55、奉告祭と、紡がれる「神話」。俺が賢者の集いに呼ばれること。
ある夜、突如として部屋にやってきた深紅の瞳の少女・フレイアに誘われて、俺(水無瀬孝、26歳ニート)は魔法の国サンラインへと旅立った。
竜の国での空中緊急脱出。影の国での魔術師からの襲撃。あらゆる困難を乗り越え、ついに俺たちはサンラインへと辿り着く。
目的地に着いた俺は、「蒼の主」ことリーザロットの館に招かれ、正式に「勇者」としての役目を引き受けることとなる。
だが到着して一息ついたところで、色々あって俺は自警団員のナタリーと共に「サモワール」という店への潜入捜査する羽目になり、敵の魔術師・リケからの襲撃に遭った。
何とか窮地をしのいだ俺は、リーザロットの館で身体検査を受け、俺の故郷が消滅したことと、俺の身の内に潜む「邪の芽」という悪しき存在について知る。
フレイアと共に「邪の芽」を克服すると誓った後、俺は自室に戻った。
フレイアと別れて部屋に帰った俺は、例によって、ツーちゃんの待ち伏せに遭った。
ツーちゃんは幾分元気を取り戻した様子で、俺の清潔なベッドの上で堂々とあぐらをかいていた。何かもう、パンツとか見えていても全く動じない。何も感じない。
「何してるの? ツーちゃん。はしたないよ。もう機嫌は治ったの?」
「コウ。明日は「奉告祭」だ。紡ノ宮へ行くぞ」
俺はおろしたての寝間着に着替えつつ、眉を顰めて聞き返した。
「何だって? どこへ、何しに行くって?」
「奉告祭だ。裁きの主を祭る、紡ノ宮という神殿へ行って会議を行う。白露の刻には出掛けられるよう準備しておけ。式典用の服はさっき、人形が用意していった」
「ホウコクサイ? 会議? 誰と? 何で?」
「今から話す。面倒ゆえ、貴様は黙っていろ」
俺は着替えた後、コップに水を酌んでからベッドの前に座った。長い話になりそうだし、せめて水ぐらいはお供に欲しい。ツーちゃんも欲しいかと聞くと、「要らん」とすげなく睨まれた。
「全く。貴様、よく平気で飲めるな」
「え? 飲んでも平気、ってリズから聞いたよ?」
「そういう意味ではない。…………貴様はやはり、ワンダ並みだ」
「また悪口言ってる」
言いつつ俺は、ぐっと一息に水を煽った。喉の渇きが潤うと、自然と気分がなだらかになる。実際、どの程度衛生的なのかは知らなかったが、サンラインの水は結構、美味い。
ツーちゃんは行儀悪く膝の上で片肘をつくと、淡々と話し始めた。
「奉告祭というのは、三寵姫が裁きの主に、その年の出来事を「瞳の詩」にして告げる儀式だ。裁きの主は言うまでも無く全知全能だが、三寵姫があえてそれを言葉にし、主に奉ることで国全体の信心を誓う」
「ふぅん。また、お祭り?」
「貴様は口を開くなと言ったはずだ。話が脇に逸れる。…………無論、祭りではある。だが先の慰霊祭とは異なり、純然たる信仰上の祭典では終わらない。奉告祭では、三寵姫が一堂に会するだけでなく、あらゆる方面から権力者がこぞって集ってくる。三寵姫が何を奉告するのかを聞き届けんがために、はるばる時空を超えてくる者までおる」
ツーちゃんは人差し指を頬の横に真っ直ぐに立て、話し続けた。
「奉告の相手は、裁きの主だ。虚偽の奉告など成されるはずがない。だが、真実が余さず告げられるわけでもないことは、貴様にもわかるな?」
「まぁ、色々と言い方が、「瞳の詩」なら表し方かな? が、あるもんね」
「奉告祭で紡がれた言葉は、「リリシスの物語」と同等の最高位の書物に記録される。つまり、奉告はこれ以上なく公的な歴史…………「神話」となるのだ。
となれば、記述の内容は後世に多大な影響を及ぼす。サンラインにおいては、魔術体系にさえ変化をもたらす。誰もが己にとって少しでも有利な記述がなされるよう、躍起になるというわけよ」
俺は水を一口飲み、肩をすくめた。
「何だか凄まじい話だね。正直、俺にはあんまり想像がつかないけど」
「だろうな。それで良い。魔術に未熟な者が、安易に深入りすべき領域ではない。サンラインでは、裁きの主は絶対の存在だ。人々は護られ、恵まれるが、必ず裁かれる。偽れぬ定めを負う者の業は、貴様のそれとは異なっておる」
「ってか、前々から気になってたんだけど、その「裁きの主」ってさ、嘘吐いたり、泥棒したりしたら即、罰するってわけじゃないでしょ? だったら、いつ、何をもって人を裁いているの? 妙な竜巻や雨を寄越すことはあっても、普通に暮らしている分にはそんなに恐れることも無いように見えるし。何かルールはあるの? その辺、どうなの?」
「フン、小童め。やはり貴様に魔術の教えは早いな。
ともかく、今は口を閉じろ。今夜は奉告祭の話をする。主が為す裁きについては、簡単に語れることでもない上、そもそも誰ぞから教わるべきことでもない。少なくとも、私はそう考えておる。
話を進めるぞ。…………先に述べた事情により、奉告の前に国内の権力者たちが少しでも甘い蜜を舐めようと悪足掻きをしよる。それが「会議」だ。通称、「賢人会」」
俺は肩を縮め、黙って頷いた。まだ腹の底に残るモヤモヤは仕方なく水で流し込んだ。
ツーちゃんは足を組み変え、話し継いだ。
「賢人会は、事実上、サンラインの最高幹部会議だ。教会の総司教を始め、魔術師会長、商会連合の総代、霊ノ宮の大宮司、錬金組合代表、五大貴族の当主なぞが出席する。他にも、普段は旅に明け暮れている名のある魔導師や、紡ノ宮がある王都周辺に散在する、スレーンなどの自治国からも集まる。
いずれも、国勢に多大な影響力を持つ者共だ。これらが一辺に押し寄せ、三寵姫の奉告にケチをつける。「主の恵みの下」、正義という名の欲望の妥協点を見出さんとするのが、この会議の目的だ」
「ちょっと私情入ってない?」
「フン、事実よ。…………ともあれ、此度の賢人会では、奉告内容だけで話が済むことは無いと誰もが踏んでいる。差し迫った脅威…………ジューダムへの対応について、協議されるだろう」
俺はその時ふと、窓の外が急に暗くなった気がして振り向いた。見ればそこには、大柄な骸骨男が、悠然と闇中に立ちはだかっていた。
「う、うわぁっ!!!」
俺が思わず飛び下がり、窓の外に立つ相手を指差した。
「タ、タリスカ!! 何してんの!?」
タリスカは答えず、軽く下顎骨を上げてツーちゃんに合図した。対するツーちゃんは事もなげに人差し指を一回転させると、窓を静かに開いた。
「ご苦労。遅かったな。市内の様子は?」
タリスカは身軽く部屋の中に入ってくると、夜露を払うように、全身を包んでいたマントを翻した。絨毯の上に、漆黒の布を伝って水滴がポツポツと零れ落ちる。彼の分厚い革のブーツのつま先には、まだ湿った泥がびっしりとこびり付いていた。
「いずれの陣営にも変化は無い。かねてより警戒していた例の呪術師は、東方の神殿跡に葬った。霊ノ宮の者であった」
「…………他には?」
「商会連合の雇った傭兵が多数、サン・ツイード市街に入ってきている。中に冥府の香を強く放つ者がある。困難ではあろうが、教会には極力、騎士団以外を近付けぬ方が無難であろう。
それと…………紅の館にて非常に濃い、熱き魔力を浴びた。紅姫と後見の間に、すでに「依代」の契りが為されているやも知れぬ」
「「依代」か。くだらん真似を。それで…………リズの調子はどうだ? もう歩けるのか?」
「私が支える。いずれ、姫から離れはせぬ」
「良かろう」
俺は二人の淡々とした会話を聞きながら、改めて事の大きさに思いを馳せていた。「呪術師」だの、「葬った」だの、「傭兵」だのと、やたらに物騒な単語が飛び交っている。俺の知らない場所で、事態は相当物々しく進んでいたようだった。
まとめると「賢人会」ってのは、サンラインの行く末を決めるスーパーVIP会議だ。ジューダムとの戦争について、我らが蒼の主・リーザロットと、ヴェルグを後援とする紅の主が対立しているとは聞いていたけれど、多分、実際の話はもう少し複雑なのだろう。
…………っていうか。
「ねぇ、ツーちゃん?」
俺は会話の途切れ目を見計らって、話に割り込んだ。
「あのさ、「奉告祭」とか、「賢人会」については、粗方わかったんだけどさ。どうしても聞きたいことがあって…………いい?」
ツーちゃんは少し背筋を伸ばしてこちらを見やると、
「続けよ」
と、あっさり答えた。俺はチラッとタリスカを仰ぎ見た後、問いを投げた。
「その、とんでもない会議に俺がついて行くのは、一応「勇者」だからってんで、何となく理解できるんだけど。肝心の行った後は、俺は何をすればいいの? 黙ってボケッと座っている以外に、出来ることが何も無い気がするんだけど」
情けないが、事実である。「勇者」と言われたところで、今の俺には語る言葉が無い。蒼の主・リーザロットに従うという方向性だけは漠然と決まっているものの、具体的に何をするのかについては、見当もつかなかった。
それに、今更ながら思うが、俺には人に包み隠さず話せる動機が無い。「自分を変えたくて」とか、「迎えに来た女の子が可愛かったから」とか、客観的に見て、信用してもらえるはずのない動機ばかりで俺は出来上がっている。相手がフレイアやツーちゃんならともかく、それではVIPは到底、納得しないだろう。大層な面目を取り繕うスキルも、もちろんニートには無い。
ツーちゃんはそんな俺を見透かすように、長々と溜息を吐いた。
「フム。リズが元気であったなら、その辺りは任せきるつもりであったのだがな…………。仕方が無い。そこは私が代弁するつもりだ。
貴様は、基本的には黙っておれ。…………決して印象が良いわけではなかろうが、その阿呆面で、何かしょうもないことをフニャフニャと喋られるよりかは、各段にマシだ。せいぜい晩飯のことでも考えて、姿勢を正して神妙にしておれ」
「わかった」
俺は朝飯を思いつつ、張り詰めた表情と姿勢をデモンストレーションして見せた。ツーちゃんは何とも言えない、蔑んだ目をしていたが、やがてまた項垂れて長い溜息を吐いた。
俺はそのまま首を傾げ、言葉を繋いだ。
「それにしても、「奉告祭」かぁ…………。そもそも、あんまり詳しく語らなきゃいいだけって気がするんだけど、それじゃダメなのかな? 「今年も楽しかったです」とか、「よく晴れていました」とか、概ね嘘じゃないだろうし、問題無くない?」
ツーちゃんは顔を上げてギュッと眉間を険しくすると、ピシャリと俺を叱った。
「馬鹿者! この上なく公的な記録だと言ったろう! そのようなマヌーのミルクじみた生温い感想文で、一体何が紡げる? 馬鹿と間抜けと阿呆の王国ならばともかく…………少しは真面目に考えろ! このノータリンめ!」
「悪かったよ。でも、そんなに怒ることないじゃん。っつか、ノータリンって何?」
「脳が足りん!」
「えっ!? そんな意味なの? おばあちゃんみたいだな!」
言い争う俺たちを宥めるように、タリスカが静かに言葉を挟んだ。
「ツヴェルグ、勇者。明日も早かろう。その辺にしておけ」
ツーちゃんは不満そうに口を噤むと、また偉そうにあぐらをかき、頷いた。
「フン。まぁ、頭の出来などといった、器質的欠陥を責めても始まらん。ワンダは所詮ワンダだ。切り上げてやる。
と、そんなわけだ、コウ。明日はワンダなりに、気を引き締めてかかれ。貴様の処遇と、サンラインの行方が決まる、重要な日だ」
俺はツーちゃんと同じようにあぐらをかき、片手を上げた。
「わかったよ。精一杯、お利口にしてますよ」
タリスカとツーちゃんはその後、俺には計り知れない会話を一言二言交わした後、共にドアの方へと向かって行った。どういう基準なのかは知らないが、今日は二人ともいきなり消えたり窓から飛び降りたりせず、普通に歩いて帰って行くらしかった。
去り際に、ツーちゃんが振り向いた。
「ああ。そうだ、コウ。今夜はくれぐれも部屋から出ぬように。この館には、普段よりも強力な結界が張ってある。妙な気配があれば、この男が即座に斬り捨てる手筈となっている」
指差された先のタリスカは、抑揚無く言った。
「気を張る晩ゆえ、勇者か否かの判断は斬った後になる。勇者は、今宵は精神と身体を十分に休めよ。…………一段落が着いた後には、修行の続きをつけよう。それまでは、沸き立つ血は胸に秘めおけ」
俺は引き攣った笑みで返事をし、出て行く二人を見送った。
今夜は絶対に、この扉を開けないようにしよう。
何というか、もう…………俺の今晩の飯はどうなるんだろう、ぐらいしか頭に浮かんでこなかった。
あまりに色んな事が、怒涛のように押し寄せてきて、悩むにも、驚くにも疲れ過ぎていた。明日も休めない。ニートには少しばかり辛い。




