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第二話 勘違いだとしても 2

何やらキナ臭い展開になってきたところです。だいたいこの辺りから書いてる自分でも主人公が誰なのかよくわからなくなってきました。


 王が住む城の中では、当然のことながら王の寝室程警護が厚く、豪奢な部屋はない。煌びやかで華やかでありながら、どこか荘厳な雰囲気を持った調度品が数多く展示された廊下の最奥の扉の前には、屈強な騎士が二人、聳え立つ巨像のごとく身動きせず佇んでいる。王族の者以外入室を許されない部屋は、更に煌びやかな装飾が施されてた寝室だ。

 その寝室の荘厳な寝台に、少女が飛び跳ねていた。比喩でも何でもなく、物理的に。

「飽きた」

 ピタリと動作を止め、座り込んだまま呟く。少女、リヴは寝台の脇に佇む少年に向けて頬を膨らませて不満げな瞳を向けた。

「毎日毎日この部屋にいるだけなんて、もういやだよ。ねぇエギル、ボクお外に遊びに行きたい!」

 このおねだりも何度目だろうか、とエギルは辟易する。女神近衛騎士としての任に就いて早一月。最早近衛騎士というよりは召使いのような認識をされていることはいいとして、自由奔放な思考の持ち主であるリヴを広く豪奢ではるが、密室という環境下に長いこと置いておくことは難儀だ。

 エギルは、今日はどうしたものかと考えながら苦し紛れに口を開く。

「だからね、君は女神様だから、あんまり不用意に外に出ちゃいけないんだよ」

「じゃあ女神やめた! はい、やめたからお外に行こー!」

「そんな軽い気持ちでやめれるものでもないの」

「むぐぅ」

 逸る気持ちのまま外の扉へとベットから跳んだリヴの襟首を掴む。乱雑な止め方ではあるが、リヴ自身そうやって構ってもらえるのが嬉しいのか、多少の息苦しさなど気にせずニコニコと笑ったまま抗議をする。

「あはははっ、息苦しいー!」

「……こうやって遊んでるだけで、満足出来ないかな」

 エギルだって、こうしてリヴを一室に留まらせることに賛成しているわけではない。出来ることなら城内だけではなく、街にも出て好きな所を好きなだけ歩き回らせてあげたいぐらいだった。リヴを連れて、友人二人が待つ屋敷に帰りたいと願うようにすらなってきた。

 だが、そう夢想した時に脳裏に浮かぶ光景は、いつも森の中浮かび上がる黒煙に、燃え盛る小屋の光景だ。あの時の焦燥感をもう二度と味わいたくない。もちろん、単身でも彼女を守り通す覚悟はある。そして街の屋敷には常時ではないにしろ、イングナルとシルファという心強い味方もいる。だが、万全を期すならばこうして、城内の厚い警護に守られた一室にいる方が遥かに安全だ。

 そう考えたからこそ、城内で彼女の傍に問題なく在れる近衛騎士を掴み取ったのだから。

「たぶんだけど、いつかはこの部屋を自由に出られるようになるからさ。ね?」

「エギル、フェヴニルと同じこと言ってるー」

「……そうなの?」

「うん。フェヴニルも、ボクを閉じ込めた時同じこと言ってた。待ってればその内出られるから、黙って待ってろって」

 幼い頃、エギルが入り込んだ洞穴。掟により立ち入りが禁じられた洞穴の中に眠る生石と、反転の女神。今考えれば、ああして子どもの頃に無理矢理洞穴へ行かせられなければ、こうして彼女たちに会うことはなかったんだと思うと、エギルの心中は複雑である。

「……ねぇ、もし暇なら、リヴのことを教えてくれないかな」

「ボクのこと?」

「うん。そういえば、聞いたことなかったかなって」

 ずっと気になっていた。だが、物言わぬ友との約束を守り、ただ平穏に暮らしていくには不要な情報に過ぎなかったため、今の今まで聞くこともしなかった。

 自分が知らない彼らは、いったいどのような時代を過ごし、今こうして、自分の傍に在るのだろうか。

「ボクのことかー。うーん。あんまり覚えてない!」

「そ、そう……」

 満面の笑みでそう答えるリヴに、エギルは苦笑いを返すことしか出来ない。自分の過去のことなのに、どうして彼女はこうも軽い調子でいられるのだろうか。自分の過去が思い出せない。これは、どう考えでも不安を呼ぶ材料だろう。

 それなのに、どうしてこの少女は、こうも笑顔を浮かべていられるのか。

「でもねでもね。他のことは色々覚えてるよ。フェヴニルのこととか、いろんなの! ねぇ、何が聞きたい?」

 身を乗り出して質問を期待するリヴに、エギルは思わず笑みを零す。こうして彼女が笑っていられるのなら、それはそれで良いことなんじゃないか。そう結論付ける。

「それなら、リヴが生きた時代のことを教えて欲しいな」

「いっぱい死んでた」

「……え?」

「いっぱい死んでた。いっぱい戦って、いっぱい死んで、それでも、いっぱい戦ってた」

 二の句の告げないエギルを置いて、リヴは言葉を続ける。

「いつでも誰かが死んでて、いつでも誰かが泣いてたよ。落ち着ける場所なんてなくて、どんな遠くからでもたくさんの矢が飛んできた。燃えてないところなんてなくて、けど凍ってるところもあって。空が真っ暗で、雷がどこでも鳴っててね。あれはすごかったなぁ」

 他人事同然の如く、凄惨な戦禍の在り様を口にする。

 人の世の戦争の歴史は、この大陸にもあった。戦禍は激しく、たくさんの人がその命を無残に散らしていった。その記録は今も根強くある。今でこそこの国の王国騎士団の力量が郡を抜き、それにより目立った戦火は上がらずにいるが、過去数百年の歴史は戦いの連続だった。

 だが、それはあくまで『人』の戦いである。神々の戦いにおいて、大地は割れ、山は裂け、木々は燃え尽き、大海は干上がるか凍りつくか。地表はその形を変え、天空には雷鳴が轟く。人の身では天災と評するしか出来ない災害を、神は剣の一振りで生み出していくのだ。その破壊の悲惨たるや、人の身では想像も出来ない程凄惨なものであろう。

「すごく恐くって、嫌だなって思ったの。だから、何とかしちゃった」

「な、何とかって?」

「よく覚えてない!」

 胸を張って言い切るリヴの様子に、ドッとエギルの体から力が抜けた。

「そ、そうだったね……よく覚えてないって言ってたもんね」

「でもね、一つだけ、ちゃんと覚えてることがあるの」

 そう言ってリブはエギルの左拳を両手で握り締めた。いつまでも包帯のままでは近衛騎士として格好が付かないと、革で作られたベルトに巻かれたその拳の中には、一つの神が在る。

「フェヴニルが、すごいがんばったの」

「……フェヴニルが? リヴじゃなくて?」

「うんっ」

 反転の女神、神代の英雄。そう評される程の偉業を成し遂げた彼女ではなく、エギルの拳の中にある物言わぬ友人の努力の成果だと。そうリヴは首を縦に振る。

「ボクはよく覚えてないんだけど、きっと、一番大変だったのはフェヴニルだと思うの。だって、フェヴニルはみんなが大好きだったから。ね、そうだよね」

 ベルトを外し、エギルの拳を解いたリヴは小さな灰色の小石を摘み上げてそう問いかける。小石は何も言わなかったが、問いかけた本人は満足げに笑う。

「フェヴニル照れてるー!」

「え? 照れてるの?」

 そう言われても、エギルの目には生石に何ら反応があったようには見えない。どこからどう見ても、いつも通りの、どこにもで転がっていそうな変哲もない小石に過ぎなかった。

「フェヴニルは恥ずかしがりやさんなんだよ。みんなのことが大好きなのに、誰にも近づこうともしないで、いっつも遠くから眺めてるだけなの」

「……それはたぶん、近づかなかったんじゃなくて」

 自分に当てはめて考えれば、自ずと答えが導き出せてしまう。何より、エギルと適応したことこそが、何よりの理由であり、答えで。

「うん?」

「……なんでもないよ。それより、そろそろご飯の時間じゃないかな」

 目の前の少女にそんな答えを告げる必要も、意味もないだろう。エギルはそう判断して、ごまかした。

「えー、ここでずっと話してただけなのに、運動もしてないからお腹減ってないよ」

「……いや、あれだけベットの上で飛び跳ねてたら、充分運動してると思うけど」

 その上毎日毎日、そう口では言っておきながら食事が運ばれてきては残さず完食するのだから手に負えない。エギルは苦笑いを浮かべて、扉の向こうに置かれているであろう食事を運んでくる。リヴが食べる前に毒味をするのも、近衛騎士の役目である。

 食器を部屋の卓に片手で並べながら、もう片方の手に握られている存在に思いを馳せる。今の今まで、全く考えもしなかったこと。その考えが、エギルの頭に次第に形となって渦巻き始める。

(ねぇ、フェヴニル。君は、いったい何をしたの?……そもそも、君はいったい、何者なの?)

 疑念と言う程大きくはない。だが、それでも確かな違和感が、エギルの中に広がっていった。

「ねぇねぇ。久々にあれ食べたい。ほら、畑で作ってた。なんだっけ、ミミズ?」

「芋だよ。ミミズは作ってないし、食べたこともないからね?」

(この子が昔の自分のことを覚えてないのって、単純に物覚えが悪いか、忘れっぽいだけなんじゃないかなぁ……)

 村にいた頃じゃ味わえた試しもない、豪華な料理に一口ずつ毒味しながら、エギルは神代の英雄の記憶能力に懸念を抱く。どの料理にどういった高価な食材が使われているのかさっぱりわからないが、舌に感じる繊細な味わいは、香草だけで味付けをしていた村の調理では味わえなかっただろう。食事とは生きるための手段の一つでしかなかったエギルにとって、王国の料理はより豪華に感じて落ち着かなかった。

 そう、何かもが落ち着かない。豪奢なつくりの部屋も、近衛騎士としての立場も。王国の暮らしは、今までの村での生活とは一変している。誰にも疎まれることなく、誰にも虐げられることのなく。自分の成すことが、誰かの目に触れても拒絶されることがない。責められることなく受け入れられ、むしろ賞賛されるのだ。バルサルクに打ち勝ち、近衛騎士としての地位をもぎ取った少年の噂は騎士団の中で瞬く間に広がり、騎士の誰もが惜しみない羨望を向けてくる。

 それだけバルサルクと相対し五体無事、それどころか勝利を掴むという事態は凄まじいことなのだという認識を、エギルは二人の友人に叩き込まれている。誰にも出来なかった偉業を、自分は成し遂げた。そして結果、ここにいる。それは紛れもなく自分の功績であり、誇れるものであった。

 だが、この胸に巣食う感情はなんだろう。焦燥感にも似た、違和感。

 左手に包まれる、物言わぬ友人。そして、万物を拒絶する者に受け入れられる、自分。

 ―――僕は、本当にここにいて良い存在なんだろうか。

「ねぇ、まだ食べちゃダメ?」

「ああ、ごめん。もう大丈夫だよ」

「それじゃ、いただきまーす!」

 先程までは空腹ではなかったはずなのに、リブは並べられた食事を次々と口に運んでいく。その微笑ましい様子を見て、エギルは胸に懐いていた違和感を忘れようとする。とにかく今は、ここが一番安全なんだ。盗賊からも狙われず、身の危険もない。多少の束縛はあれど、生活に苦はない。

 だから、いいんだ。

 そう結論付けるエギルの左手で、物言わぬ友人が一度だけ、熱く脈動したように思えた。


 

 ユグリル王国随一の蔵書量を誇る大図書館は、城内の地下に存在する。建国されてから長い年月を経た中には数多の歴史があり、またそれを書き綴られた蔵書も大量に存在する。歴史書以外にも兵法について述べられた戦術指南書、生石に関しての蔵書も含め、数千数万という数で収められている。それだけの蔵書を誇る大図書館には、毎日多くの学者や知識を求めに来た一般人。そして自分の力量の伸び悩みを解消するべく過去の先人に習うために来た騎士団員が訪れる。

「えっと、ここが兵法書で、向こうが歴史書関係か。広いなぁ……」

 壁面に描かれた案内図を見ながら、エギルは一人呟く。見渡す限りの本棚に、そこを埋め尽くしているであろう数々の蔵書。森に囲まれた村の中で生活していたエギルにとって、本に囲まれるという経験は初めてのものだ。感心のためか呆けて口を半開きにしたままで本棚の群れを進んでいく。そうして、なんとなく目に付いた本を棚から引っ張り出し、表紙を眺める。

「……これは、何て読むんだろう」

「古代文字図書だ。語学に精通してないおまえには読めないだろう」

「うわぁっ!」

 すぐ傍から突然声が聞こえ、驚いたエギルは思わず持っていた本を取り落としてしまう。

「イ、イングナル……?」

「神代の時代から残ってる蔵書なのだから、それなりに値打ちのある本なんだぞ。しっかり持っておけ」

「ああ、うん、ごめん」

 慌てて落とした本を拾う。しっかりとした装丁の施された本は床に落ちながらも角が折れることなかったようだ。一安心して、エギルはイングナルに向き直る。

「これって、壊したりしたら弁償しないといけないのかな」

「弁償で解決出来るものでもないがな。それより、おまえはこんなところで何をしている」

「えっと、僕は、ちょっと調べ物を」

「調べ物……生石関係のか」

 本棚に置かれた蔵書を眺めて、イングナルがそう口にする。エギルが立っていたのは、生石のことに関して書かれた蔵書が置かれた本棚の前だった。

「ちょっと、気になってさ」

「……おまえの持つ生石についてか?」

 イングナルの目線は、エギルの左手に向けられている。ベルトに巻かれて固められた拳の中には、今もエギルの持つ生石、フェヴニルが握られている。

「うん、それもあるけど。生石そのものについてかな」

「何が気になっているんだ。ある程度のことなら、俺でも答えられるが」

「じゃあ、一つ聞いてもいいかな」

 手に持っていた本を棚に戻して、再度イングナルに向き直る。

「どうして、生石はあるのかな」

「……どうしても何も、おまえが護衛してる女神が、いつまでも争いを止めない神々に業を煮やし、反転させたのだろう」

「……そんなこと、リヴに出来るかな」

 あんなにも幼い、子どものような少女に、荒ぶる神々を無理矢理沈め、その在り様を変えるような力があるようには思えなかった。それはイングナルも同意するところなのか、少しだけ考え込むように手を顎に当てている。

「王は、女神が復活したと仰っていた。推測ではあるが、復活したとはすなわち、一度は神としての力が枯渇し、眠りに就いていたということを指すのではないか。そして今現在、その力はまだ失ったまま……」

「うん。そう考えれば納得は出来るんだけど。それだけじゃない気がして」

「……それも、そいつの入れ知恵か?」

「そいつって、フェヴニルのこと?」

 渋面のまま、イングナルが首肯する。鋭い目付きは尚切れ味が増す程細められ、最早睨んでいると表現しても過言ではない程の眼光をエギルの左手に向けている。

「違うよ。フェヴニルはこっちが聞きたいことを聞いても、何も教えてくれないんだ。本当だったらわざわざ図書館に来なくても、フェヴニルが教えてくれればいいのに」

 ベルトできつく巻かれた左手を上げ、ヒラヒラと振る。その口調も、見つめる眼差しも、エギルから発せられる感情には親愛の情が見え隠れしている。それに気づいたイングナルは、更に渋面を深める。

「……そいつは、いったい何者なんだ?」

「何者、って……」

「会話し、意志の疎通が図れるというのならば神器ではないだろう。いや、そういう神器もあることはあるらしいが、どうやらそうは見えない。神そのものであるはずなのに、顕現した時の形は剣となる。そのような神は、どの文献にも残されていない」

 基本として、生石が適応者の手に渡り顕現される際には元の形、すなわち生石になる以前そのままの形となることが多い。シルファの神馬スーリフ、イングナルの神器グリンスブルも同様に、生石となる以前の形で顕現されている。そして、バルサルクのような神そのものであった生石は、適応者の肉体を媒介にする形で顕現されるのだ。

 それなのに、エギルの持つ生石、フェヴニルが顕現される姿は剣。神器でも、神獣でもない、神そのものであるはずのフェヴニルは、その在り様を剣として顕現されている。これまで数多くの生石や、その数に比例する適応者を見てきたイングナルにとって、エギルの持つ生石は異端として映った。

「エギル。これは騎士として、友人としても忠告させてもらう。おまえの持つ生石は、然るべき研究機関に渡し、その実体を解明させるべきだ」

 神代の時代の神々。もちろん激動の時代の中、全ての神が善神であったとは限らない。超越した力を持ちながら悪行の限りを尽くし、その末に討ち滅ぼされた神々もあった。それ故に生石の扱いは法令を持って取り決められ、そう易々と市場に出回らないよう厳命されている。悪しき者の手に悪しき神が渡れば、それだけで混乱は免れない。

 イングナルには、エギルと適応している神が悪しき神だとは思えない。だが、その力の在り様は、危険と呼ぶに相応しき存在だ。

「でも、フェヴニルは僕とリヴ以外には触れられないし……」

「そもそも、そこから異常なんだ。なぜ適応者が触れていない段階から、すでに能力が発揮されている。神を無力化するために行われた大反転の結果、その生石は未だにその能力を行使出来ている。それはつまり、女神の反転が完全に成されてないということじゃないか?」

 矢継ぎ早に放たれるイングナルの問いに、エギルは何一つ答えることが出来ない。自分にはその問いの解答に相応しき知識はないし、そもそもその解答を持っているフェヴニルが黙したままだ。物言わぬ友人は、自らのことを話されているというのに、一切の反応もなくただ沈黙している。

「……でも、リヴを守るためには、フェヴニルが必要だから」

「俺たちがいる。俺たちだけじゃなくても、大陸最強を誇る我々王国騎士団がいる。それでも、任せられないのか」

「違う、そうじゃないんだよ」

 俯き、首を振る。頼りにならないとか、そういうことは関係なくて。ただ、たった一つだけの理由があるだけ。

「僕が、守りたいんだ。ずっと嫌われて生きてきたこんな僕を、大事だって思ってくれる人を、自分の手で守っていきたいんだよ」

 ずっと疎まれ、虐げられて生きてきた。どうして生きているのか、その意味を模索するだけの日々だった。涙で瞳を滲ませない日などなかった。そんな辛く苦しい日々の中、ようやく見つけた、新しい友人と、生きる意味。

「君たちが僕をこうして、村から出させてくれたことは本当に嬉しい。嬉しいんだよ。けど、それだけじゃ駄目なんだ。守られるだけじゃなくて、守れる人間になりたいんだ」

 その意味を、そう在れるだけの強さを。エギルはたった二人の友人に教えてもらっていた。戦いの師が森の獣だというのなら、生き方の師は、紛れもなく二人の友人だった。

「だから、この生石は手放せない。それに何より、僕にとってこの生石は大事な友人なんだよ」

 友だちを大事にしたい。その感情も、意志も、全て君たちに教わったものだから。

「……ただの忠告だからな。おまえがそういう信念を持っているなら、それでいいさ」

 溜め息を吐いて、イングナルは本棚へと向き直った。すでに渋面はなくなり、いつも通りの無表情で本を続けて二三冊取り出し、腕に抱える。

「調べ物をするのだろう。手伝う。何から調べればいい」

「え、いいの? 何か用があったんじゃ……」

「いいも何も、俺から言い出したことだ。それに午前の練習の時間、シルファと模擬戦をやってな。負けた側が昼飯を調達してくるということで、用意されるまで暇潰しでここに来た。むしろ好都合だ」

「それって、シルファを待たせることにならないかな……?」

「どこで昼飯を食べるかは言ってないからな。まぁ、精々探し回ればいいさ」

 ……後で烈火の如く怒り狂いそうだなぁ。確信に近い未来予知をして、エギルは苦笑いを浮かべた。



「いつまで待たせんのよあの無愛想!!」

 シルファは今にも首からぶら下げたペンダントを引きちぎって神馬を顕現しかねない程の怒りの形相で、騎士道宿舎の食堂から飛び出していった。模擬戦での賭けに負けたことも業腹だが、昼食を用意させるだけ用意させておいて自分は姿を現さないことが何よりも許せない。

 辛く厳しい訓練を終え、午後の訓練に備え英気を養おうと食堂に入ろうとした騎士たちが、シルファの形相を見て、即座に道を空ける。彼女がこの形相を作った時は、とにかく関わらない。でないと神馬が自らの甲冑を踏み抜いていく。そんな共通認識が、騎士団の中では常識の範疇にあった。

「あーもー! 団長がエギルに負けて以来訓練が妙にきつくなってるし! エギルにも会えないし! 最近なんなのよ! あー、イライラする!」

 極め付けに、イングナルの昼食の放棄である。別にイングナル自身がただ単に昼食を抜くだけなら気にもしない。むしろ空腹で疲労した隙を狙い模擬戦を仕掛け、勝利をもぎ取ってやろうとすら思う。だが、用意させておいて、その昼食を取らないということは、シルファでなくても業を煮やすというものだ。憤怒の感情を満遍なく押し出したシルファを見て、大半の騎士が「あー、こういう猪突妄信な部分が生石と適応してるのか」と納得していくが、そんなことは当のシルファにとって些事に過ぎず、床石を踏み砕かんとする勢いで約束破りの不貞の輩を探し回る。

 騎士団の宿舎を探し尽くしたところで、さて次はどこを探すかと思案する。もし城から出て、屋敷に戻りソファーで寝転がっていたらその場で踏み潰してやる……と空恐ろしい想像をしていると。

「……あれって」

 城内の廊下。シルファと反対側の通路から、甲冑に身を纏った騎士が歩いてくる。何ら変哲もない、巡回兵の一人だろう。だが、シルファの目には、どうにも違和感として見える。

(……よし)

 覚悟を決め、何食わぬ顔で歩みを始める。そして、その巡回兵を横切り、完全に背面に回った瞬間―――。

「―――間違ってたらごめんね!」

「っ!」

 太股に巻いていたベルトに付けた短剣を抜き出し、背後からその刃を巡回兵の首筋に当てる。

「なっ、なんのつもりだ!?」

「はいはい、ちょっと静かにしててね。っと、ここじゃまずいか」

 首筋に当てた刃をずらさず、巡回兵の足を払って体勢を崩れさせる。そして空いてる方の手だけで器用に近くの扉を開け、その部屋に巡回兵を投げつけた。

「ぐっ」

「おっ、ラッキー。無人の部屋で良かったわ。誰かに見られたら、さすがに言い訳効かないからね」

「貴様っ、いったいどういうつもりだ!」

「はい、動かないでね」

 短刀をベルトに戻し、すでにガントレットからボウガンを展開させていた。矢も装填し終えていたシルファは、容赦なくその照準をうろたえる巡回兵に合わせる。すでに扉は閉められ、シルファの奇行を咎める者は、目の前で横たわる巡回兵以外いなくなる。

「ちょっとあんたに聞きたいことがあるのよね。素直に答えてくれたなら、まぁ、全治二ヶ月ぐらいで済ませてあげるけど」

「どういうつもりだと聞いている!? 貴様、同じ騎士団の人間に対しこのような暴挙をして……!」

「同じ騎士団? 違うわね、あんたみたいな顔、あたしは見たことないわ」

 毎日毎日、鬼神と同調したのではないかと囁かれる騎士団長に扱かれる騎士団員には、奇妙な仲間意識が生まれている。その中、目の前で怒気を荒げる巡回兵の顔は見覚えがない。

 否、見覚えはあれど、それは城内でも、街中でもなくて。

「お久しぶりね、炎の古代呪使い。あの森の中で撃たれた傷の具合はどうかしら?」

「……何の話だ?」

「何の話って、あんたが盗賊と一緒に女神様をさらった時の話よ。まさか忘れたわけじゃないでしょうね」

 ギリ、とボウガンの弦が軋みを上げる。今にも射出されそうな矢の刃の鋭さを見て巡回兵、炎の古代呪使いは歯軋りが聞こえる程に強く悔しげに顔を歪める。

「……何故わかった。あの時は、ローブで顔を隠していたというのに」

「あ、本当にそうだったんだ。ラッキー」

「……は?」

 呆気に取られる古代呪使いに向けて、シルファは再度ボウガンを構え直す。

「いやぁ、確証はなかったんだけどね。とりあえず、正解を引いたようでラッキーだわ」

「ぐ、偶然だっていうのか……!?」

「一応、判断材料はあったわよ。ローブを纏ってたとはいえあれだけ日の光が照らしてる森の中だもん。多少は顔ぐらい見えるわよ。それに、身長は変わらないだろうし体格まで隠し通せる程厚手でもなかった。そして何より、あんた焦げ臭いのよ。そこはまぁ、炎の古代呪使いはみんなそうよね。物が燃える匂いが染み付いてるのよ」

「……獣染みた嗅覚だな」

 射出された矢は古代呪使いの頬を切り裂き、そのまま床の絨毯を貫く。激痛が走るよりも前に、あと少しだけ横に位置がずれていたら、頬を切り裂くだけでなく貫いていたという事実に、全身に怖気が走る。

「森で暮らしてたりすると、五感が強くなるのよ。さて、時間もあるわけじゃないし、さっさと答えてもらいましょうか」

 すでに次の矢は装填されている。今のは脅しで、次は当てる。当てることが出来るんだと、矢の頂点で光る刃がそう告げているようにさえ思えた。

「どうして、こうして城内に入れるあんたが、盗賊と一緒に行動をしてたの。誰の命令? そもそも、どうして女神を狙ったの? さぁ、答えて」

「……どれも教えられないな」

「じゃあ、次は当てるわ」

 ボウガンの弦が限界まで引き絞られる。照準は、先程より横にずれ、古代呪使いの頬を今度こそ貫くだろう。

「……言い換えようか」

 だというのに、古代呪使いの表情には余裕がある。それどころか、笑みさえ浮かべている。照準は合わさり、シルファが指を離すだけで凶器が跳んでくるというのに。

「あんたに、それを教える時間はない」

 そう言い切った瞬間、背後の扉が強く、吹き飛ばされるような衝撃で開かれた。そして現われる、巨漢の騎士と振るわれる剣。

「くっ!」

 シルファは一足で間合いを取り、ボウガンの照準を乱入してきた騎士の剣を振りかぶる腕の関節に合わせ、矢を放った。どれだけ強固な作りの甲冑であろうと、関節部分の作りは強固には出来ない。ただの布地でしかない部分に矢は深く突き刺さった。これで、動きは封じられるはず。

 ―――が。

「うそっ」

 関節を深く穿ったはずなのに、剣の猛威は依然変わることなく振るわれる。シルファは咄嗟にガントレットでその剣を受けるが。体勢も悪く、シルファの細身ではその衝撃を殺しきれることはなく。

「あっ……!」

 背中から壁に当たり、そのまま後頭部を強かにぶつけてしまう。

「なん、で……こんな、タイミングよく……」

「残念だったな。騎士さん。尋問に時間をかけすぎだ」

 すでに立ち上がり、古代呪使いはシルファを見下ろしてた。反転した両者の状況に抗おうと、シルファは四肢に力を込めるが、痺れたのか思うように動かせない。それどころか視界がふらつき、意識すらぼやけていく。

(これは、まずったなぁ……あ、昼食、食堂に置いたままじゃん……)

 薄れいく意識の中、シルファは残された昼食のことを最後に思い出して、そのまま気を失った。



「……遅いな」

 黙々と本を読み進めていたイングナルが顔を上げる。時刻はとっく正午を過ぎている。このままでは、昼の休憩が終わり午後の訓練が始まる時間となる。

「遅いって、見つかってないだけじゃない? どこに行くのか言ってないんでしょ?」

「そうだが、俺の行動範囲なぞあいつならわかりきってるからな。騎士団の宿舎にいなければ、ここにも探しに来るはずなのだが……負けた腹いせに、自分だけとっとと昼飯を取り、何食わぬ顔で午後の訓練に参加するつもりなのだろうか」

「……そんな卑怯なこと、シルファがするかなぁ」

 シルファ、それにイングナルも絵に描いたように愚直な人間だ。何事も正々堂々に行い、不正を許しはしない性格だろう。それだからこそ、互いに噛み付きかねない程の言い争いはあれど、これまで良好な関係を築けているのだ。そのシルファが、負けた腹いせとはいえそのような振る舞いをするとは到底思えない。

「俺もそう思うが……仕方ない。俺はシルファを探してくる」

「うん、僕もそろそろ、リヴのところに戻ろうかな」

 近衛騎士とはいえ、常時傍に控えているわけではない。入浴時や着替えの際はリヴから離れ、こうして自らの時間を持つこともある。そしてリヴは今、昼の入浴の時間だ。そろそろ近衛騎士としての任に戻り、部屋で待機しておくべきだろう。

「ああ、それなら。もしかしたらシルファが女神の部屋に行ってるかもしれん。ついでに見ておいてくれ」

「いいけど……近衛騎士か門番、それと給仕係じゃないとリヴの部屋には近づけないよ?」

 王の寝室を借り受けてるリヴの部屋には、王と同等か、それ以上の強固な守りとなっている。騎士団員の一人でしかないシルファでは、部屋に近づくどころか部屋へと通じる通路すら歩けないはずだ。

「それでも、おまえや、女神の顔を見ようとここのところ時間があれば通ってるんだ。まぁ、大抵門前払いだそうだが……気にはしておいてやれ」

「……うん、そうするよ」

 その気遣いは素直に嬉しく、エギルは照れ笑いを浮かべる。城への道中で、どうやらリヴとシルファは交流を深めたらしく、部屋にこもるようになってからリヴは頻りにシルファの所在を気にしていた。シルファも親しみと最低限度の礼儀を込めてリヴを『リヴ様』と呼び、リヴ自身も心を開いている。近衛騎士にどれだけの権限があるのか詳しく知らないが、近い内に二人を会わせてあげるのもいいかもしれない。

 イングナルと別れ、リヴのいる王室へと続く廊下を歩く。城内には多くの巡回兵が細かい巡回ルートで警戒に当たっている。城内に図書館が設立されているように、この城の出入りはどの立場の人間にも解放されている。そのため、市民の姿も多く見受けられるが、その分警備に当たる騎士の姿も多くなる。一月もすれば大分顔見知りが増え、すれ違う騎士に会釈しながら城内を進んでいく。それにバルサルクに打ち勝ったという希代の新鋭であるエギルは、騎士団の中で半ば英雄視されている節すらあった。時折、自分を見る目に羨望の意があるように見えて、それがむず痒い気持ちになる。向けられる視線は蔑視ばかりだったエギルにとって、そういった扱いは慣れていないのも当然だった。

 そうして数人の騎士、または市民や召使いの侍女などとすれ違う。その中、甲冑をガシャガシャと鳴らして歩く騎士の横を過ぎた時、ふと違和感を感じ、エギルは立ち止まって振り返る。

 その騎士に、エギルは見覚えがあった。大剣を扱う騎士の一人で、同じように大剣使いのバルサルクに畏敬の念を持っていた。そのため、騎士団の中では珍しくエギルを敵視して、顔を合わすたびに模擬戦を挑まれたこともある。大剣を扱う者には珍しくない、愚直な戦いをする騎士で、そういった獣染みた動きをする相手には慣れていたから、生石の力を借りない模擬戦でも勝ち続けている。更に力を付けてからの再戦を望むつもりらしく、ここ数日は剣を合わせることはなかったのだが、すれ違い様に会釈するぐらいの間柄であったはず。

 それなのに、今すれ違ったあの騎士は、一切エギルの姿を見ずに淡々と歩いていった。無視されたわけでもなく、ただ、気づかなかったかのように。

(あの人、瞬きをしてなかった……?)

 エギルが大剣使いの騎士の姿を視認し、すれ違うまでの数秒。巨漢の騎士は一切瞬きをすることがなかった。ただ前を見て、一切目線を動かすことなく、無表情で歩を進める姿。

(なんだろう……何か、嫌な予感がする)

 胸に生まれた疑念に突き動かされるように、エギルは歩みを速める。半ば走るような速度でリヴの待つであろう寝室へと辿り着き、扉を守る門番に会釈さえせずに扉を開ける。

「…………いない?」

 寝室には、誰もいなかった。今この時間、寝室に備え付けられている浴室で入浴を終え、侍女により着替えをしているはずの時間だった。焦っていたあまりその浴室の扉を開け放つ。それなのに、その無作法な振る舞いを咎める侍女の姿も、そもそも着替えの姿を見られることをまったく気にしないリヴの姿さえない。

「あのっ! リヴ、女神様はいったいどこへ!?」

 寝室から飛び出て門番へと問いかける。寝室から出る扉は、ここしかない。ならば、その扉に側近していた門番がリヴの姿を見ていないわけがない。

「…………」

「あ、の……聞いて、ますか?」

 二人の門番は、手に矛を構えたままピクリとも動かない。目線を動かさず、身じろぎ一つしない。呼吸をしているかどうかすら判断出来ない程に、静止していて。

 そして、どれだけ問いの答えを待とうとも、瞬き一つしない。

 エギルはゴクリと喉を鳴らし、意を決して問いの内容を変える。

「……女神様を、リヴを、どこに連れていったんですか」

 その問いをした瞬間。

 二人の門番は、手に持った矛を、容赦なくエギルに向けて突き刺した。

「っ!?」

 すぐさま後ろへと飛び跳ね、一気に距離を取る。それはつまり、距離を取らなければ、矛先の刃はエギルへと突き刺さったことと同意。

「―――フェヴニル!!」

 左手に巻かれたベルトを解き、エギルは叫ぶ。その叫びに呼応して生み出された光が収束する。

「……いったい、どういうつもりですか」

 門番の騎士とは、すでに一月の付き合いとなる。毎日堅固な護衛として門の前に立っていてくれていたのだ。中から聞こえるリヴの笑い声を聞き、一瞬の隙を突いて部屋を飛び出したリヴをエギルの代わりに捕まえてくれたことさえある。伝説の反転の女神としての姿に戸惑いつつも、警護する対象としてしっかりと認識し、時にはその自由な振る舞いに辟易するエギルを労ってくれたことさえある二人の門番。

 その真っ当で優しい門番が、今エギルに向けて矛を向けている。音がする程歯噛みをして、エギルは二人の門番を睨みつける。

「リヴを、どこにやった……!」

 その詰問を浴びても、向けられた矛先は変わらない。しかし、向けられているのは矛先だけであり、二人の門番の視線は一定。ただ、前だけを見ている。剣を取り構えるエギルに、焦点を合わせていない。そして瞬きもせず、瞳に意志を感じられない。

 どう見ても正常な状態に見えない。だが、今この場においてエギルに重要なのはそのような些事ではなく。

「答えろっ!!」

 剣を構え、突貫する。瞬時に間合いを詰めるエギルに対し、門番二人は矛で薙ぎ払いにかかる。が、エギルにとって、そのような攻撃に意味はない。薙ぎ払われる軌道合わせて剣を振るうだけで、矛は避けるように裂けていく。刃を失いただの尖った棒と化した矛を抜け、エギルは右側の門番に肉薄し、肩から突撃する。その勢いのまま、空いた右手で門番の顔を掴み壁へと叩きつけた。情報は、一人から聞き出せればいい。門番の一人を昏倒させた次の瞬間、柄だけとなった矛を横殴りに振りかぶってくるのを身を屈めて避ける。

 そして、一閃。更に短くなった柄を持つ手を右手で掴み、エギルは剣の切っ先を門番の鼻先に近づけた。恐怖を振りまくエギルの剣は、その刃が近づけられるだけで、身を竦ませ気が狂う程の恐怖を相手に植え付ける。

「答えて、ください。リヴを、どこに連れて行ったんですか……!」

 搾り出すような声の詰問にも、門番の表情は変わらない。瞬きもなく、鼻先に突きつけられた剣の切っ先にも目を向けず、虚空を見つめる。その様相に、エギルは底知れない畏怖を感じた。

「答えろ!」

 少しでも手を前に突き出せば、剣の刃は容易に門番の顔を切り開いていくだろう。それが出来ないエギルは、ただこうして声を荒げ詰問する他ない。

「…………」

「……脅しのつもりじゃありません。早く答えないと、どうなるか―――」

 メキィッ! と、何かが折れる音が、エギルの耳に飛び込んできた。

「な……」

 エギルの眼前には、鼻が『折れ曲がった』門番が激痛に顔をしかめもせず、瞬きもせず、依然無表情のままで立っている。それどころか、更にエギルへと肉薄しようと顔を前に近づけ。

「くっ!」

 メキメキと鼻骨が音を立てて凹んでいく様を直視出来ず、エギルは思わず剣を引いて距離を取る。目の前の異様な光景に動悸が強まり、額から汗が噴出してくる。

(な、なんだ……いったい、何がどうなって)

 エギルの持つ生石は確かに強い。触れたものを断ち切る剣とは、どのような場においても最強を誇る。防げない攻撃であり、何物も通さぬ絶対の防御を両立させた剣。それは戦いの場において確実に相手を圧倒し得る。だが、今この瞬間、その強さが仇となっていた。

 剣を突きつけられた時と変わらない勢いで、門番が上方から腕を振りかぶってくる。鍛え抜かれた膂力を持って放たれる拳は武器を持たずとも充分に脅威となり得る。

 だからこそ、絶対の防御を持って応対せねばならず。

「あっ……」

 耳を塞ぎたくなる程凄惨な音が、門番の腕から響いた。拳に剣が触れることを肉体が恐れ、肘の関節から折れ曲がらせたのだ。だが、その肉体を持つ本人は、依然として変わらず、敵意どころか意志さえも感じさせない瞳のまま、エギルを見ることなく肉薄してくる。

 その在り様に、他の誰でもない、エギル自身が身が竦む程の恐怖を感じた。

「くっ!」

 まだ折れていない手で振りかぶられる拳を、先の光景が目に焼きついて離れないエギルは剣で受けることは出来なかった。右腕で受けるも、衝撃は受けきれずに体は後方へと飛ばされる。無様に背中から落ちるエギルに対し、虚ろな目をした門番は容赦なく覆い被さるように追撃をする。

 対抗は容易だった。ただ左手に持つ剣で薙げばそれだけでいい。だがその簡単な、騎士であるならば容易に出来るはずの動作が、今のエギルには出来なかった。

 万物を拒絶する剣。それを相手に振るうとは、即ち『殺す』ことに他ならない。手加減など存在しない。圧倒的な暴力。それを生きている人間に向けて放つ覚悟が、今のエギルにはなかった。

「っ、かはっ!」

 門番の拳を胸に受け、肺に詰まった空気が全て漏れ出る。再度取り込もうとも、門番の体が覆い被さったままで、身動きすら取れない。左手に持った剣を振るえばそれだけでこの場から脱却出来るというのに、エギルはジタバタと自身の膂力だけで抜け出そうとするが、緩慢な動作ながらも力強い門番の羽交い絞めから逃げ出せない。

「くそっ、離れろ!」

 声を上げても、門番は容赦なくエギルの動きを止めにかかる。どれだけ力を込めようと、拘束術にも長けた騎士の技量に敵わない。エギルは咄嗟に、懐に差していた短刀を抜き出そうとするが。

「―――なっ」

 深く昏倒させたはずのもう一人の門番が、刃を失った矛を振りかぶる。その姿を視認するよりも早く、金属の柄がエギルの額に振り下ろされた。



 時を同じくして。

「……妙だ」

 騎士団宿舎の食堂から出てきたイングナルは、指を顎に当て考え込む。大方、昼食が用意されてるなら食堂だろうと推測してやって来た。が、用意されているのは昼食だけで、おそらく歯軋りしながらイングナルの待っていたであろうシルファの姿が見えない。

 訝しく思いながら、イングナルはすっかり冷め切った食事を置いて食堂を出た。そして、城内でシルファが向かうであろう場所を思いついたまま歩き回るが、一向にシルファの姿は見えない。

「どういうことだ……」

 人づての情報を得ようとも、何故だか城内の人間が異様に少ないのだ。巡回兵も侍女も、普段ならば見るはずの人間の姿もない。城内を巡れば巡る程、イングナルの中で違和感は増していく。

 そしてようやく見つけた、違和感の証拠たるものを見つめ、イングナルは深々と溜め息を吐く。

「あいつは……また何かトラブルに巻き込まれたのか」

 城内の一室。客間であるこの部屋にも、気品のある調度品や家具が置かれている。だが、たった今イングナルの視界に映るのは血に濡れた絨毯に、見慣れた武器。

 それは、同郷の幼馴染が扱うボウガンから放たれる矢に似ていて。

 ガントレットにはめ込まれた生石に触れ、名を呟く。形成した神代の武具を携え、イングナルは部屋を出た。あまりにも殺気だったイングナルの姿を見て慌てる者は、好都合にもすでに城内には見られない。

 そう。慌てる者は、いない。

「いくつか聞きたいことはあるが……まぁ、答えてはもらえないだろうな」

 長槍の切っ先を、前方に待ち受ける騎士の面々に向ける。その騎士の顔も名前もわかっていた。が、自分を見る瞳の具合で、すでにその情報は意味を成していないことをイングナルは悟っていた。

「傀儡呪、か……」

 神代の時代より伝わりし古代呪の一種。元は神獣や魔獣などを鎮めるための呪法として生み出されたものだが、現代においてその呪法は対象者を意のままに操るための傀儡を作り出すものとなった。あまりに危険だが、高度な呪法なため扱える古代呪師の数がなく、扱えたところで人間ではなく精々小型の動物程度しか思い通りに扱えず、廃れた呪法とされていた。

 だが、今目の前にいる騎士の数。そしてその在り様を見て、イングナルはその認識を改める。目に生気はなく、呪師の命令がなければ瞬きさえも許されない状態の騎士は、その異様のまま各々武器を抜きイングナルへと近づいていく。

「……悪いが、ここは押し通らせてもらう」

 顔見知りであろうと、イングナルは一切の容赦もなく長槍を振り上げる。



「……殺されなかったのは、意外だわ」

 城内地下にある牢屋。治安を守る騎士団の圧倒的な武力のため、極端に犯罪率の低いこの国では無用の場所となっていた牢の一室に、真後ろに腕を縛られたシルファがいた。

「スーリフも取られてないし、武装も解除されてない……ほんと、ただここに入れておいた、ってだけみたいね」

 腕を縛られようが、いくらでも脱出の手段は残されている。この場でスーリフを顕現させ、牢を突き破ることなど造作もない。だが、シルファはこの牢屋で待つことを決めていた。

(たぶんだけど、ここで待ってれば……)

「ご丁寧な対応をされていたようだな、シルファ」

「……女の子が腕縛られて牢屋に入れられてるんだから、もう少し心配してくれない?」

 長槍を構えたイングナルが牢の向こう側に立ち、迷いなくその刃で牢を薙ぐ。蓄えた衝撃で加速された刃は牢を轟音を立てながら粉砕した。

「殺されてないのだから御の字だろう。怪我はないのか」

「幸いね。頭を打ったけど、今はどうってことない」

 腕の戒めも解いてもらい、シルファが腕の関節を伸ばしながら答える。

「ご苦労様。で、状況を教えてもらえるかしら」

「城の全域に傀儡呪の術式が施されている。城の中にまともな奴はいない、そう判断してもいいだろうな。ここに来るまでに何度か傀儡呪に囚われた騎士の面々と交戦してきたが、平常の者は一人もいなかった」

「交戦って、よくあんた無事だったわね……」

 騎士は全員、自分と適応した生石を持っている。当然、その分の人智を超えた能力や技術を持ち合わせた武装集団だというのに、その面々と交戦してきたイングナルにはかすり傷一つ付いてはいない。

「傀儡呪をつかった呪師は、おそらく戦闘経験などないのだろうな。動きがバラバラで統率も何もあったものじゃない。組み伏すのは容易だった。それに操られている以上、生石は使えない」

 適応者の『意志』によって力を行使出来るようになるのだから、操られている騎士たちに生石は仕えない。そのことがわかっていたからこそ、イングナルは無傷でここまで辿り着くことが出来た。

「森の中で戦った古代呪師がいたわ。もしかしたら、あいつが……」

「……いや、その可能性は低いだろう。あれだけの数を傀儡に出来てしまう程の呪師だ。おそらくそれ以上……同調者程の力量がなければ」

 生石と適応し、そのまま神と成り代わった者。自分たちと相対した者の存在の不明瞭さが、二人の表情を曇らせる程に不安を煽ってくる。

「……どうして、あたしたちだけは無事だったのかしら」

 おそらく騎士団の全員が傀儡と化している。二人はそう考えている。だが、それならばどうして自分たちだけがこうして自意識を保てているのか……。

「考えたところで答えも出ないだろう。とにかく、女神の元へ向かうぞ」

「……そうね。あの古代呪師もいるんだから、狙いは女神様よね。スーリフ、出ておいで」

 首から下げたペンダントを外し、シルファは自らの愛馬を顕現させる。眩い光が急速に形を成し、室内には不釣合いな程巨大な馬が現れた。鞍もないその背にシルファは難なく跨り、イングナルもその後ろに乗る。

「リヴ様の部屋まで飛ばすわよ。しっかり掴まってなさいよね」

「ああ、飛ばせ。そのための道は空けておいた」

 冗談か本気なのかよくわからないイングナルの言葉に頷き、シルファは愛馬を疾走させる。壁面を削り、床石を踏み砕きながら、室内でありながら一切躊躇のない速度と勢いで疾走を続けていく。

 原因も、元凶もわからない。だが、確実に理解出来ている事柄があった。

 女神様の危機。それはつまり、二人にとってかけがえのない友人が、その命を賭して戦っている状況に他ならない。

「そんなに血相を変えてどこに行く」

 その状況を打破するべく駆ける二人の前に、柔和な笑顔で立ち塞がる者が一人。

「バルサルク、騎士団長……」

「ここから先は王の間だ。獣に跨りながら入場など、無礼極まりないと思わんか」

 王室へと続く通路の中心に、丸太の様な腕を組み仁王立つ騎士団長の姿に、シルファは安堵からか表情を崩す。

「騎士団長。訳は後でお話します。ですからどうか王の護衛を。あたしたちは、このまま女神様の護衛へと向かいます」

 部下の提言を、バルサルクは浮かべていた笑顔を消すことで否定する。途端に湧き上がる不安に、シルファの心中に怖気が走る。

「……一つ、お聞きしたいことがあります」

 馬上にて、礼儀に欠けた姿勢のまま、イングナルは目前の戦士に向け口を開く。

「騎士団長、あなたは、どちら側なのですか」

「……どちら側とは、どういうことだ?」

 低く、地の底から響くような重厚で迫力のある声に、騎士二人に緊張が走る。その緊張を振り払い、イングナルは再度口を開いた。

「……女神を守護する側か、女神を奪おうとする側か」

「はっ、おかしなことを言う」

 ようやく、騎士団長の顔に笑みが浮かぶ。だがその笑みは、二人にとって見慣れたものではなく。

「守護と奪う? 何を言う。どちらも同じではなかろうか」

 獰猛な、獲物を前にした肉食獣の口角を思わせた。

「同、じ……?」

「そうだ」

 漏れでたシルファの問いに、バルサルクは淡々と答える。

「女神を奪うのも、守るのも儂の立場だ。今頃、女神は王の元で最後の役目を終えようとしているだろうよ」

「最後の役目って……王はいったい何をしようとしているのですか!? それに近衛騎士は、エギルはどうしたのですか!?」

 混乱する頭のまま、シルファは騎士団長に向けて質問をぶつける。その激昂は今にも神馬を突撃させかねない程だというのに、騎士団長の双眸に焦りの色は見えない。

「エギル……あの少年のことか。彼奴は無事だろう。王は殺せと仰ったが、儂がせめてもの慈悲で生かしておいた。今頃、城下に放られているであろう」

「殺せ? 王、が……? そんな、どうして……」

 敵が見えてこない。否、間違いなく、目の前で佇む騎士団長は二人にとって紛れもない敵なのだろう。だが、何故なのだ。

 一月前はあれだけ温かく彼らを迎え入れた王たちが、何故今こうして彼らに牙を向ける。理由は、目的は。何一つわからずに、二人の騎士は混乱する。

「聞きたいことは終わりか? それならば、早々に立ち去るが良い。儂はこれから、王の護衛に当たる。お主らはともかく、あの少年を連れてこの国を出ろ」

 さもなくば、ここで切り伏せる。そう騎士の頂に立つ者の視線は告げている。

「ここは引くぞ」

「でも……」

「俺たちで騎士団長を抜けられるのか? それよりも、エギルの無事を確かめたい」

「……そう、ね」

 イングナルの言いたいこともわかっている。苦渋に顔を歪ませたシルファは唇を噛む。それに負けず劣らず、イングナルの表情にも悔しさが浮き彫りになっていた。

「……一つだけお聞かせください」

「なんだ」

 馬上にて、イングナルの双眸が細められる。恐怖を抑え、しっかりと目前の騎士を見つめた。

「あなたたちの……いえ、王の目的は、いったい」

「儂にもよくわからんよ」

 吐き捨てるように、背を向けながら騎士団長は口にする。

「ただ、取り戻したいのだろうよ。自らの、もうすでに事切れた栄華をな」



「ボクは、何をすればいいの?」

「予について来て、民に姿を見せればいい」

 城の上位に作られた演壇。城下を見渡せる程に高いこの演壇からは、城下町に住む民の姿が見える。民は、演壇に立った王の姿を見ようと、城の前にある広場へと次第に集まり出す。

『神代の英雄を連れ、王の演説が行われる』

 そのようなお触れを、先程一斉に城下に向けて流した。王からのお触れではあるが、内容に信憑性を感じられなく、半信半疑のまま広場へと集合した民衆は、王の傍に立つ美しき少女、リヴの姿を見てどよめき立つ。一人、また一人と広場を駆け寄り、瞬く間に広場は民衆で埋まる。

 まるで蟻のようだ。そう王は民衆を見下す。否、まさしく蟻なのだ。一人、また一人と増していく人の波を、王は冷ややかな目で見つめていた。

「女神よ」

「んー、なにー?」

 舌っ足らずな声で聞き返す少女の姿を見て、王の心に寂寥に似た感情が湧き上がる。哀れだ。この者は、あまりにも哀れだ。

 最善の、最低の策だったのだろう。神々の暴走を止めるために、この女神は自らの神性を代価にした。その結果として、大地が滅びを迎えることは回避出来た。望む者も、望まぬ者も。眼前の女神は等しくその在り様を変えた。それは紛れもなく、世界を救ったことに繋がる。

 だが、この世界はなんだ。王は再度広場に群がる民衆の姿を見る。非力な肉体に、低下した知力。ただ生きるためだけに生産し、そして老いて死ぬ。このような無様な循環を、人間はすでに何年繰り返した。

「……正に蟻だな」

 蟻に住処を奪われたことなど、許容出来るわけがない。

「神代の英雄、反転の女神よ。そなたは、この世界をどう思う」

「どう思う、って?」

「そなたの目から見て、この世界は正しいと思うか?」

「正しい……っていうのは良くわからないけど、楽しいと思うよー。みんな笑ってて、戦いはあるかもしれないけど……あの頃より、悲しくなさそう」

「ああ、そうだな……」

 そのことは、王も良く理解出来ている。

「確かに、良い時代だ。流血の争いは終わり、平和を享受し、その幸福を来世へと繋げていく。治める者として、これ程素晴らしい世はない」

 王の顔に笑みが広がる。子を想う慈愛のような、優しさに満ちた笑み。

 ただ、その笑みは一瞬で消えてなくなる。残るのは、残忍に満ちた冷たい双眸のみ。

「だが、それを賜るのは彼奴らではなかろう」

 その冷たく彩られた双眸は、少女の瞳の、その更に奥底を見つめるように向けられる。


「そうであろう? 『リヴァイヘル』」


「あっ……」

 リヴァイヘルと呼ばれた少女、リヴの表情からあどけなさが消える。瞳からも輝きは消え、まるでガラス細工と成り果てたかのような空虚さが浮かび上がる。

 その少女の在り様は、人形のようにさえ見えた。

「滅びを回避するための反転を、いつまでも続ける必要などあるまい。あるべきものを、あるべき様相に返すべきではないか?」

 王の問いにすら答えようとしない少女の態度を、王は無礼と捉えることさえしない。むしろ沈黙して佇む様を見て、王は自らの悲願への道程が確固たるものとなったことを確信し、笑う。

 その笑みを、胸の内より湧き出る歓喜を、王は声を張り上げて世界に吼える。

「今この場を持って、人の世は終焉を迎えた! これより、大地の覇者は貴様らではなくなる!」

 王の突然の勝鬨に、民衆のざわめきは最高潮に達する。乱心したかのような統治者の姿。誰もが、その尋常ではない歓喜の様子に目を奪われていた。

「さぁ! 今こそ反転の時だ! 望まれし者よっ、そなたたちの在り様を思い出せっ! そなたたちは、地に伏し黙すには値しない存在だ!」

 唾を飛ばし、激昂しているかの如き怒気を撒き散らし、王は何者かに檄を放つ。それは、今この場で王の咆哮を聞く者に対しての怒号に他ならず。

「席を空けよっ、下賎な人間ども! 元より、その席は我々の物であろうが!!」



「いったい、何の話をしてるの……?」

 混乱の最中にある広場から離れた路地の一角に、エギルは横たわっていた。額に受けた一撃により切傷が出来ている。そこから流血している姿を、城から出たシルファとイングナルは見つけて駆け寄り、簡易的ではあるが治療を施した。

 そして突然始まった、王の演説。内容の意味はわからず、困惑する心境は依然として変わらない。それどころか、次々と起こる異常事態に冷静な思考回路さえ奪われている気さえしていた。

「わからん。だが、内容を聞く限り、ロクでもない演説なのは確かだ」

「あーもう! 訳がわからない! なんなの!? いったい何がどうなってるのよ!!」

 城の全域にかけて展開されていた傀儡呪法の術式。同僚である騎士団に、それどころか全身の信頼を寄せていたバルサルクが敵に回るという事態。エギルは傷を負わされ、シルファもイングナルも、城から追放される形となった。そして今、民衆に向けて行われている、意味不明な演説。

「王様、どうしちゃったのよ。普段はもっと温厚そうな感じで、あんな風に叫んだりなんてしないのに。それに、リヴ様の様子も変よ。あんな……まるで人形みたいな……」

「……国を出よう」

 城の演説台を睨みながら、イングナルが苦々しく言う。

「嫌な予感がする。これは俺たちの手に負えることじゃない」

「そうかもしれないけど……エギルはどうするの?」

「もちろん連れて行く。当たり前だろう」

「わかってるわよ。そうじゃなくて、リヴ様を置いて行ったら、エギルは……」

 シルファの口にしなかった部分の言葉まで読み取って、イングナルの渋面は更に深くなる。唇を噛み締め、未だ気を失ったままの友人を見下ろす。

 もし今この場で、エギルに意識があったのなら。彼は間違いなく城へと向かうだろう。この少年にとって、リヴを置いて国を去るという選択肢は存在しない。騎士二人が、そのエギルを置いて国を去るという選択肢がないように。それは確実で、絶対の事柄のはず。

「そんなことは理解している。だが……」

 だからといって、今の二人に出来ることは皆無に等しい。エギルに代わりリヴを助けに城へと向かおうとも、騎士団最強のバルサルクが立ち塞がるだろう。その絶壁に対し、二人の騎士がどこまで立ち向かえるのか。考えるまでもないと、イングナルは唇を噛んだまま冷静に判断する。

 自分たちの騎士団長、バルサルクは二人にこの国を出ろと言った。それはつまり、国を出なければならない程の事態が待ち受けているということに他ならない。守りたいものを守るためには、逃亡という手段しか選べないのだ。だが、決してエギルは納得はしてくれないだろう。

 それでも今は――――。

「……エギル、気がついた?」

 イングナルが決意を固め、自らを奮い立たせようと鼓舞する瞬間、シルファの呟きが耳に入る。そして、倒れ伏していた少年へと目を向けた。

「目を、覚ましたか……」

 エギルは起き上がり、辺りを見回している。だが今は状況を説明する時間すら惜しい。最悪もう一度気絶させてでも連れて行こうと考えたその瞬間。


「……なるほど。もう手遅れか」


 少年にしてはひどく落ち着いて、低い声が聞こえた。

「しかし、このような形でも顕現出来るとはな。つくづく、私とこの者の適応の程には驚かされる」

「エギル……? ねぇあんた、ちょっと……」

「私に触るな」

 気を失っていたのにも関わらず、すぐさま立ち上がろうとする少年の肩に手を置こうとしたシルファを冷たい瞳が睨みつけた。

「今の私に触れるな。あまり制御が出来ていないのだ。指をへし折りたくないのなら近づかない方がいい」

「……おまえは、誰だ」

 イングナルが睨みつけながらそう問う。だが聞かずとも、その答えは予想出来ていた。

「名前ぐらいは、すでに何度も耳にしているだろう?」

「……フェヴニル」

 エギルの、彼の左手が持つ生石。神代の時代を生きた、神。

「何故おまえが顕現している。もしや……完全に同調したとでも言うのか」

 神そのものの顕現とは、適応者の肉体を借りた完全適応、同調に他ならない。それはつまり、適応者本人の人格を、神そのものに置き換えることと同意だ。

「それは違う。ただこいつが気を失っているから、代わりに表に出てこれているだけに過ぎない。まぁ、これも余程適応していなければ出来ない芸当だがな」

「……エギルは生きてるのよ、ね」

「そう言ってるだろう。無駄なことを何度も言わせるな」

 苛立たしげに嘆息しながらエギル、フェヴニルは額に巻かれた包帯を乱雑に外す。圧迫から解放された傷口からは、鮮血がゆっくりと溢れ、肌を染めていく。その鮮血を、フェヴニルは指先にべっとりと付けた。

「時間がない。単刀直入に聞く。おまえらは私に手伝う気はあるか?」

「……目的を聞いていない」

 依然として警戒したまま、イングナルはフェヴニルを睨みつける。元よりイングナルは、エギルの持つ生石を信用出来ていなかった。

 触れるもの全てを拒絶する、圧倒的なまでの力を持った生石。そして生石という括りからも解放された今、イングナルが感じている圧迫感は今までの比ではない。こうして向かいあっているだけでも冷や汗が額に滲み、呼吸が落ち着かない。シルファも同様に、激しくなる鼓動を胸に手を当てることで必死に抑えていた。

 見慣れたエギルの姿をしていようとも、目前に佇むのは神代の時代を生きた神。人よりも強大で、圧倒的な力を持った上位存在なのだから。

「……話している時間もない。ただ、私の目的は『この少年の目的』と同意だ」

 エギルの目的。それは、わざわざ二人にとって言葉にし直す必要などなかった。

「……あたしたちに出来ることがあるなら、手伝うわ」

 シルファの言葉に、イングナルも続いて首肯する。

「ふむ……ならば、少し量が足らないな」

 そう呟くとフェヴニルは脇に差していた短刀を抜き、あろうことか、額にある切傷に宛がい、深く切りつけた。

「は? はぁ!? あんた、なっ、何してんのよ!?」

 広げられた傷口から先程よりもおびただしい量の鮮血が溢れ出す。フェヴニルはその激痛に顔をしかめることもなく、淡々とその鮮血を地面へと垂らしていく。

「一人分が三人分になったんだ。その分の量を確保しなければならないだろう」

「だからっ、あんたはこれから何をしようと……」

「……陣か」 

 口では答えず、フェヴニルは行動を持って返答する。路地の石畳の地面に落ちた血を指先に付け、人が三人入れる程の直径の円を描く。見覚えの少ないシルファにはわからなかったが、イングナルにはその円に沿う形で綴られていく文字を見て察することが出来た。彼の武器にも同じように、古代文字で綴られた紋様が存在する。

「……あんた、古代呪を使えるの?」

「使えるも何も、そもそも私の本職はこれだ」

 ものの数秒で複雑な円陣を描き、未だ血を流そうとする額の切傷に手のひらを当てる。そして手を離した時には、痛々しい傷口は、傷跡もなく消え去っていた。

「……治癒呪法の詠唱破棄、だと?」

「ふむ。男の方は中々話が通じるようだ。ならば、この陣がいったい何のものか、わかるか?」

「……防護陣。それも、かなり強力なものだ」

 古代呪により守護された陣の中には、陣を破壊しない限り何物も侵入も出ることも出来ない。本来は数人の古代呪師が総出で取り掛かることで完成する程の高度な呪法の一つだ。

 それはつまり、そのような強力な呪法が必要となる事態が起ころうとしていることに他ならない。

「……ねぇ、これから何が始まるの?」

「もうわかっているだろう」

 フェヴニルはそう言って、シルファの問いを跳ね除けた。返答はなくとも、その言葉で、シルファの中で生まれていた疑惑が確信と変わる。同様に、イングナルの中でも王の演説の内容の全てに納得がいく。

 ……いや、でも。それが、人の世を治める王のすることなのか?

「良く見ておくといい」

 顔にかかった血を服の袖で拭いながら、フェヴニルは城を睨む。その上位にある演説台の前に進み出た、白いドレスをまとった少女。

 その少女、リヴの目には、生気どころか、意志の一欠けらも見出すことが出来ない。

「これが、神代の時代を終わらせた、反転の『始まり』だ」

 遥か遠く、高い位置に立つ少女は、その空虚な瞳で空を見る。かつてのリヴとしての面影の欠片も無い、感情が潰えていると言っても過言ではなく。

 リヴの周囲に、蒼白の紋様が浮かび上がる。一節、二節と次々と浮かぶ、古代の意志。


 ―――始まりのために、確かなる終わりを。


 まるでそれは、機械仕掛けの玩具のような様相で、少女は身に纏う紋様を詠う。


 ―――夢に塗れ、血に塗れ、それでも尚遥かな理想すら、荒れ果てた大地に置いて往け。


 声さえも幼さなど消え失せた、温かみのない冷たく怜悧な響き。


 ―――私の声は、夢の終わりを告げる。私の声は、理想を奪う。


 少女の声は世界に響く。心には悼みもなく、ただ朗々と詠われる。


 ―――大地の覇者よ、等しく潰えよ。抗う意志なき者よ、その気高き魂を称えよう。


 混乱した聴衆は、いつのまにかその調べに聞き入っていた。誰もが見上げ、瞳を閉じて詠う少女の言葉に耳を傾ける。


 ―――願いも、望みも、祈りも、全てを束ね。


 少女の両手が上げられる。天上に詠うように、前へ、上へ、しなやかに差し出された手のひらで、全てを受け止め、受け入れるかのように。


 ―――今ここに、再会のための終焉を迎えよう。


 少女の双眸は、涙に濡れていた。


 ―――Revive.


 そして、唄が終わる。


 まず初めに起きたのは、一陣の風が吹いたことだった。街を流れ、聴衆の脇を吹き流れていく。そよ風にも似た、撫でるような風。風を浴びた人々はサラリとした感触を肌に感じて、柔らかな風の心地よさに目を閉じる。


 そして、膝から崩れ落ちた。


 一人、また一人と倒れていく人々。一切の混乱もなく、淡々と、静かに眠りに落ちるかのように膝を屈し、頬を地に着ける。そうして、誰もが動かない。粛々と、声もなく人々は地に伏していく。

 そして、広場に立つ者は、誰一人として存在しなくなった。

「どういう、ことなの……」

「……いったい、何が起きた」 

 次々と人が倒れていく。その異様とか表現しようのない光景を見ていた騎士二人は、喘ぐようにしてようやく声を出す。目の前で繰り広げられた異常に言葉を失っただけではなく、自身を襲う疲労感に、貧血のような眩暈。今にも膝を屈してしまいそうな程の倦怠に、歯を食い縛ることで何とか堪えていた。

「ふむ……やはり、急ごしらえの陣では完全に防ぎきることは不可能だったか」

 冷静に呟いたフェヴニル。だが、その額には汗が滲み、顔色には隠し切れない程の疲労感に満ちている。そして、終には膝を地面に着けた。

「ちょっと、あんた、大丈夫なの……?」

「不安定な状態での顕現だからな。おまえたちみたいに万全の状態ではないんだよ」

 膝を屈し、息を荒くするフェヴニルの背をシルファの手が擦ろうとする。が、その優しさはフェヴニルの衰弱しても尚鋭い睨みによってかき消される。

「……気遣いはいらない。元より長くは顕現出来なかったであろう身だ」

「だが、ここで倒れてもらっては困る。おまえにはまだまだ聞かなければならないことがあるのだからな」

「……ハッ」

 気遣いなど一切見当たらないイングナルの物言いに、フェヴニルは鼻で笑うという返答をする。

「安心しろ。協力してもらう以上、しっかり説明はさせてもらう……が、今はとにかく、身を休ませる場所までこいつを連れて行け」

 言い切った瞬間、フェヴニルの体が傾く。そして地面に倒れ、そのまま健やかな寝息を立て始めた。

「……寝たの?」

「寝た、らしいな」

 事情がさっぱりわからない。疑問や不信感は次々と生まれ出てくるが、今はこうしてただ突っ立っているわけにもいかない。

「一度、家に戻ろう。詳しい話は、エギルが目を覚ました後だ」

「そう、ね。というか、あたしたちも休まないといけないわこりゃ……」

 未だ治まらない眩暈を頭を振って追い払い、シルファは胸のペンダントに触れた。



 這いずる音が無音の城に響く。ズルズルと長い布を地面に擦りつける音は、腕だけで地を這いずる無様な姿の者から響いていた。

「何故っ、だっ……!」

 高貴な装いだったはずの豪奢なローブ。覇権を表す鮮やかな朱色は、今ではすでに砂埃に塗れ、無残なものへと変わり果てている。それでも、その者は無様に汚れた権威の証を脱ごうとはしなかった。豪奢な装い故に重みのあるローブを纏ったまま、ユグリル王は玉座へと這い進む。

「何故、予がこのような、無様なっ……!」

 否、そもそも脱ぎ捨てるだけの余力さえなかったのかもしれない。

「無事ですか、王よ」

「……バルサルクか」

 玉座に辿り着き、荒い息を吐きながら座る王に、一人の臣下が傅く。臣下、バルサルクは顔を青白くさせた王の姿を見て、安堵したかのように息を吐く。そのバルサルクですら、断続的に襲い来る眩暈を堪えていた。

「他の者はどうしている」

「皆、事切れたかのように伏せております。ただ、確認してみたところ、死んだわけではなく、極度の衰弱に陥っているようです。ですが、このままではいずれ……」

 城内にいた者はこの場にいる二人を除き、全て倒れて気を失っていた。確認はしていないが、おそらく城下の人間も全て。バルサルクは顔を歪めたまま、歯痒さを感じながら報告するが。

「死ぬなどと。反転すれば結果は同じようなものだろうに」

 国の人間が残らず瀕死の状態に陥っている。その報告を受けても、国の主は動揺もせず、あろうことか鼻で笑う。

「……やはりあれは、反転の女神ではなかったのでは。この状況を見るに、女神どころか、邪神の類では……」

「痴れ者め。予がそれに見抜けぬわけがなかろう。あの者は正真正銘、反転の女神である。そのことは確かだ」

 玉座の手すりに置いた拳を骨が軋む程握り締め、王が忌々しげに口にする。

「だが、この状況はいったいどういうことなのだ。あの者が反転の女神であることは確かだ。だが何故、反転が始まらぬのだ。人は人のまま、神は戻らぬまま。いったい、何故だ……」

「……王よ、とにかく今は御身を休めてくだされ。あの者が女神であれ邪神であれ、一番近くでその力を浴びたのだから」

 頭を垂れ歯噛みをする王に対し、バルサルクはそう提言する。王は、臣下の言葉を耳に入れ、長く重い嘆息を吐いた。

「……このまま、終わらせるつもりは毛頭ない」

 玉座に深く座り、上を見上げて目を閉じる。その時、王の胸に去来する想いの数々を、今は思考の隅に追いやり、噛み締めることはしない。まだ、その時ではないのだから。

「今は休む。万全を期し、長く休みを取るとしよう。予の休息が終わったら、再度あの者に反転を行わせる」

「ですが、再度同じようなことが起これば……」

「構わぬ。言ったであろう。反転が起これば同じことだと」

 人の世の終焉とは、人の生命の終焉と同義なのだから。

「早く、早く予は自らを取り戻したい。このような、人の器では予を完全に顕現させることは叶わないのだ。お主もそうであろう、バルサルク」

 臣下は答えない。だが、王はその無礼を許す。この臣下は神でありながら、長らく人の世を生き過ぎた。なればこそ、人への情を懐いて当然だと考える。だがそれでも、根底にある想いは自分と変わらないと核心している。

 もう一度、この大地の覇者として立ち上がりたい。そう、一度その頂に立った者としての共通の意志であろうと。

 大地の在り様を取り返す。そのためなら、我ら神々からその大地を奪い去った張本人である反転の女神さえ利用しよう。それが出来るだけの力を、すでに王は手にしていた。

 王はもう一度嘆息し、瞑想する。過去の栄光に想いを馳せる。

 これから自分が取り戻す世界を、夢見ていた。



 ずっと、彼女が泣いている気がした。

 高く、手を伸ばしても届かない高み。けど、一度はそこにいたはずの、一度は届いたはずの高み。そこに立つ、一人の少女。少女はただ淡々と、音を紡いで唄を詠っていた。無表情で、感情などどこにもないかのように。けど、泣いている気がした。嫌だ、嫌だと。声を張り上げ、涙を流し、嗚咽を漏らして、癇癪を上げる子どものような必死さと幼さで。力の限り泣いていた。

 ボクは、こんなことしたくない。

 そう、泣きながら叫んでいた。

「エギル?」

 目を開けたエギルに最初に見えたのは、安堵したように溜め息を吐く幼馴染の姿だった。

「シルファ……? えっと、ここは……」

「あたしたちの家よ。どう? 意識はハッキリしてる? 頭は痛くない?」

「う、うん。どこも、痛くはないよ」

 ぼやけていた思考も、会話をする内に段々と晴れてくる。自分はどうして家に戻ってこられたのか。確か、リヴの寝室の門番に組み伏せられ、そこから―――

「そうだっ、リヴは? リヴはどこにいるの!?」

 起き上がったエギルの問いに、シルファは目を逸らし答えられなかった。エギルは即座にベットから飛び降りる。そしてそのまま部屋を飛び出そうとするが、壁に寄りかかっていた者の長槍に、扉が塞がれる。

「……イングナル、そこを、通して」

「まだ通すわけにはいかない。いいから落ち着け」

「……ごめん、落ち着きたくても、落ち着けないんだ」

 事情も、現状もわからない。理解なんて出来ていない。けど、リヴが今この場にいない。自分が手を伸ばして、守れる範囲にいない。その事実だけで、逸る鼓動が抑えきれない。

「……なら、押し通るか?」

 そう言って、イングナルは長槍を構え直した。切っ先はエギルの眉間へと向けられている。

「……それしか、通る方法がないなら」

「ちょっ、ちょっと二人とも!? 待ちなさいよ!」

「おまえが俺に勝てるのか? 村にいた頃は喧嘩で一度も俺に勝てなかっただろう?」

「……もう、村にいた頃とは違うよ」

「どうだかな。おまえが努力した分、いやそれ以上の努力を俺がしてきてないとでも?」

「そんなこと思ってないよ。けど、そんなこと今は関係ないんだ」

「あんたたちなんですでにやる気満々なのよ! 人の話聞きなさいよ! あーもう!」

『……落ち着け。おまえら全員血の気があり過ぎる』

 ペンダントを引きちぎろうとしていたシルファの手がピタリと止まる。そして、他の二人も同様に、動きや戦意をピタリと止め、声が聞こえた方向へと目を向ける。

『まったく、この狭い部屋でどれだけ暴れまわるつもりだったんだ。いいから落ち着け、そして全員その場に座れ』

「フェ、フェヴニル……?」

 聞き覚えのある偉そうな物言いは、確かにエギルの左手から聞こえていて。

『これまでの全て、そして、これから成すべきことを教える。だから、さっさと座れ馬鹿共』



「……そんなことになっていたなんて」

 ベットに腰かけて俯くエギルは、一通り状況を説明された後、そう呟いた。シルファとイングナルは包み隠さず、自分たちが体験したこれまでのことを口にした。シルファは椅子に腰かけ、イングナルは壁に背を預けている。そして二人とも、エギルと同じように俯いていた。

「リヴ様が今どうしてるかは、あたしたちもわからないわ」

「今必要なのは情報だ。王や騎士団長の真意もわかっていない。そして何より」

 言葉を切り、イングナルは閉じていた目を開き、エギルの左手に握られている存在に目を向ける。

「反転の女神と呼ばれていた、あの少女の正体もわからない」

『その点は、私から説明しよう』

 今まで黙して騎士二人の話を聞いていた生石から声が聞こえた。

「……久しぶり、だね」

 ずっと、会話など出来ないと思っていた。言葉や意志が通わせた時は、決まって戦いの場など、フェヴニルの力を必要とした時だけだった。こうして、平然と会話が出来るなどとはエギル自身思いもしなかった。

『……すまない。気軽に話せない理由があったのだ』

「理由って何よ。エギルがあんたと出会ったってもう何年も前なんでしょ? それなのに、ずっと黙ったままなんて……あたしたちが言える義理じゃないかもしれないけど、エギルがどれだけ寂しかったか」

「いいよ、シルファ。理由があったなら、仕方ないよ」

『……おまえが話のわかる人間で助かる』

「じゃああたしは話がわからない人間なの?」

 というシルファの質問に、フェヴニルは答えなかった。イングナルが鼻で笑い、そこでまた二人でいつものように一悶着を起こそうとしていたが。それでだ、とフェヴニルは無視して話を開始する。そのあまりにも清々しい無視っぷりに、騎士二人は互いに頭を掻きながら話に戻る。

『あの子、リヴの正体はこの世に伝えられている反転の女神で間違えない』

「……でも、反転は行われていないんでしょ? 現にあたしたちだって、こうして平然としてるし」

『私の陣に守られていたのだから当然だ。そして、言ったであろう、あれは反転の始まりに過ぎない』

「……それで、リヴはいったい何者なの?」

 別にリヴが何者であろうと、エギルにとって何よりも大切にすべき、守るべき対象に変わりはない。それでも、この場において共通の謎として、エギルが代表しそう問いかける。

『……あの子は、具体的に言えば神ではない』

「……どういうこと? あんただってさっき、反転の『女神』って言ったばっかじゃない」

『神造である、という点を考えなければな』

 神造。それはつまり、神が造りたもうた、形ある創造物。

「……まさか、あの少女が神器だとでも言うつもりか?」

 イングナルの言葉に、エギルとシルファは目を見開いた。その言葉を吐いたイングナルでさえ、自分の言葉に半信半疑だった。だが。

『そうだ。あの子は、神々が造り出した神器。神々が神々自身を屠るために生み出された、神造兵器だ』

 神代の時代を生きた者が、平然と肯定する。

『神代の時代の戦いは、武力では全てにおいて互角の戦いが続いていた。能力の差はあれど、皆すべて神だ。単身であろうと、その力は大地を砕き、海を割る。故に、世界の破壊を防ぐべく、神の力を無効化する兵器が造り出された』

「そんな……だって、リヴは普通の、意志の疎通が出来る女の子じゃないか。それが、造られた兵器だなんて……」

 笑うこともあれば、泣くこともあった。普通の、いや普通の人間の子どもよりも、ずっと豊かな感情を持ち、それを表に出すことが出来ていた。そんな少女が、造られた兵器だとは思えない。

 思いたく、なかった。

『それは、母体となった素材が人間の少女だったからだ』

「……どういうことなの」

『つまり、神が初めて造り出した人間が、リヴの母体となった少女なのだ』

 兵器を生み出すための素材として、神は人を作り出した。エギルの左手に納まる神は、その事実を平然と口にした。

『厳密に言えば、神の力を無効化しているわけではない。吸収し、取り込んでいるに過ぎない。だが、それではただの神器では器が追いつかないのだ。イングナル、おまえの神器も無尽蔵に衝撃を吸収出来るわけではないだろう?』

「……試したことはないが、おそらくな」

『器が物である限り、限界がある。ならば、その限界が存在しないものならば、無尽蔵に神の力を取り込むことが出来る』

「ちょっと待って。それなら、神様自身がその器になればいいじゃない。わざわざその……そんな理由で人間を造り出さなくても、神様の方がずっと器として優秀でしょ?」

『神は成長をしない。生まれた時からすでに器として完成しているのだ。だからこそ、固定された器には無尽蔵に力を取り込むことは出来ない。それ故に、成長という制限のない無限のシステムを持つ人間が必要とされたのだ』

「……現代の学者の考えは、間違っていなかったというわけか」

 成長という『余地』を残すことによって、制限を無くす。そうすることで神の力を取り込む容量を増やした。そして、その兵器を生み出すために、成長する人間を造り出した。

「……納得は出来ないが、経緯はわかった。だが、どうしてそこから『反転』という結果に繋がる。吸収し、取り込むだけなら反転には繋がらないだろう」

「そう、よね。吸収するだけなら、反転はしないわよね。だからこそ、今この国はこんな状態なわけだし……」

 そう言って歯噛みするシルファの脳裏には、今も尚街に横たわる民衆の姿が浮かぶ。今でこそだいぶ心身ともに回復しているが、さっきまでは自分たちも他の者を介抱するだけの余裕はなかった。だが、今から助け回ったところで、結局は事態の解決には向かわない。そのことをわかっているからこそ、シルファは強く悔しそうに歯噛みしていた。

『力を吸収された神は一切抵抗出来ない。その瞬間リヴ……神造兵器であるリヴァイヘルは吸収した力を用いて術式を起動する』

「それが、反転の術式……」

「ならば何故、今回は反転が起きなかった」

『それは……』

「……ねぇ、フェヴニル」

 エギルは空いた右手を強く、爪が肉に食い込みかねない程に強く握り締める。その痛みさえ、今は感じない程の些事に思えた。

「つまりリヴは、今この国に生きる人全てのその……力を、取り込んでいるってことだよね」

『……そうだ』

「それは、今のリヴの器で、納まりきるものなの?」

 今度は、エギルの言葉に騎士二人の目が見開かれた。フェヴニルは、そのエギルの問いにすぐには答えない。

「リヴがその力を行使するためには、相応の器が必要なんでしょ? だったら、昔……神代の時代はどうだったのか知らないけど、今のリヴに、それだけの器があるようには思えない」

 誰の目から見ても、リヴはただの女の子だった。村にいた頃は目に映るもの全てに興味を懐き、よく笑い、よく泣いた。城で生活を始めてからも、外に出て走り回りたくてしょうがない。そんなどこにでもいるような子どもの在り様だった。

 その少女に、この国で生きる人間全てを昏倒させる程までに失われた力を受け入れるだけの器が、あるようには思えない。

『……そうだろうな。すでにあの子には抱えきれない程の……いや、すでに溢れていても不思議ではない。だからこそ、術式を発動させることが出来なかったのだろう』

「……溢れたら、どうなるの?」

『……わざわざ口にするまでもない』

「っ!!」

 再度、エギルは部屋から飛び出そうとする。今度はイングナルもシルファも止めることはせずに、それどころか同じように飛び出そうとしていた。

『止まれ』

 だからこそ、静止の声を上げたのはエギルの左手に納まる友人だった。

「止まれないよっ! だって、今正にリヴは苦しんでいるかもしれないんだよ!? 落ち着いてなんていられないじゃないか!」

「あたしもエギルに同感よ。そんなに危険な状態なら、一刻も争う事態よ」

 そう二人は口にし、イングナルも声には出さないが、力強い意志を込められた視線を持って返答とする。

『万全の状態で向かわずに、あの子を取り返せると思っているのか?』

「……確かに、まだ万全とは言えないよ。けど……」

『私の力を当てにしているなら、それは無駄だぞ。今の私は、先の陣の作成に、ほぼ力を使い果たしている。今の私では、おまえたちの力になれない』

「……別にあんたがいなくても、あたしとイングナルがいれば」

『あの同調者に勝てるとでも?』

 挑発めいた言葉に、騎士二人は言い返すことも出来ず、思わず閉口してしまう。万全の状態でも敵わない。そう思ったから、自分たちは尻尾を巻いて城から逃げ出したのだから。

「いやっ、でもあたしたちな、ら……!」

 だからこそ、今この場でどれだけの言葉を並べようとも、過去の事実がその信憑性をかき消してしまう。それがわかったからこそ、シルファは言葉を最後まで紡げなかった。イングナルも同様に、ただ唇を噛み締めることしか出来なかった。

『……おそらく、あの子は大丈夫だ。理由は……今は話せないが、私にはあの子がまだ無事なのがわかる。今はそれを信じて、全員体を休めてくれ。早朝、城に向かうとしよう。エギルも、おまえらもだ。敵わないことを知っていながら、明日は立ち向かわなければならないのだぞ。だからこそ、尚万全でなければならない』

「……けどっ!」

 思わず声を上げるが、エギルにだって状況は理解出来ていた。出来ているからこそ、悔しさを感じ、声を上げずにはいられない。

(僕は結局、フェヴニルがいなければただの無力な人間なのか……!?)

 誰がそう言ってきたわけでもなく、自分の思考のみでその答えに辿り着けてしまう。だからこそ、余計に自分が、無力な自分が腹立たしい。

「けどっ……!」

 そこから先の言葉を紡げない。紡げる資格がない自分が悔しくて、エギルはただ唇を噛み締める。歯が唇の皮を貫き、血が出ようとも。

 その自傷行為を止めることも、この場にいる全員には出来なかった。

 その資格がないと、全員がそう思っていた。



 灯りを消した部屋の中は、暗闇となっていた。そう遅くもない時間。普段ならば、まだ外には灯りが点き、人々の足音や話し声が聞こえている。だが、今この国には灯りを点ける人間も、歩く人間も話す人間もいない。全て地に伏し、黙している。だからこそ、どこまでも深い無音の空間だった。

『眠れないのか?』

「……うん」

 だからこそ、左手に納まる友人も、エギルがまだ眠りに就かずにいたことに気づけたのかもしれない。そうでなくとも、エギルとフェヴニルは、年数ならば二人の騎士以上に、密度の濃い時間を過ごしてきた友人なのだ。傍にいる友の様子など、一切の灯りのない暗闇の空間であろうとも察すことは出来たのかもしれない。

『休まなければいけない……そう言っても、おまえには無理な話だったかもしれないがな』

「君こそ、眠らなくていいの? むしろ君が一番休んだ方がいいんじゃなかったっけ」

『今の私に必要なのは、睡眠ではなく休息だ。こうして、ただ話してるだけでも充分だ』

「それなら、僕も一緒だよ。ちっとも眠くならないから、こうして話をしてるだけでも充分休めてる」

 そうして、お互いに、少しだけ沈黙が流れた。気まずくなどない。むしろ、今までこの二人はこうして互いに意思の疎通をしていたのだから。

「……もっと前から、君とこうして話をしてみたかったな」

『……すまない』

「謝らなくてもいいよ。きっと、理由があったんだろうし」

『……本当なら、もっと前からこうして、おまえを慰めることは出来た』

「……うん」

 会話をする。二人で、対等に、心の内を語る。その行為は、二人の友人が村を離れ、リヴが目覚めるまでずっと出来なかった行為だった。それまでずっと、エギルの周囲にあるのは一方的な罵詈雑言のみ。口答えさえも許されなかった。

「必要なことだったんでしょ?」

 友人は何も言わない。けど、エギルにはすでにこの友人が『物言わぬ友人』でないことはわかっている。声に、言葉にすることが出来ないだけなのだろう。

「僕と君が適応するためには、これまでの生活が必要だった」

 だから、その優しい友人の代わりに、自分で口にする。

「君がこれまでどういう生活を送ってきたのかは、知らない。けど、僕と適応したってことは……君も、皆から嫌われて生きてきたんでしょ?」

『……規模は、だいぶ違うがな』

「そうなの?」

『おまえは村から。私は、生きとし生ける者全てからだ。私から見れば、おまえは井の中の蛙に過ぎない』

 大小の問題ではないがな、とフェヴニルは口にする。顔は見えなかろうと、苦笑しているのかもしれない。

『そう、だな……私は、おまえとの適応をしやすくするために、おまえを孤独に追いやった。そうするしかなかった。許しを請うことも、今更かもしれないが……』

「……別に怒ってないし、謝ってもらうのもおかしな話だよ」

 今までの生活があったからこそ、僕は今君とこうして話が出来ているのだから。この気持ちを、エギルは言葉にしなかった。

『……そうだな』

 言葉にしなくとも心の声さえ、この小さな友人は読み取ってしまうのかもしれない。気恥ずかしいけど、その繋がりさえ、今のエギルにとって誇らしく思える。

「けどまぁ。シルファやイングナルには、内緒にしておいた方がいいかも」

『ああ。あの二人ならば、私が意図的におまえを孤独に追いやっていたことを知ったら、烈火の如く怒り狂いそうだ。自分たちだって、似たようなことをしたというのに』

「はは……まぁけど、皆、ちゃんと僕のことを考えた結果なんだもん」

 僕みたいな、本当に何も持たない、無力な人間のことを想って、長い年月を費やしてくれた。そういった、ただ感謝だけが募る。文句の一つも出てくることなどありえない。

「……ねぇ、フェヴニル。もしかしてだけど、君は、こうなることがわかってたんじゃない?」

 リヴを連れて村を出て、城に入り、その末に彼女を奪われる。

 そして、その彼女を奪還するために、自身の能力が強く発揮されるまで、エギルという器を育て上げた。

『……そうだとしたら、どうする?』

「……どうもしないよ」

 苦笑いにも似た笑みを浮かべて、エギルは簡単に口にする。

「だってさ、仮に全部が全部、君の思い通りで、そのために色々と僕が苦労してきたとしても。その先にあるのは、僕が望んでいた未来なんだもの」

 誰から疎まれようが構わない。自分の大切な人が、ただ笑って、幸せに暮らせていけるなら、それだけで構わない。

 そこに、自分がいなくても構わない。

 それだけが、その度を越した自己犠牲の未来が、エギル・アヌミノンの思い描く理想の未来。

「利用されようが、構わないんだ。それで皆が守れるなら。僕はそれで、満足なんだよ」

 本当に満足そうに笑って、エギルは自分の頭髪を撫でた。遺伝か、それともこれまでの生活のせいか。今ではどうしてそうなったのはわからない程理由が存在する、白色の髪。

 それが今では、少しだけ黒ずんでいた。

『……そんなところまでが、おまえは私と似ているのか』

「だからこそ、きっと同調することも出来る」

 同調。生石と、その適応者のに関するその言葉の持つ意味を、エギルはしっかりと理解していた。理解した上で尚、そう口にした。

 自分という存在が、君という存在に上書きされても、皆を守れるなら、それで構わないのだと。

 バルサルクとの模擬戦の時、フェヴニルの力をより強く引き出した瞬間、エギルの持つ剣は純白から灰色へと変じた。そして、エギルの髪の色も同じように。

(これはつまり……そういうことなんだろうな)

 自分という存在が、別の何かに変わりつつある。その実感を、恐怖を、エギルは微笑んで受け入れていた。

『……そこまでの覚悟があるなら、私としてもやりやすい』

「うん。僕も、君がそう言ってくれると思ってたよ」

 だってこれまでずっと、言葉は交わさなくても、想いは通じ合っていたのだから。

 そうして二人は、声に出さないまでも、心の中で笑った。そうして、これからではなく、これまでを話し出す。

 今まで一方的だった会話が、ちゃんと返事があり、言葉を持って意志の疎通が図れることが、エギルにとって楽しくてしょうがなかった。

 ずっと。それこそ、しっかりと睡眠という休息を取った騎士二人が起きて、同時に嘆息するまでの間、ずっと。

 二人は、これまで数年分の空白を埋めるように会話をしていた。


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