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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
海辺の魔女と三毛
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79-2、海と光の街。「過去」と「今」。私が初めて味わう恐怖のこと。(中編)

 ある夜、ニートの兄が忽然と家から消えた。

 私はいなくなった兄の部屋を訪れ、そこでいくつかの不思議なものを発見する。

 それは見事に両断された虫の死骸と、床の上で風に揺らぐ光の輪。

 私は理解し得ないものを目の当たりにしてすっかり途方に暮れていたが、とある写真をきっかけに、兄とその親友にまつわる重要な事件を思い出した。

 その親友はかつて私を誘拐し、兄を殺そうとしたのだ。

 その辺の自販機で買ったホットココアを片手に、私は海沿いの公園をフラフラと歩いていった。絶対に近づくなと言われていたが、まぁちょっとの間だけなら、気を付けていれば問題無いだろう。


 私は色とりどりの街の明かりを溶かし込んだ暗い海を眺めながら、黙々と兄のことを考えた。


 アイツ…………水無瀬孝は、少なくとも昔は私と同じぐらいには真面目なヤツだったと記憶している。

 ずば抜けて優秀だったわけでこそ無かったものの、時には私に勉強を教えてくれたりもしていたし、お父さんだって、いつもアイツのことを自慢げに話していた。


 それが、何をどこでどう間違えたのか、いつの間にやら、甲斐性無しの半ニートに成り下がっていて。


 …………私にはどうしてもアイツが理解できない。


 真っ当なレールから外れるにしても、どうしてあんな風に当たり前のように生きていられるのか、私にはサッパリだ。

 ニートなんて言ったら、普通はもっと塞ぎ込んで、イジけて、陰々鬱々と日々を過ごしているものなんじゃないだろうか?


 それを、アイツは私のお弁当なんか作って、家事なんかして、時には親戚の農作業の手伝いに行ったりして、あまつさえ山ほどお菓子を貰って帰ってきたりして、嬉しそうに家族に分けたりしていて…………完全に意味不明だ。

 馬鹿なんじゃないかと、本気で疑う。


 白状してしまえば、私はアイツと向かい合うのが怖い。

 この頃はアイツの方も私の気持ちを察してか、露骨に私と顔を合わせるのを避けるようになっているし、どころかわざとバイトの時間を夜に調整して、家族と生活が擦れ違うようにしているみたいでもあるし。

 どうすればいいのか、私にはちっともわからない。


 …………私は寂しい。

 でも、アイツは全然平気そうだ。

 私は悔しい。

 でも、アイツは気にすらしていない。


 私はあの日まで、アイツの部屋に踏み込めなかった。

「なぜ」と尋ねて、ハッキリ拒絶されるのが怖かった。優しかった「お兄ちゃん」が、私の知らない誰かに変わってしまったのを直視したくなかった。

 一度でも「お兄ちゃん」でないアイツと対面したなら、二度と「お兄ちゃん」には会えない気がする。


(…………そしてあの夜、アイツは消えた…………)


 私は歩き疲れて、空いているベンチに座り込んだ。

 情緒があるような無いような、単調な波のリズムが荒れた心に不思議と沁みた。海なんて伊豆へ旅行に行った時ぐらいにしかじっくりと見なかったけれど、こうして眺めていると、街中にあるのも一つの海の形なのだなとしみじみ思えてくる。

 海ってただの飾りじゃなくて、人の暮らしの傍にあるものなのだ。


 海を照らす人工的なライトの静かな点滅が、何だか魔法みたいに綺麗だった。


 赤、

 青、

 緑。

 …………


 消えたかと思うと、また花火みたいに鮮やかに咲き乱れる。

 繰り返し、繰り返し。

 絶え間なく…………。

 …………


 …………と、ふいに私の近くを照らしていた街路灯が明かりを落とした。


「…………?」


 私は首を傾げて、消えた街路灯の方を見た。さっきまで切れかかっている気配も無かったのに、急にどうしたのだろう。

 仕方なくスマホのライトを付けた時、私は街路灯から数メートル先に、いつの間にか誰かが立っていることに気付いた。


「…………!」


 私はギョッとしつつも、目を凝らした。


 人影は異様に長いおさげ髪を垂らした女性であった。コスプレでもしているのか、黒と白を基調としたゴスっぽいメイド服を着ている。胸元についた赤いリボンがいやに鮮やかで、一目見るだけで鳥肌が立った。

 女性は鼻歌交じりに、ゆったりとした足取りでこちらへ近付いてきていた。


(何か、ヤバイな)


 私は飲みかけのココアを一息に飲み干し、ベンチ脇のゴミ箱へ放り投げて立ち上がった。

 あまり関わり合いにならない方が良いと直感が言っている。むしろ、警報となって響いている。

 私は早足で去ろうとした。


 が。


(…………! 身体が動かない!?)


 私の全身は石膏で固められたかのように凍っていた。金縛りにあった時みたいに、意識だけが宙にぶら下がっている。ダラダラと奇妙な汗が額を伝っていく中、私は振り返ることもできずに、ただ機械的に繰り返される波の音と、コツコツと軽やかに迫ってくる女性のヒールの音を聞いていた。


「♪…………見つめてる、アナタだけ…………ずっと…………」


 女性の歌声がうすら寒い風に乗って届く。風は粘っこく執拗に水面を撫で、いたずらにちゃぷちゃぷと波を煽っていた。


「♪…………いつまでも…………どこまでも…………何度でも…………」


 名状し難い、不快な感覚が口の中に充満していく。さっきまで飲んでいたココアの味と混じって、ほのかな血の味が舌に滲んできた。別にどこを切ったわけでもないのに、その味は徐々に濃く、ドロリと喉の奥まで伝っていく。


「♪追いかけて、追いかけて…………二人きり…………」


 女性の声がいよいよ近くなってくるにつれて、胃に生ぬるいクリームを流し込まれたような、もったりとした感触が広がっていった。

 血の味が俄かに、ザラメみたいに尖って甘くなる。鼻腔を刺す鉄の匂いに、吐き気がこみ上げてきた。


「♪銀色に光る…………愛の糸…………

 ♪アナタと私を結ぶ、永遠の鎖…………」


 女性の口ずさむ歌は、十数年前の古い流行歌だった。愛らしいメロディに乗る歌詞が狂気的で、昔友達がカラオケで歌っていたのを聞いてドン引きしたのを覚えている。

 女性はわざとらしいアニメ声で、歌を紡ぎあげていった。


「♪だけど…………満ちない…………

 ♪この手で抱くもの、すべて捧げても…………

 ♪その手で抱くもの、すべて燃やしても…………

 ♪終わらない…………愛…………幻…………

 ♪だから、縛るの…………きつく…………固く…………」


 女性の足音が、私の真横で止まる。

 彼女は私の耳元へ唇を近付けると、最後の一節をそっと吹きかけた。


「♪…………アナタの吐息も涙も、離さぬように」


 私は緊張で息を乱しながら、視線だけを女性の方へ送った。

 女性はおよそ正気とはかけ離れた、爛々とした目つきでこちらに魅入っていた。片目に嵌められた異様に凝った意匠のモノクルが、彼女がただのコスプレマニアではないと物語っている。


 赤いマスカラに彩られた瞼と、絵の具のような紫色の口紅。どう見ても、マトモな感性の持ち主ではない。

 彼女は小さく舌なめずりして、大袈裟に身体をくねらせた。


「お待たせいたしました、()()()

 貴女こそが…………貴女こそが! 本物のメインディッシュなのですっ!!」

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