61-1、落ちていく希望。俺が絶望の淵で願うこと。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
折しもサンラインでは、歴史を左右する重要儀式「奉告祭」が開催される時期であった。
「奉告祭」では、目前に迫った戦争の行方が、サンライン屈指の重要人物たちによって相談されるという。
俺は「勇者」としてその祭に参加していたのだが、そこで何者かの襲撃に遭い、宿敵の魔導師・ヴェルグの手によって不可思議な領域へと連れ去られてしまった。
――――…………「助けて」
誰だって、一度は願ったことがあるはず。
それは生き物の本能だ。
命がある者なら皆、生きたいと願って、苦痛から逃れようとする。自分がかけがえのない存在で、いつの日か必ず失われると知っている。
道端で猫やネズミが当たり前のように死んでいるのを見て、どうして自分だけはああならないと本気で思うヤツがいるだろう。
俺たちはいつか絶対に死ぬ。
そしてその危機に瀕した時、光よりも速く、願う。
「助けて」
それは正真正銘の、魂からの叫びだ。もうどう足搔いても決して逃れえない、「呪い」。
ツーちゃんの顔をした悪魔はおもむろに俺を懐に抱き込むと、小さな手で、いともやすやすと俺を握り潰した。
「――――――――ッッッ!!!」
何かがめり込んだ感触と同時に、クキリという異様に軽い音が耳に響き、俺の身体があっけなく割れた。ぬるぬるとした不快な感触が手足を染めていく。一拍遅れて、痛みが襲ってきた。
吐いた血で咳き込んだ。口の中が粘つき、気持ち悪い。視界がグラグラと揺れ、回り出す。流れるな、ダメだと、俺は乱れきった意識の中で必死に繰り返していた。自分の血に対して訴えていたのか。俺は混乱しきっていた。
俺は辛うじて腕を前へ伸ばし、もがいた。自分が何をしようとしているのか、ちっともわからない。ただただ、寒くて、怖くて、痛くて、苦しくて、気持ち悪い。
――――…………たす、け、て…………
俺の呟きに、相手は何も言わなかった。彼女は昆虫のような目で俺を見下ろし、科学者のような顔つきで起こっている現象を観察していた。悪魔でも死神でもない、何か不可解な存在がそこにいる。縋りようのない眼差しに射られ、俺は絶望を骨の髄に染み渡らせた。
遠退いていく意識の片隅で、白い光が点滅していた。プラスチックが焦げるような、奇妙な匂いが漂う。段々と視界が霞みがかっていく。どこか遠くで、針の落ちる音が聞こえた。ウチの前で死んでいたドブネズミのこととか、庭で蟻に食われていたセミの死体だとか、しょうもないイメージばかりが脳裏を巡る。
涙も出ない。寒い。怖い。痛い。苦しい。悲しい。寂しい。
俺は腕を前へ伸ばした。
力が入らない。
掴み切れずに、あえなくずり落ちる。
諦めきれない。
怖い。
暗い。
誰か。
誰か。
俺はもう一度、声を震わそうとした。しかし「誰か」の言葉は俺の頭上から、冷たく、無慈悲に降ってきて、かろうじて残っていた希望をぐしゃりと潰した。
「…………もう十分だ、オースタンの」
少女は無表情のまま、静かに言い継いだ。
「おやすみ。お疲れ様」
彼女は遠くへ視線を投げると、無造作に俺を捨てた。彼女が両手を払うと、生臭い匂いがあっけなく闇に放られる。
俺は叫んだ。
何を呼んでいたんだろう。
何を願っていたんだろう。
だけど何度も、ひたすらに、魂を嗄らして叫んでいた。
――――…………。




