83-1、夕空の力場と、燃える夜。俺がみっともなく嫉妬すること。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。
しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。
教会騎士団と共に何とか襲撃者が遣わした竜を倒した後、俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指して遠征隊を結成する。
そしてその旅の途上、俺達の動向を察したジューダムが刺客を送ってきた。
シスイはゾッとするほど美しく竜を飛ばした。
彼の乗る老竜はあの霊ノ宮の変態宮司から貰ったもので、決して育て抜かれた竜ではないはずなのに、若く逞しいセイシュウに勝るとも劣らない速度を維持し続けていた。
フレイアはそんな彼を仰ぎ見ながら、感嘆の溜息をもらした。
「スレーン人は皆、非常に巧く竜を操ります。ですが、あんなに安定した力場を編み、精確に風と気脈を把握なさる方は初めてです。先のジューダム兵への狙撃といい、頼もしい限りですね」
ちょっと嫉妬した、なんてとても言える分際では無いのだが、俺はややぶっきらぼうに
「うん」
とだけ答え、話を逸らした。
「ところで、向こうで戦っている敵の竜…………濁竜って言ったっけ? アイツらには、何か弱点とか無いの? 扉を探る手掛かりになるかもしれない」
フレイアはシスイの動向を絶えず目で追いつつ、俺に応じた。
「多くの竜と同様、濁竜の弱点も逆鱗です。狙うのは容易ではありませんが、そこさえ破壊できれば大幅に彼らの力を削ぐことができます」
「なるほどね」
そうなると、俺が直接竜に何かするのは難しいってことになりそうだ。だとすれば、俺がすべきことはやはりフレイアのサポートになるだろう。彼女ならば、竜の逆鱗を正確に狙える。
俺が上手く彼女の扉を開くことが出来れば、彼女の魔力はより強力になる。それに、もし呪いとかの兆候を見つけられたなら、いち早く対処することだってできる。
改めて彼女に話を持ち掛けようとした折、シスイから念話が届いた。
(お嬢さん、コウさん。準備はいいか?)
彼は上空から俺達を見おろして目を合わせ、話を続けた。
(まず俺達が最初に狙うべきは、逆鱗が3つある濁竜…………「有月」だ。ジューダムお得意の「改良種」ってヤツだが、アイツがとにかく強い。もう1匹厄介なヤツもいるにはいるんだが、それはひとまずおく。
とにかく、有月の馬鹿でかい魔力場を削らないことには後が続かない)
シスイはそれから、こうも言い足した。
(それと、お嬢さんには俺と力場を編んでもらいたい。俺は獣型の魔力には慣れている。君の、その気難しそうな蛇達にも、どうにか力添えできるだろう)
正面を見据えているフレイアの表情は俺には見えない。
俺は落ち着かない気持ちで彼女の背を抱いていた。いや、動揺なんてしている場合じゃないし、精鋭隊でも今まで散々そうして戦ってきただろうに、今更何をという話でもあるのだが…………。
俺はたゆまず火花を散らす火蛇を見やり、それからまた眼前の華奢な背中に目を落とした。
フレイアは毅然として答えた。
(わかりました。では、お近くに寄らせて頂きます)
(ああ、俺もそっちへ行く)
セイシュウが上昇するのに合わせ、シスイの竜が見えない滑り台を辿るように丁度良く降りてくる。
2頭が寄り添い合った所で、シスイが片手を伸ばして言葉を発した。
「火蛇の主、フレイア・エレシィ・ツイード。君の力を、我が空へ」
フレイアは手綱から片手を離すと、まるでダンスの手でも取るかのような優雅さで腕を伸ばし返した。
「竜の古き血縁、シスイ。…………ようこそ、我が火焔の内へ」
俺は物凄く憂鬱だった。俺に何を言う筋合いがあるのか、自分でも全くわからなかったけれど、二人の繋がらない指先に何かが通い合うのがハッキリとわかって、二人の魔力がこの、だだっ広い夕空そっくりに、冷たく、鮮烈に織り上げられていくのが感じられて、何だか滅茶苦茶気分が悪くなった。(クラウスめ、余計なこと聞かせてくれやがって…………)
俺だって、フレイアを通してその中にいるはずなのに。ちっとも混ざり込めていない気がする。
…………というか、誰かの色に染まった彼女なんて知りたくない。少しも感じたくない。
一瞬、シスイがこちらへ視線を向けたようだったが、すぐに前へ向き直った。彼の竜とセイシュウはおもむろに距離を取ると、やがて元の位置関係へと戻っていった。
濁竜達の集う戦場が、もう間近に近づいてきている。轟音や衝撃といった戦いの余波が、肌でビリビリと感じられた。
シスイは再び念話をよこした。
(挟み打ちにする! …………行くぞ!)
フレイアとシスイが全く同時に竜を加速させた。
セイシュウとシスイの竜が左右二手に分かれて走る。セイシュウは正面に見える、他よりも身体の大きな濁竜――――煌々と輝くその3つの逆鱗は、硫黄の結晶に似ていた――――を追って、急旋回に入った。
ぶっ飛ばされそうな遠心力が襲ってくる。標的の濁竜「有月」は、俺達よりさらにタイトな曲線を描いて逃げていった。勢いがある。確かにこちらを見ている。フレイアは一瞬旋回を緩めるや、すぐさま上昇気流にセイシュウを乗せた。
セイシュウは有機的な柔らかい軌道で身体を有月へ向かって捻り込む。翻って急激な降下へ移ると、俺の胃がぶわっと浮きあがった。
有月は翼と長い尾を微かに捩じり、旋回方向を瞬く間に転じた。ほんのわずかな所作だけで、みるみる軌道が変わっていく。まるで手品か魔法でも見ているよう。
高速のドッグファイトは目まぐるしく続く。
2頭はもつれ合うように鋭く空を縫い、お互いの死角を貪婪に狙っていく。
有月の黒い翼はひどく無機質に見えた。ちゃんと血が通っているはずなのに、なぜか機械的な冷たさが胸を締め付ける。
くすんだ光沢のあるヤツの鱗には、鈍色のケロイドが無数にこびりついていた。手足の先の長く伸びた爪は、太刀の如く大胆に湾曲している。餌をとるためだけにしては、行き過ぎた大きさ。
血のような赤い舌へかかる牙は、魔人と同じ漆黒に塗りこめられていた。
夜が、刻一刻と俺達を飲み込んでいっていた。
暗くなると、真っ黒な相手の姿がさらに見えにくくなる。
どうにか見失う前に決着をつけたいが…………。
と、ふいにフレイアが短く詠唱した。応じた火蛇が輪を解き、一直線に有月へ伸びていく。
同時に、有月が進む闇の奥に、一つの竜影が浮かび上がってきた。
シスイだ。
シスイは有月の進路の真正面に控え、弓を構えていた。
火蛇が二匹に分かれ、有月へ二重らせん状に巻きかかる。
有月は怒りに満ちた甲高い咆哮を轟かせ、翼を広げて身体を大きく回転させた。火蛇はその豪快な勢いに堪らず振り払われたものの、その刹那に、シスイの矢がヒュッと鋭い風切り音を立てた。
放たれた矢が、たちまちほの白い光を纏って槍の大きさにまで伸びる。
大槍と化した矢は見事に濁竜の咽喉を貫いた。
凄絶な悲鳴が空を渡る。砕かれた硫黄色の逆鱗が、キラキラと火蛇の火炎に照らされて輝いた。
やった――――、
と、俺が喝采を上げかけた矢先、フレイアが大声で怒鳴った。
「シスイさん、火雲波です!!」
フレイアが手綱をぐんと引き、セイシュウを濁竜から大きく引き離す。
直後、濁竜の口から夜を焦がし尽くす激しい炎が扇状に吹き出された。
「コウ様、口をお閉じください! 肺が焼けます!」
俺はすぐ従った。フレイアはセイシュウを蹴り、炎の波からさらに距離を取る。濛々と立ち昇る熱気が冷えた肌にジュウと染み付いた。
炎は空中で風に煽られて瞬く間に燃え広がり、辺り一帯の夜景を明々と炙り出した。
夜の底に沈んでいた険しい山脈や深い森が、じんわりと姿を現す。闇を背負った自然はいやにおどろおどろしく映った。
空中にはまだたくさんの濁竜が飛び交っていた。彼らは縄張りを主張するカラスのように、狂騒的に炎の合間を駆けずり回っている。
グラーゼイとツーちゃんの戦っている姿が遠くに見えた。彼らはこちらへ援軍が及ばないよう奮闘し続けてくれていた。時折きらめくグラーゼイの白刃と濁竜の爪との衝突が、眩い。
ツーちゃんは小さな爆発を連続させ、濁竜達をうまく一か所に誘導しつつ粘っていた。
やがて息も絶え絶えの有月が睨み据える先…………最も熾烈に火が盛っている辺りに、人影が現れた。
「シスイさん、大丈夫ですか!?」
俺が呼びかけると、すぐに念話が返ってきた。
(問題無い)
炎の内から出てきたシスイは、いつの間にか火蛇のベールに包まれていた。彼は轟々と燃え滾る火焔の海を緩やかにグライドして、有月と対峙していた。
綺麗な正円を描いて飛ぶ彼の手には、すでに新たな矢が番えられている。
緊張漲る中、シスイの至極穏やかな声が脳裏に響いた。
(良い蛇だな、お嬢さん。これならこの炎の中でも、ヤツを落とすまで十分に耐えられる)
(ありがとうございます)
(もう一匹はどうした?)
(それは)
フレイアが申し訳なさそうに、チラとこちらを振り向く。
俺は首を傾げた。
(ん? 俺、何かした?)
(…………ああ、そういうことか)
考えている間に、シスイが独り納得する。
フレイアはゆっくりとセイシュウを上昇させ、シスイらを囲って大きく旋回し始めた。他の敵の来襲を警戒しているらしい。
次いで彼女が小声で何か囁くと、俺の肩の後ろからひょっこりともう一匹の火蛇が顔を出した。
火蛇は身を伸ばして俺を乗り越えると、そのままフレイアが掲げた腕に沿って宙へ滑り込み、俺達の周りにもベールを張った。
フレイアは炎の明かりで頬を赤く染めながら、俺に話した。
「私は…………というか、火蛇達は、コウ様とも共力場を編ませていただいておりますから。こちらの守備にも力を割いた方が良いと、この子が勝手に判断したのでしょう」
言いながらフレイアがばつが悪そうに俯く。何だかおかしな様子だなと思いつつも、俺は火蛇とフレイアとを代わりばんこに見やって答えた。
「よくわからないけど、俺も火蛇がいると心強いよ。
それより、シスイさんの方は一人で大丈夫かな?」
彼を見下ろして俺が尋ねた丁度その時、動きがあった。
シスイが射かけた矢を、有月が紙一重で見切って飛び掛かる。
聳え立つ牙と長く伸びた爪が、シスイへ振りかかった。
シスイは竜の背を蹴り、宙へ飛んだ。
老いた緋王竜はそれと同時に首を丸め、軽く、枯葉のように攻撃を躱す。
濁流の背にシスイが立った。山刀を逆手に抜いている。
濁竜が怒り悶える。
シスイは激動の中を流水の如く捌いて渡り、竜の首元に組み付いた。
黒い理知的な目が、火の明かりを浴びてなお静謐に照る。
山刀が走る。
濁竜の喉元から血柱が迸った。
硫黄色の逆鱗と瞳がみるみる色を失い、闇の底へと沈んでいく。
巨大な翼が力無くしなり、有月の身体が重力の呼ぶ方へぐらりと傾いた。
老竜がシスイの近くへ滑空してくる。
(――――…………よくやった。ゆっくり眠れ)
シスイは独り言のように呟き、有月から離れて老竜へと身を移した。
ふっと短いイメージが俺の頭に通ってきた。
冷たくも心地良い、風に溶けていく感覚。
空が全身をくるみ込む、圧倒的な恐怖。一匙の安心。
落ちていく有月が見えなくなると、不思議な気分は幻となって霧散していった。
フレイアはセイシュウを降下させ、シスイに直接呼びかけた。
「シスイさん! 残った濁竜を仕留めましょう!」
シスイはこちらを見上げ、何事も無かったかのように涼やかに答えた。
「ああ。向こうの様子はどうだ?」
「グラーゼイ様が左腕にお怪我をされています。何も仰いませんが、かなり厳しい状況かと思われます。…………それから、琥珀様が」
フレイアは一層渋い顔をして言葉を繋げた。
「何故かはわかりませんが、この地の気脈を全く利用できておられません。その上、魔力場が非常に不安定で、私からの呼びかけにも一切応じてくださいません」
確かに、俺の目から見ても明らかにツーちゃんはどこかおかしかった。
細かな爆発や目くらましで延々と行き当たりばったりの対応を続けている彼女は、「大魔導師」とは程遠い様子だ。
以前トレンデで見せたような桁外れの魔術を用意している気配も、今のところ全く感じられなかった。
俺はいよいよ悪い予感が的中したかと息を吐き、迫る新たな戦場を見据えた。
実は、ツーちゃんの不調については、ついさっきになってようやく思い至ったことがあった。
紡ノ宮でヴェルグの呪術に飲まれた時、俺はそこから抜け出すために、ツーちゃんだけでなく、あのヴェルグの力も一緒に利用した。
あの時はどうしようもなくテンパっていて全く意識していなかったのだが、あの時俺は、二人の力場を強制的に融合させてしまったのかもしれない。
ツーちゃんとヴェルグの関係は、未だによくわかっていない。けど、考えれば考える程、ツーちゃんの魔力場が乱れていることには、この件が噛んでいる気がしてならない。
俺はジェダ湖を発つ前に見た、優しくて儚げなツーちゃんの笑顔を胸に思い浮かべた。
…………ダメだ。
やっぱり、あんな偽物じみたツーちゃんを放っておくわけにはいかない。
どうにかして、本物を引っ張り出さなくては!




