65、フレイアという女の子。彼女が俺をお茶に誘うこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
折しもサンラインでは、歴史を左右する重要儀式「奉告祭」が開催される時期であった。
「奉告祭」では、目前に迫った戦争の行方が、サンライン屈指の重要人物たちによって相談されるという。
俺は「勇者」としてその祭に参加していたのだが、そこで何者かの襲撃に遭い、戦いを余儀なくされた。
精鋭隊の面々と共に、襲撃者が遣わした竜を何とか倒したものの、その代償は大きかった。
東の貴族、「賢者」の一人が処刑された後、俺は馬車に乗せられてリーザロットの館へと送られた。
馬車にはフレイアが同乗していたが、俺は何も話す気になれず、ずっと外ばかり眺めていた。行きは彼女の席にクラウスがいたなと思うと、どうしようもなく気が塞いだ。
フレイアは俺の正面で姿勢良く座っていた。同僚が何人もやられてショックだろうに、彼女は泣きもしなければ、不安がる素振りすら見せなかった。俺には彼女の毅然とした態度が、かえって少し心細かった。
何だか無性に人恋しい。今日は誰でもいいから、傍にいてこの虚しさを紛らわせて欲しい。そんな女々しい甘えがチラチラと顔を覗かせている。
俺って、本当にしょうもない。
馬車はガタゴトと揺れた。
そう言えば、タカシはどこに行ったんだろうと、今更になって気になった。どうせ生きているだろうし、悪いようにはされていないはずだから、どうでもいいと言えばいいのだが。
一応俺はフレイアに尋ねてみた。
「なぁ、フレイア」
「はい。何でしょう?」
「タカシ…………俺の肉体、どこにいるか知ってる?」
「タカシ様は別の馬車で病院へ向かわれました。ウィラック様が付き添っていらっしゃいますので、ご安心なさってください」
「安心…………していいのかな、それ? リーザロットとか、ツーちゃんとかはどうしてるだろう?」
「蒼姫様は事件の後処理のため、今夜は紡ノ宮で過ごされると仰っていました。お師匠様が一緒に残られております。琥珀様は…………よく存じ上げませんが、いずれ夜には街に戻られるのではないでしょうか」
「…………君は?」
「私、ですか?」
「君は、帰ってしまうの? 今日」
俺の問いに、フレイアはしばらく固まっていた。
俺は黙って彼女を見つめ返す。
ややしてから、フレイアは我に返ったように答えた。
「あっ…………申し訳ございません。その、今晩の、警護の担当の話、ですよね。すみません、只今予定を確認いたしますので、少々お待ちください…………」
言いながらフレイアは腰のポケットから小さな手帳を取り出して、やけに慌てた手つきでページを繰り始めた。俺はなぜか赤くなっている彼女をしげしげと見つめながら、言葉を加えた。
「できれば、今日は君と一緒にいたいんだ。もし都合が合ったらでいいんだけど」
「あっ、ちょ、ちょっとお待ちください」
「急がないでいいよ」
「えっ、ええっと…………」
フレイアは食い入るように手帳を見つめた後、キッと眉を吊り上げてそれを閉じ、顔を上げた。
「わかりました、コウ様。それでは、今晩は私がお守りいたします! ただ、連絡のために一度、精鋭隊の宿舎へ戻っても構いませんか? お役目を交代する旨を誰かに伝えておきたいんです」
「わかった。じゃあ、このまま向かおうか。もう一度出るよりいいもんね」
「はい、お心遣い痛み入ります」
フレイアは返事をすると、振り返って御者に進路を変えさせた。
再び姿勢を正した彼女が見せた無防備な眼差しには、疲れか、あるいはもっとか弱い感情がこもっていて、俺は今さっきまで彼女に抱いていた感情を見直さざるを得なかった。
彼女の滲んだ淡い瞳は、精鋭の騎士と呼ぶにはあまりに…………。
「フレイア。その…………ありがとう。君も、大変なのに」
「いいえ、そんな」
フレイアはごく自然に、いつもの優しい微笑みを浮かべた。
精鋭隊の宿舎は、俺が初めてサンラインの土を踏んだ教会のすぐ裏手にあった。小高い丘の上に立つ、歴史を感じさせる(率直に言えばボロい)建物だった。
「すぐに済みますから、馬車の中でお待ちください」
「俺も一緒に行っていい? 興味があるんだ」
「構いませんが、何もありませんよ?」
「見たいだけ」
俺達が馬車から降りると、宿舎の中からひょこひょこと初老の男が迎えに出てきた。キリンのようなのどかな目をした、穏やかな雰囲気の人だった。
「おや、フレイア様。いかがなされました? 紡ノ宮じゃ大変な騒ぎだったと聞きましたが…………。そちらのお方は?」
「お疲れ様です、ココさん。こちらはミナセ・コウ様です」
フレイアは俺を紹介してから、一通り事情を話した。ココと呼ばれたおじさんは教会と宿舎の管理を任されているらしく、すでに「勇者」のことはざっくりと知っている風だった。
ココさんはフレイアの話を聞き終えた後に、満足そうに頷いた。
「わかりました。それでしたら、このココが責任を持ってグラーゼイ様に交代の件をお伝えしましょう。他ならぬフレイア様からの、このようなお申し出。例え烈火の如く叱られましょうとも、断れるわけがございません…………。どうぞ、仲良うお過ごしください」
「いっ、いえ! あの、コウ様にご迷惑が掛かりますから、その、どうかご容赦を」
俺は慌てるフレイアを微笑ましく思いつつ、ココさんにお礼を言った。ココさんはぱちくりと瞬きをして俺を見上げると、
「ちょっと待っててくださいね」
と、言って宿舎の方へ戻り、やがて手のひらサイズの果物を二つ抱えて戻ってきた。よく朝食のヨーグルトに入っている、トルコ石色の果実だった。
「「勇者」さん。お疲れのご様子ですので、よろしければこのチュンの実をどうぞ。リラックスできますよ。昨日、妻の実家から届いたばかりでして。柔らかいので、皮ごと齧れます」
「美味しそうですね。ありがとうございます」
「フレイア様にも、お一つ」
「えっ。ですが、私はすでに4つも頂いております」
「お好きでしょう?」
フレイアはおずおず果物を受け取ると、気恥ずかしげに俺を見た。俺は青い果物と彼女の赤い顔の対比を面白く眺めつつ、ちょっとだけ笑って見せた。
「これ、俺も好きなんだ。帰りがけに一緒に食べようか」
「…………馬車の中で、ですか?」
「うん。ダメかな?」
「いえ…………いいえ」
フレイアが小さく首を振る。お嬢様と聞いていたから嫌がられるかもと思っていたが、案外平気そうで安心した。
それから俺達はもう一度ココさんに挨拶し、出発した。走り出してからちょっとだけ窓の外を覗いてみたら、なぜかココさんが涙ぐんでいるのが見えた。
「あれ? ココさん、何で泣いてるんだろう? 何か悪いことでもしたかな?」
俺がチュンの実を齧りながら聞くと、フレイアは口元に実を添えて小さく肩をすくめた。
「…………ココさんは昔から、とても早とちりで、涙もろいのです」
あまり答えになっていない気がしたけれど、慎ましく果物を齧る彼女が可愛いので、それ以上は尋ねなかった。
館に到着した俺は、フレイアを連れて自分の部屋に戻った。
人形が並ぶ長い廊下を渡り、例の間違い探しのホールを抜けて(今になってみると、普通に自室の気配が「扉」として感じ取れた)、また長い廊下を進んで、「水無瀬孝」と表札がかかった部屋にようやく辿り着く。
フレイアは部屋の前で一歩後ろへ引くと、ちょこんと頭を下げた。
「それでは、コウ様。私は控えの間に戻っております。何かあればすぐ知らせが来るようになっておりますので、ごゆっくりお寛ぎください」
「わかった」
それからふと、フレイアは顔を上げて言った。
「コウ様」
「ん、何?」
「あの、もしお許し頂けるのでしたら…………もうしばらくしてから、またこちらへお迎えに上がっても構いませんか?」
「え? いいけど…………まだ何かあるの?」
「いえ、そうではないのですが」
フレイアはやや上目遣いに、躊躇いがちに続けた。
「着替えさせていただきたいのです。このような不潔な格好で、コウ様とご一緒するわけには参りませんから、せめて着替えの時間を頂いてから…………」
フレイアは眉を八の字に下げて、急に頬に両手を当てた。
「あっ、ごめんなさい! 混乱してしまって、お話の順序が狂ってしまいました…………」
「いや、大丈夫だよ。落ち着いて、続けて?」
「はい。あの…………私がお迎えに上がりましたら、控えの間にお越し願えませんか? 一緒に」
「えっ…………と、それは、つまり?」
「その、ですから、もしよろしければ、控えの間で、私と」
フレイアは紅玉色の瞳を瞬かせ、俺を見つめた。その目には馬車の中で見たのと同じ、もの寂しげな憂いが宿っていた。
「お茶…………いたしませんか?」
俺はちょっとばかり面食らい、返答に窮した。
まさか彼女からこんなお誘いがあるとは思っておらず、同時に、何も今でなくともという気にもなった。正直、このまま明日の朝まで寝られそうなぐらいには疲れていたし、気分も塞いでいた。
しかし、俺はフレイアの真っ直ぐな眼差しを受けて、どうにも断りきれなかった。彼女の紅い瞳の中には、今は誰かがいないといけない。勝手にそんな気分になった。
「うん。…………じゃあ、準備が出来たら、来て欲しいな」
俺が答えると、フレイアはにっこりと笑って、それに応じた。
「ありがとうございます。それでは、また後でよろしくお願いいたします」
俺は立ち去る彼女を見送って、その後もしばらくぼうっと廊下に突っ立っていた。
本当は、瞳の中に誰かいて欲しかったのは、俺の方だったのかもしれない。
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