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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
海辺の魔女と三毛
150/411

79-1、海と光の街。「過去」と「今」。私が初めて味わう恐怖のこと。(前編)★

 ある夜、ニートの兄が忽然と家から消えた。

 私はいなくなった兄の部屋を訪れ、そこでいくつかの不思議なものを発見する。

 それは見事に両断された虫の死骸と、床の上で風に揺らぐ光の輪。

 私は理解し得ないものを目の当たりにしてすっかり途方に暮れていたが、とある写真をきっかけに、兄とその親友にまつわる重要な事件を思い出した。

 その親友はかつて私を誘拐し、兄を殺そうとしたのだ。

 兄のスマホを握り締め、私は電車に飛び乗った。

 乗車ドアが閉まると、血走った目の女子高生がガラスに映り込む。服なんて何でもいいと思って脱ぎ捨ててあった制服を着てきたけれど、やっぱりちょっといただけなかったかな。化粧もしないで、眉毛すら適当で、何だか中学生みたいだ。


 私は溜息を吐きつつ、ドアに背を預けた。気に入らないものは見ないに限る。過度なストレスは勉学にも社会にも人生にも、悪影響しかない。

 私は気を取り直し、兄のスマホのアドレス帳から例の名前を引っ張り出した。


八神(ヤガミ) (セイ)」。


 かつて私を誘拐し、兄を殺そうとした、兄の親友。

 私はこれから、この人に会いに横浜へ行く。イカれた行動だという自覚は十分にあったけれど、兄が行方不明となっている今、いても立ってもいられなかった。お母さんから聞いてきた住所に彼がまだ住んでいるかは定かでないものの、せめて顔ぐらいは見てきたい。


 直感でしかないが、私にはこの「八神 誠」が、何かを知っているとしか思えなかった。

 例え今回の失踪事件に直接は関わっていなくとも、彼と兄には普通ではない繋がりがある気がする。兄の行方を知る上で、彼のことを避けては通れないだろう。


(あるいは、アイツが変わってしまったきっかけだって、掴めるかもしれない…………)


 私は心の中で呟き、窓の外へ目をやった。

 ビュンビュンと飛んでいく景色がやけに無機質に見える。畑の茶色も、樹々の緑も、クリーム色の新興住宅地も、ピンク色のショッピングモールも、何もかもがオモチャのようだった。あそこに生きた人間が暮らしているなんて、何だかとても信じられない。


(…………)


 見ていると、嫌でも兄の部屋を思い出した。

 兄はあのジオラマのような部屋から、一体何を考えて飛び出して行ったのだろう。私達を置いて、どこへ行ってしまったのだろう。


 …………どうして連絡をくれないのだろう。

 私達が嫌いになったから? それとも、連絡ができない状況に陥っているから?

 何もかも、捨てたくなっちゃったの…………?


 私は兄の黒くて古い、重たいスマホをギュッと握り締め、もう一度深い溜息を吐いた。

 あーぁ…………。忌々しいことだが、何とかしてアイツを連れ戻さない限り、どうにも私の精神は安定しないみたいだ。こんな灰色の気分では、全国模試なんて到底勝ち抜けない。もしこれで順位が落ちたら、あの甲斐性無しをどうしてくれよう。


(…………絶対に、見つけてやるんだから)


 電車は空虚な世界を貫き、私を見知らぬ街へとぐんぐん運んでいった。



 横浜に着いた私は、早速スマホの地図を頼りに歩き出した。調べた限りでは、そんなに駅から遠くはないようなので、あえてバスも電車も使わずに向かう。お小遣いに限りがある以上、節約は大切だ。


 とはいえ、初めての街は結構緊張した。

 学校帰りや、仕事終わりの人々が続々と集まってきて、ライトアップされた街をいよいよ賑やかに、目まぐるしく飾り立てていく。赤や青に忙しなく点滅し続ける大観覧車には、比喩ではなく目が眩んだ。


 同じ女子高校生と擦れ違っても、化粧の上手な大人びた子ばかりで、ひらすらにアウェーな気分が拭えない。

 私は伸ばし中の前髪で何とか眉だけでも誤魔化しつつ、なるべく足早に道を辿っていった。



 そうして、ようやく到着した先にそびえていたのは、見上げるだけで「ほう」と溜息の出るような超高層マンションだった。

 上品な調度に彩られたエントランスホールが、美しく整えられた前庭の奥にしっとりと設えられている。


 建物の前には、ガードマンらしき男性がいかにも厳粛な面持ちで屹立していた。熊のようなガタイと虎の如き気迫に、つい身が竦んでしまう。


 セキュリティの固められたマンションの入り口で、私は早速途方に暮れてしまった。ガードマンの監視のせいで、共用のインターホンに近付くことすら苦しいのに、その奥にはホテルのコンシェルジュみたいな人々まで控えている。(あの人達、必要?)潜り込むには、あまりにも勇気が要った。


 立ちつくす私の隣を、全身を高級ブランドで包んだ上品な出で立ちの母娘が訝しげな表情を浮かべて通り過ぎていく。彼女達は慣れた手つきでインターホンにカードキーをかざすと、まるで王女か姫様かといった足取りで頭を下げるコンシェルジュ達を素通りしていった。


 私はすっかり怖気づき、少し離れた広場から改めてマンションを仰ぐことにした。ポツポツと明かりの灯った窓から垣間見える部屋の中には、海外ドラマで見たまんまの生活風景がカッチリと収まっている。

 私は近くのベンチまでフラフラと歩いていって腰を下ろし、兄のスマホをキュッと胸に抱えた。


 …………どうしよう。

 私の予想では、「八神 誠」の家はもっとしがない街中のマンションで、ひっそりと人の出入りを窺えるような場所だったのに。これでは直接インターホンを鳴らさない限り、誰が「八神 誠」かすらもわからないよ。

 っていうか、ガードマンの視線が怖くてあんまり長居できそうもない。


 私は自分の考えの甘さに、今更打ちひしがれた。

 今となっては、会って話すのはおろか、電話してみることすら躊躇われた。「知らない」と冷たくあしらわれることも、露骨に迷惑がられることも覚悟してきたつもりだったが、いざ自分とはかけ離れた生活を目の前にしたら、それ以上に絶望的な距離が感じられた。


 現実は、会う前に「帰ってください」。

 言葉すら要らないのだ。


 …………考えてみれば、むしろその方が普通なのかもしれなかった。いくらショッキングな出来事があったとしても、あれからもう10年以上も経過しているのだ。自然な流れとして、事件への感情も記憶も違った形に変化しているはずだ。


 そもそも「誘拐された」とか、「殺そうとした」とか、そんな物騒な思い出は全部私の思い込みに過ぎず、本当はもっと些細ないざこざしかなかったなんて可能性もある。


 私は兄のスマホの通話履歴やメールボックスを探り(お母さんばっかりだ…………)、虚しくなって溜息を吐いた。

 兄と「八神 誠」との繋がりは、もう完全に「過去」のものだ。「過去」と「今」には、透明だが容易には越えられない、大きな大きな壁がある。何も知らない私が、直感なんてあやふやなものを頼りに踏み込める領域じゃない。


 一度冷静になってしまうと、自分の無鉄砲さが滑稽だった。なぜ、いきなり足を運んだりしたんだろう? 電話する勇気も無い癖に。どうせこうなるなら、最初から何もしなければよかったのに…………。


 自己嫌悪に倦み、いい加減帰路に着こうとした時だった。私が立ち上がりかけたのと同時に、マンションから大学生風の若い男の人が出てきた。

 彼は私に目を留めると、心配そうな表情を浮かべて近寄ってきた。


「こんばんは。あの、どうかしましたか? 随分思い詰めた顔をなさっているようですが…………」

「えっ? あ、その…………知り合いを、尋ねてきたんですけど」


 私はオレンジ色の足下灯に照らし出された、俳優のような爽やかな目をした青年を前に、しどろもどろに答えを続けた。


「でも…………結局、踏ん切りがつかなくて。やっぱり、止めることにしたんです。これから帰るところだったので、そのう…………心配かけて、っていうか、挙動不審でごめんなさい。気にしないでください」


 男の人は親身な眼差しで私を見つめつつ、優しく言った。


「ああ、いえ、怪しんでいるというわけでは無いんです。ただ、こんな遅い時間に女の子が一人でいるから、どうしたのかなと。…………お節介かもしれませんが、本当にお話していかなくていいんですか? そのお知り合いと」


 私は小さく肩をすぼめ、遠慮した。


「いえ、本当に、もういいんです。…………ひとりで突っ走っちゃっていたって、ちゃんと頭が冷えたので」

「そうですか」


 私は相手から滲み出る同情に耐え兼ね、帰り道の方へと身体を捻った。いくら格好良いお兄さんでも、今の痛々しい私にはあまり構わないでほしい。

 だがお兄さんは残酷にも、さらに跳ねのけ辛い手を差し伸べてきた。


「あっ、待ってください。それなら、よろしければ駅まで車で送っていきますよ。僕もちょうど外に出る用があったので、ついでに」

「えっ!? い、いや、いいですよ…………。横浜駅まで近いですし、悪いです」

「横浜!? それなら尚更、送りますよ。っていうか、歩く気だったんですか? あんな遠くまで?」

「っていうか、歩いてきたんです。あ、あの、本当に結構ですから…………」


 いそいそと帰ろうとする私を、男の人はなおも呼び止めた。

 もしかして誘拐犯か何かなのではと私が警戒し始めたその時、彼はジャケットから、9月に発売されたばかりの最新型のスマホを取り出し、おもむろにどこかに電話を掛け始めた。


「え、ちょ、何を…………?」

「少し待っていてくださいね」


 にこやかに答えた彼は、それから電話口で特に何を言うでもなく通話を切った。

 彼は事もなげに私に言った。


「今、タクシーを呼んだので。良ければ乗って行ってください」

「は!? たくしー!?」

「ニュースで見てませんか? この辺りは最近、とても物騒なんです。ついこの間も、若い女性が不審者に襲われて大怪我をしたり、動物が惨い殺され方をされたりしていて。とても女の子を一人で出歩かせるなんてできないんです」

「で、でも、私、お金持ってないです…………。困ります」

「支払いは僕宛てで済むようになっているので、気にしないでください。…………むしろ、気が回らなくてすみません。よく考えたら、知らない男の車なんて怖いですよね。失礼しました」


 私は唖然として何も言えず、ただポカンと口を開けて男の人を見つめていた。


 背の高い、モデルみたいに足の長い人で、いかにもこのマンションに似つかわしい清潔な身なりをしている。大学生よりは大人びているようだ。

 彼の瞳は灰色と青色の中間のような、不思議な色をしていた。自然で明るい栗色の髪(地毛だ…………)と相まって、何だか本物の王子様と話している気分になる。

 男の人はあまり私が熱心に眺めるせいか、少し戸惑った様子で話した。


「あの、僕が言うのもおかしいですが、どうかあんまり落ち込まないでくださいね。学生のうちは、色々と悩むことも多いと思いますけど、そのうちそれなりに落ち着いてきますから。…………車が来たら、僕は行きますね」

「ありがとうございます…………」


 私は照れ隠しに前髪をいじり、俯いた。もっと愛想良くしたかったけれど、こんな子供っぽい私ではとても恥ずかしくてできない。変質者かもだなんて思ってごめんなさい。そもそも、冷静に考えたら私の方が遥かに怪しかった。お兄さんは多分、普通に良い人だ。


 もう一度上目遣いにお兄さんを見てみると、目が合って、微笑まれて、顔が火照った。

 ああ、もう。兄もこんなだったら良かったのに。


 そんなこんな考えるうちに、タクシーがやって来た。



 タクシーの運転手は大通りから勢いよく車を滑り込ませるなり、ドアをぶっきらぼうに開いて気風良くお兄さんに話しかけた。


「はい、お待ち遠さま!

 …………って、おや? 君のおばあちゃん、少し見ないうちに随分若くなったねェ」

「おばあちゃんはもう寝ていますよ。今日は、この子を横浜駅までお願いしたいんです」

「彼女かい? 若いねェ。いっけないんだ」

「違いますって。偶々、そこで知り合ったんです」

「もっと、いっけないんだ」


 談笑の合間に、お兄さんに促されて私は車に乗り込む。座るとドアはひとりでに閉まった。お兄さんは運転席の方へ、さらに声を投げた。


「じゃあ、よろしくお願いします」

「はいよ。おばあちゃんにもよろしくね。早くおじいちゃんと仲直りして、お家帰んなって伝えておいて。このマンション、入るのはともかく出にくくて困るのよ。

 …………んじゃまたね、ヤガミ君」

「さようなら」


 えっ、と思った瞬間、車が着いた時同様に勢いよく走り出す。私は大通りへと思いきり良く合流していく車の後部窓から、去っていくお兄さんの背中を振り返り、大急ぎで運転手の座席に組みついた。


「ま、待ってください! 今すぐ、さっきのマンションに引き返してもらえますか!?」

「えっ!? うーん、ちょっとすぐには無理だなァ。この辺り複雑でね。少なくとも、そこの角曲がってからじゃないと」

「あのお兄さん、この後どこに行くか見当つきますか? これから車出すって言ってて…………」

「えぇ? わかんないよ、そんなこと。それより、本当に戻るのかい?」

「ここで降ろしてください!!」

「うわっ、ここで開けちゃダメだって! 落ち着いて!」


 車が交差点を曲がり、かろうじて路肩に寄るや否や、私は弾かれるようにドアから飛び出した。

 マンションへと突っ走っていく私を追って、運転席から大きな声が届いた。


「あっ、お嬢ちゃん!! どこ行くにせよ、絶対公園には近付かないようにな!! 危ないからなァ!!」

「わかりました!! ご親切に、ありがとうございます!!」


 私は高級感漂う住宅街を、一目散に駆けていった。



 私がマンションの駐車場に着くのと、お兄さんの乗った車が道路へ出て行くのとは、まさに入れ違いだった。

 私は手を振って歩道沿いに追いかけたが、あえなく車はどこかへと走り去っていってしまった。


(迂闊だったぁ…………)


 私は息を切らせて、額から垂れる汗を拭った。惜しいことをした。お兄さんが私の探している「八神 誠」なら、話をする絶好のチャンスだったのに…………。


 私は大きく息を吐き、明々と輝く大通り沿いの街を眺めた。行き交う車と人の数は多かったけれど、この辺りでは学生の姿はとんと見かけなかった。


 お兄さんが戻ってくるまで張っていてもいいが、さすがにそろそろ帰りの時間が気になった。家に辿り着くまでの時間を考えると、お母さんから凄まじい勢いで電話がかかってくるまでは、せいぜいあと1時間が限度だろう。

 とはいえ、車で出掛けた人がそんな短時間で帰ってくるとも思い難い。


(ここはおとなしく、出直した方がいいかな?)


 考えた結果、私は1時間ほどどこかで時間を潰して、それからちょっと様子を見に戻ってから帰ることにした。

 その時に車が無ければ、潔く諦めて後日電話を掛けよう。


挿絵(By みてみん)

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