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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
【第7章】遠い空の真っ只中
157/411

81-2、サンラインの空。俺が冷たい旅路を辿ること。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。

 教会騎士団の精鋭部隊と共に、何とか襲撃者が遣わした竜を倒した後、俺達はリーザロットの館で今後の作戦を話し合う。

 そして俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指し、選りすぐりの竜と共に遠征に乗り出すのだった。

 竜を目の前にして、俺は感慨に耽っていた。

 黒蛾竜はワイバーン型だったが、今回乗る竜は違う。背から立派な翼の生えた、まさに「ドラゴン」であった。


 鮮やかな緋色の鱗に、血脈の薄く透けて見える象牙色の翼。首には水晶の波のような(たてがみ)が、キラリと陽光を浴びて生え揃っていた。瞳は吸い込まれそうな漆黒。長い鼻筋は荒々しくも凛々しい気品に満ちている。尖った牙は、ほとんどこの世のものとは思われぬような純白を誇っていた。


「こちらの小型のものが緋王竜(ひおうりゅう)という種類で、あちらの、ちょうど今、お師匠様とナタリー様が一緒に手綱を取っていらっしゃる大きな黒っぽい竜が、藍佳竜(らんかりゅう)といいます。どちらもスレーン原産の種で、飛行能力は非常に高いです。…………その分気位が高く、扱いは難しいのですが、みんなよく人に馴れているようですね」


 テキパキと手際良く、緋王竜に巻かれた手綱の結び目をチェックしながら、フレイアが説明していく。彼女は一通り確かめ終えると、竜のザクザクと硬そうな鬣を優しく撫で、こちらを振り向いた。


「この子の名前は「セイシュウ」というそうです。先程ちょっと力場を編んでみた限りですと、緋王竜にしてはかなり大人しく、聞き分けの良い性格をしているようです。…………恐らくは咬まないと思いますので、よろしければコウ様もお手を触れてみてはいかがですか?」


 にこやかなフレイアの提案に、俺は表面上は平然と頷いてみせた。

 とはいえ、おっかなびっくりな心持ちは態度に滲み出る。おずおずと近付いていく俺に、セイシュウは思いっきり訝しげな眼差しを注いでいた。ウチの庭にやってくる猫が、手を伸ばす俺に全く同じ目を向けていたのをよく覚えている。


「正面から撫でてあげてください。後ろから触れますと、かえって竜がびっくりして咬んでしまうかもしれませんから」


 ワンダかよ…………。

 俺はフレイアの忠告に従い、そろそろと竜の鼻先へと手を伸ばした。

 幸い、セイシュウはじっとしたまま動かなかった。手のひらに竜の鱗が触れると、何だか懐かしい感触がした。冷たそうに見えて、案外じんわりと温かい滑らかな触り心地。俺はトロンと気持ち良さそうに目を細める竜をしばらく撫でてから、手を離した。

 フレイアは俺に嬉しそうに話した。


「では、コウ様とセイシュウが仲良くなられましたところで、早速共力場を編みましょう。

 とは言っても、すでにこちらへ来るまでに概ね調整は済んでいますから、あとはとても簡単です。

 コウ様。私と一緒に、セイシュウの逆鱗に触れてみてくださいますか?」


 俺は言われた通り、フレイアのほっそりとした手と重ねて、セイシュウの石礫のような逆鱗に触れた。緋王竜の逆鱗は黒蛾竜のそれとは違い、縦に長い菱形である。他の鱗と比べて、若干色がくすんでいる。


「そのまま、じっとしていてくださいね…………」


 フレイアが俺の隣で、紅玉色の瞳をうっとりときらめかせた。

 俺は久しぶりにフレイアの魔力に触れ、身体に熱がこもるのを感じた。

 フレイアの魔力はホカホカと温かく、俺の気持ちをふんわりと鼓舞してくれる。甘いとか、ほろ苦いとか、はっきりとした味を感じたことはまだないけれど、彼女といると、何だかすごく安心できる。

 フレイアは春先の小鳥みたいに、声をさえずらせた。


「コウ様。私の詠唱を繰り返してください。

 …………『――――――――緋の子よ、竜の子よ』」

「…………ひのこよ、りゅうのこよ」

(かそけ)し空と』

「かそけし、そらと」

『儚き大地の』

「はかなき、だいちの」

『愛の子よ』

「あいのこよ」

『今、曇りなき我と』

「いま、くもりなき、われと」

『共に行かん…………』

「ともに、いかん――――――――…………」


 セイシュウの逆鱗が、火の灯されたランプみたいに淡い光を帯び始める。俺が目を見張っていると、フレイアが耳元に囁きかけてきた。


「目をお瞑りください、コウ様。私が申し上げるまで、決して開かれないようお願いします」


 俺は目を閉じ、魔力の流れに意識を集中させた。


 徐々に、フレイアの魔力に乗っかって竜の魔力が伝ってくる。クールな見た目に反して、意外にもキャンディじみたあどけない甘さであった。


(イチゴ味といったところかな)


 そんなことを考えていたら、フレイアが俺の手を軽く握って言った。


「コウ様…………。これで力場は完成なのですが、目を開けていただく前に、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「うん、何?」

「コウ様は…………昔、私と…………」


 それから少し言い淀んだ後、フレイアは結局言葉を切った。


「…………いえ。やっぱり、何でもありません。どうぞ目をお開けになってください。ご協力、ありがとうございました」


 目を開くと、フレイアがわずかに頬を染めて微笑んでいるのが見えた。その傍らのセイシュウは、相変わらずの目つきで俺を睨んでいた。「やんのか、コラ」。その一歩手前ぐらいの目つき。

 フレイアはどこかぎこちない、上擦った調子で続けた。


「あの、最後のことは気にしないでいただけたら幸いです。私の、その、個人的なことで、本当に、大したことではございませんので。

 …………それでは、他の方々も準備がお済みのようですし、出発といたしましょう! 隊長と琥珀様に報告をして参りますので、少々お待ちください」


 いそいそと俺から離れて駆けていく彼女の背中は、あんなに細いのに、どうして頼もしいんだろう。



「――――…………サン・ツイード西部観測所へ。「蒼の主」派遣団より告ぐ」


 静まり返った草原にシスイの厳かな声が響く。彼は出立に際して、発着場の観測所と最後の通信を行っていた。


「これより新商会航路経由でテッサロスタへ発つ。離陸許可を待つ」


 発着場から返ってきた念話は、こなれた年配の女性の声であった。どうやら竜上の者全てに発しているようだ。


(「蒼の主」派遣団。離陸を許可します。北西からの突風、並びに最密気脈波に注意してください)

「了解」

(白き雨の恵みあれ)

「ありがとう。

 …………全騎、出発!」


 シスイの思い切り良い合図と同時に、俺達を乗せた竜達が一斉に翼を広げて飛び立った。

 羽ばたきによって打ち下ろされた風が草原を薙ぎ、冷たい波となって勢いよく大地を流れていく。


 緋王竜はしなやかに、だが力強く翼を打ち続け、瞬く間に俺達を雲と風の世界へと運んだ。

 シスイはまだ何か観測所と交信していたが、もう俺には彼の声が聞き取れなかった。観測所からの最後の返答は、至極素っ気なかった。


(…………「蒼の主」派遣団、了解です。では当観測所管轄領域を離脱後、ロレーム北東観測所に引き継ぎます。良い旅を)


 俺はフレイアの華奢な背中に縋り付きながら、上昇に伴う加速度に全力で耐えていた。ハッキリ言って滅茶苦茶怖かったが、実際この位置は役得だった。フレイアは俺に、


「しっかり…………絶対に離さないよう、しっかり捕まっていてくださいね!」


 と念入りに指示して、手綱を細かく繰って竜を上昇させていった。俺は彼女の背にここぞとばかりに身を寄せ、恐怖と幸せとを噛み締めていた。後ろに続くオオカミ野郎の顔は見えないが、きっとさぞや穏やかでないことだろう。痛快だ。


 振り返っておずおず発着場を見下ろしてみると、未だそこにいるリーザロット達が見えた。

 リーザロットの長い髪とドレスが、落ち着きなく風に揺れていた。表情なんてもう見えなかったけれど、切に俺達を見上げ続けている彼女の小さな姿には胸を打たれた。

 そんな彼女の横ではサモワールのオーナーのトリスさんが、子供か仔ワンダのように忙しなくはしゃぎ回っていた。ブンブンと大きく手を振っている。同じく表情は見えないが、きっと満面の笑みに違いない。


 竜の加速は、手を振り返す暇すら与えなかった。セイシュウはフレイアの操竜によって、ぐんぐんと風の中を突き進み、たちまちサン・ツイード市街の上空へと至った。


 初めて空から見るサン・ツイードの街は、色鉛筆で描き込まれたように柔らかく、優しい色をして見えた。パステルカラーの家々の屋根が朝日を浴び、宵の名残からじんわりと滲み出してきている。あちこちにそびえ立つ純白の教会が、その中で一際眩く映った。その傍らの鐘塔が落とす、黒く長い、くっきりとした影が凛として美しい。


 街のところどころを彩る緑は、ナタリーの若葉の魔力とそっくりの瑞々しさを湛えていた。「恵みの雨」のおかげなのか、つくづく草木の豊かな街だった。

 街の真ん中を、セレヌ川がきらめきながら悠々と遠く流れていく。


 そのうち竜は街から逸れて、山間部へと向かっていった。

 フレイアは俺を振り返ると、優しく尋ねてきた。


「これから山へ入るので、高度を上げていきますね。…………コウ様、寒くはございませんか?」


 俺は彼女の背の温もりに寄り添い、答えた。


「リズがあったかい服を着せてくれたから、平気だよ。君こそ、大分薄着のようだけど、大丈夫?」

「はい。私には、火蛇がおりますので!」


 フレイアの肩越しに、火蛇達がスルリと顔を現す。彼らは身を伸ばして俺の方に寄ってくると、チロッと愛想良く細い舌を出した。

 俺は「久しぶり」と彼らに挨拶し、フレイアに話した。


「薄着といえば、ナタリーが可哀想だよな。あんな、ちょっとそこまで出かけてくるみたいな格好で、こんな旅は酷だ」


 なぜか火蛇がほんのりと赤く熱を帯びる。彼らはスルスルと俺の首に巻き付いてきたかと思うと、一周してまたフレイアの方へと戻っていった。フレイアはニコニコとしたまま答えた。


「…………コウ様は本当にお優しい方…………。

 ですが、そのことについてでしたら心配ありません。出発前に、ナタリーさんと同乗なさるお師匠様が、急遽ナタリーさん用のブーツや上着をご用意なさっておりました。本当は、こちらにお連れになる前に気付ければよかったのですけれど、お師匠様は、私と旅をしていらっしゃった頃から、少しせっかちな所がございましたから…………」


 俺は何となく彼女の笑顔に落ち着かないものを感じ、尋ねた。


「そっか。わかる気がするよ。

 ところで、ちょっと妙なことを聞くんだけど、その…………フレイアさ。もしかして、ちょっと怒ってない?」


 火蛇の一匹がチラリと尾を覗かせ、またすぐに引っ込める。

 フレイアは可愛らしく小首を傾げ、いつもと同じトーンで尋ね返してきた。


「いいえ。何かコウ様がそのようにお感じになるような、失礼な物言いをいたしましたか?」

「いや、してないけども。何となく…………」

「フレイアはコウ様の護衛を務められることを、非常に誇らしく思っております。ですから、決してそのようなこと…………」


 フレイアは言葉を切り、俯いた。

 俺は当惑しつつも、ひとまずは口を噤むことにした。

 絶対、何かが彼女の気に障っているのだが、思い当たることが全くない。ナタリーとの関係について、クラウスあたりが何かあることないこと吹き込んだのかもしれない。


 俺はフレイアの背中にくっつきながら、冷え込んできた上空の風に身を震わした。



 そうした時間の後に、山間に少し開けた土地が見えてきた。目を凝らしてみると、紺碧色を湛えた小さな湖があった。

 シスイからの念話が、それに続いて届いた。


(下に見えるジェダ湖で一旦休もう。気脈の状態は良いが、それでも魔物の多い地域だ。各自周囲の様子に注意して降りてくれ)


 言いつつ、彼はもう先頭を切って湖畔へ降りていっていた。

 フレイアは


(はい)


 と短く返事すると、少し手綱を引き、セイシュウに降下の姿勢を取らせた。降り始めると、フッと身体の浮くような感じがして、俺は反射的にフレイアを強く抱いた。


「――――! コウ様!」


 フレイアが身体を強張らせるのにつられて、セイシュウがわずかにバランスを崩す。セイシュウはしばらく酔っぱらったように蛇行した後、再度降下の姿勢を立て直した。


 地上近くまで来ると、セイシュウは鳥がやるように滑らかに翼を立てて着地した。フレイアはようやく一息ついた後、こちらを振り返って真っ赤な顔で言った。


「コウ様。…………あの、もし飛行中にご不安がおありでしたら、いつでもフレイアを頼ってくださって構いません。ただ…………急にあのようにされますと、心の準備が…………」

「ごめん。つい咄嗟に。…………怒ってる?」

「いいえ! そんなこと、フレイアは決して…………決してありませんが…………」

「…………。…………ナタリーのことも、怒ってない?」

「えぇっ!?」


 一拍、時の止まったような沈黙が流れる。フレイアはたちまち顔を真っ赤に燃え上がらせると、大きく首を横に振って言った。


「ど、どうしてそこでナタリーさんのお名前が出てくるのですか!? フレイアには全くわかりません! …………それより、さぁ、早く降りましょう! お手伝いいたします!」


 俺はぎこちない手つきのフレイアに助けられ、安全用のハーネスを身体から外して降り立った。


 それから改めてフレイアを見やると、やっぱり何か妙な、困ったような怒ったような顔をしていた。

 俺はもう一度、話しかけた。


「…………やっぱり、俺、何か悪いこと言っちゃったよね? 申し訳ないんだけど、本当に覚えが無いんだ。良かったら、話してくれないかな? 君が思ってることとか、俺の悪かったところとか」


 フレイアは勢いよく首を横に振ると、声を強くして言った。


「…………――――コウ様は、優し過ぎます!」


 そうこうしているうちに、続々と人が降りてきていた。俺達の次にグラーゼイ。その次にナタリーとタリスカ。最後にツーちゃん。


 旅の始めとあって、みんな比較的緊張した面持ちであったが、中でもグラーゼイは凄まじく気の張った表情をしていた。(…………まぁ、理由は明白だ)

 シスイは竜から降りた俺達を集めると、サクサクと話した。


「力場を調整し直すなり、用を足すなりは今のうちに済ませておいてくれ。ここから先は「裂け目」の影響が大きくなる。シャラトガの野営地までは、降りずに一気に行きたい。

 …………まぁ、アンタ達ならどんな魔物も目じゃないのだろうが、敵さんの魔力探索に引っ掛かりかねないことは、なるべくしないに越したことはないだろう? 竜に慣れてない人もいるし、負担はなるべく少なくしたい」


 俺は気遣いにありがたやと思いつつ、早速用を足しに出掛けようとした。上空で冷えたせいか、降りた途端に急に催してきた。


 だが、いそいそと茂みに入ろうとする俺を、フレイアは目敏く見咎めた。


「あっ、お待ちください、コウ様! どこへ行かれるのです? 森は危険です。ご一緒いたします」


 俺は彼女を振り返り、ごねた。


「あー…………いや、でも、トイレなんだよ。あんまり離れないから、大丈夫」

「ですが、万が一のこともあります。コウ様は初めてのご飛行でお疲れでしょうし、誰かがお傍にいた方が…………」


 追いすがるフレイアを、フラリと現れたシスイが制してくれた。


「お嬢さん。俺が一緒に行くから」


 シスイがまだ何か言いたげなフレイアを置いて、俺の前をゆるゆる歩き出す。俺は「じゃ」と一言添え、小走りで彼について行った。

 シスイは俺の方を向くと、サラリと話した。


「ま、でも、お嬢さんが心配するのももっともなんだ。この辺りには、ちょっと厄介な魔物が住んでてな。…………寄生型の魔物で、肛門や尿道から侵入するんだ」

「えっ!?」

「で、宿主の腸や膀胱を食い荒らし、発芽する」

「発芽!?」

「変わった生き物でさ。栄養を蓄えると、体組織を種子に変化させるんだそうだ。しかも、その発芽には人間の体内の温度と湿度が最も適切なんだとか。

 …………今は、ちょうどヤツらの繁殖期だから気を付けないといけない。万が一体内に入られたら、あの琥珀氏でもどうにもならない。霊体と肉体にまたがって根を張るからな」

「…………そ、そんな」


 俺が蒼ざめていると、シスイは急に真面目くさった顔を崩して笑い出した。


「!? 何が可笑しいんですか!? とんでもないことじゃないですか!」


 俺が責めると、彼は目元に皺を寄せて、相変わらず静やかな声調子で言った。


「すまない。嘘だ」

「は!? 嘘!?」

「つい、面白くてな」


 俺は呆れて物も言えず、ぐしゃぐしゃに顔を顰めて相手を見た。シスイは俺の無言の抗議を、ただニヤニヤとしながら受け流した。


「すまない。案外、誰にやっても通じるものでな。「裂け目」から出てくる魔物には変わったものが多いせいか、どんな途方も無いことを言っても信じてもらえるんだ。…………まぁ、今回はさすがに設定が突飛過ぎるかと思ったんだが、コウさんは素直な人なんだな」

「…………」

「悪い意味じゃない。スレーン式の、一種の挨拶だ」


 俺は茂みに入って済ませつつ、シスイという男について悩んだ。クールな男だと思っていたのだが、結構しょうもない野郎だ。あるいは、彼なりに旅人の緊張を解そうとしてくれているのかもしれないが、それにしたって内容のチョイスに難がある。


 俺は話のついでに、隣でのほほんと用を足しているシスイに尋ねた。


「…………あの」

「ん?」

「「裂け目」って何なのか、聞いてもいいですか? さっき、話していたやつ」


 シスイはなぜか天を仰いで答えた。


「んー…………そうだな。サンラインの方で何と教えているのかは知らないが、スレーン式にザックリ言うと、「裂け目」ってのは「古い世界の裂け目」のことだ。今から遠い昔に天変地異があって、地面が大きく割れた。その名残だ」


 上空を鳥の一団がV字型になって飛んでいく。シスイは人心地ついた後、「戻るか」と俺に呼びかけて、歩き始めた。

 彼は道すがら、話を続けた。


「この世界は時々、ガラリと姿を変えるんだ。…………「黒い魚」って聞いたことあるか? あれが襲ってくる時なんかがわかりやすい例なんだが、ああいった大変事が起こると、世界から命や物が大量に失われて多くの土地が一からの復興を…………いや。むしろ、新しい世界の創造を強いられる。

 これから俺達が通過する「裂け目」って場所は、大昔に起きたそんな大災害の傷跡なんだ」


 彼は俺を見やり、続けた。


「「裂け目」からは、未だに古代の魔物が彷徨い出てくる。もう古い世界なんぞどこにも残っていないにも関わらず、いじましく、何度でも、な」

「そうなんスか…………」


 俺は次いで、首を捻って聞いた。


「古代の魔物ってどんなのなんでしょう? できれば本当の話が聞きたいんですが」


 シスイは腕を組み、軽く笑った。


「それは、色々だな。俺が遭ったことのあるヤツだと、バカでかい蜘蛛だとか、半分人の形をしたマヌーだとか、肩から手がいっぱい生えている女の化け物とかが厄介だった。小型のものもいるらしいが、幸い俺は遭遇したことが無い。さっきの発芽する魔物じゃないが、鼻や耳から人の脳内へ潜り込んで内部を食い荒らすような、タチの悪い蟲も過去には出たことがあると聞いている」

「うわ、グロ…………。

 …………あっ、グロいと言えば、さっきの冗談の魔物の話ですけど、オースタンにはよく似た…………っていうか、ほぼ同じ生態の魚がいるんですよ。さすがに発芽まではしないですけども」

「…………え?」

「カンディルっていう、このぐらいの小さな肉食魚で、暑い国の、大きな濁った河に住んでるんですが、獲物を見つけると集団で襲ってきて、尿道から入って体内を食い千切るんです。現地で暮らす人は河で用を足す時にそいつらに襲われることを警戒して、股間を覆う鎧を必ず身に着けるんだとか」

「…………」


 頬を引き攣らせているシスイに、俺はもう一言オマケしてやった。


「ペットとしても売られてますけどね。可愛いから、って」


 シスイはしばらく無言で俺を見つめていたが、やがて憂いを帯びた眼差しを空へ投げてしんみりと呟いた。


「…………ヤバイ所だな、オースタン…………」


 俺はニヤリと笑い、一矢報いた満足に浸った。

 よし、これでオースタンの面目は保たれた。



 竜達のところへ戻ってくると、何やらグラーゼイがフレイアに絡んでいた。

 俺は「またか」と眉を顰めつつ、シスイから離れて彼らの元へと寄って行った。どうせ俺関係で揉めているだろうと思ったが、存外に予想は外れた。


「フレイア。トレンデで負った傷の調子はどうだ?」


 高圧的な上司の問いに、フレイアは健気に答えていた。


「はい、もう何も問題ありません。お気遣いありがとうございます」

「部下の体調把握は隊長としての責務に過ぎん。

 …………操竜の方はどうだ? 先程は、着地の際に乱れていたようにも見えたが」

「そちらも問題ありません。緋王竜はあまり経験が無いので不安でしたが、非常に聞き分けの良い子で助かっています」

「そうか。…………。

 先日、自警団から取り寄せた「太母の護手」の事件記録には、お前も目を通してきたかと思うが、ヤツらの内には操竜に凄まじく長けた者があるという。今後は空中戦の可能性もある。今のうちに十分に竜に身体を馴染ませておくように」

「はい」

「ジューダムでも、飛竜は主力だ。ジューダム兵の操竜法を知っているか?」

「はい。あのやり方を「操竜」と呼ぶのはためらいがありますが…………一通り、把握しております」

「よろしい。…………。

 …………ミナセ殿のご様子は、どうだ?」

「コウ様は」


 フレイアはやってきた俺に目を向け、微かに微笑んだ。グラーゼイはしかめっ面で俺を睨むと、腕を厳めしく組んで、これ見よがしに深い溜息を吐いた。

 フレイアは改めてグラーゼイを仰ぎ、少しはにかんだ調子で声を弾ませた。


「今日も、大変親切にしてくださいます。とてもお優しい方です」

「…………そのようなことは聞いていない。ご体調はいかがかと問うている」


 俺は急いで割って入り、代わりに返事した。


「ご心配には及びませんよ、グラーゼイさん。俺、超元気です。むしろ、元気が有り余って、つい腕に力が入ってしまって。そのせいでフレイアの着陸の邪魔をしてしまったんですよ」

「…………?」


 グラーゼイが耳と目元を痙攣させ、口を噤む。

 俺はフレイアを振り返り、言葉を繋げた。


「ごめんね、フレイア。次は締め過ぎないよう、気を付けるよ」


 フレイアが何か答えるより早く、グラーゼイは低く怒鳴った。


「フレイア! 久方ぶりの操竜とはいえ、それは聞き過ごせん。安定した飛行を保っておれば、ミナセ殿がそのような、みだらな…………失礼。乱れた姿勢を取られることはなかったはずだ。後で野営地に着いたら至急、私の元へ来るように!」

「は、はい! 申し訳ございませんでした!」


 哀れなフレイアが畏まって返事をするのを、俺が宥めた。

 グラーゼイはすげなく踵を返すと、さっさと自らの竜の方へと向かって行った。彼は途中で擦れ違ったシスイに、


「出発する」


 と偉そうに言葉を掛けると、ドサリとその巨体を竜に乗せた。近くで休んでいたナタリーがちょっと驚いた顔をしていたが、彼は彼女にも、その傍らにいるタリスカにも目をくれることなく、手早く手綱を取った。


 シスイはこちらと彼とを見比べて妙な顔をしていたが、ややしてから、こちらに大声で指示を出した。


「…………出発だ! 次の目的地はシャラトガの野営地だ。敵襲もそうだが、谷風にも注意してくれ! この辺りは地形が複雑に入り組んでいるから、かなり荒れる。スレーン人も何人もここで死んでいる。

 山肌には決して近付かないよう、くれぐれも心得てくれ!」


 俺はフレイアと一緒にセイシュウの元へと戻った。


 ツーちゃんはセイシュウの隣に留めた竜の傍で、長い足を放り出して休んでいたが、やがて俺達がやってくるのを見ると、ゆっくりと立ち上がって準備を始めた。

 俺はどうせ無駄だと思いつつも、フレイアが準備をしている間、彼女の方へ行って声を掛けた。


「ツーちゃん。

 …………大丈夫? なんか顔色悪いけど」


 ツーちゃんは「よっこらせ」と力無い(そしてババくさい)掛け声と共に竜にまたがりながら、いつもの憎まれ口をよこした。


「フン、ただでさえ顔の悪いヤツに言われるようでは、確かにどうしようもないのだろうな。…………まぁせいぜい、このギオウに助けてもらうさ。貴様より誰より、コイツが一番頼りになる。

 コイツは良い竜だよ。…………竜はみんな、良いヤツだが」

「…………。本当に大丈夫? 悪態にいつものキレが無いけど」


 ツーちゃんはポンポンとギオウの頭を撫でると、ポツリと言った。


「コウ。…………気をつけてな」


 俺は我が耳を疑い、彼女を見つめ返した。


 眼前では麗しい女性が、琥珀色の奥ゆかしい瞳を揺らして優しげに竜を見つめていた。深紅のドレスからスラリと伸びた腕が、まるで妖精のような可憐さで武骨な手綱をまとめている。

 やがて彼女はサラリと前髪を掻き上げると、弱々しい笑顔を俺へ向けた。


「さぁ、行こう。貴様も早くフレイアの元へ戻れ」


 俺は後ずさることもできないまま、ただ硬直していた。


 あれ…………? 

 もしかしてこれ、マジでヤバイやつ?


 誰に告げようかと頭を回す余裕もないうちに、フレイアが俺を呼ばわった。


「コウ様! ハーネスをお付けしますので、こちらへいらしてください!」

「え? あ…………、ああ! わかった、今行く!」


 俺が走って竜に乗り込むと、早くもグラーゼイが飛び立っていくのが目に飛び込んできた。フレイアが手際良く俺を竜に結び付けていく間に、ツーちゃんも続いて飛び去っていく。次いでナタリーとタリスカが、何やらギャアギャア喚き合いながら喧しく飛んでいくのも見えた。


 俺達が上がるのを見届けた後、シスイが最後に発つ。どういう操竜なのかは知らないが、宮司からもらった老竜をシスイは巧みに捌き、あっという間に集団の先頭へと躍り出ていった。


 日差しの強まってきた谷には、彼の警告した通り、嫌な風が強く吹き荒れていた。

追加エピソード【幕間の物語】公開中です。

その名の通り幕間劇調に、主人公のコウからは見えない視点で登場人物達を描いています。


【幕間の物語① とある青年騎士の昼下がり】https://ncode.syosetu.com/n9009dl/9/

【幕間の物語② とある少女の夢物語】https://ncode.syosetu.com/n9009dl/57/


さらに2018/1/19に新しく追加しました。


【幕間の物語③ とある魔術師たちの噂話】https://ncode.syosetu.com/n9009dl/66/


①は精鋭隊の二枚目と姫様、②はヒロインの少女時代、③はヴェルグさん陣営の裏側を描いております。

よろしければどうぞこちらもご覧ください!

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