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扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>  作者: Cessna
それは、祈り
117/411

60、祈りと願いが紡ぐ場所。俺が新たな力に手を伸ばすこと。

 ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。

 様々な困難を乗り越え、ようやく目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。

 折しもサンラインでは、歴史を左右する重要儀式「奉告祭」が開催される時期であった。

 「奉告祭」では、目前に迫った戦争の行方が、サンライン屈指の重要人物たちによって相談されるという。

 俺は「勇者」としてその祭に参加していたのだが、そこで何者かの襲撃に遭い、宿敵の魔導師・ヴェルグの手によって不可思議な領域へと連れ去られてしまった。

「――――「呪い」というのはね…………」


 まだ大人になりきらない、少し背伸びした少女の声が届く。


 俺は彼女の語り口に耳を傾けながら、永久に終わりそうにない夢の中でまどろんでいた。

 試験管の底、1.5センチぐらいにまで溜まった秘密の培養液の中で、俺は1個の細胞として、人知れず眠っていた。

 俺の意識は茫漠とした混沌の中をさまよっている。


「つまるところ、「願い」なんだよ。…………何なら「祈り」と呼んでも構わない」


 少女は未分化な俺に、つらつらと語っていった。その口調はどこか楽しそうでもあり、哀しそうでもあり、不思議な情緒に満ちていた。

 俺は初めて家の裏の木に耳を寄せてみた時のことを思い出していた。友人とのかくれんぼの最中、俺はじっと耳を澄ませて、あの不思議な風の流れる音に浸っていた。何か遠い存在のすぐ傍にある、不安と好奇心。今の俺は、それとよく似た奇妙な心地に包まれていた。


「例えば、「この子が健康に育ちますように」」


 少女のひんやりとした吐息が、俺の耳元に吹きかけられる。俺が身を震わせると、彼女はフフッ、といたずらっぽく笑って続けた。


「他には、「世界が平和でありますように」。「みんなが幸せに暮らせますように」。

 …………こんな、よくある願いや祈りも、全部「呪い」だよ。聞こえが美しいから「祝福」なんて名付けられることもあるが、本質は変わらない。意思だけで世界に影響を及ぼそうとしている」


 少女の言葉はあやとりのように連なっていった。


「こんなことを言うと、反発する人がいる。別に、何かを変えようと思って願っているんじゃない、と。私は我が子に主の恵みがあるよう、祈りを捧げているだけだ。自らの誓いのために、祈っているだけだ。対価など求めていない。…………ただ、祈っているだけだ、とね。

 きっと、その通りなのだろうね。でも」


 少女は俺の額にひたりと小さな掌を添えた。彼女はまるで母親のような手つきで、俺の頬を優しくなぞっていく。

 俺はいつの間にか、少し手足の生えた胎児の姿に変わっていた。微かだが、心臓が鼓動し始めているのがわかった。

 

「だからこそ、その想いは相手に届く。自らの、そして誰かの想いを、知らず知らずのうちに変えていくんだ。愛は子に伝わるし、「主」は人々の祈りを聞き届ける。世界は平和にならないかもしれない。逃れ得ぬ不幸もあるだろう。しかし純粋な祈りは、それに耐える心を培う。荒んだ野に、強い意志を芽生えさせる」


 俺は開いたばかりの目で、ひたと前を見つめた。

 少女の琥珀色の瞳が俺をじっと覗き込んでいる。少女の顔の輪郭は未だハッキリとしなかったが、その目は時々黄金色に輝きながら、時折琥珀色に暗く沈んだ。

 細い針で刺し抜かれたような痛みが一瞬胸に走って、俺は呻いた。


「痛むかい? 大丈夫、僕がちゃんと守ってあげるから。我慢しなさい、なんて野暮は僕は言わない。涙が零れる時には、思いきり泣けば良いさ…………」


 俺は思うように動かない身体を無理矢理捻り、少女の手を払いのけた。彼女の言葉に寄りかかってはならない。よくわからないが、そんな気がした。

 少女はおとなしく手を引くと、肩をすくめて話を継いだ。


「頑なな子だ。仕方ない。もう少しお話しようか。感じることも大切だが、言葉を練ることもまた、重要な生の一葉だからね。

 …………想いの力、「呪い」の伝わり方は、魔術のように下品ではない。願いは対象へ向かうが、それはやがて鏡のように願う者へと返ってくる。鏡に映った「願い」は、己を癒すことも、殺めることもある。「願い」には、願った本人すらも知らぬ、真の姿があるのだよ。

 己の心の様相が変化すれば、自ずと「願い」の色合いも変化する。一見変わらぬ願いであるように見えたとしても、そこに含まれる意味合いは徐々に変容していく。あえて卑俗な例えを引用すれば、「愛している」という想いが、いとも簡単に「支配したい」という気持ちに転化するのと同じだ。君にも多少は経験があるだろう? …………無いか?

 …………対象は、そんな見えない変化に戸惑う。願った当人すら、困惑する。自分達は一体なぜ、いつの間に変わってしまったのか。想いが純粋であればあった程に、深刻に悩み、変化の不可逆性に絶望する」


 だからね、と少女は優しく言葉を置いた。


「たかが「想い」と、侮ってはならないんだよ。「想い」はあちこちを行き交ううちに、どのようにだって変化するのだから」

「…………」

「「願い」、「祈り」、「慈しみ」、「悼み」…………。そうした純粋な想い、目的無き意思が、この世界の幾千万もの鏡の間を行き交って、「呪術」の力場は育まれている。

 賢い君なら、もうすっかり了解しているだろう。それは世界が愛と平和に満ち溢れるという意味では、決して無いことを」


 針がまた一本、深く胸を貫く。今度は先よりもかなり太い。畳針を刺されたような強い痛みだった。蹲る俺を優しく撫でる少女の手は、相変わらず死人じみた冷たさだった。


「辛そうだね。…………なぜ痛いのか、教えてあげようか」


 少女は赤い唇を、俺の唇へ触れんばかりに近付けた。


「それこそが、哀れな黒い魚を呪ったものの正体だからだよ。…………とある普遍的な存在への、思慕だ」


 俺は喉が渇いて、ぎこちなくしか喋れなかった。


「し…………ぼ…………?」


 少女は琥珀色に、黄金色に、不安定に瞳を揺らした。彼女が目を細めると、胸に刺さった痛みがさらに強まる。

 俺が苦痛に喘ぐ傍らで、少女は微笑を浮かべたまま語り続けた。


「そう。あの黒い魚は、実は、すごく寂しがりなんだ。彼らは悠久の時を、深い悲しみに浸って生きている。そんな彼らが唯一、全存在を懸けて慕う存在…………それは、何か?」


 俺は黙っていた。少女は黒っぽい長い髪をさらりと耳に掻き上げ、言った。


「「母なるもの」。あれが希求するのは、それのみだ。

 黒き魚たちの偉大なる母君。その名は遠い時代に忘れ去られたが、魚たちの魂には、今でも彼女のイデアが痛ましく刻まれている」


 俺は急に激しく疼いた痛みに、叫びをあげた。さらに太い針が数本、一息に刺し込まれたようだった。ようやくまともに出来上がった身体が、ショックでバラバラに砕け散った。

 俺はもう一度、一塊の細胞に戻った。また透明な溶液の中をぼんやりと漂い浮く。意識が遊離して、泡のように心許なくなった。


「おや、可哀想に。…………こっちへおいで」


 少女が小さな手で消えそうな俺をふんわりと包み込んだ。彼女は愛おしげに掌の中の俺を見つめている。その琥珀色の瞳が幻のようにちらつく。俺は不覚にも安堵した。


「すまない。君にはまだ教えるのが早過ぎたね。…………呪術のことだけ、もっと単純に教えようか」


 少女の声のトーンが少しだけ変わって聞こえてきた。意識が朦朧としているせいかもしれないが、さっきまでよりも幼い感じがする。

 少女は未熟な俺に、さらに囁きかけた。


「先に話した通り、「呪い」の正体は強い想いだ。黒い魚の果てない思慕は、「呪い」としてうってつけだった。呪術の使い手は彼らの想いを歪め、一つの竜の肉体へと収束させた。「呪われ竜」の完成だ」


 俺は今度は、オタマジャクシのように身体を成長させていった。小さな手足と尾ひれが、やけによく馴染む。あっちこっちで同じような姿に変えられてきたせいで、いい加減慣れてしまったのかもしれない。


「おや、良い姿だね、伝承の。可愛いよ」


 俺は黙っている。少女は俺をそっと撫でた。凍てつくようだった指先は、いつしか血の通った温かみを帯びていた。


「心に刻みなさい。呪術の世界は想いの世界。そこでは君の心の在り様は、否が応でも露わになる。気を付けていないと、すぐに誰かの色に染まってしまうから、注意するんだよ」


 俺はどうしてすぐ爬虫類だか両生類だかになってしまうのか。疑問を口にすることは最早叶わなかった。身体の成長は胎児だった頃よりも格段に早かったけれども、俺はあっという間にイモリ的な何かになりきってしまった。ちょっと鰓がスゥスゥする。だが、もう問題無く動けた。

 俺は四つん這いの姿で、少女を仰いだ。


 少女はいつしか真っ赤なワンピースをまとっていた。琥珀色と黄金色に交互にたゆたう瞳が、俺を面白そうに見下ろしている。薄茶色の髪が、そよ風に吹かれたみたいにサラサラと美しく流れていた。


「ふふ、本当に愛らしい姿だ。食べてしまいたい。

 ところで、伝承の。良ければ君も少し「呪い」をかけてみないか? このままでは君は、黒い魚たちの嫉妬…………それは思慕の簡単な変形だが…………のために呪い殺されてしまうかもしれない。僕一人で呪い返しを行うのは簡単だが、それも味気無いだろう」


 俺が? 「呪い」を?

 即座に首を横に振ろうとしたその時、鋭い痛みが胸を貫いた。ネイルガンを直接打ち込まれたような強い衝撃。俺や尾ひれを丸め、身体を縮めた。小さな手足が小刻みに震える。次の痛みが恐ろしく、小さな頭はあっという間に恐怖で染まった。

 目の前の少女は俺の心を完璧に見透かしているかのように、言い継いだ。


「ああ、縋ると良いよ。頼れば良いとも。惨めで恐ろしく、弱くて苦しくて、どうしようもないのなら、それも立派な戦い方の一つだよ。

 神は縋るためにあるのではないという者もいるが、僕はそう思わないんだ。正しい理は美しい。だが大抵、そこに実践は無い。弱さや無智を覗かずして語れるような神なら、それはインテリアに過ぎない。どんな存在も、愚者と賢者の両面を孕んでこそ、完成するはずだ。

 なぁ、オースタンの。救いを識るのに、どうして堕ちずに済む? 底まで堕ちた者が、何によってもう一度立ち上がる? …………無心に手を伸ばすより他に、何かできることがあると思うか?

 とりわけ、ここは想いの領域だ。弱さも、愚かさも、隠し立ては出来ない。君はいずれ丸裸にされるだろう。そんな姿では、いささか僕と渡り合うのには心許ないと思わないか?」


 俺は少女を睨み付けた。もし人間だったら、泣きながら睨んでいただろう。

 震えるのが悔しくて、だが、どうしようもない。俺は愚かしいぐらいに弱かった。グラーゼイに馬鹿にされた時の悔しさも、今は何の役にも立たなかった。

 俺は少女の、ただの言葉にすら追い詰められていた。


 気持ちだけが勝手に、ひたすらに膨らんでいく。


 怖い。痛い。怖い。つらい。

 苦しい。怖い。怖い。怖い。

 怖い怖い怖い、怖い怖い怖い。


 俺は俯き、願っていた。

 願ってしまっていた。

 それが「呪い」になると知っていても、心は溢れ出すように慟哭していた。

 何でもいい。

 ここから逃れたい。

 誰でもいい。


「助けて、くれ…………」


 少女は三日月型に唇を歪めると、禍々しくこぼした。


「ああ、承った。後は、ただ眺めていたら良いよ」


 その言葉を聞いた刹那、意識が唐突に晴れ渡った。


 俺は、その時初めて、少女の顔をありありと見た。ずっと誰かに似ていると思っていたその顔がついに判然となり、俺は言葉を失った。


「お前…………ッ!」


 少女はキャラメル色の柔らかそうな髪をふわりと揺らし、燦然とした琥珀色の瞳で俺を貫いた。


「驚いたかい? 伝承の。

 だが言ったはずだよ。…………ここでは何事も隠せない。それは僕自身も、例外ではない。

 …………ツヴェルグァートハート・ハンナ・エル・デル・マリヤーガ・シュタルフェア。貴様が「ツーちゃん」と呼び慕う存在は、私の影なのだよ」


 見知った、懐かしい笑顔を浮かべた少女は、人形のような愛らしい頬を凄惨なまでに暗く、醜く歪めた。

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