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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
選ばれし竜の乗り手
142/411

74、悪霊達の巡る痛みの箱庭。俺がささやかに抱く困難な望みのこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 その後、自警団の少女ナタリーらとの出会い等を経て、俺はサンラインの歴史を左右する重要儀式「奉告祭」に参加する。

 しかしそこで待ち受けていたのは、五大貴族の一人、及び異教徒「太母の護手」を手引きとした、敵国・ジューダムからの襲撃であった。

 教会騎士団の精鋭部隊と共に、何とか襲撃者が遣わした竜を倒した後、俺達はリーザロットの館で今後の作戦を話し合う。

 そして俺達はジューダムに占領されている都市・テッサロスタの奪還を目指して、遠征のための竜を集めることになった。

 帰りの馬車の中で、俺は深い後悔に陥っていた。

 宮司のあの惚れ込みようなら、あんな約束しなくとも竜を譲ってもらえたのではないか? どうしてあの時、もっと強気で揺すらなかったのか?

 今回はヤツのキモさに押し切られてしまったが、次こそは油断せずに行こう。(っていうか、何であの変態は裁かれないんだ?)


 リーザロットは俺と宮司の密約なんて露知らず、意気揚々と次の行く先について語っていた。


「明日は、サモワールのオーナーのトリスさんを訪ねます。コウ君のことをお手紙に書いたら、喜んで招待してくださいましたよ。何でも、いつかまた会いたいと思っていたそうです」

「マジ? 俺、迷惑しか掛けていない気がするんだけど…………」

「伝承の勇者様と聞いて、興味を持たない方はまずいませんよ。それに、実は今回のお話はトリスさんにとって、かなり良いお話でもあるようなんです」

「どういうこと?」

「お手紙で仰っていたことによりますと、サモワールと商会連合との仲があまり上手くいないそうなんです。それで、彼らを通さないで済む商売を探しているのだとか。

 元々、決して折り合いが良い間柄ではなかったのですが、近頃はロレーム地区の治安を巡って、とみに険悪になっているのだとも聞きました」

「はぁ、なるほどねぇ。そういや、ナタリーもあの辺りは雰囲気が悪いって言っていたしなぁ…………」


 リーザロットは俺の言葉に小さく頭を傾け、尋ねた。


「ところで、ちょっと聞きたいのですけど、ナタリーさんはどこまでコウ君のことをご存知なのでしょうか? あのサモワールでの事件の後、一度きちんとお話をしたいと思っていたのですが、なかなか時間が取れなくて…………」


 悩ましげなリーザロットに、俺はちょっと考えてから答えた。


「…………そうだな。多分、俺が「勇者」としてオースタンから呼ばれたってこと以外は、彼女はまだ何も知らないんじゃないかな。昨日、精鋭隊の宿舎で偶々会ったんだけど、その時も特にそれ以上気にしている風でもなかったし。今のところは、ただの妙な外国人…………っていうか、スケベなオッサンって認識だと思うな」


 リーザロットは口元に手を添えて笑い、答えた。


「そうなのでしたか。それなら少し安心…………かな? 色々と」

「色々?」

「何でもありません。…………そしたら、あとは彼女がリケのことを深追いしていないことを願うばかりですね。彼の件は、ヴェルグが早急に揉み消してしまいましたから、あまり掻き回さない方がいいと思うんです」

「はぁ、相変わらず仕事熱心なヤツだな。そんなことしてやがったのか」


 どうりで、あんな大事件だったわりにはあまり話題に上らないわけだ。

 俺が呆れて肩をすくめると、リーザロットは口調に同情を滲ませつつ話を続けた。


「そんなわけですから、明日行くサモワールでも、あまりリケやヴェルグの話題は出さない方が良いでしょう。歯痒いですが、ヴェルグの影響力はサンラインでは無視できません。下手に駄々をこねて敵を増やすのは得策ではありませんから」


 俺はうんざりとしつつも、同意した。あの生意気な小娘が何でそんなに偉いのかという気にはなるが、実際アイツの方が実力的にも勢力的にも強い以上、黙るしかない。ここはとにかく、竜の獲得を優先すべきだ。

 俺は半ば自分に言い聞かせるつもりで、リーザロットに言った。


「まぁ…………今は機を待つしかないって感じだよね」


 リーザロットは深々と頷き、返した。


「裁きの主は、全てをご覧になっています。諦めずに、できることをやっていきましょう」


 馬車はコトコト走り、やがて館に到着した。



 館に着いた俺を、骸の騎士タリスカが待ち構えていた。

 「どうしたんですか?」とか、「何ですか?」とか俺達が尋ねるよりも先に、彼はこう厳然と言い放った。


「修行だ、勇者」


 彼の手には、どこから手に入れてきたものやら、肉体から霊体を強制的に引き剥がす(さらには霊体と動物を強制的にブレンドさせたりもする)、あの虹色の薬を溜めた注射器がキラリと光っていた。

 絶句している俺の隣で、リーザロットはいとも柔らかに話した。


「今晩のお夕飯は、お部屋に持っていきます。時間を見て自由に戻って食べてくださいね。私は、残念なのですけれど、今日はちょっとやることがあって一緒に食べられないの」

「…………や、やることって?」


 注射器を俺に向けて静かににじり寄ってくるタリスカから後ずさりしつつ、俺が尋ねると、リーザロットはさも面倒そうに肩をすくめた。


「取引の証書を作らなくてはいけないんです」

「で、でも、ロドリゴ宮司には、そんなもの…………」

「宮司様からは特別の計らいを頂いておりました。ですが、他ではそうもいきませんので」


 ついに壁際にまで追い詰められた俺を、タリスカが低い声で叱った。


「勇者よ。怯え、策無く逃げるは恥ぞ。覚悟せよ」

「コウ君。それは私が調合したお薬ですから、安心してください。…………修行、頑張ってきてね。応援しているわ」

「ちょっ、ちょっと待って…………まだ、心の準備が…………!」

「戦は、いかなる心持ちの折にも訪れる」


 俺が何を言い逃れする暇もなく、タリスカは無慈悲に俺の首筋に針を差し込み、巨大な5本の指で俺の額を鷲掴みにした。瞬く間に目の前が暗黒に塗り潰されていく。俺は悲鳴すらもあげられず意識を飛ばした。



 気付けば俺とタカシは、見慣れた景色の中に…………背後から迫ってくる悪霊の気配は、昨日とは微妙に異なっていたけれど…………ぺたりと座り込んでいた。ユラユラと揺れる人魂のような明かりも、延々と続く廊下も、もうすっかりお馴染みである。

 タリスカは漆黒のマントを威勢よく翻すと、冷え冷えとした廊下に声を響かせた。


「…………果てにて、待つ」

「――――マッテル!」


 タリスカのマントの内から、俺のトカゲが這い出てきて叫ぶ(まだいたのか)。タリスカはトカゲを肩に乗せると、あっという間に闇の奥へと失せていった。

 残された俺たちの後ろから、苦い、錆び付いた味の魔力が押し寄せてくる。心なしか、昨日より素早く近づいてきている気がする。

 俺が隣で呆然としているタカシに呼びかけると、タカシは同じ顔をした俺に力強く頷き返してきた。


「行くか」

「ああ、行くか」


 俺達は精一杯凛々しい顔つきで、悪霊に向かい合った。


 ――――――――…………。



 …………結論から言って、修行の成果は芳しかった。

 俺とタカシは何とか融合するコツを掴み、5往復こそ成し遂げられなかったものの、ニートとしては快挙とも言える長距離(2往復)をきちんと走り抜いた。


 駆け抜けながらわかったこととしては、この館は悪霊の巣窟というより、泉のようなものだということだった。

 倒しても倒しても際限無く湧き出てくる悪霊たちは、どうやら、どこかもっと「ヤバイ場所」からここへ迷い込んできているに過ぎないようだった。

 そしてその「ヤバイ場所」というのは、ほぼ間違いなく、俺が扉を開いた先の世界であった。


「ここで扉を開いて、その「ヤバイ場所」が見えるとさ」


 息を切らせて語る俺に、タリスカは無言で顔を向けた。俺は独りごとなんだか、相談なんだかわからない調子で、座ったまま淡々と思いの丈を晒した。


「最初は、ゾッとするだけ…………。いや、本当はもっと言い表せない感じで、とんでもなく怖かったんだけど、ザックリと言えばそんなものだった。死んだら行く場所が…………地獄が見えるんだって、何の疑問も無く、勝手に思い込んでいたんだけどさ」


 俺は少し息を整え、天井を仰いだ。天井にはあの謎のペイズリー模様はなく、その代わりに、人の肌のような質感をした不気味な塗料がムラなく塗られていた。


「あれ…………単純に死後の世界ってわけじゃないのかもなって、今日修行していて、思うようになったんだ。

 あれは、力場が複雑に入り組んだ果てに生まれた…………何ていうか、「地獄に似たもの」なんじゃないかって」


 タリスカは何も言わずにじっと俺を見下ろしている。彼の肩に居座っていたトカゲは、およそ骸骨らしからぬタリスカの巨体をトコトコと這って降りてくると、今度は俺の肩に静かに伏せった。

 俺はトカゲの頭を指で撫で、続けた。


「魔術のことは、まだ俺にはよくわからないから、いい加減なことしか言えないけども。あの悪霊たちって…………もしかして、自分達であの禍々しい力場を作って、逃れられなくなっているだけなんじゃないかな。最初に彼らがどんなつもりであんな力場を編んだのかは知らないけど、あの「ヤバイ世界」は合わせ鏡みたいに広がって、迷路みたいになってしまっていて。彼ら自身にも…………もう自分が何者なのか、どこにいるのか、どこへ行くべきなのか、完全にわからなくなってしまっているんだと、思うんだ」


 俺はタリスカを見上げ、立ち上がった。


「俺は…………彼らの繰り返しを、ほんの一時だけ加速させているに過ぎない。彼らを地獄から、また同じ地獄へと送っているだけなんです。

 だから俺…………本当は、できることなら、彼らをこの無限の世界から開放してあげたいんです。けれど、何を、どうしたらいいんでしょう?」


 タリスカは微かに頷き、組んでいた腕を解いた。


「死線をくぐり、成長したか。高き望みを抱くは危うくも、この上無きことよ。

 …………勇者よ。その願いは、蒼の姫もまた抱くものだ。この館は痛みの箱庭の如きと、かつて姫が呟くのを耳にした。或いは、語らう機会を持つのも良かろう」

「相談…………。でも、俺なんかと話しても、リズは退屈なんじゃないかな」

「姫は魔道の申し子なれば、いかなる言葉で紡ごうとも勇者の謎を受け入れよう。案ずることはない」


 俺は「オナカスイター」とぶつくさ訴えるトカゲをもう一度撫で、頷いた。



 翌日、俺とリーザロットは馬車でサモワールへと向かった。(タリスカは姫から頼まれ事を受け、深夜の内にどこかへ出かけていった)

 俺はやや寝不足気味のリーザロットに「着くまで休んだら」と勧めたが、彼女は首を横に振るばかりだった。


「近くですから、すぐに着いてしまいますし。…………それに、少しでもコウ君と一緒にいたいから」


 俺は堪り兼ねて、弱った表情を見せた。


「リズ。…………そんな言い方をされたら、勘違いしちゃうよ」


 リーザロットは深い蒼の色の瞳を優しく揺らし、ほんの微かに声を沈ませた。


「ごめんなさい。つい、嬉しくて…………」


 俺はリーザロットの顔を見て、それから外へと視線を投げた。

 だが脳裏にはしっかりと彼女の俯く顔が焼き付いていて、せっかくの昼のセレヌ川のきらめきも、街路樹のさざめきも、ちっとも心に映えなかった。

 俺は致し方なく、またリーザロットの瞳を覗き込んで話した。


「…………ごめん。本当は、俺も嬉しいんだよ」


 リーザロットは顔を上げて少し目を大きくすると、今度は朝日みたいにふんわりと笑顔を綻ばせた。


「ありがとう、コウ君。…………貴方のそんなところ、大好き」


 だからさぁ…………。

 俺は内心で頭を抱え、項垂れた。

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