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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第7章】遠い空の真っ只中
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85-2、沈黙のデリシャス。俺が追いかけたい「夢」のこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。

 教会騎士団と共に何とか襲撃者が遣わした竜を倒した後、俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征隊を結成する。

 旅はつつがなく進むかに見えたが、俺達は最初の野営地へ着く直前、ジューダムからの刺客と遭遇した。

 何とか窮地を脱した後、俺達は臨時の野営地へと向かった。

 次に目を覚ました時、俺はテントの中にいた。誰かが運んでくれたらしい。毛布が掛けられていて、枕元には水のたっぷり入った水筒があった。

 俺は身を起こし、水筒に口を付けて立ち上がった。薬が効いたのか、もう頭痛も吐き気もすっかり治まっていた。


 天幕をまくって外に出てみると、グラーゼイが目に入った。篝火に鍋をかざして何かを煮込んでいる。クツクツとスープの沸く小気味良い音と一緒に、チキンに似た優しい匂いがふわりと漂ってくる。

 彼は無表情でこちらを振り向くと、いつもの如く威圧的に尋ねてきた。


「もうお加減はよろしいのですか? ミナセ殿」


 俺は彼の方へと歩きながら、ぼんやりとした頭で答えた。


「はい。…………あの、テントの寝床は?」

「私が用意いたしました」


 グラーゼイは俺から鍋へと視線を戻しつつ、話した。


「召し上がりますか? ホロウ鳥のスープです」

「あ…………じゃあ、ぜひ」


 俺は篝火の前に腰を下ろした。

 グラーゼイはスープを器によそい、匙と一緒にこちらへよこした。彼も丁度今、食べ始めるところであったらしく、次いで彼自身も器と匙を取った。


「…………」

「…………」


 俺達は視線を合わせることなく、黙々と匙を運んだ。


 スープからはローリエに似た、華やかな香りがした。ホロウ鳥はきっとこの辺りの野鳥なのだろうが、このハーブのおかげでうまいこと臭みが紛らわされているようだ。アッサリとしていながらも確かな甘みとコクある味わいが、疲れた胃に沁みた。刻まれた茸も、良いアクセントになっている。


 誰が作ったのだろう。この荒っぽさと芯にある繊細さは、フレイアかな。いや案外、ナタリーの家庭的な一面かもしれない。


「…………美味しいですね」


 俺の呟きに、グラーゼイが三角形の耳を少しばかり動かした。


「…………そうですか」

「作った人の気持ちが伝わってくるみたいです」

「…………」

「見た目こそ荒々しいけれど、食べてみるとすごく丁寧に作られているってわかります。細かいところに気が届く人なんだろうな、料理した人は。食べる人が少しでも美味しく食べられるようにって、スープに優しさが溶けているみたいだ。

 それに、味のセンスも素敵ですね。この茸とか、結構個性的な味なのに、鳥にもハーブにもよく馴染んでいる。爽やかで、それでいてしっかりとした濃さがある。もう一口食べたいって、自然と食欲が湧いてきます。皆の疲れた身体が元気になって欲しいと、考えを巡らせてくれたんでしょうね。

 何より温かいです、このスープ。冷えきった身体に深く沁み込んでくる。旅の苦労を労ってくれる…………。

 本当に、美味しいな。作った人に、ぜひともお礼を言いたい」


 グラーゼイは食し終えた器を傍らに置き、表情を変えずに言った。


「…………お褒めに与り、光栄です」

「…………」


 俺は彼の毅然とした黄色い目を見、それからまたスープに目を落とした。


「…………」

「…………」


 俺はもう一口、味わってみた。


「…………」

「…………」


 続いて俺は、それとなく尋ねた。


「…………。

 …………このハーブ、どうしたんスか? 生えてるんですか、この辺に?」


 グラーゼイは手を膝の上で組み、低い声で答えた。


「持参いたしました。遠征での調理には重宝しますので、常に携帯しております」

「…………。

 そっすか…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 俺は滋養と痛みとをしみじみ味わいつつ、スープを一滴残らず飲み干した。美味いことには変わりない。有難いことにも変わりない。ただちょっと、しょっぱくなった気がするだけだ。


 そして俺は改めて、話を切り出した。


「あの…………」

「何です」

「ツーちゃん…………、いや、琥珀様がどこ行ったか、知ってますか?」


 グラーゼイは黄色い瞳に篝火を映し、動じることなく返した。


「ええ、伺っております。…………ミナセ殿もご存知なのですか」

「まぁ…………。調子が最悪な時に聞いたんで、もしかしたら悪い夢かとも思ってたんですけど…………」

「残念ながら、現実でございます。あのお方はすでに旅立たれました。もうお戻りにはならないでしょう。

 魔人の呪術は、裂け目の魔物を無差別に、大量に招集するもので、例え琥珀様といえども、今晩一杯足止めするのが精一杯でございましょう。

 我々はあのお方のくださったこの時間に身体を休め、明け方には発ちます」

「…………フレイア達やシスイさんも、このことを知っているんですか?」

「彼女らには出発時刻のみ伝えました。琥珀殿については、急用ができたと話しております。せめてわずかでも気を張らず休めるよう、琥珀殿からそうするように承っておりました故」


 グラーゼイは揺れる火をじっと見つめながら、言葉を継いだ。


「現在はタリスカ殿が辺りを見張ってくださっています。シスイ殿が先程気脈と天候を調べた限りでは、明日の飛行も問題無いとのことでした。ナタリー殿はすでに寝所に入っております。

 貴方も、もう休まれるとよろしいかと。…………火の始末は準備と同様、私と、私の部下がいたしますので」

「フレイアは今、どこに?」


 グラーゼイは鍋の残りを確認しつつ、さらりと答えた。


「近くの川で身を清めております。用があれば、後でお伝えいたします」


 水浴びと聞いて一瞬想像したのと同時に、オオカミ野郎の視線が見透かしたように鋭くなる。

 俺は内心で舌打ちしつつ、すぐに気を取り直して挨拶をした。


「いえ、結構です。彼女とは明日もまた一緒に飛びますので。

 …………ご馳走様です。美味かったです」


 グラーゼイが眉間を険しくするのを余所に、俺は立ち上がってわざと大きく欠伸をした。


「それではお言葉に甘えて、今夜はもう休ませていただきます。では」


 俺は器を席に残し、テントへと戻った。

 さすがに食器の片付けまで任せっきりなのは気が引けたが、ああも露骨に嫌味を言われるとかえってすっきり任せてしまえる。アイツの性格にも、たまには良い面がある。


 俺は、ツーちゃんのことはとりあえず考えずに置こうと、自分に言い聞かせた。

 「塔」にいるとかいう彼女を助け出すのは、サン・ツイードに帰ってから、リーザロットとよく相談してやろう。


 それにしても本当、馬鹿な大魔導師様だ。

 大体、いい歳して「塔」で囚われの身だと? あの性格でお姫様気取りなんて、一周回って爆笑ものだ。

 また会ったら絶対、指差して笑ってやる。

 …………馬鹿。



 テントに戻ってみると、明かりの下でシスイが地図を広げていた。どうやら明日の航路を確認していたようだ。

 彼は入ってきた俺を目に留めると、わずかに微笑んで言った。


「やぁ、コウさん。具合はどうだ?」


 俺は彼の見ている地図を覗き込みつつ、答えた。


「おかげさまで、もうすっかり平気です。お世話をおかけしました。

 …………その地図は?」

「これは東の旧世大亀裂…………とても古い、巨大な「裂け目」周辺の地図だ。見るか?」

「じゃあ、ぜひ」

「そこの赤い線を辿っていくつもりなんだ。このまま行けば、イゼルマの溶岩平原が次の野営地になるな。代案がこっちのクラン村跡で、場合によっては、フィリカ洞穴先のレヤンソン郷まで足を伸ばす」

「はい」


 俺が見ている横で、彼は姿勢を崩して語った。


「今日の竜酔いのことは気にしなくていい。一度も竜に乗ったことない人間があの空戦に巻き込まれれば、普通はああなる。むしろよく耐えた方だ。恥じることは何も無い」


 俺は思わぬ優しさに触れて、ついシスイを拝みそうになった。ああ、こんなまともな扱い、いつ以来だろう。そう言ってもらえるだけで、本当に気が楽になる。

 俺が感極まり何も言えずにただ口を開けて見つめていると、シスイはちょっとたじろいで肩をすくめた。


「ま、まぁ…………明日も早い。とにかく、よく休むと良いよ」


 それから彼は地図を畳み、また話題を変えた。


「ところで、コウさん。実は前々から君に聞きたいことがあったんだが、よければ少し付き合ってくれないか?」

「何でしょう?」


 シスイは黒真珠のような瞳にランプの光に灯して、じっと俺を見返した。


「率直な話、コウさんは本当に可能だと思っているのか? サンラインとジューダムの「和平」なんて」


 俺が口を閉じるのに被せて、シスイはさらに声を落として尋ねた。


「そもそもオースタンから来たコウさんにとっては、何もかもが他人事のはずだ。それなのにどうして、君はこんなにもサンラインに肩入れするんだ? 今日だって、あんなに吐いてぶっ倒れて殺されかけて、いつ「もう帰りたい」と言い出してくるかと、俺はずっと身構えていたぐらいなんだが。

 いや、君を疑っているわけではなく…………単純に興味があるんだ。俺もスレーン人として、サンラインとは一線を置いている立場だからな。何がそんなに、君を駆り立てるのか。どうして…………まだついてこられるのか?」


 俺は彼の眼差しを受け、ちょっと虚空を仰ぎ見た。


 俺が「和平」を目指す理由。


 俺はもう一度シスイを見て、話した。


「あんまり難しい言葉では話せないんで、恐縮なんですが…………。

 その、いわゆる「皆で仲良く!」みたいな理想的な和平が可能かどうかについては、正直言って難しいと思ってます。「和平」なんていくら綺麗な言葉を使ってみても、結局はいい所、お互いの痛み分けっていう着地点が妥当なんじゃないでしょうか。そもそも、お互いを理解して尊重する、なんてことができるなら、初めから戦争なんて起こらないでしょうし…………」


 俺は言葉を探し探し、継いだ。


「ただ、戦争に巻き込まれる人を少なくすることぐらいは、今からでも努力次第できると思うんです。少なくともそのつもりで動く人間が1人でも増えれば、その分だけ可能性は高くなる。

 …………一応、第三者として、違った視点を持ち込むこともできるかもしれないですし」


 そこまで聞いたシスイは首を傾げ、口を挟んだ。


「なるほど。だが、例えコウさんがそのつもりでも、向こうはそうは見ないんじゃないか? 俺に言わせれば、コウさんは十分にサンライン側の勢力だ」

「それでいいんです。その誤解を解くのは、俺が当然やらなくちゃならない仕事ってだけなので。

 事実、俺が信じているのは「サンライン」じゃないんです。俺は「蒼の主」…………リーザロットという個人を信じて、ここにいます」


 シスイが無言で瞳を瞬かせる。

 俺は俯いて頭を掻き、続けた。


「いや、納得できないのはよくわかります。「蒼の主」もサンラインの一部じゃないか、って。

 けれど彼女は…………なんていうか、決して他人の色を拒んだりはしない人なんです。暗闇にも光にも、痛ましいぐらいきちんと向かい合おうとする人で。それが時々危なっかしくもあるんですけれど…………。

 それでも、そんな彼女といる限り、俺は俺でいられます。俺は今もこれからも、俺自身として立っていたいと思えるんです。

 「和平」に協力するのも、「勇者」でいるのも、彼女がいてこそですが、紛れもない自分の意思なんです」


 シスイは一言、零した。


「それだけか?」


 俺はさらに俯き、次いでまた宙を見上げた。


「あと…………ちょっと照れるけど、夢を守りたいから、ってのもあります」

「夢…………?」

「実は、俺にもよくわかっていないんです。うまく言葉が見つからない。だけど、俺はそれを手に入れたくて仕方ない。…………逃げるわけにはいかないんです」

「釈然としないな。…………もしかして、フレイアさんのことか?」

「えっ? いや、もちろんそれもあるけど…………。…………ああいや! 今の無し!

 …………夢って、多分、「信じないと見えないもの」です」


 さらに眉間を狭めるシスイに、俺は付け加えた。


「信じることを止めたら…………この夢は醒めてしまう。本当に変わるためには、俺は追い続けなくちゃいけないんです。

 追って、この手で掴む。そうして初めて、この夢は形あるものになる」


 俺は真っ直ぐに相手の目を見た。

 シスイはもうさっぱりついていけないと言った顔をしていたが、やがて溜息を吐いて降参のポーズを取った。


「いや…………正直、ちっともピンと来ないんだが、それでも君のただならぬ覚悟は感じたよ。感謝する、コウさん。

 …………ちょっと一服して、もう少し考えてくる。先に寝ていてくれ」


 シスイは手元に転がっていたキセルを持って立ち上がると、ランプと俺を残して外へ出て行った。


 俺は自分で言ったことを頭の中で反芻しつつ、寝床に入った。

 きっと変なヤツだって思われただろうな。まぁ、今に始まったことじゃないから、いいんだけど。


 それにしても…………「和平」か。

 今はまるでお伽噺(ファンタジー)のようだけど、この遠征が成功すれば、少なくとも交渉のテーブルにはつける。

 想像もできない悲劇なんて、それこそ空想の内だけで十分だ。

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