎧の男の所作に微かな動揺が走った。

 強まったフレイアの魔力は禍々しい程に熱く、濃く、甘い。

 男はすぐに対抗し、己の魔力を目一杯に滾らせた。


 口中が酸を飲んだみたいに激烈に痺れ上がる。後頭部をハンマーで殴られたような、凄まじい頭痛がした。全身の骨という骨が捩じれて軋み、歯茎や鼻から訳も無く血が溢れ出す。

 彼とフレイアを巻く風が急激に強まって天へ渦巻いた。


 シスイが何か叫んだ。

 彼は竜上で弓を番え、ヤガミを狙っていた。怒鳴っているが、風の音が強くて聞き取れない。対するヤガミは眉一つ動かさず、じっと腕を組んでシスイを睨み返していた。灰青色の瞳が水銀みたいに重く、不透明だ。


 ジューダムの言葉で紡がれる鎧の男の詠唱が野太く響く。一節ごとに、彼とフレイアを巻く竜巻が等比級数的に威力を増していった。

 フレイアが押され、男の刃が彼女の傷口にさらに迫る。

 火蛇のベールが無惨に切り刻まれていった。ジークとシグルズの声無き悲鳴が痛ましい。


 火の粉と強風によって、野原の草が地獄のように千切れ飛ぶ。

 フレイアは全身を荒れ狂う風にズタズタにされながら、凄まじい気迫で呻き声一つ上げずに耐えていた。

 ヤガミは鎧の男へ冷たい視線をやると、厳然と言った。


「…………ローゼス、いい加減にしろ。…………遊んでいる場合か」


 聞くなり鎧の男、ローゼスの魔力が俄かに膨れ上がった。

 火蛇があえなく弾け飛び、俺の全身の骨が粉々に砕け散る。唇も舌も喉も気管も胃も、一瞬にして焼け爛れていく。


「うあぁぁぁぁああぁぁぁっっ!!!」


 俺は堪らずその場に崩れ折れ、嘔吐した。

 血の混じった胃液が青い草の上に惨めに撒き散らされ、俺は怯え逃げるように面を上げた。

 しかし、目の当たりにしたのはそれ以上に残酷な光景だった。


「――――――――フレイアッ!!!」


 叫びが虚しく掠れる。ローゼスがフレイアを袈裟斬りにしていた。

 彼女の細い身体が、力無く崩れていく。ローゼスは剣を振り抜くと、そのまま止めを刺さんと大きく腕を振り被った。

 握り拳が血でぬめっている。

 世界が激しく明滅し、五感を苛む。


「やめてくれぇぇぇ――――――――ッッッ!!!」


 瞬間、鋭利な風切り音が宙を切った。

 ローゼスの手首を掠め、シスイの白い槍がフレイアの横に突き刺さる。

 ローゼスがおもむろに振り返ったのを潮に、シスイは弓を下ろしてサンラインの言葉で話した。


「撤退する! …………その娘を解放してくれ!」


 ヤガミは表情を崩さず、淡々と答えた。


「お前を信じる理由などどこにも無い」


 ローゼスは切っ先をフレイアの喉元に突きつけたまま、動かずにいた。フレイアは弱々しい吐息を漏らして喘いでいる。肩から流れる大量の血が草原をどっぷりと濡らしていく。


 俺はローゼスの魔力に中てられて、ひどい悪寒に襲われていた。流転の王やヴェルグの魔力を浴びた時よりも、遥かに直接的な殺意と悪意が内臓を蝕んでいく。絶え間なく込み上げてくる吐き気がコイツの魔力のせいなのか、フレイアの危機のせいなのか、もうよくわからない。

 シスイは眉間を険しくし、続けた。


「その通りだ。…………だが、頼む」

「聞くと思うか? スレーン人」

「でなければ、君はもうとっくの昔に俺達を皆殺しにしているはずだ」


 ヤガミの眼差しは鏡のように凪いでいた。

 彼は俺が爛れた喉から何か絞り出すより先に、言葉を発した。


「スレーンはこの戦も無関心を貫くものと考えていたが、なぜサンライン人の道案内などしている?」

「俺個人の仕事だ。頭領の判断ではない」

「戯言を。…………だが、まぁいい。いずれにせよお前には選択肢を与えてやる。

 ジューダムにスレーンの竜をよこせ。そうすれば今だけ、お前達を逃してやる。…………あくまでも案内人を気取るならそれも構わない。だがその場合は、我が国に仇なす者として、「勇者」共々この場で直ちに始末する。

 安心しろ、正当に取引する。サンラインのがめつい商会連合を通すより、遥かにまともな取引になるだろう」

「…………まだ足りないというのか? 君達は自国でいくらでも竜を生育…………いいや、「培養」できるだろう。あれだけの数の濁竜がいて、まだ必要なのか? まだ竜達の悲鳴が聞き足りないというのか?」

「勘違いするな、スレーン人。俺が今、お前に許しているのは選ぶことだけだ。倫理学の講義は実家に帰ってやれ。

 …………俺は気が長くない。何より、そこで倒れている騎士の女にはそれ以上に猶予が無いだろう。折角の機会を無駄にするな」

「…………」


 シスイが顔を顰め、目を瞑って頬を神経質に引き攣らせる。

 俺はよろけながら立ち上がり、口を挟んだ。


「ヤガミ! お前…………どうしてこんな所にいるんだよ? 「王」って一体、何のつもりだ? 俺達を殺すって…………本気なのか!? まだ何も話してないのに!」


 ヤガミは忌々しげな顔さえせずに俺を見やると、一層淡泊に呟いた。


「お前が「勇者」であるように、俺は「王」だった。それだけだ」

「ふざけんな! そんなんで納得できるか! もう子供(ガキ)じゃないんだぞ! 変な意地張ってんじゃねぇよ!」


 ヤガミは今度は相手にせず、シスイの方を向いた。

 シスイはしばらく黙って俯いていたが、やがて固く閉じた瞼を上げ、呻くように答えた。


「…………承知した」

「ローゼス、女から離れろ。こいつらを解放する」


 ヤガミに言われて、ローゼスが恭しく剣を納める。フレイアは気を失っているらしく、何の反応も見せなかった。

 ヤガミは傍らにローゼスを引き連れ、シスイにこう続けた。


「第8朔の晩、スレーンに使いの者を送る。お前の発言は国書録に記録してある。里を守りたくば、くれぐれも余計なことは考えるな。国書録はサンラインの奉告と同義だ。何人たりとも、「主」の目からは逃れ得ない。

 お前達の魔力は今後、我が軍が継続的に追跡することとする。…………二度目は無い。…………二度と、俺の前に姿を現すな」


 最後の一言は、明らかに俺に投げ掛けられていた。

 ヤガミ達は颯爽と踵を返すと、透明なカーテンを潜るようにしてスゥと虚空へ溶けていった。


 感じていた凄まじい魔力の圧力が霧となって晴れていく。

 風が唸り、草原の周りの森を重々しくさざめかせた。草の焦げた匂いが鼻をつく。星空は何事も無かったかのように白々と輝いていた。心なしか、夜の底がうっすらと明るんできている。

 シスイは竜から飛び降り、フレイアの方へと走った。

 俺もすぐに彼女の下へと駆け寄った。


「…………クソッ、ひどいな」


 シスイが荒々しく言い捨て、腰の袋から布切れと包帯を取り出す。

 俺はフレイアの傷を改めて間近で見て、息を飲んだ。生々しく抉れた革の鎧と肩の肉の合間から、止め処なく血が溢れてきている。一刻を争う重傷なのは一目瞭然だった。


「待っててね、フレイア。すぐ止血するから」


 俺はフレイアの手に触れ、ハッとなってシスイを仰いだ。


「熱い!」


 俺は彼女の額に手を置き、たちまち掌に伝わってきた炎のような熱に、全身の血を凍らせた。

 明らかに、怪我による発熱ではなかった。


「…………瘴気に中ったんだ」


 俺の呟きに、シスイが眉を顰めて舌打ちした。

 フレイアはか細い指をピクリと動かし、弱々しく瞳と唇を開いた。


「申し訳…………ござ…………いま…………せん…………。コウ様…………は…………ご無事、で…………?」


 俺は彼女の手を強く握り返し、言った。


「謝らないで。君はとってもよく頑張ってくれた。

 俺はここにいる。どこも怪我は無い。…………絶対に離れないから、安心して」

「よかった…………。コウ様…………」


 フレイアは儚い微笑みを浮かべ、再び気を失った。

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