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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
古の覇王と夢見る巫女
172/411

87-3、潜れ、穢れし泥の中。俺が大いなる獣の名を呼ぶこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。

 教会騎士団と共に何とか襲撃者が遣わした竜を倒した後、俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征隊を結成する。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、俺達は最初の野営地へ着く直前、ジューダムからの刺客と遭遇した。

 その場は何とか窮地を凌いだものの、次の追手である「流転の王」は、さらなる強敵であった。

 俺とフレイアを乗せたセイシュウは、果敢にも流転の王の懐へと一気に身を捻り込んだ。

 キィンと冷たく響くジコンの風切り音が神経をざわつかせる。

 フレイアの凛然とした詠唱が鼓膜を強く打った。


「――――――――私は、火蛇の主!

 ――――――――気高き英雄の血を引く者、銀彩(ぎんだみ)の炎を纏う!」


 彼女が刃を翻すと、ふわりとレースを広げたような華やかな炎が展開した。

 流転の王の腕がすかさず迫ってくる。その指先には無数の尖った黒い水晶の刃がきらめいていた。


 フレイアのレイピアの切っ先がかぎ針となり、紅いレースを鮮やかに絡めとる。美しく舞う火炎と火の粉は、あたかも闘牛士が操るマントの如く華麗に俺達を覆った。

 フレイアは打ち出されてきた黒い水晶の群れへ真っ向からセイシュウを突っ込ませながら、半円を描いて刃を滑らせた。

 踊るドレスの裾のように、炎が翻る。


「――――――――私は、乞う!

 ――――――――永久(とこしえ)の熱き潮へ!」


 水晶達が波打つ火炎に巻かれ、たちまち溶けていく。

 フレイアは流転の王の腕へ思い切って迫り、流麗な剣捌きで彼の指を3本、宙に撥ね落とした。炎が一緒になって千切れ飛ぶ。


 彼女の攻勢はなおも続く。セイシュウは翼を折りたたみ、螺旋状に急降下を始めた。

 掠れた詠唱が一際鋭く夜に冴えた。


「――――――――(ひざまず)け、不滅の王!!

 ――――――――罪を抱き、

 ――――――――影へ沈め!!」


 炎を纏った刃が白銀に輝く。

 セイシュウが身体を起こす直前、フレイアは縦一直線に流転の王の膝を割った。


 熾烈に燃え上がる炎。

 流転の王のこの世ならざる叫びが空を震わす。


 堪らず崩れ落ちた王を、凄まじい土埃が包み込む。森の樹々が次々と倒れていく轟音が辺りに鳴り響いた。


 だが、王はなおも鞭の如き腕を振り回す。

 濛々と煙る視界の中、セイシュウは紙一重でそれを躱した。

 雄々しい翼の一打ちで、土埃があっという間に俺達から剥がれていく。


 と、ふいに気配を感じて、俺は頭上を仰いだ。


「――――ッ、幻霊!!!」


 幻霊は俺を狙って、その白い腕を目一杯に伸ばしてきていた。フレイアが即座に剣を滑らせる。火蛇が素早く刃上を走る。


 だがそれより一瞬早く、蒼白い刃が稲妻の如く幻霊を袈裟切りにした。

 幻霊を繋いでいた蜘蛛の糸が、フワリと宙を漂う。

 それからすぐに、低い声が俺達を窘めた。


「見るな、感じよ。斬るべきものは魂にこそ映る」


 フレイアが急いでセイシュウをその後へ続かせる。彼女の視線の先を翔けていく漆黒の巨漢は、まさしくタリスカであった。

 フレイアは溜息交じりに、首を竦めた。


「すごい。お師匠様も、「糸」がご覧になれるということでしょうか?」

「…………少なくとも、バッチリ糸は切れていたよ」

「すごい…………」


 フレイアが目を瞬かせて黙り込む。

 タリスカは首をわずかにこちらへ向け、俺達に指示を投げてきた。


「フレイア、次は肩を狙え。勇者は、水先人の娘を呼べ」

「ナタリーを?」

「あの娘とその魂獣は、流転の王の核を求め王の力場の深部へ潜行している。強制的な侵入ゆえ、帰還には誰ぞあの娘の強く信頼する者の助けが要る。

 力づくの共力場編成は、侵される側、侵す側の双方に多大な負担が掛かる。特に水先人の娘は魔海の深淵にて幾星霜を経てきた王と比べ、あまりに未熟だ。あるいは、自我を維持することすら困難な状況に陥っているやも知れぬ。急げ」

「…………! そんな危険そうなこと、どうしてやらせちゃったんですか!?」

「…………サンラインの娘は総じて聞き分けぬ」


 後悔と呆れ、そしてどこか投げやりな感情が言葉に滲んでいた。

 確かに彼の姫君(リーザロット)にしたって、彼の愛弟子(フレイア)にしたって、普段は素直で従順に見えるけれど、土壇場に至ると頑固でちっとも人の話を聞かない。

 俺は黙って頷き、再びナタリーの気配を探ることにした。


 その間にも、タリスカとフレイアは流転の王を囲って二手に分かれて飛び始めていた。フレイアの視線はすでに流転の王へピタリと釘付けされている。

 周囲を見回してみると、離れた所をツバメの如く舞うシスイの姿が見えた。


 竜の上に立って悠々とジコンを投げては容易くキャッチし、曲芸じみた軽快な動きを息次ぐ間も無く繰り出す彼は、何だか遊んでいるみたいにも見えた。揺ぎ無い自信と実力に支えられた、実に頼もしい味方だ。


 俺は深呼吸し、意識を凪がせた。

 お互いへの信頼があるから、誰もが戦える。

 俺は腹を据え、目を瞑った。


 …………よし、行こう。



 ――――――――…………。


 …………何も聞こえない。

 何も感じられない。

 レヴィの歌も、ナタリーの若葉の青さも。

 遥か遠くにあるとすら思えない程に、暗闇が空しい。


 響き合う音を頼りに、戦いの景色がうっすらと脳裏に浮かんでくる。


 フレイアとタリスカの剣がひっきりなしに王を刻んでいた。

 フレイアは絶妙な手綱な捌きで水晶の乱撃を躱しながら、執拗に刃の届く位置を守り続けていた。


 彼女の詠唱が聞こえてくる。

 段々と意味を成して聞こえなくなってくる。

 俺は彼女の熱を感じている。


 タリスカもまた、鋭く王を斬り続けていた。

 王は明らかにフレイアを…………いや、彼女の後ろの「俺」を狙っていたが、絶妙に仕掛けられるタリスカの一撃のおかげで狙いを定めきれないでいた。


 フレイアとタリスカが視線を交わす。

 見なくとも滔々と伝わってくる、充実した二人の気配。

 フレイアの温かな魔力がわぁっと湯気のように広まったかと思うや、彼らは同時に王の肩へと斬りかかっていった。


 …………悲鳴。


 …………轟音。


 樹々の折れる痛み。


 俺の頬を掠めていく、無数の火の粉。


 王の片腕が落ちた。


 フレイアが何か叫んでいる。タリスカが強い口調で答える。

 ふいにひどく喉が渇き始めた。

 硫黄とタールの入り混じった悪臭が鼻腔をべとべとに塗り込める。

 再び胃液が沸き立つ。

 フレイアがもう一度、何か叫んだ。


 セイシュウが激しい挙動で身体を捻る。

 脳が上下左右に忙しなく揺さぶられる。

 どんな体勢をしているか、もう見当もつかない。


 俺はぶっ飛びそうになる意識を歯を食いしばって繋ぎ止め、今一度集中の糸を手繰り寄せた。



 ――――――――…………。


 …………ナタリー。

 ナタリー。

 レヴィ。

 聞こえるか?


 流転の王の身の毛もよだつ魔力の中へ、俺はあえて意識を潜り込ませていった。

 穢れに満ちた汚泥の内へ、どっぷりと身を浸らせる。

 俺は大きく息を吸い込み、心の声を嗄らした。


 …………ナタリー!

 ナタリー!

 ナタリー!

 ナタリー!


 俺は気持ちの転がるまま、一気に捲し立てた。


 なぁ、返事をしてくれ!

 一緒に遊びに行くって約束しただろ!?

 約束の美味しい屋台、楽しみにしているんだぞ!


 …………レヴィ!


 聞こえているんだろう?

 君がただの臆病な獣なんかじゃ無いのは知ってる!

 君は、本当はもっと自由で、強かな生き物だ!


 俺達のために…………、いいや!

 誰よりも君を思っている、ナタリーのために!

 どうか俺に応えてくれ!



 ――――…………。



 ――――…………。



 ――――…………子クジラの息継ぎに似た水音が、微かに夜の端を濡らした。



 俺は身を強張らせ、息を潜めた。

 静かな全てを、ただの一音だって聞き漏らすまいと。



 ――――…………。


 …………星空が歌っていた。

 ユラユラと、

 チラチラと、

 月明かりのハミングに合わせて、ひっそりと…………。



 ――――…………俺はその旋律を辿って、静けさの中へさらに潜っていった。

 レヴィの太く長い鳴き声が、今、ハッキリと聞こえてくる。



 ――――…………Oooo-n…………



 俺はレヴィを呼んだ。


 こだまみたいに反響する、彼の鳴き声。


 俺はもう一度、今度はありったけの喜びを込めて彼の名を呼んだ。


「…………レヴィ!」


 ――――…………Oooo-n…………


 どっしりとした、優しい声が俺を呼び返す。

 誰かではなく、「俺」を呼んだとわかった。


 俺は声の聞こえる方へ手を伸ばし、溢れる気持ちを迸らせた。

 およそ人の言葉にはなっていなかっただろう。


 ――――…………Oooo-n…………


 鳴き声の後、巨大な翠色の波が押し寄せてきて、たちまち俺の身体を厚く温かく包み込んだ。

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