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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
竈に火を点けてみよう!
130/411

68-2、クラウスの魔術教室。俺がIHクッキングヒーターを紹介したこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 折しもサンラインでは、歴史を左右する重要儀式「奉告祭」が開催される時期であった。

 俺は「勇者」としてその祭に参加していたのだが、そこで何者かの襲撃に遭い、教会騎士団の精鋭隊と共に戦わざるを得なくなった。

 何とか襲撃者が遣わした竜を倒したその翌日、俺は魔術について今少し学ぶために(本当はフレイアに文字を習うつもりだったんだけどな…………)、精鋭隊の宿舎へと足を運んだのだった。

 程なくフレイアは出て行った。いつも通りの丁寧な挨拶を残して。

 俺とクラウスは、談話室のテーブルに向かい合って座った。クラウスは全く気の乗らない様子で、淡々と話し始めた。


「えー…………正直言って、少っっっしも士気が上がらないんですが、やりましょう。やるしかない。…………やりますか」


 どちらかと言えば、俺にではなく自分に言い聞かせているようだ。

 彼はスカイブルーの瞳を、わずかに暗く沈ませて続けた。


「まぁ…………俺としてもですね、今回の戦闘については思うところがありまして。こういった機会を頂けたことは、少しは嬉しく思うんです。…………別に今日でなくてもとは思いますがね。

 まぁ…………とにかく、始めましょう」


 クラウスはテーブルの上に指で大きな四角形を描くと、短い詠唱と共に、そこに真っ白な板を出現させた。いつだったか、ツーちゃんが作って見せた四角形のボードと同じものである。

 クラウスはスラスラとその上に文字と、何か簡単な魔法陣のようなものを描き込んだ。


「俺としては、コウ様は文字より先に、基本的な魔術の技法と構造を覚えた方が良いと思うんですよね。生兵法の危険は百も承知ですが、知っているのといないのとでは選択肢の数が違いますから。…………昨日の戦闘のように、俺が判断を誤っている時なんかには、コウ様からご指摘頂くことだってできるわけですし」


 俺は未だ顔色の優れないクラウスの顔を見守りつつ、口を挟んだ。


「昨日、何かミスしたの?」


 クラウスは魔法陣を描き終えるなり、サッとこちらへ顔を向けた。透き通るような空色の瞳は、体調のせいもあるだろうが、やはり暗く陰っている。

 彼の声は変わらず淡々としていた。


「ロドリゴ宮司様が編まれた共力場の、開放のタイミングです。俺からコウ様に指示する予定でしたが、完全に機を見誤りました。俺は、もっと早くに貴方に頼るべきだった。力場の開放が遅れたばかりに、あの時ブラッツとツェーナが帰らぬ者になりました」

「…………そっか」


 クラウスは険しい顔で腕を組み、言葉を繋げた。


「もっとも、あの力場で強化される術…………獣変化術には、それなりのリスクもありました。後でお話しますが、あの状態になると体力の消耗が激しいばかりでなく、扱える術も限られるんです。

 とは言え、そこも含めて俺の判断ミスは否めない。今更後悔してもしょうがないことなのですが…………」


 やがてクラウスは瞳を瞬かせると、一転していつもの明るい調子に戻った。


「まぁ、過ぎたことは過ぎたことです! 反省はすべきですが、今はその時じゃない。辛気臭い話はこのぐらいにして、話を前へ進めましょう! …………ムシャクシャする時は、本当は女の子と遊ぶに限るのですが、無いものねだりは後悔と同じくらい不毛です。サンラインきっての忠義の騎士として、勇者様のお手伝いをする光栄を存分に賜りましょう! 貴方が強くなってくだされば、俺はその分、楽ができるのですから!」

「…………よろしくお願いするよ」


 クラウスは大きく満足げに頷くと、早速、描いた魔法陣を指差した。


「さぁ、ではコウ様。まずはこの魔法陣です。これ、どっかで見たことありませんか?」

「ああ、わかるよ。よく竈に彫ってあるヤツだろう? ちょっとこれはアッサリし過ぎている気がするけれど…………」

「当たりです! さすが「扉」の魔術師。伊達じゃないですね」


 軽口を挟みつつ、クラウスは飄々と続けた。


「ご指摘の通り、正確に言えば、これは点火術の魔法陣の「基本型」です。これを元に、使いたい術に合わせて色々な装飾を加えていくんです」

「ほう」


 「基本型」と呼ばれた魔法陣は、正円の内に十字を張っただけのシンプルなものだった。控えの間の竈で見たものはこの中に、何か文字やら紋様やらが細かく描いてあった。

 クラウスは俺が観察する間にも、どんどん話を続けていった。


「「基本型」と言っても、侮ってはいけません。剣術でも魔術でもナンパでも基本は至極大事です。なにせ、この「基本型」をなぞるだけで、少しでも魔力のある人間なら誰でも術が使えるようになるんですからね。古より培われた深層意識体が…………なぁんて小難しい理屈は置いておくとして、とにかくまずは一つ、使ってみましょうか! それが一番わかりやすいですし。理屈はそれからでも全然遅くありません」

「えっ、いいの? っていうか、本当にそんな簡単にできるものなの?」

「もちろん! まぁ、流石に多少コツは要りますけど、今のコウ様ならばきっとできるはずです」


 クラウスが爽やかに笑う。俺はおだてられて、気分を良くした。


「じゃあ…………やる。やってみたい」

「そうこなくては。では、ここに手をかざしてください!」

「わかった」


 俺は言われるがまま、魔法陣の上に手をかざした。クラウスはまじまじと俺の様子を眺めながら言った。


「コウ様。張り切る気持ちはわかりますが、もっと気楽に、肩の力を抜いてください。女の子と話す時みたいに、自然な心持ちで」

「…………。…………自然って。誰も彼もが君みたいにモテるわけじゃないんだけど…………」

「何を言っているんですか? ナタリーさんとサモワールへ行ったんでしょう? 会って次の日に。あそこへ連れ込むのに、俺がいつもどれだけ苦労すると思ってるんです? 羨ましいことこの上無い!」

「それは色々と事情があってだな…………。って、行ってるの!? サモワール!?」

「専ら器の棟です。本館は奥ゆかしさが無くていけません。俺の趣味じゃない」


 もう呆れて言葉も無い。力みは自然に抜けていった。

 と、見越したかのようにクラウスから次のインストラクションが入った。


「それでは、次は目を瞑ってください。

 それから深呼吸をして、徐々に、じっと意識を掌に集中させてください。…………炎の熱を感じるように」

「…………あったかい感じをイメージして、ってこと?」

「はい」

 

 言われた通り、俺はじんわりと掌が温まっていくような感覚を思い浮かべた。蝋燭に手をかざした時や、フライパンの温まり具合を確かめる時なんかと同じ要領である。じんわりと掌に血が通っていくような気がしてきた時、クラウスの穏やかな声が耳に伝わってきた。


「いいですよ。…………そしたら、そのまま、頭の中にさっきの点火術の魔法陣を描いてください。実際に指でなぞっても構いませんよ。これは魔法陣が持つ力場と、コウ様の力場を重ねる…………つまりは共力場を編む作業です。

 ですがその間も、炎の熱をくれぐれも意識から離さないように注意してください」


 俺は魔法陣の形を小さく指で描いた。火の粉がチリチリと指先を炙っているみたいな感じがして、高揚するような、不安になるような、奇妙にざわついた気分になった。

 何となく、喉の奥が淡い熱を帯びてくる。微かに魔力の味を感じたが、何と表現したらよいのか迷った。あえて言うなれば、白湯のような舌触りがする。

 やがて、クラウスが言葉を発した。


「よし…………完璧だ。コウ様、目を開けてみてください」

「…………。…………おお!」


 目を開いて、俺は思わず感嘆を漏らした。

 いつの間にか、魔法陣の上にマッチ一本分くらいに燃え上がった炎が揺れていた。

 俺は感動のあまり、つい炎へ指を近付けた。


「――――あちっ!!」

「コウ様!? 何をしてるんですか!?」

「本物だ!!」


 炎は触れると同時に、力尽きたように消え失せた。俺はふぅふぅと指に息を吹きかけながら、慌てて身を乗り出してきたクラウスに答えた。


「いや、ごめん。つい、信じられなくてさ」

「えぇ…………? とにかく、ちょっと待っていてください。すぐに冷やしますから!」


 言うなりクラウスはポケットからハンカチを取り出し、サッと宙で翻して俺に手渡した。


「ありがとう! って、湿ってるじゃん、このハンカチ! 汚いよ!!」

「なっ…………何だって…………!?」


 クラウスはしばらく絶句していたが、一拍置いた後に溜息を吐きながら席に戻った。


「ハァ、もう…………。本当に魔術の無い国から来た人がいるなんて…………。そんな…………ハァ」

「ねぇ、このハンカチさぁ…………」

「清潔です!」

「じゃなくて、これも魔術? 一瞬で濡らしたの?」


 クラウスは頭を片手で支えると、げんなりして答えた。


「…………そう、今のも魔術です。慣れれば、コウ様が今しがた実践したようなことが、こうして素早くできるようになるんです」

「なるほど。竈に火を入れるのに、いちいちあんな時間を掛けて集中しているわけじゃないんだ」

「普通の家の竈には、より点火しやすいように呪文や薬品が施されていますから。この国で暮らしている人ならば、ほぼ無意識に使いこなせるでしょうね」

「へぇ。何だかコンロみたいだな」

「コンロ?」

「オースタンの、竈の代わり。つまみを捻るだけで火が点けられる。でも、最近の家はIHだからもっと簡単だよ。ボタンを押すだけで、火も使わない。温度も自由に変えられるんだ」

「火を使わない竈? ううん…………」


 俺は頭を抱えるクラウスをよそに、まじまじとハンカチを観察した。見る限りでは、どこにでもありそうな普通の布切れである。この布を湿らす水はどっから湧いてきたのだろう? そもそも、あの炎は何が燃えていたのか? 疑問は考える程に尽きない。

 クラウスは気を取り直してきたのか、話を再開した。


「ちなみに、魔法陣だけでなく、詠唱や魔具などが発動に使われることもあります。それぞれ色々と癖はありますが…………概ねは、コウ様が今なさったのと同じ手順です」

「言われてみれば、呪いの力場でツーちゃんと詠唱をした時にも同じようなことをしたよ。あの時は、見えた景色のちょっとずつ言葉にしていったんだけど」

「ああ、それは良いご経験でしたね。

 そうです。魔術の肝って、イメージなんです。図や言葉はあくまでもきっかけに過ぎません」


 次いでクラウスは、ボードの上に同じサイズの青い円と赤い円を描いた。


「さて。ではここからは、ちょっと今のことを図解して見ていきましょう。…………ええ、そう、みんな大嫌いな魔術理論のお時間です。お覚悟を。

 …………まず、こっちの青い丸がコウ様の魔力場、こっちの赤い丸が魔法陣の作る魔力場だとしましょう」

「ちょっと待って。マリョクバって何?」

「魔力場とは、その人や物の魔力が及ぶ領域のことです。魔術の戦闘が行われている力場全体のことを指すこともありますが、この場合は前者です。直感的にわかると思いますが、広い方が戦闘では有利です」

「はぁ。つまりは戦闘力?」

「戦闘力? 何か勘違いの匂いが漂う響きですが、まぁ、とりあえずいいでしょう。…………それで、魔術を発動させるにはですね」


 クラウスがまるで、端末の画面をタップするみたいに二つの円をつついた。

 すると青と赤の円がフッと宙に浮き上がり、するすると寄り合って溶け合い、青とも赤ともつかない色をした一つの大きな円を作った。


「こんな感じで、まずは共力場を編みます。さっきコウ様が頭の中に、炎と魔法陣を思い描いたステップにあたります。ああすることで、自分の魔力と相手の魔力を溶け合わせ、互いに干渉できるようになるんですね。

 そしてこれは、相手が人の場合でも一緒です。ただ、人は魔法陣よりも複雑な存在ですから、その分共力場を編むには手間が要ります。事前に共通の詠唱を取り決めておいたり、自分の術の構造と相手の術の構造を予め調整しておいたり。…………精鋭隊がこんな狭い宿舎に詰め込まれているのだって、一応は訳があるってことなんです」


 クラウスは手で払うようにして円を消し去ると、また新たに二つ、円を描いた。今度はさっきと同じ大きさの青い円と、その数倍大きな、蒼玉色に輝く綺麗な円だった。


「俺と、蒼姫様?」

「ご明察! 共力場の話の次は、「扉」の力についてお話ししておこうかと思いましてね」

「それ、助かるよ」

「とは言っても、「扉」の力はとても稀な力です。俺も文献でしか知らないので、本当にざっくりとになってしまいますが」

「それでもいいよ。頼む」


 クラウスは点頭し、円に注目するよう言った。


「ご覧の通り、蒼姫様の魔力場はとても広い。三寵姫ですから、サンライン指折りの広さです。そんな姫様と、こっちのごく一般的な大きさの魔力場を持つコウ様が戦う。そんな状況を想定してみましょう」

「えぇ、縁起でもないなぁ…………」

「大丈夫。今まで貴方が戦ってきたミケネコのリケや大魔導師・ヴェルグツァートハトー、それに昨日の呪われ竜は、もっと強大だったんですからね」


 クラウスはいたずらっぽく微笑むと、流れるように話を紡いだ。


「魔術の戦いというのは、この力場同士をぶつかり合わせて、どちらが相手を飲み込むかってことに尽きます。共力場を編むのと違って、戦うとこの円の色がどちらかに完全に染まるのです。

 ついでに申しますと、このコウ様と蒼姫様のように、似た色を持つ魔力の持ち主達は共力場を編みやすい反面、戦う時には、非常にお互いに染まりやすくなって危険です。

 なるべく多くの味方と共力場を編むのは、一つは少しでも魔力場を大きくするためであり、もう一つはこの色を複雑化しようと思ってのことなんですね」

「はぁ」


 クラウスは俺の理解を無言で窺いつつ、話を進めていった。


「もうご存知でしょうが、戦闘において重要なのは、魔力の流れです」

「大きさ。そして、流れ」

「はい。魔術は気脈…………魔海から湧き出る、魔力の水脈みたいなものを使って術を編むのですが、これには色々と規模があります。さっきの点火術のようなごく小規模なものから、山一つの気脈をまるごと使って紡ぐ魔術まで、様々です」

「うん。前に、ツーちゃんがトレンデの気脈を使って云々かんぬんとか喋っていた記憶があるよ」

「琥珀様は特に大規模な魔術を使いたがるタイプの魔導師様ですけどね。…………でも、それはとても良い例です。その土地の主要な気脈を押さえるのは、魔術師の戦いにおいては、まず取られるべき典型的かつ強力な戦略です。

 魔術というのは、どんな気脈を使うか。どんな風に気脈から力を引き出すかが要になっていると、覚えておいて頂ければ幸いです」

「OK」


 俺が頷くのを見、クラウスは話を継いだ。


「それで、以上のことを踏まえますとですね。魔力場の大きさ、気脈の扱い方…………何をとっても、コウ様は蒼姫様に敵わない。戦えば間違いなく死ぬってわけです」


 眉を顰める俺に、クラウスはまた妙な笑みを浮かべた。


「が、貴方にはまだ手段がある。…………さぁ。こんな時、コウ様はどうなさいますか? あるいは、どうなさってきましたか?」

「どうって言われてもなぁ…………。そりゃ、「扉」が見えたら、それに頼るけど」

「どんな風にして?」

「どんな? …………ううん。いつもノリでやっちゃうから、説明しづらいけど、何か流れっていうか、「気配」を感じるんだ。魔術で展開されている景色の中で、「ここだ!」ってポイントがあって、それを引き寄せてみたり、押し留めようとしてみたり、なんやかんや努力して…………何とかなる」

「…………よくわかりました。ありがとうございます」


 言うとクラウスは俺とリーザロットの円を囲って、さらに大きな円を描いた。円の内には鮮やかな金色の網が張られており、そこからサラサラと光る金の粉が溢れていた。

 彼はヒョイッと円の端をつまんで、それを俺とリーザロットの上空へ浮かした。


「この金色の網が、さっきお話した気脈だと思ってください。人だとか、動物だとか、山だとか海だとか森だとかの命が通う血管のようなもので、魔海へと繋がっています。…………それで、これから、こう」


 クラウスの指が数本の糸を掬い取り、リーザロットの円の中へほうる。糸はたちまち蒼玉の円の中で蔓のように絡まり合うと、円の真ん中に背の高い白い花をいくつも綻ばせた。


「おおっ!」

「こんな風に、魔術が展開します。姫様の気高さを表現するには、ちょっと優雅さが足りませんが…………とりあえずはこんな所で妥協しましょう。で、一方のコウ様ですが」

「うん」

「限界まで頑張っても、今はこのぐらいが限度でしょうか」


 クラウスが気脈から2本の糸を掬い、俺の円の中へほうった。糸は次第にこんがらがった毛糸のようにもつれ合い、やがて小さい子供の落書きのような、いい加減なワンダの形を結んだ。

 ワンダはピョンピョンと跳ねて吠え立てるような動作をしたかと思うと、一直線にリーザロットの花の方へ向かっていった。


 と、急に白い花から、種に似た黒い粒が次々と撃ち出されてきた。ワンダは雨霰と降る弾丸の中で何度か足踏みした後、すごすごと尻尾を巻いて俺の円の中へ逃げ帰ってきた。


「えぇ~…………ヒドくない?」


 俺が抗議すると、クラウスはヒョイと肩をすくめた。


「俺だって大差ありませんよ。やられるのが遅いか早いかの違いでしかないでしょう。

 だけど、ここで貴方の「扉」の力が本領を発揮します」


 言いながらクラウスは気脈をサッと手の甲で一撫でした。

 すると網目が片側に寄って、色が濃い場所と薄い場所とが生まれた。


「…………実はですね、このように、気脈ってのには本来偏りがあるんです。これが均一な場所などまずなく、パッと見でわかるように、網目が多く集まっている密な場所の方が力を引き出しやすくなっています」


 クラウスは金色に輝く気脈の集まりを見つめ、続けた。


「この魔力の分布を…………コウ様が仰っていたところの「気配」を探るのは、実は至難の業です。魔術師は長年の修行を経て、どうにかこうにか見当がつくようになるのですが…………コウ様には、なぜかそれがわかるそうで」

「はぁ…………」


 いまいち実感が湧かないでいるうちに、彼はさらに話し継いでいった。


「その上、これは気脈に限った話ではなくてですね」


 呟きの終わりに、クラウスがリーザロットの円を優しく撫でた。気脈と同じ具合に、蒼玉色に透き通った部分と黒々とした部分が生じる。

 クラウスは顔を曇らせ、続けた。


「このような、術者の側の力場の濃淡にも関係してきます。この濃淡は、体調や精神状態に左右されるものですが、とりわけ大きな魔力の持ち主ですと、偏りが生じやすい傾向にあります。

 こんな偏った状態では、術が非常に編みにくくなります。折角の花も、ほら、萎れてしまいました」


 俺はションボリと枯れた花を見て、それからまたクラウスを見た。

 彼は片手で摘み取った花を掌の上で粉にし、気脈の中へサラサラと戻した。


「…………常に平静を保つように、いかなる時も理性を失わぬようにと、俺達魔術師が心掛けているのはこんな事情からです。

 獣変化術の難所も、まさにそこにあります。確かに、変化によってぐんと魔力場は拡大します。ですが、それを制御するための理性は、逆に吹っ飛んでしまう。使いどころを誤れば、状況がさらに悪化するでしょう」

「なるほどね」


 俺はタカシから聞いた、器の棟での顛末(てんまつ)を思い起こした。あの時は理性が野性に飲まれて大変だったとか訳の分からないことを聞かされたが、そんな事情だったのか。昨日、竜になった時もやけに神経が昂った感じがしたし、これからは気を付けた方がいいのかもしれない。

 クラウスはなおも語り続けた。


「気脈の偏りも、各々の魔力場の偏りも、普通は外からは干渉できません。ことに、個人の魔力場の乱れとなると、これを(なら)すなんてことは、本人以外には到底できる道理がありません。医学的な治療によって、間接的に偏りを和らげることはできても、本人の意志を欠く限りは、「裁きの主」にでも頼るより他に手が無いでしょう。

 …………しかし、これにも例外があることに、俺は最近気付きました」


 クラウスは顔を上げ、俺を真っ直ぐに見た。相変わらず、真面目にしていればこっちが緊張してしまうような、秀麗な顔立ちだった。


「…………それが、俺だと?」


 たじろぐ俺に、クラウスは「はい」と厳かに答えた。


「「扉」の力がどんな理屈で働いているのか。何を由来として生じているのか。それは全くの未知です。けれど、コウ様のそのお力が、この偏りを開放するものであることは確かなようです。

 恐らくは、コウ様がお話された「ここだ!」という点こそが、「扉」と呼ばれるものなのでしょう。これを開放することで、場の偏りを正す力が生じ、魔術の力場が変わる…………。きっとコウ様は感覚的に、気脈の中のどの「扉」を開けば良いのか。誰の魔力場を整えれば良いのか。そのために、いかに共力場を編めばいいのか。それを察して、今までやってこられたのではないでしょうか」

「…………はぁ」


 俺は堪らず、目を伏せた。

 何だか偉く大層なことを言われているのはわかるが、しっくりこなかった。何度も同じようなことを聞いてきたおかげで、流石に話は了解できたが、それでも複雑な気分は拭えない。

 つまるところ、俺はどうすればいいんだ?

 力のことがわかっても、使い方がわかっても、心許ないのには変わりがなかった。むしろ、変にプレッシャーが掛かる。

 俺はおずおずとまたクラウスを見返した。


「その…………話はわかったんだけどさ」

「けど?」

「そろそろ、頭が痛くなってきちゃった…………」


 俺はもらったハンカチを額に当て、へなへなと机に突っ伏した。耳元で、さっきの落書きワンダがキャンキャンと騒いでいる。(まだいたのか…………)

 クラウスは片肘をついて俺を見、微笑んで息を吐いた。


「おや、追い詰め過ぎてしまいましたか。コウ様はもう少し図太くなられた方が、人生うまくいくと俺は思うのですが…………。まぁ、わかりました。それでは少々、休憩にいたしましょうか。

 …………俺も喉が渇いてきたことですし」


 クラウスは立ち上がると、台所の方へ行ってあっという間に竈に火を入れた。どうやらお茶を淹れてくれるらしい。

 彼の卒の無い動きを横目に眺めつつ、俺はもう一度ボードを見やった。


 リーザロットの魔力場が未だに不安定な色合いで揺れていて、俺の力場の周りにはいつの間にかもう一匹、ワンダが生まれていた。

 2匹のワンダ共はキャンキャンと喧しく騒ぎながら、やがてボードを突っ切って、どこかへと脱走していった。

 あいつらが何なのか、これだけ聞いてもまだわからない…………。

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